弾圧からの解放 ~とある東洋人の軌跡③
Chapter3
「見えてきました、あそこが城門です!」
先頭を走る村の数少ない若者が、背後の群衆に合図を送った。
各村から若者、特に若き女性たちが家畜のように連れ去られ、暴力という名の恐怖で支配されてきた村人たちの鬱屈した不満は、今やついに沸点に達していた。
働き盛りの若者たちの多くは地下の重労働に駆り出され、今ここに集まったのは、腰の曲がった老人や、力のない者たちが大半を占めている。
それでも、見せしめのために村の女性が公開処刑されるという非道な報せは、彼らの誇りを、そして人間としての意地を呼び覚ますには十分すぎるものだった。
たとえ自分の村の人間でなくとも、同じ苦しみを分かち合ってきた同胞が殺されるのを、黙って見ていられるほど彼らは落ちぶれてはいない。
老人ばかりの、およそ軍隊とは呼べない烏合の衆。
しかし、彼らには自分たちを鼓舞し、戦う術を説いた一人の「日本人」という希望の火種があった。
敵からすれば不倶戴天の首謀者にあたる八薙は、一歩一歩踏みしめるように村人たちを従え、要塞の巨大な城壁を目指して突き進んでいた
。
八薙はアジトを脱出した後、休む間もなく各地の村へと足を運び、山賊たちの追撃が及ぶ前に先手を打ってコンタクトを取り続けてきた。
要塞の不衛生な地下室で、同胞たちがどれほど不当な労働を強いられ、尊厳を傷つけられているのか、その無惨な実態をすべて包み隠さず伝えた。
もちろん、言葉の壁で苦労はした。伝わらないもどかしさを感じたこともあったが、それでも一人でも想いが伝われば、その人を介して情報の輪を広げていけばいい、そう自分に言い聞かせて泥臭く動き回ったのだ。
昨日、東の村で起きた決死の反逆。
その報復として、村の女性たちが処刑台に送られるという残酷な儀式。
近隣の村々がかつてないほど固く団結したのは、それが決して他人事ではなく、自分たちの明日の姿そのものだったからに他ならない。
ただ、村人達にも怖さはある。
でも目の前の異国…“日本”という国から来た青年の先導でここまでまとまることが出来たのだ。
勇気を奮い立たせながら歩いていく。
* * * * *
「クソがあっ!」
アジト内…かなり上空からわずかな光が差し込むだけの地下深く。
静寂の中に、三人の荒い息遣いと、行き場のない怒りの声が低く漏れた。
全身の筋肉が断裂したかのような激痛が走り、思うように指一本動かすことすら叶わない不自由さに、苛立ちだけが募る。
「痛みはジャマだぁ! どけえー」
生一が、自身の脳に直接命令を下すように、歯を食いしばって唸った。
「…どいてくれたか?」
「いや…全然…」
「あんな…叫ばん方がええわ。背骨に響く…」
「同感。」
「おのれ…」
「く…そ…痛…いたた」
「耐えろ……そして進め…」
「なぁ、誰か……さ……」
「あ?」
「してくれん……」
「何を?」
「べホマ…」
「できるか…」
「じゃあ…ケアルガ……」
「出来てたら…苦労せん……言うて…る…」
「なんか…回復する…もん……」
「あったら苦労…せ…ん…」
「薬草…ないかな」
「あったら苦労…せん……」
三人の「ライフ」が限りなくゼロに近いのが分かる。
けれど、意識を失う寸前に耳にした静那のあの切実な言葉、そして日本人としての意地だけが、彼らの肉体を階段の上へと押し上げていた。
一段ずつ、血の混じった汗を石畳に滴らせながら、三十メートルほどの高さを這うようにして登りきったところで、生一がついに力尽きたように声を漏らした。
「ちょ……と……ここで、休憩な……」
