20-3 大脱走
【20話】 Cパート
※敵側のモデルとなっている人物
vader➔プロレスラー「ベイダー」 をイメージして描いています。
生一達三人は一つ上の階層へと到達した。
「ええか? ここからは、見張りがおる可能性あるで。」
ここからは、押し殺したような小声の日本語での会話になる。
彼らは、まさに抜き足、差し足、忍び足で、慎重に石廊下を進んでいった。
通路には…誰もいない。
張り詰めた緊張感が支配しているが、今は深夜。牢番たちも、さすがに休息を取っているのだろう。
「あの角を曲がって真っ直ぐや。その突き当たりの部屋。もうすぐやぞ。」
生一が、最小限の声で指示を出す。
牢番はやはりいない。寝所に引き上げているようだ。
心臓の鼓動が耳元で激しく鳴り響く中、三人はついに、汚水処理場の重い扉の前に辿り端いた。
「行くで!」
生一は気合を入れ、「バンッ!」と勢いよく扉を開け放った。
部屋の中に入ると、鼻を突く強烈な腐敗臭が漂い、そこが目的の処理場であることを確信させた。
しかし……
ドアの開く音に反応するように、部屋の陰から、山のような巨体がヌウッと不気味に立ち上がった。
そのデカさは、常軌を逸していた。
身長もさることながら、横幅の厚みが尋常ではない肉体。体重は一六〇キロは超えているだろう。
生一は瞬時に、その男の異様な頭部を見て、息を呑した。
「頭に革ベルトを巻いてやがる……! ヤベェ、こいつ……ファーダーや!」
組織のもう一人の幹部であるはずの男が、なぜか汚水処理場で寛いでいたのだ。
先ほどまでタバコを燻らせていたのか、室内には微かに紫煙の匂いが残っている。
けれど今は、そんなことに驚いている暇など一秒もなかった。
巨大な障壁が、三人の目の前に絶望的に立ち塞がった。
「マズくないか、生一! 逃げようぜ!」
「逃げても追手に囲まれて終わりや! 賭けるしかねえやろ!」
生一は覚悟を決め、巨体のファーダーに向かって弾丸のような勢いで突進した。
腹部へ向けて鋭い肘打ちを食らわせる。
相手の懐に入り込み、最短距離で差し込んだ一撃だ。
だが……その山のような巨体は、鋼鉄のように微動だにしなかった。
男は、丸太のような太い右腕を振り回し、巨大なハンマーを振るうような動作で、横殴りの一撃を放ってきた。
「危ねぇ! 生一!」
生一は直感的にガードを固めたが、その衝撃は想像を絶していた。
「ドカォンッ!」という凄まじい音と共に、生一の体は壁際まで無残に吹き飛ばされた。
その様を見て、小谷野と兼元は顔面を蒼白にした。
あんな破壊的なハンマーブローを直撃すれば、首の骨など簡単に折れてしまう。
「あ……っ!」
兼元が叫ぶ間もなく、ファーダーは生一を壁の四隅へと追い詰めた。
プロレスのリングのコーナーポストに追い込まれたような、逃げ場のない絶望的な状況だ。
大男は、左右の拳をハンマーのように、生一の後頭部を目がけて交互に叩き込んだ。
生一は必死に腕を顔の前に揃えてガードし続けたが、左右から激しく揺さぶられるうちに、後頭部を石壁に強く打ち付けてしまった。
* * * * *
その衝撃で、生一の腕からガクンと力が抜け、守りのガードが崩れた。
それが、致命的な隙となった。
大男は、無防備になった生一の頭部に、無慈悲なハンマーのようなフックを何度も叩き込んでいく。
「生一ィ!!」
鈍い音が響くたび、生一の頭は左右に激しく揺れ、やがて彼は白目を剥いてその場に力なく崩れ落ちた。
* * * * *
あっという間の出来事だった。
この男は、デカいだけでなく、その巨体に似合わぬ野獣のようなスピードを持っていた。
