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TEENAGE ~ぼくらの地球を救うまで  作者: SHUSAKU
MOVIEⅠ【A面】
65/239

弾圧からの解放 ~とある東洋人の軌跡⑨

Chapter9

「チリンチリン」



乾いた風を切り、真也はママチャリのペダルを一定のリズムで漕ぎ続けていた。


荷台には、厚手の布に包まれ、まるで大きなサナギのような状態になった静那を乗せている。


サドルから伝わる振動と、車輪が砂利を噛む音だけが静寂の中に響いていた。


ようやく目的地であるアジトの無機質な輪郭が視界の端に現れ始めた。


「これまでの流れだと、どうも悪い奴らがいっぱい居るみたいだ……だけどまぁ、八薙君がいるからな。きっと大丈夫だろう」


真也は、ふと八薙のことを思い出した。


高知県という、日本の中でも自然豊かな一地方ではあったが、彼の空手の腕前は界隈では知らぬ者がいないほど評判だった。


彼は空手において恐ろしいほどの、それこそ天才的な才能を秘めていた。


中学二年生から道場に通い始めたというのに、あろうことか並み居る同学年の門下生や先輩たちを瞬く間にゴボウ抜きにしてしまったのだ。


才能が突出している分、道場内の一部からは「生意気だ」と疎まれる結果にもなっていたようだが、彼の実力は本物だった。


そんな彼なら…


きっと、葉月先輩や仁科先輩のことを、その身を挺して守ってくれているに違いない。


ペダルを漕ぐ足に、自然と力がこもる。


そんな思いが、胸の奥から沸き上がってきた。



* * * * *



一方、サッカースタジアムを半分にしたほどの広大さを持つ、処刑台の広場。


そこには、静まり返った空気の中に、一人の男が静かに歩を進めていた。


『アイツは誰だ? アイツも“日本人”ってやつか?』


広場を包囲する衛兵たちの当惑したような私語が聞こえてくる。


しかし八薙はその声に耳を傾けることなく、呼吸を落ち着かせながらハイキック野郎へと近づいていった。


一歩、また一歩と、砂を踏みしめる音が響く。


八薙はまず、視線を鋭く走らせた。


目の前のハイキック野郎、そしてその周辺に無残に転がっている仲間たちの姿を、瞳の奥に焼き付ける。


……


……!


藤宮先輩!?



小谷野先輩……



兼元先輩……



そして、さっきの村の男性らしき人も、壁際でぐったりと倒れている。


なぜかその男性の股間の部分にだけ、不自然に土が盛られているのが見えたが、今の状況ではその意図を推し量る余裕などなかった。


はっきりしているのは、四人とも完全に意識を失い、戦闘不能に陥っているという残酷な事実だけだ。


目の前のあいつがやったんだろう。



八薙はさらに距離を詰める。


仰向けになって気絶している生一の顔に目をやると、その側頭部には、土足のまま踏み抜かれたような、くっきりとした足の跡が刻まれていた。


どれほど強烈な、殺意の乗った蹴りを受けたのだろう…


八薙は再び、ハイキック野郎に視線を戻した。


大切な仲間たちが、完膚なきまでに叩き伏せられたという覆しようのない現実。


心の底から静かで、けれど激しい怒りがマグマのようにこみ上げてきた。


「八薙……」


「八薙君……!」


仁科さんと葉月が、祈るような、それでいて絶望に染まった瞳で八薙を見つめていた。


本心では、彼だけでも逃げてほしかった。


八薙君ならもしかして……という微かな期待は、心のどこかにあったかもしれない。


しかし、先ほどの三人と村の男性が、立て続けに玉砕していく様を目の当たりにした彼女たちには、八薙に対して「頑張って!人質の皆を助けて!」なんていう無責任な言葉は、とてもかけられなかった。


人質として捕らえられた村の女性たちも、彼が最後の砦なのかという不安と、これ以上の犠牲を見たくないという恐怖に顔を歪めている。


沈黙を破り、最初に口を開いたのは、髭を蓄えた小太りの男、アジャパだった。


『そうだ、お前だ! 確か以前、一度負けてガラスを割って逃げ出したヤツだな。

この負け犬風情がぁ!

お前が村々の連中をそそのかして、ここに乗り込んできた主犯なんだろ。大人しくしっぽを巻いて逃げておけばいいものを!