階段を登りきった直後のフロアに、三人は糸の切れた人形のようにへたり込んだ。
小谷野、兼元も後に続き、冷たい床に顔を伏せて荒い呼吸を繰り返す。
衛生面などお世辞にも良いとは言えない劣悪な環境だが、それでもひんやりとした青いタイルの感触だけが、熱を持った打撃の患部を唯一冷やしてくれた。
生一は、割れた唇を床に押し当てるようにして伏せていたが、その瞬間に自分の鼻の骨が不自然に曲がり、折れていることに改めて気づく。
「あのヤロォ…」
思いはあるが、体がついていかない。
因縁のアイツとの再戦プランを練る余裕すら、今の彼らには残されていなかった。
* * * * *
腕の筋肉が悲鳴を上げ、皮膚が石床との摩擦で赤く剥き出しになりながらも、三人は這うようにして階段を上り続けていた。
昨日の夕刻から一度も瞼を閉じず、極限の緊張状態に置かれ続けた疲労は、すでにとっくにピークを超えている。
「ええか! 休憩やけど絶対に寝るなよ」
もし寝てしまったら、その間にもう上で“事”が終わってしまう。
生一は朦朧とする意識を繋ぎ止めるように、自分自身と仲間に向けて、強く、鋭く促した。
しかし、小谷野と兼元の二人の消耗もまた臨界点に達しており、人の気配が途絶えた地下のひんやりとした空気の中で、抗いようのない睡魔が、じわじわと彼らの意識を深い闇へと引き摺り込もうとしていた。
「おい……起きてるか」
「ぅおう… 起きとる……つもりや」
返事は上の空で、意識が別の場所へ飛んでいるのが、声の響きだけで容易に想像できた。
眠れば多少なりとも体力が回復するのではないか、という誘惑と、眠ればすべてが終わるという恐怖が、頭の中で激しく火花を散らしている。
その時だった。
「カン、カン、カン……」
不意に静寂を切り裂いて、誰かが上層階からこの階段を下りてくる音が聞こえた。
一人… 間違いない、誰かがこちらへ向かってくる。
三人は反射的に意識を呼び戻し、物陰に身を隠そうと焦ったが…体がまるで石像になったかのように動かない。
隠れる場所まで辿り着くことすら、今の彼らには叶わなかった。
今、山賊の兵士に見つかれば、抵抗することもできずに捕らえられるだろう。
たとえ相手が一人であっても、三人がかりで勝てる見込みなど万に一つもない。
勝てる気がしない絶体絶命の窮地。
こんなことなら、もっと階段から離れた場所で休むべきだったと後悔しながらも、生一は隣で倒れ込んでいる小谷野に、苦し紛れの指示を飛ばした。
「お前だけでも、横に転がって階段の裏に隠れろ! ホラ」
小谷野は呻き声を上げながら、重い体をゴロゴロと横回転させて、影の中へと消えていった。
最悪の場合でも、せめて自分たちのうち一人だけでも助かる道を残したい、という生一の咄嗟の、そして必死の判断だった。
やがて足音の主が階段を下り終え、三人が横たわるフロアへと足を踏み入れた。
彼らは死を覚悟し、一瞬だけ瞼を閉じたが…
そこに立っていたのは、意外にも、彼らが誰よりもよく知る人物だった。
* * * * *
「はぁ… もう、絶対捕まる思たわ。マジで終わったと」
勇一は、階段の麓に転がっている仲間たちの姿を確認し、立っていられないほどの安堵感に襲われた。
三人は瀕死の状態ではあったが、少なくとも、かろうじて息をしている。
生きている。 それだけで、自分にとっては最高の、奇跡のような結果だった。
「この状況下でよく眠れるな…しかも瞬時に寝やがったぞ」
生一に現状を報告しようとした矢先、緊張の糸が切れた小谷野と兼元の二人が、まるでスイッチが切れたかのように爆睡し始めた。
