弾圧からの解放 ~とある東洋人の軌跡⑥
Chapter6
なぜラテン人のような、不自然なほどに力強い巻き舌口調なのかは不明だったが、その叫びの主は、最上段の縁からゆっくりと姿を現した。
広場にいた全員の視線が、太陽の光を背負って立つそのシルエットに釘付けになった。
ボロボロのマント……いや、ボロ布を羽織ったその男は、日本人、生一だった。
「藤宮君ッ!?」
「キイ…っあのバカ!」
仁科さんが驚喜の声を上げ、葉月も思わず毒づいた。
そこには、死んだと思われていた生一が、威風堂々と立っていたのだ。
なぜかボロボロの布切れをマント代わりになびかせている。
マントは標的として目立つためにワザと身につけたのだろう。
『あいつは…』
黒い髭を蓄えたアジャパが、忌々しそうに見覚えのある顔を凝視した。
『へぇ……』
その傍らに控えていた、生一が命名したあの男“ハイキック野郎”は、生一の姿を見て、楽しそうに口角を上げた。
死の淵から舞い戻り、あえて逃げずに再び自分の前に現れたことが、彼には愉快でたまらないようだった。
『あのトチ狂ったのが……“日本人”ってヤツか、へへへ』
建物の麓にいた衛兵たちが、獲物を包囲するように一斉に動き出す。
『“アックスボンバ”の奴だ!』と叫びながら、兵士たちは生一を指差し、その名を連呼した。
口々に“アックスボンバ”と言っている。
彼らの手には鋭利なシャムシールが握られ、その数は優に百五十名を超えている。
「いいか!よく聞けオラエェーッ!!」
生一は声を張り上げたが、残念ながらそれは日本語だった。ここにいる連中に通じるはずもない。
仁科さんと葉月以外には何を言ってるのか分かってないだろう。
「あいつ…こんな状況だけど…バカね」
「同感。……でも、藤宮君、何か仕掛けるつもりよ」
生一は喉が裂けんばかりの声を張り上げ、宣言した。それが日本語ではあるが…
もうお前らは終わってんだよ!この日本人を敵に回した段階でなぁッツ!今から目ん玉飛び出るようなこのド真ん中!突っ切ってやる!
見とけオラ!」
啖呵を切るやいなや、生一は観客席の最上段から、処刑台へと続く急勾配の斜面を、一直線に駆け下り始めた。
走り出す直前、彼は目の前で吊るし上げられているネイシャさんを一瞬だけ、真っ直ぐに見つめた。
彼女は震える口元を押さえ、溢れる涙を止められないまま、生一の姿を瞳に焼き付けていた。
(……君に涙は似合わない)
彼は一切の迷いを捨てて全速力で斜面を降りていく。
マント代わりのボロ布が風を孕んで大きく靡き、彼はこの広場で最も目立つ、動く標的となった。
その無謀な突撃に、仁科さんも自分、葉月も、戦慄を覚えた。
(無茶よ……!)