失神した生一を確認すると、男はゆっくりと向き直し、残された二人に向かって突進してきた。
あの丸太のような腕から繰り出されるハンマーブローを食らえば、一撃で意識を完全に刈り取られる。
恐怖のあまり、二人は反射的に頭部を両手でガードした。
しかし、そんな小細工など、男のパワーの前には関係なかった。
今度は、その巨体そのものを突き出し、体重すべてを二人へと浴びせてきたのだ。まさに、暴走する重戦車のようなファーダー・アタックだ。
二人は、まるで大型トラックに真正面から撥ねられたかのように、後方へ激しく吹き飛ばされた。
三メートル近く吹っ飛んだ先で、男は既に間合いを詰め、肉薄してきている。
恐怖で思考が完全に停止した。
さっきの生一を一瞬でKOした、あの横殴りのハンマー。あれを後頭部に食らえば、俺の人生は終わる。
その残酷な未来を予感したのか、兼元は頭を押さえて、その場に地面に縮こまってしまった。
しかし、それは男からすれば、絶好の「終わりの合図」でしかなかった。
身を屈めた兼元の目の前に、ファーダーの巨大な手が死神のように潜り込む。
男は、兼元の首を強引に鷲掴みにし、信じられない力任せで彼を宙へと吊り上げた。
……片手である。
「兼元ォ! 危ない!」
横で叫ぶ小谷野には見向きもせず、男はそのまま、剥き出しの硬い石床へ兼元を叩きつけた。
危険な角度で、垂直に地面へ突き刺すような「チョークスラム」だ。
軽々と叩きつけられた兼元は、一瞬で意識を失った。
兼元の口から、微かに白い泡が漏れている。
完全に気絶したのを確認し、男はゆっくりと立ち上がった。
「う……嘘だろ…まだ、俺たち…」
後ずさりしながら、この絶望的な状況に怯え、全身を震わせる小谷野。
生一も、兼元も、何もできずに一瞬で屠られた。
「(俺が……俺がやられたら、二人の命運も尽きる。
でも、冗談じゃないぜ、この目の前のデカブツは…
三人のなかじゃ俺が一番デカいのに、その倍近くあるんじゃないのか。 …は、はは……悪い夢でも見ているみたいだ)」
脳内を、脈絡のない断片的な思考が駆け巡る。
圧倒的な力の差を前に、手の震えが止まらない。足がすくんで、一歩も後ろに動けなかった。
「ヴゥアウッ!」
男が、丸太のような太い腕を大きく頭上へと振り上げた。
* * * * *
「ひいぃっ!」
極限の恐怖に耐えきれず、小谷野は頭を両手で押さえて悲鳴を上げた。
それを見たファーダーは、振り下ろそうとした腕を一旦止め、不気味に、そして下卑た声で笑い出した。
相手にもならない。目の前の雑魚が、震えて怯えている。その情けない光景に、笑いが止まらなくなったようだった。
よく見れば、小谷野のズボンは無残に濡れていた。
恐怖のあまり、小便を漏らしてしまったのだ。足はガクガクと震え、両手で頭を隠し、肩を小さく震わせる。
その、これ以上ないほどに情けない姿。それが、男の嗜虐心を見事に満たしたのだろう。
ファーダーは、さらに大きく、腹の底から下卑た笑い声を上げた。
小谷野の体が、さらに激しく震えた。……しかし、それは今度は恐怖によるものではなかった。
底知れない屈辱が、彼の眠っていた怒りに火をつけたのだ。
これから殺される相手に、ここまで笑われる。…それは日本人として、何より一人の男として、絶対に許せない恥辱だった。
小谷野は悔し涙を流しながら、獣のような叫びを上げて、大男へ向かって猪突猛進に突撃していった。
しかし、傍目から見れば、それは横綱に向かって無謀な若手がぶつかり稽古を挑むような、あまりにも儚く無謀な姿だった。
全力でぶつかってきた小谷野の頭を、男は軽くいなし、そのまま強烈な頭突き(ヘッドバット)を正面から叩き込んだ。