まったく、つくづくバカな奴だ……日本人というのは!』


アジャパは、吐き捨てるような侮蔑の言葉を八薙に浴びせかけた。


すると、ハイキック野郎も、アジャパも、そして村の女性たちですら予想しなかったことが起きた。


八薙が、日本語ではない、流暢な「この国の言葉」で話し始めたのだ。


『この要塞の代表である人間…アジャパと言ったな。確かに自分はあの時、負けて逃げていった負け犬だ。言い訳するつもりもない。だが……』


八薙は、倒れた四人の同志たちの方へと、ゆっくりと視線を向けた。


『村々を巧妙に追い詰め、略奪し、罪なき人々を迫害した罪を問わんと、傷だらけになりながらも必死に立ち向かっていった人間がいる。

そんな同志を見捨ててまで、負け犬に成り下がるつもりはない』


「(あの子……いつの間に、言葉を……)」


葉月は、驚愕に目を見開いた。


自分たちも牢獄に入れられていた間、少しでも現状を打破しようと、必死にこの国の言葉を覚えようとした。


しかし八薙もまた、アジトを脱出した後、同じくらいの努力をしていたのだ。


ハイキック野郎が、ようやく重い口を開いた。


『つまり……お前がその同志の思いを補うって事か?いいぜ。こいつらの中じゃあお前が一番骨がありそうだ』


『ハンッ、バカかこの日本人は。一番最後に出てきて、大層な口を叩きおって。おそらく、こいつこそが今回の反逆の首謀者じゃろう。

見せしめに殺してしまえ!』


アジャパの冷酷な指令が響く。


『……だそうだ。ただ俺は十秒だけ待ってやる。またあの時みたいに、尻尾を巻いて逃げるってんなら、見逃してやってもいいが……どうする?』


ハイキック野郎は、獲物を弄ぶような、底知れない冷笑を浮かべた。


八薙は、その眼差しを真っ向から睨み返した。


『日本人を……舐めるなよ!』


『やる……ってことだな』


ハイキック野郎の目つきが、一瞬で変わった。


お互いに円を描くように、左右へ静かに、けれど寸分の隙もなく動き出す。


アジャパが処刑を待つネイシャや村の女性たちに、勝利を確信したような声を張り上げた。


『ようく見ておけ! 我々に逆らった愚か者の末路を。お前らを死刑へと追い詰めた首謀者の無様な姿をな!』


そんなアジャパの野次など、今の八薙の耳には届いていなかった。


視線は一点、ハイキック野郎の挙動だけに固定されている。


まだ間合いの外。


だが八薙は既に、自分と相手の「絶対領域」の境目を模索し始めていた。


あの死を招くハイキックの軌道は、脳裏に深く刻み込まれている。


この戦い、間合いこそがすべてであることは、対峙した瞬間に悟っていた。


円を描きながら距離を測る八薙に対し、ハイキック野郎はニヤリと口角を上げた。


『へぇ……分かってるじゃねぇかよ』


「…………」


八薙は応えない。


ちょっと自分から攻めてやらないと“動かない”と判断したハイキック野郎は、ふと足を止めた。



「?」


一瞬何だという表情を浮かべる八薙。


その刹那、ハイキック野郎が一気に、爆発的な加速で踏み込んできた。


先制のフック。


速い。


しかし、八薙はそのフックから始まるコンビネーションを、紙一重でかわした。


本当に、肌の産毛を剃り落とすような、寸での回避だった。


それを見ていた衛兵から『あいつ、あの速度をかわしやがったぞ!』という、驚き混じりの歓声が上がる。


葉月もまた、目を見張った。


「あの子……あんなに速いのが、まさか見えているの?」


しかし、感嘆に浸る暇などなかった。



左右から放たれるパンチの雨が、次々と八薙を襲う。


それらすべてを、八薙はかわし続ける。


だが、当人である八薙の内心は、避けるだけで精一杯の状態だった。


大振りのフックが飛んでくる! ……だが、それは巧妙なフェイントだった。


フェイントを織り交ぜた、右からの細かい突き。


そう。“細かい突き”だった。