まるでジェットコースターのような激しい勾配。
そのまま直進すれば最短距離で処刑台に辿り着くが、そこにはスタンドの段差が牙を剥いている。
さらに、生一が降り立つ先には五十名ほどの衛兵が刀剣を構えて密集しており、その五十メートル先には、あの怪物が待ち構えているのだ。
二人は「生一、やめて!」と叫ぼうとしたが、その声を遮るように、すぐ後ろから絶叫が響いた。
「生一さん!」
涙ながらに彼の名を呼んだのは、ネイシャさんだった。
(あの女性、アイツを知ってるんだ)
二人は一瞬で、三人が彼女を救うために戦ってきたのだと理解した。
しかし、再び生一に視線を戻した瞬間、そこに広がったのは凄惨な光景だった。
突撃を開始して、わずか五秒も立たないくらいの所。
広場の脇に陣取っていた衛兵のボウガンが、空を切って生一を正確に狙撃した。
強烈な太陽の光のせいで、どこに矢が突き刺さったかは判然としない。
しかし、真横から一撃を食らった生一は、激痛に顔を歪めたのか足を縺れさせ、そのまま激しく崩れ落ちた。
彼は止まることなく、斜面をゴロゴロと横回転しながら、重力に従って猛スピードで滑り落ちていく。
靡くマントが、瞬く間に鮮血で赤く染まっていくのが、遠目にもはっきりと分かった。
『ハッハッハッ、バカめが!』
小太りのアジャパが、何やら訳の分からない言葉を叫んだ後、こちらに突撃しようとした目の前の“日本人”の無謀さを笑った。
生一は意識があるのかも分からない状態で、スタンドの屋根を転げ落ちていく。
その落下地点には、五十名ほどの衛兵が、シャムシールと槍の穂先を揃えて待ち構えていた。
『この間抜けめ、串刺しにしてやれ!』という残酷な期待を顔に浮かべ、彼らは獲物が落ちてくるのを手ぐすね引いて待っている。
屋根から転落する寸前の生一の姿に、三人の女性は、もはや正視に堪えず顔を背けた。
ネイシャさんは声を上げて泣き崩れた。
屋根から落ちた生一を、囲んでなぶり殺す光景が、容易に想像できた。
目の前で仲間が死ぬのは耐えられなかった。
「生一…」
絞るような声で仁科さんが呟いた。
やがて屋根の勾配が緩くなり、下の方まで転がってきた生一の体は、力なくドサッと地面に転落した。
それを、五十名の衛兵がニヤニヤと笑いながら取り囲む。
逃げ場など、どこにもない。
まさに絶体絶命の窮地。
生一がわずかでも起き上がる素振りを見せれば、即座に刃の雨が降り注ぐだろう。
しかし、生一はピクリとも動かなかった。
先ほどのボウガンが急所を貫いていたのか、彼は死人のように静まり返っている。
刀を構えた衛兵たちは、様子を伺うようにじりじりと距離を詰める。
意識が戻ったその瞬間に、蜂の巣にするつもりなのだ。
………
……
「?」
その時、生一が羽織っていたマントの隙間から、不気味な白煙が立ち上り始めた。
『何だ……? 何が起きている!』
戸惑いながらも、衛兵たちは逃げようとはしなかった。 四方を五十人の大軍で囲んでいるのだ。
煙の量も、彼ら全員の視界を遮るほどではない。
『さあ、起き上がってこい。 全員で叩き斬ってやる』という殺意を滾らせ、彼らは煙を吐き出すマントに向けて剣先を突きつけた。
……!
“ガバッ”と、突如として生一が跳ね起きた。
大きくマントを広げ、立ち上がったのだ。
そのマントの内側には、おびただしい数のダイナマイトのような塊が括り付けられていた。
そして、そのすべての導火線からは、シュシュと音を立てて煙が噴き出している。 煙の正体は、“これ”だったのだ。
生一はマントに巻き付けた火薬を、取り囲む衛兵たちに見せびらかすようにして、絶叫した。
「サーピー!! サーピー!!」
それは現地の言葉で、「道連れだ」という意味だった。
“お前ら全員、俺と一緒に吹き飛ばしてやる”という狂気の宣告である。
導火線の火は確実に根元へと近づき、濃い煙がモクモクと生一の全身を包み込み始める。
次の瞬間には、大爆発が起きて辺り一帯が血の海になるかもしれない。
目の前の日本人は、自爆覚悟で自分たちを地獄へ引き連れていくつもりだ!