「ゴンッ!」という硬い音が響き、小谷野の額が割れ、鮮血がどろりと噴き出す。
革ベルトの跡が、彼の額にくっきりと赤黒く刻印された。
怯んだ小谷野の首を、男の巨大な手がガッシリと掴んだ。
そのまま男は両腕を使い、小谷野を高々と天に持ち上げた。先ほど兼元を沈めた、あの死のチョークスラムの体勢だ。
小谷野は、激しく地面に叩きつけられた。
意識を完全に失うことはなかったが、後頭部から勢いよく石床に叩きつけられた衝撃で、彼は血を吐いた。
心臓が一瞬止まるような、凄まじい衝撃だった。
「自分が……死んだら、あとの二人の……命運も……尽きる……自分が……死ん……」
うわごとのように小さく呟きながら、這い上がろうと石床を爪で掻く小谷野。
目は虚ろで、意識を保っているのが不思議なほどだった。
彼はフラフラとした千鳥足の足取りで、男の方ではなく、汚水処理場の下水口へと向かった。
意識があるのかさえ怪しいが、彼は自分だけでも、この穴の中に飛び込もうとしたのだろう。
側近のファーダーは、それを「どのみち死ぬための、絶望した者の投身」だと見做したようだ。脱出の意図までは、まだ気づいていない。
「まあ一応、とどめを刺しておくか」というように、男は小谷野の方へゆっくりとした足取りで近づいてきた。
その醜い顔には、先ほどまでの笑いの余韻が、薄気味悪い歪んだ笑みとなって残っている。
小谷野は、必死に近くの石机にしがみつき、痙攣する足で立ち上がろうと必死に足掻いていた。
チョークスラムの衝撃が酷く、手足は自分の意志とは無関係に震え続けている。
まともに物を掴むことすらできない、瀕死の状態だ。
それでも必死に机にしがみつき、ようやく立ち上がったところで、再び首根っこを巨大な手に掴まれた。
次こそは、もう無事では済まない。
しかし、小谷野にはもう、一歩を踏ん張る力も、手を振り解く力も残されていなかった。
首を絞め上げる太い指が、喉元に深く食い込む。
男が彼を吊り上げ、投げの体勢に移行しようと力を込めた、まさにその時だった。
「ウグァァアウッ!」
男が聞いたこともない絶叫を上げ、小谷野から慌てて手を離した。
支えを失った小谷野は、しがみついていた机に腰掛けるような形で、崩れるように着地した。
一体、何が起こったのか。
失神していたはずの生一が、土壇場で意識を取り戻し、背後からファーダーの股間を、渾身の力で蹴り上げたのだ。
あまりの痛みに、岩のような巨体の男は脂汗を流し、股間を押さえて悶絶した。
生一は意識が朧気ながらも、必死で伸びている兼元を肩に担ぎ上げ、下水道の入り口まで猛然と走った。
途中で小谷野の腰を掴んで引き寄せ、さらに加速をつける。
「大きく息吸えよ! いくぞ!!」
そして、汚物の強烈な臭気が充満する暗い下水施設へと、迷わず三人で飛び込んだ。
* * * * *
生一の刹那の機転により、文字通り命からがらの大脱走となった。
一人は完全に気絶し、三人ともの肉体が満身創痍の、まさに死の淵を彷徨うような状態だ。
けれど、これから先の運命がどうなるかなど、今は考える余裕もなかった。
生一は、固く目を瞑り、大きく息を止めた。
虫の息の二人を両腕にしっかりとロックしたまま、彼は意識の続く限りバタ足で、視界の効かない、汚物にまみれた暗い汚水の海を突き進んだ。
どこまで進めば出口なのか。光は差すのか。
何も分からないまま、彼はただ、一縷の希望を求めて息の続く限り泳ぎ続けた。
【読者の皆様へお願いがございます】
ブックマーク、評価は大いに勇気をくれます!
現時点でも構いませんので、ページ下部↓の【☆☆☆☆☆】から評価して頂ければ非常に嬉しいです!
よろしくお願いします!