致命傷を狙ったものではなく、相手の体勢を崩すための計算された数発だった。


フェイントに惑わされ、無理な回避を強いられた八薙は、ここで大きく態勢を崩してしまう。


そう。


ハイキック野郎は、最初から力任せの一撃を入れるつもりなどなかった。


これまでの四人のように、一発で決めてやろうという傲慢さを捨て、確実に追い詰める戦法に切り替えたのだ。


態勢を崩した絶好の好機に、あの“魔の左ハイキック”が、大気を切り裂いて飛んできた。


軌道は見えていた…というより、体がその恐怖を覚えていた。


八薙は咄嗟に右腕を跳ね上げ、頭部への直撃をガードした。


「ガツッ!!」という重い衝撃と共に、二人の距離が再び離れ、仕切り直しの形となる。


2人に距離が出来た。


「!?」


しかし、ここで八薙の様子に異変が生じる。


ハイキック野郎はそれを見て、下卑た笑みを深くした。


ガードによって頭部への直撃こそ免れたものの、八薙の右腕にはこれまでに経験したことのないような、焼けるような激痛が走っていた。


……粉砕骨折…とまではいかなくとも動かない!確実に腕の腱がおかしくなったようだ。


(……あの蹴り、ガードすることすら許されないのか……まるで、研ぎ澄まされた日本刀のような切れ味だ……)


ハイキック野郎の狙いは、まさにそこにあった。


ガード出来たとしても腕が破壊される……その事実を突きつけられた人間は、蹴りを恐れるあまり、彼の間合い内から極端に忌避するような思考になる。


ディフェンスに意識を取られ、オフェンス(攻撃)へと転じる勇気が削がれていくのだ。


攻撃するためには、嫌でもあの死の脚圏へと足を踏み入れなければならないからだ。


傍から見れば、数秒の打撃の応酬の末に、互いが距離を取っただけにしか見えなかっただろう。


しかし、このわずかなやり取りで、八薙は心理的に、圧倒的な土俵際まで追い詰められていた。


その絶望的な心情を、葉月だけは見抜いていた。


「あの子……やられる」


「え! なんでよ。ちゃんと防いだじゃない。見えてたし」


仁科さんが、反射的に聞き返す。


「さっきの蹴り……防いだけど、その瞬間に嫌な音がしたの。……手を骨折してる。そんな音が聞こえた」


「骨折って、そんな……八薙君……」


緊張の極致にいた二人の肩が、絶望に震え出した。



ハイキック野郎は、八薙の顔色を冷徹に伺っている。


明らかに「間合い」を嫌っている顔だ。


狙い通りと確信したのか、男はすり足ではなく、あえて無防備に、普通に散歩でもするかのように八薙に向かって歩き出した。


スタスタと、日常の足取りで近づいてくる。


「くっ!」


近づいてくる「死」の気配に、八薙は大きく後ろへと飛び退いた。


致命的な打撃こそ受けていない…しかし心理面で大きな差が出た瞬間だ。



『来てみろよ。ホラ』


男の挑発に対し、八薙はただ、鋭い視線を向け続けることしかできない。


見下ろすように目の前の男は尚も言葉を投げかける。


『言葉……分かるんだったよな?

なら、謝るよ。さっきは突然近づいていって蹴り浴びせたりなんかしてさ。だから今度はお前が攻めてくるまで待ってやるよ。

ホラ。どうした?待ってやってるんだ。来いよ。それともまた逃げるかい?』


睨みつける八薙。


……しかし、踏み込むための手立てが見つからない。


『ほら……時間稼ぎでもやるつもりか? 稼ぎたきゃ稼いでみろよ』


尚も、執拗な挑発が続く。


広場の外に目を向ければ、城門を強行突破してきた村人たちも、圧倒的な衛兵の壁に押し戻されていた。


命を惜しむ老人たちは、もはや致命傷を恐れて逃げ惑うばかりだ。


状況が好転する兆しはない。


そしてこの広場も、既に無数の衛兵に包囲され、自分以外の戦える仲間はすべて戦闘不能になっている…


(……このまま右腕が粉砕しても構わん。勝つためなら、右腕の一本くらい、くれてやる!)