そう確信した衛兵たちは、先ほどの余裕をかなぐり捨て、蜘蛛の子を散らすように生一の周囲から逃げ惑った。
「サーピー!! サーピー!!」
生一は煙幕を撒き散らしながら、尚も衛兵たちの群れに向かって突進していく。
死神を前にした兵士たちは、武器を投げ出す勢いで距離を置こうと必死に逃げ回った。
その結果、何が起きたか。
そうである。
生一の立ち位置から五十メートル先、あの最高幹部“ハイキック野郎”へと続く道が、真っ直ぐに、そして綺麗に開かれたのだ。
爆発を恐れる衛兵たちが道を開けた隙を突いて、生一はマントを脱ぎ捨て、怪物のもとへと駆け出した。
慌てて追撃しようとする兵士もいたが、生一は尚も煙を出し続けるマントを、彼らに向けて投げつけた。
パサリと地面に落ちたマントが煙を吐き出し続ける。
衛兵たちは、いつ爆発するとも知れないそれを恐れ、生一を遠巻きに取り囲むことしかできなくなっていた。
しかし、生一の瞳には、すでに雑兵の姿など映っていなかった。
ついに彼は、ハイキック野郎と正対したのだ。
『悪知恵もさることながら、よくぞここまで辿り着いたものだ』
男は感心した様子で、けれど底知れない侮蔑を込めて生一を見下ろした。
生一はその眼光を正面から受け止め、激しく睨み返す。
マントの中のダイナマイトが煙をモクモク出すだけで一向に爆発しないことに気づき始めた数名の衛兵が、怪訝そうに近づこうとした、その時だった。
広場から斜め下、城門の方角から、地鳴りのような大歓声が沸き起こった。
何者かが城門の鍵を“内側から”こじ開けたのだ!
完全に虚を突かれた三十名ほどの番兵たちは、門を突破してなだれ込んできた老人たち、そして八薙を先頭とする数名の若者の姿に激しく動揺した。
数だけで言えば、圧倒的に村人の方が多い。
門の付近で凄まじい乱闘が始まったことが、その喧騒だけで理解できた。
仁科さんと葉月は、何が起きているのか完全には把握できなかったが、これが千載一遇のチャンスであることを肌で感じ、顔を見合わせた。
仁科さんの瞳に、鋭い決意の光が宿る。
「最後のとっておきだったけど…」
仁科さんは、プッと口の中から何かを吐き出した。
それは……差し歯だった。
仁科さんの歯は差し歯だったのだ。
「この歯の中身…取れる?」
不自由な体を引きずり、仁科さんの差し歯に指を伸ばす自分、葉月。
その差し歯の中には、極小の、けれど鋭利なガラスの破片が仕込まれていた。
「ちょっと待ってて!イケると思う!」
葉月は、その破片を手首を縛るロープに押し当て、カリカリと、必死に擦り合わせ始めた。
すぐには切れない。
しかし、衛兵に見つからないよう細心の注意を払いながら、自由を勝ち取るために繊維を少しずつ断ち切っていく。
衛兵たちの意識は、下の城門での大混乱に完全に奪われていた。
小太りのアジャパが、慌てふためいて兵士たちに怒号を飛ばす。
『門にいる老人どもを抑えろ! 広場に上げるな!首謀者らしき“日本人”を見つけ次第、ひっ捕らえろ!』
ハイキック野郎も生一を後ろから取り囲み、恐る恐る捕獲しようとしていた衛兵達に向かって、冷徹な命令を下した。
『こいつは俺がやる。 お前たちは門から侵入しようとしている奴らを、一人残らず叩き潰してこい!』
『ハッ!』と、衛兵たちは隊列を崩し、一斉に坂の下へと駆け下りていった。
これで処刑場に残っていた兵士のうち、百五十名近くが城門の加勢に向かったことになる。
衛兵が激しく入り乱れる広場の中央で、微動だにせず対峙する二人の男。
藤宮生一…
そして、ハイキック野郎。
それを遠巻きに見守る残された兵士は、四、五十名程度まで減っていた。
『生一さん……』
涙声で彼の身を案じるネイシャさんが、処刑台の上、ハイキック野郎の背後にいる。
その傍らでは、囚われた女性たちが、息を止めて事の推移を見守っていた。
しかし、生一は仁科さんや葉月達の視線に気づかないほど、目の前の相手に全神経を集中させていた。
目の前の相手に対し、ずっと視線を逸らさない。
『あの状態からよくここまで戻ってきたな。まぁそれは褒めてやるよ…“日本人”』
生一は“日本人”という言葉以外は、何を言ってるのかよく分からなかったが、自分のやるべきことはとっくに決めていた。
(……今度こそ、こいつを食い止める。 今度こそは! 小谷野や兼元、そして八薙が合流するまでの時間を、一秒でも長く稼ぐ!)