いびき一つかかず、まるでこの世から存在を消したかのように深く、静かに眠っている。
「そんだけ疲れてんねん。今は寝かしとこ。今は」
「…で、何から話したらいいかな」
「お前自身のことからでええよ。なんでこんな地下の深くまで、わざわざ降りてきたねん」
生一の問いに、自分は昨日、東の村で起きた反逆行為と、その見せしめとして女性たちが処刑されようとしている劣悪な現状を一気に吐き出した。
宮殿の広場に潜入した際、仁科さんと葉月が確かに生きていることを視認したこと、そして彼女たちもまた死刑のリストに加えられているという非情な現実も伝えた。
八薙が生き延びて反撃の準備をしているという情報は、互いの認識として一致した。
ただ、静那の消息については、二人が目を覚ましてから伝えようと考えていた。
「……なるほどな。 大体の状況は分かった。 でもその話と、お前がわざわざこの地下最下層まで降りてきた理由がどうもリンクせぇへんねん。
ここまで来る動機は何やったん?」
「うん。 実はさ……宮殿の部屋で“ネイシャさん”という人に会ったんだ」
「ネイシャさんッ!?」×2
生一が聞き返すのと同時に、死んだように眠っていた小谷野と兼元が、跳ねるようにして一斉に目を覚ました。
「ネイシャさん」という単語が、強力な気付け薬となって、彼らの脳を強制的に覚醒させたらしい。
「ネイシャさん知ってんのか勇一!」
「おい!彼女は今…どこや!」
「落ち着けよ。 二人とも、まだ体もろくに動かないだろ」
「そんなん関係あるか! 体ならホラ!動くし」
十分ほど眠っただけだというのに、信じられないほど体が回復していた。
恐るべき「ネイシャ・パワー」とでも呼ぶべき、執念に近い生命力だ。
「彼女、三人が殺されたと聞かされて泣いてたよ。 マジで、心の底から悲しんでた」
「な……ん……だと……。 あのFの天使が、俺たちのために涙を……」
「F?」
「いや、何でもない。 とにかく、ネイシャさんは無事なんやな」
「うん。 無事と言えば無事なんだけど……。 なんか、髭を蓄えた小太りのオッサンに、強引に結婚を迫られていて……」
「はぁ!誰やねんソイツ!」
「キャプテン、あのデカブツの横で偉そうにしてたオッサンや。 間違いない、汚い髭生えとった。 そっち側からも見たやろ生一…きい?……」
生一の返答を求めて視線を向けたが、彼はすでに深い眠りに落ちていた。
まさに「睡眠交代」だ。
少しでも隙を見つけて体力を回復させようと、仲間の無事を確認した瞬間に、意識を手放したのだろう。
しかし、起きがけの二人は容赦なく自分を問い詰めてくる。
「なぁ、勇一。 ネイシャさん、なんか乱暴されてるように見えへんかったか?」
「いやお前。もう少し具体的に言わな!なぁ勇一。ネイシャさんの服、まさかはだけてたりしてなかったよな。」
「ええ……。 それは、そこまで入念には見てないけど……」
「分かるとこでええねん。そや!ネイシャさん、首元まである服着てたやろ。 あの首筋のチャックが、降ろされてなかったか?」
「首元は…見えてたかな……」
「やっぱり! あの小太り、絶対揉んでるわ!」
「間違いないで。 あいつスケベそうな顔しとったねん。クソがぁ、あとで揉んだであろう指を一本ずつ奇麗に切り落としたる。想像したらなんか勃って…いや違うねん。これは腹が立つほうの立つであってやな…」
「勇一!他に彼女の服で不自然なとこ無かったか!スカートの裾とか!」
「そこまで入念に見てる余裕なんてなかったんだよ!