八薙は瞳を大きく見開き、壊れかけた右腕を抱えたまま、ハイキック野郎へと真っ向から対峙した。


覚悟を決めた。


『ようやく、やる気になったか』と、男もまた受けて立つ構えを見せる。


これまでの思い、そして底知れない恐怖感をすべて一太刀で断ち切るような決死の突撃。


「うらぁああッ!!」


八薙、渾身の叫び。


腰は入っていなかったがハイキック野郎は見せかけの右ストレートで出方を伺った。


八薙はそれをサッとかわすと、カウンター気味に渾身の正拳付きを叩き込んだ。


入った!


しかし、相手の硬質な肉体に叩きつけた自分の右手首にも鈍い激痛が走る。


それでも関係ない。


間髪入れず、八薙は左のフックを叩き込んだ。 そして突き……ではなく、肘を鋭く突き出した、ブーメランフックのような肘鉄だ。


そして右のミドルキックを、相手の腹部へと完璧にヒットさせた。


『おぉ!』


アジャパが驚きの声を漏らした。 ハイキック野郎相手に、ここまで正確に、流れるような打撃を叩き込んだ人間は久々だったのだろうか。


八薙はさらに、右肘を上から大きく振り上げた。


相手との上背の差を考えれば、必然的に狙いは顔面になる。


全体重を乗せた、渾身の縦肘。


しかし、それが打ち込まれる寸前、ハイキック野郎のカウンター気味の蹴りが、先に八薙を捉えた。


左の脇腹だ。


今度の蹴りは、一発で戦闘不能にする蹴りではない。


体重を乗せ、獲物を大きく弾き飛ばすための蹴りだ。


肘鉄が顔面に届く直前、八薙の体は大きく仰け反り、右側へと吹っ飛ばされた。


広場に、女性たちの悲鳴が響き渡る。


もんどり打って地面に倒れ込む八薙。 だが、まだ意識は途切れていない。


すぐに右手をついて必死に立ち上がろうとする。


その瞬間、右手首に凄まじい激痛が走った。やはり骨に異常がある。


右手の激痛にわずかに反応が遅れ、立ち上がった時には既に間合いを詰められていた。…“蹴り”のだ…


八薙の顔が青ざめる。


ハイキックが、来る!


今度は、右だ。


右足の鋭い一撃が、八薙の左側頭部を正確に刈り取ろうとする。


八薙は極限の反射神経で、咄嗟に左手を頭部に添え、決死のガードを固めた。


「ガッ!」という衝撃音と共に。


そして後転のような形で今度こそ相手と距離を離した。


ハイキック野郎の位置を確認して起き上がる。


しかし、今度は左腕の腱に痛みが走り、自由が失われていた。


骨折しているかどうかを確認する余裕すらなかったが、今の蹴りをガードした衝撃で左腕もイカれてしまったようである。


状況は、さらに追い詰められた。


『情けないよなぁ。さっきはあんなに大口を叩いていたのによぉ。

……結局、お前も時間稼ぎくらいしか出来ねぇのか。

おい、どうした“日本人”。さっきの威勢はどうしたよ』


ハイキック野郎の顔を見た。


確かに、何発かの打撃は入れたはずだ。


しかし、男は涼しい顔をしている。


右腕がうまく動かない状態での、空手仕込みの打撃とはいえ、確かに命中したはずだが……


ほとんどダメージになっていない。 効いてさえいないのだ。


心理的な崖っぷちに追い詰められ、八薙の心に深い影が差す。


アジャパはそれを見て、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて呟いた。


『アイツも、残酷な男よなぁ。嫌な性格をしとるよ』


* * * * *



その後の八薙は、もはや防戦一方だった。


間合いを取り、致命的な一撃を必死に避けることしかできない。


圧倒的な力の差を感じる。そして打開策が見えてこない。


高知という小さな町ではあったが、自分は今までここまで完膚なきまでに叩き伏せられた経験はなかった。


大人たちとの試合でさえ、ここまで圧倒的な力量の差を感じることはなかったのだ。


打撃が通らない…受け止める事も出来ない…


じわじわと体力を削り取られ、ただ延命するように防戦を続けるしかない現状に、八薙自身、信じられない思いだった。


ふと後ろに下がった時、意識を失って動かなくなっている三人の先輩たちの姿が、視界の端に入った。


圧倒的な強者を前に、それでも彼らは最後の一瞬まで引かなかったのだ。


戦闘不能になるその刹那まで、己を燃やし立ち向かい続けた。


自分がここで敗れ、命を落とせば…彼らのその不屈の運命も、ここで潰えてしまう…


両腕がろくに動かぬ極限の中、八薙はもう一度、死力を振り絞って反撃に出た。


逃げ惑う最中での、乾坤一擲の攻勢!