彼は驚くほど冷静だった。
自分一人の力で、目の前の怪物に勝つことが不可能であることは、前回の敗北で骨身に沁みて分かっている。
(一人で勝つんじゃない…… 全員で…勝つ!)
* * * * *
――時計の針を、ほんの十分前へと戻す。
観客スタンドの裏手を伝い、最上段を目指していた三人の姿があった。
「最上段行くまでに打ち合わせや。最後のな!まずこっち来い。」
かなり上の方まで辿り着いた三人。
屋根の隙間から、処刑場が一望できた。
「!?」
小谷野と兼元の表情が、瞬時に凍りついた。
処刑台の中央に、今まさにネイシャさんが引き摺り出されようとしていたのだ。
二人の激しい動揺を察知し、生一は即座に二人の頭をガシッと鷲掴みにした。
生一は二人の耳元で、低く、重い声を響かせた。
「お前ら2人がどこ見てるか丸わかりや!要するに今周りが見えてないっちゅうことや。」
二人はハッとして、我に返った。
自分たちの視界が、ネイシャさんしか見えていないことに気づいた。
生一の言葉に促されるように、彼らは広場全体を、改めて見渡した。
ネイシャさんの隣には…あの髭を蓄えた男・アジャパ。
そして、彼女を見下ろすように陣取っているのは、あの最強の怪物、ハイキック野郎だ。
さらに視界を広げれば、処刑を待つ村人たちの周囲を、衛兵たちが幾重にも取り囲んでいるのが見える。
その数、目測でも百名以上。
この包囲網を力ずくで突破して彼女を救い出すのは、あまりにも無謀で、自殺行為に等しい。
「まだ分からんか? お前らが本当に見なあかん場所は、そこと違う!」
生一は二人の頭を固定したまま、視線を処刑台の向こう側、遥か下にある城門へと向けさせた。
「……こっ、これは!」
「やっと気づいたか。 “俯瞰して物を見る”っちゅうのは、こういうことやで」
城門の前には、無数の村人たちが押し寄せていた。
処刑の噂を聞きつけた彼らが、抗議のために集結したのだ。
門は固く閉ざされているが、門を隔てて衛兵たちと激しい口論が繰り広げられているのが見える。
門を警備している兵の数は、見たところ四十名ほど。
「あそこの門を開けられたらよ…一気に情勢がこっちに傾くかもしれん。村人がなだれ込んで来たらよ…必然的に兵をそっちに割かなあかん。
今広場にいる連中の半分以上は、門の死守に向かうはずや……」
「生一……手順を聞かせてくれ!」
兼元の瞳からは、先ほどの動揺が消えていた。
ネイシャさんの姿に心を奪われるのを止め、今、自分が果たすべき役割を頭に叩き込む準備が出来上がっていた。
「時間がない。 一回しか言わんぞ。 まず、俺がこの屋根の上に出て大声で叫んで囮になる。 その後、広場の中心に向かって突っ込む」
「それ……いくら何でもそれは無茶や!それで助けられる訳ないやろ。生一…ど真ん中投げたからってストライクにはならんぞ。」
「うるせえよ意味の分からん事言いやがって。俺達がこんじゃもん…いや、こんなもんじゃないって見せてやんだよ!」
「囮になる覚悟は分かった。でも、マジで死ぬぞ。
広場の全員がお前に注目するんや。地下と違って、ここは開けた屋外や。弓もボウガンも飛んでくる。
そんなハチの巣状態の中、突撃するんは…いくら作戦言うてもおれは死にに行くようにしか考えられん!」
「そうなってもな、極限まで時間は稼いでみせる!命懸けでな。
それがあくまで目的や。」
「お前…」
「俺に全兵士の視線が釘付けになっとる隙に、お前ら二人は宮殿の壁伝いに城門まで駆け抜けろ! 壁を飛び移って、誰にも気づかれずに裏側へ回るんや。
もし見つかって捕まりそうになったら、どっちかを犠牲にしてでもええくらいの気持ちでやれ!