お前ら、起きたと思ったら下劣な妄想飛ばしすぎだろ!とにかく、彼女は泣いてた!そして結婚を拒否した場合は、今日一緒に処刑台に送られるんだ!」
「ネイシャさんが、俺という真実の愛を捨てて、あの小太りを選ぶはずがない…となると、やっぱり処刑に……」
「あいつ……ネイシャさんを散々弄んだ末に、手にかけるつもりか。 救いようのない鬼畜やな。 ……許さん。あの小太りは俺が撲殺したる!」
「頭スコーンカチ割って脳みそチューチューさしたる!」
彼らの心意気は分かった。しかし自分は重い沈黙を保ち、うつむいた。
「でも…時間が、本当に厳しいんだ。
俺が地下へ降りてくる直前に、ネイシャさんが『あと二時間後には処刑台へ連れていかれる』って言ってた。 あれから、体感だけど一時間近くは過ぎたと思う。
…もう、猶予はないんだよ」
「バカヤロー!お前そんな大事なこと、なんで先に言わんねん!」
「何だよ! お前らだって、バカみたいなセクハラ質問ばっかり浴びせてきて、落ち着いて話させてくれなかったじゃんかよ!」
兼元は死んだように寝ている生一に対し、往復ビンタの連打を見舞って無理やり引き起こした。
「生一! 起きろボケェ! 処刑まで時間がねぇんだよ!コラ起きィッ!!」
「あ……ん……ッ、てーな! 何すんねん!」
ようやく生一が瞼を上げた。5分くらいは寝てくれただろうか。
「勇一の話だとよ、あと1時間くらいで処刑が始まっちまう。急がねぇとやろ!オイ起きろ!」
「あぁ……分かったよ、もう…って、そんなに時間が迫ってるんか」
「せや! ネイシャさんが殺されてしまう! はよ行くぞ!」
「クソ……ああ、行かなあかんな。 クソがあっ!」
生一は呻き声を上げながら、強引に膝を叩いて立ち上がった。
彼もまた、気力で肉体の限界をねじ伏せたような感じだ。
三人とも足取りはフラフラだが、ネイシャの危機という一事に突き動かされ、2本の足でなんとかヨロけながらも立ち上がれた……ように見える。
「体万全やないけど、ここからは小走りで行くぞ。 小走り健太や!」
「おう! 関節がパキパキ音立てとるけど、なんとか階段を上りきる力くらいは残っとるわ」
「行ける……俺の体、最後まで持ってくれよ!」
「じゃあ行こう! 俺が先導するから。
仁科さんや葉月も、処刑台の前で待ってる!
……静那だって!!」
その言葉を口にした瞬間、三人の動きが、彫像のようにピタリと止まった。
「おい……。 お前、今さらっと何て言うた?」
「“待ってる”ってとこ?」
「違う!その後や!誰が待ってるって!」
「だから静那がって…」
「静那ぁ?あいつ………あいつが生きてるんやな!?」
「生きてるんやな!?」
「生きてるってホントか?!」
「うん。聞いた話だけど。」
「絶対やな!生きてるん!」
「うん。自分が直接見たわけじゃないけど『東の村で反逆を起こした日本人、男女の二人組』って話を聞いたたから。 間違いないよ」
「絶対やな! 静那ちゃん無事なんやな!」
「ああ、聞いたかお前ら!静公が生きとる。あいつが、あの地獄を生き延びてくれたんや…生きててくれたんや……」
三人の肩が、歓喜と安堵で激しく震え始めた。
「こんのバカァ! そんな最高の報せ、一番に言わんかい! クソほどテンション上がってきたやんけ!」
「ちくしょう!希望が湧いてきやがった。」
「静那ちゃんが生きてる…ってこれってよ…」
「ああ! “もう勝ったも同然”やろ!」
「はは! 間違いないわ! さっきまでの痛みが、アホみたいにどこかへ吹き飛んでいったで!」
「もう負ける自信無くなってきたやろ!」
「ならあいつに恥ずかしくない顔向けするためにも、頑張ろうぜ」
「勇一、お前に仕切られるのは癪やけどな……まぁのっとったるわ」
「今のこの高ぶりは、誰にも止められへん! 遮るもんは何もないで!」
「うおおおおおっしゃあああぁぁぁ!」
「いくでえええぇぇぇぇ!」
三人が、地下の冷たい空気を震わせるほどの咆哮を上げた。
静那が生きている。 その厳然たる事実がこれほどまでに皆に力を与え、瞳に光を取り戻させるとは、自分でも想像しきれていなかった。
それくらい嬉しかった…心の支えだった…
そんな彼女が無事でいてくれている…
だから…
「ちょっくらこの事件をパパッと解決して、先輩風吹かせながら涼しい顔であいつと再開と行こうやん!」
肉体の限界などとうに越えているはずなのに、自分たち四人は弾かれたように階段を全速力で登り始めた。
【読者の皆様へお願いがあります】
ブックマーク、評価は勇気になります!
現時点でも構いませんので、ページ下部↓の【☆☆☆☆☆】から評価して頂ければ非常に嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。