両腕が粉砕してもいいから渾身の蹴りをぶち込むつもりでいた。


……しかし、蹴りのリーチですら、相手の方が一枚上手だった。


カウンターのような形で、逆に強烈な蹴りを腹部へと叩き込まれる。


めり込んだ衝撃で力が抜けた。


そのまま吹っ飛ばされたのだ。



まだ、致命傷ではない。だが、勝負の天秤はもはや誰の目にも明らかなほどに傾ききっていた。


防戦一方の末、ようやく仕掛けた攻勢も、無残に蹴り飛ばされる始末。


人質となっていた村の女性たちから、すすり泣く声が漏れ始めた。


蹴り飛ばされても尚、八薙は震える手足で立ち上がろうとする。


しかし、左右の腕に力が入らず、無様に再び地面へと倒れ込んだ。


対峙していたハイキック野郎も、もはや気が済んだのか、構えを解いて攻めの姿勢を解いた。


『まぁ、いい暇つぶしにはなったぜ。

せっかく言葉を覚えてくれたのに死ななきゃいけないのは少し不憫だがな……そろそろ、終わらせてやるよ』


大きく深呼吸をすると、ハイキック野郎は、立ち上がることすらままならない八薙へと、ゆっくりと歩み寄った。


「もうやめて! 十分でしょ!」


仁科さんが絶叫する。


日本語ゆえに言葉の意味は通じずとも、その拒絶の意志は伝わったはずだ。だが男は一切構うことなく、八薙の数メートル前まで進んだ。



その時、完全に起き上がることはできなかったが、片膝をついたまま八薙が何かを話し始めた。


「何だ?」とばかりに、ハイキック野郎が足を止める。


『俺が……お前に現段階で勝てないのは認める。でもな…俺“たち”ならば……お前に負けるとは思えん!』


『何を言っているんだ?』という、憐れみを含んだ表情で八薙を見下ろす男。


……その、少し後方だった。


なんと、完全に気絶していたはずの生一が、ゆっくりと立ち上がっていたのだ。


アジャパが、裏返った声を上げた。


『何だぁ?あいつは?ああ…あれは恐らく気絶してるだけだ。トドメを!』


「あぁぁ……!?」


生一が大きく目を見開き、その小太りの男を射抜くような眼光で睨みつけた。


生一が蘇生したのだ。


『ひいぃぃぃ!』


物凄い形相で睨まれたアジャパは、無様に尻餅をついた。


八薙は、目の前の難敵にもう一度言い放った。


『俺たちは、絶対に諦めない。 俺たちは……負けんぞ!』


その声に呼応するように、小谷野も、兼元も、重い瞼を持ち上げ、意識を取り戻していく。


『もう一回仕切り直し、ってワケか。いいぜ』


ハイキック野郎が、ニヤリと笑う。



ゆっくりと立ち上がり、その瞳に凄まじい精気を取り戻した生一が、広場全体を震わせるような大声で叫んだ。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」