城門さえ空いたら状況が絶対に変わるはずや。」
小谷野と兼元が、重く、静かに頷いた。
「門が開いたら、下の混乱に乗じて広場まで戻ってこい!
そんで最後、三対一の最終バトルや!
それまで、俺が死ぬ気で時間を稼ぐ!」
「……お前なりに考えたんやろうな。
分かった、その作戦に乗ったるわ。
でも死ぬなよ!もしマジでくたばりでもしたら……」
「あぁ…墓にクソでもぶっかけとけ。」
「バカ言うな。ネイシャさん助けてから言え!クソが。一番おいしいとこ行こうとしやがって。」
「お前ら、もしチャンスがあったら、俺のことは放っておいてネイシャさんを連れて逃げてもええんやで。 どっちが『美味しい』役割か一目瞭然やろ。
“ネイシャさん命”なんやろうが…ええカッコしてこい!」
「けッ。そんな口車に乗るかよ!」
「おいっ!ネイシャさんが吊るしあげられて…」
「よし、もう時間無い。俺上行くわ!後でな!」
「あぁ!後で!」×2
* * * * *
生一はボロ布をマントのように羽織り、その内側に湿気ったダイナマイトを隠し持った。
(……おそらく狙撃される。 そしたらゆっくり転がり落ちながら、こっそり導火線に火をつけていく……)
唯一の懸念は、狙撃された際、急所に当たることだった。
ボロ布を靡かせて標的として目立たせるのは、敵に「どこが急所か」を絞らせないためでもあった。
(頭と胸だけは、何としても避けなあかん。 腕で隠しながら降りるしかないな……
肩口あたりに刺さってくれたら無難やな。どのみちノーダメでは無理やろう)
覚悟を決め、彼は肺いっぱいに空気を吸い込むと、広場に向けて魂の叫びを放った。
その絶叫が、反撃の合図だった。
衛兵たちが一斉に生一の方を振り向く。
全員の意識が彼に集中したその瞬間を見計らい、小谷野と兼元は音もなく隣の外壁へと飛び移った。
そこから屋根の影を縫い、城門を目指して走り出す。
現在のところ、彼らの動きに気づいた者は一人もいない。
しかし、叫んだあの生一が一気に屋根を駆け下りようとした数秒後…
彼はあっけなく、衛兵の放った矢に射抜かれた。
壁の隙間から、彼が派手に倒れ込む様子が二人の目にもかすかに映った。
ボウガンの一撃を受け、生一の体が無残に斜面を転げ落ちていく。
「あんの野郎!だからド真ん中は無茶言うたのにっ!」
兼元はその光景から必死に目を背け、自分たちの任務に意識を向けた。 立ち止まることは許されない。 広場から大きく迂回するエリアを、全速力で駆け抜けていく。
衛兵たちは全員が広場に集結しており、このルートに人影はない。
このままここを回って城門へ行…く…!
「!」
しかし、そこに絶望が待っていた。
待ち構えていたのは、大勢の衛兵…ではなかった。
しかし、何十人の武装兵よりも恐ろしく、絶大な圧を放つ人物がそこにいた。
頭と口から鮮血を流し、足元はフラフラと覚束ないが、その瞳は冷酷な殺意を宿してこちらをロックオンしている。
悪夢の権化……vaderだった。
地獄の底から這い上がってきた大男は、もはや正気を失っているかのような憤怒に染まっていた。
「貴様らだけは、絶対に殺す」という顔で、血走った眼を向けてくる。
(こんな時に…マジかよ。)
小谷野が、裂けんばかりの声を上げた。
「兼元ォ!生一の言葉覚えてるよな!お前一人で行け! 城門開けてこい!」
「でも、小谷野!」
「門が空きさえすれば形成変わるかもしれんやろ!俺犠牲になってもええ!早う!」
「クソっ!」
冷静に見て、小谷野一人では勝ち目がないことは明白だった。
しかし兼元は、仲間の決死の覚悟を無駄にしないため、思い切って怪物の傍らをすり抜けようと跳躍した。
当然、ファーダーは視線を兼元に移し、その巨大な腕を伸ばして彼を捕らえようとする……が!