大気を裂くような、凄まじい気迫。


果たして、本人に意識があるのかすら疑わしいほどの咆哮だった。


その声に、ハイキック野郎が応じる。


『雑魚なりになんかしでかしてくれるのかよ。叫んだって何もさせてやらねえよ。』


生一は、一点の曇りもなく彼に照準を合わせた。


「い……く……ぞ……」


静かな、けれど芯の通った声を発した直後、生一は猛然と飛び掛かっていった。


その姿を倒れたままの小谷野と兼元が見つめていた。


意識は戻ったものの、肉体は既に限界を超えている。 腹部や腕に力が入らず、動くことができない。


彼らは、ただその背中を見守るしかなかった。


「なんだよ、アイツ、ちゃんと立ち上がれてんじゃんかよ……

……でももう、これに懸けるしかねえか……」


虚ろな目で見ていた。


仁科さんと葉月は、理解を超えた生一の蘇生にただ困惑し、立ち尽くしていた。


「あいつ…意識、あるの?」


「うがあああああああああうッ!!」


生一は、うわ言のようなガラガラ声で、ハイキック野郎に立ち向かう。


その姿は隙だらけで、全員が無謀だと思った…その瞬間。


生一は、なんと相手の体にガッシリと抱きついたのだ。


これを、どう見るべきか。


ただ、密着して抱きついた状態では、当然ながらハイキックも、強力な膝蹴りも放つことはできない。


もちろん、生一自身も何もできないのだが。


「ぐあああう、うあああう!」


ガラガラ声で叫びながら抱きついて離れない。


『ウゼぇな、この害虫がぁ!』


ハイキック野郎は、上背の差を利用し、抱きついて離れない生一の顔面や腕に向かって、鉄槌を振り落とすようにして振りほどこうとする。


鋭い肘を顔面に叩き込み、激しく体を揺さぶる。


肘がめり込むたびに、生一の顔面から鮮血が飛び散った。


腫れ上がり、半開きになった目が、揺さぶられた瞬間に露わになる。


しかし生一は何かに取り憑かれたかのように、決して離れようとはしなかった。


『くッ、しつこいな、この雑魚!』


尚も肘をガンガンと、生一の腕に向けて落とす。


衝撃で、腕の力がガクッと落ちる。


それでも生一は、意地でも腕を解かない。執拗に、泥臭く、抱きつき続ける。


さらに生一の腕を目指し、上から肘が何度も何度も振り下ろされる。


何度も腕がほどけそうになりながらも、彼は死力を尽くして意地でも腕を離さない。


この時小谷野と兼元の脳裏に、あの修道院近くでのトレーニングが蘇っていた。


巨大な岩を脇に抱え、崖を登っていく生一の、あの異様な執念の姿。


今、彼はその記憶だけを頼りに、無意識の中で相手を「掴んで」いるのだろう。


『離せ、このザコォォォ!!』


肘や拳が、生一の腕や顔面に容赦なく叩き込まれる。


しかし、生一は意地でも離さない。


記憶が遠のき、何度も意識が闇に飲まれそうになる…そんな中…


頭の中で、かつて見たプロレス中継の実況が、鮮やかに蘇った。


『形はどうあれ、勝ちたくて、勝ちたくて、仕方がなーーーーいッ!!』


福澤ジャストミート郎、熱狂の実況が脳内を駆け巡る。


福澤ジャストミート郎 『三沢はいつも言っていた。辛い時、苦しい時、いつもレスラーは自分自身と戦っているのだ。敵は、ライバル…敵は2人いる。対戦相手と…そして、自分自身であります!』



「あき…らめ…ない。」


うわ言の様につぶやく生一。


まだ、意識の火は消えていない。


ハイキック野郎は振りほどく方法を変えたのか、生一の顎にピンポイントで拳を叩き込んだ。


生一の体にどんどん力が入らなくなる。


腕がほどけかける!


それでも尚、もう一度抱きつこうとしたが、今度は避けられバックを取られてしまった。 正確には、側面に近い後ろ側だ。


『これで終わりだ!』


男は横から太い腕を回し、生一の首を絞め上げると、そのまま力任せに吊るし上げた。


「アイツ……首を! 窒息死させる気だ!」


「そんな生易しいモンじゃねえ。首の骨を、へし折るつもりだッ!」


“ミシミシ”と、骨が軋む音が聞こえてくる。


首を極められ、宙へと吊り上げられていく生一。


次第に彼の体から力が抜け、だらりと垂れ下がっていくように見えた。


『無駄だ、悪あがきはやめろ!』


ハイキック野郎は、吊り上げた生一に向けて言葉を吐きかけた。


意識が飛びかけながらも、生一はそんな彼に向かって、必死に視線を向けた。


そして、何かを叫ぼうとするかのように、口を大きく開いた。


「?」


次の瞬間。


口を、歯を思いっきり「ガチッ」という音をさせて閉じる。


すると、喉の奥に仕込んでいた、導火線のようなものに火が付いた。


そのまま生一が渾身の力で息を吹きかけると、なんと彼の口から、激しい炎が勢いよく発射された。


火炎はハイキック野郎の顔面を、正面から浴びせかけたのだ。



生一の意識の中で、再び福澤ジャストミート朗の実況が響き渡る!


『一九九五年! 弾圧からの解放を目指し、長く続いた戦いもッ、ついに雌雄を決する時がキタアーーーッッ!!』

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