小谷野が横から捨て身の体当たりをぶちかまし、ファーダーの巨体を突き飛ばした。
兼元の逃走をアシストしたのだ。
「急げッ!」
小谷野の叫びを背中に受け、兼元は悲壮な決意を胸に、城門へと向かって走り去っていった。
転倒したファーダーが、獣のような咆哮を上げて立ち上がり、小谷野を睨みつける。
小谷野は正直に感じていた。
(オレ…多分死んだな。)
* * * * *
兼元は急な建物の斜面を滑り落ちるようにして城門へと降りて行った。
坂道を行かず、横道をショートカットしてきたという感じだ。
しかし、降りて来た場所が悪かったのか、シャムシールを持った20数名の衛兵の目の前だった。
城門は目の前。
しかし衛兵たちが再びシャムシールを構え、兼元との距離を詰めてくる。
逃げようにもスペースが無い!
「兼元さん!」
日本語でだれかが叫んだ!しかし声の主を確認する余裕はない。
兼元は必死に剣先を見て、振り下ろされた刀剣を避けた。
本当にギリギリだ。
深くではないが少し切りつけられて腕から血が噴き出した。
取り囲まれていて本当に逃げるスペースがないのだ。
次は無い。
しかも兼元は素手である。
刀剣を受け止める“何か”もない。
その時、坂道の陰に潜んでいた村人たち十名ほどが、一斉に姿を現し、決死の突撃を開始したのだ。
彼らは地下の労働施設から脱走し、好機を待っていた戦友たちだった。
隠れて様子を伺っていたようだが“このタイミングだ”と判断したのだろう。
殺傷力のない木刀や資材を手に、彼らは衛兵の隊列に切り込んでいく。
三十名ほどの番兵のうち、十名ほどがその不意打ちを受け、体勢を崩した。
村人たちは、自分たちの身の安全も顧みず、衛兵に羽交い締めにしがみついた。
武器を奪い、一人でも多くの注意を自分たちに向けようとしているのだ。
衛兵たちが仲間を助けようと村人たちの方へ駆け寄る。
その瞬間、兼元を取り囲んでいた包囲網に、一箇所だけ穴が開いた。
この隙を、兼元は見逃さなかった。
衛兵の足元をすり抜けるようにして疾走し、城門の傍らにある巨大なレバー……扉のスイッチへと手をかけた。
この要塞の構造を熟知している彼にとって、城門がからくり式のスイッチであることは、計算通りだった。
カタカタカタ……と重厚な歯車が噛み合う音が響き、ついに巨大な城門が、内側からゆっくりと開放された。
そこへ、外で待ち構えていた無数の老人たち、そしてわずかな若者達が、津波のような勢いで城内へと雪崩れ込んできた。
その先頭に立つ人物が、扉を開けた殊勲者のもとへ駆け寄り、声をかけた。
「ナイスガッツ! 兼元先輩!」
その声の主は、間違いなく八薙だった。 彼は、生きていたのだ!
八薙は瞬時に視線を衛兵たちに向け、彼らを蹴散らして処刑広場へと乗り込もうとする。
兼元はその八薙の腕を強く掴み、叫んだ。
「急いでくれ! 生一や、皆が危ないんや! この上にいる!」
再会を喜ぶ時間など一秒もない。
兼元は、最も重要で必要な言葉だけを八薙に託した。
八薙は小さく微笑んで頷くと、村人と衛兵が入り乱れる乱闘の中へと援護のために飛び込んでいった。
兼元は、戦場へと背を向ける八薙に向かって、もう一度、日本語で声を張り上げた。
「上に、“蹴りのヤバいアイツ”おるぞ! 気をつけろ!」
兼元の、そして三人の「最低限のノルマ」は、ここに達成された。
しかし、彼はすぐに意識を切り替え、広場へと引き返さなければならなかった。
……果たして、小谷野は無事だろうか。
一抹の不安を振り切るように、彼は再び坂道を駆け上がった。
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