ペレの正体
次の日の午後。
類はシルヴァ邸の庭園に降り立ち、黒い羽を折り畳むヴァリスを定番となった執事の服装で迎えた。
「あれ? ガーラ····様は····」
一緒に来るはずの、ヴァリスと同じく背中に黒い羽を生やしたガーラという男の姿が見えないので聞いてみた。確か今日は同行すると言っていたはずだ。
「ガーラは男だから、雷帝の伴としてでない限り後宮へは来られないわ」
それを聞いて類は納得する。
「あ、なるほど。では王宮の方におられるのですか?」
「····そうだけど、今日はガーラは来ないし、外にも出ないわ」
ヴァリスはいつも笑みを浮かべている口元を、今日は真横に結んでいる。色は変わらずビビッドの赤だ。
「そうなんですか。今日も外へ出るものだと思ってました」
「そのつもりだったんだけど。ガーラに昨日のことを話したら、『後宮の女官を勝手に外へ連れ出すとは何を考えてる!』って怒られたのよ。アイツは堅物だからそういうとこ融通利かないのよねー」
やれやれというように、ヴァリスは両手の平を上に向けて息をつく。
いや、ガーラという人の言うことの方が圧倒的に正論だ、と思ったが、とりあえずその言葉は飲み込む。
「ということで、今日の仕事はキャンセルよ。それだけ伝えに来たの。ガーラを説得してからまた来るわ」
ヴァリスが立ち去ろうと翼を広げかけたので、慌てて呼び止める。
「あ、あの! ヴァリス様! ちょっとお話したいことが。少しだけお時間よろしいでしょうか?」
「? 大事な話かしら?」
「は、はい。私にとっては、なのですが」
類の顔を見て、「いいわよ」と言ってヴァリスは羽を再び折り畳む。
人に聞かれたくないので、庭園の奥へ移動した。
奥も表と同じく隅々まで手入れが行き届いている。人が来ればすぐに分かる場所で、類は意を決して口を開く。
「実は····私は天上界の住人でも、冥界から来たわけでもないんです」
ヴァリスは僅かに目を見開いた。
類はここへ来た経緯を話し始める。話すことで、何とか帰る手がかりを掴みたいと願いながら。
緊張気味に話す類の話を聞きながら、ヴァリスは考え込むようにじっと地面を睨んでいた。
全て聞き終わった後のヴァリスの目は真剣で、鋭く研ぎ澄まされていた。一息置いてから徐ろに口を開く。
「····まずあなたをここへ連れて来た死神。怪しすぎる。冥界に所属する死神は人間を異世界へ移す能力を持っているけど、正規の手続きを踏まない限りは何も出来ないはずなのよ。本来は人間界から冥界へ魂のみを連れて行くのが役目。極稀に冥界から天上界へ連れて行くこともあるけど。肉体を伴ったまま、それも人間界から冥界ではなく天上界へ直接連れて来るなんてあり得ない。そんなことが出来るのは神だけだわ」
意外なヴァリスの反応に類は戸惑う。
どういうことだろう。あの死神はただの死神ではなかった?
「死神は神ではないのですか?」
「違うわ。死神は冥界の王に命じられて決まったことだけをやるただの作業員。あなたをここへ連れてきた者は、間違いなく死神ではないわ。神よ。そしてそんなことをしそうな神に一人心当たりがある」
「そ、それは?」
ヴァリスは目を閉じて、はぁと息を吐く。
「“ペレ”。最高神の義兄弟よ。高度な変身能力を持つ神。その変身は完璧で、見た目だけで見破ることは神でも不可能。加えて演技力もあって妙に機転が利くものだから、雷帝ですら何度も騙されてる。イタズラ好きで、よく他の神々を怒らせてるの。雷帝もペレにはよく怒ってるわ。ペレは雷帝を怒らせることを楽しんでいる節があるけど、本気で怒らせるようなことは滅多にしないの。ペレじゃない可能性もあるけど····いえ、他には思いつかない。すんなり王宮まで入ることが出来て、そんなことをする者は。今回はどんな考えであなたを連れて来たのか知らないけど、雷帝に報告する必要があるわ」
類はまさかの話に衝撃を受けた。何も言葉が出て来ない。
類をここへ連れて来たのは死神ではなく、ペレという変身能力を持つ神?
では何のためにペレは自分をここへ連れて来たというのか。
ノルマ云々という話は嘘だったということか。
自身の知る情報の何が真実なのか全く分からなくなってしまった。
「ただのイタズラならいいんだけど、たまに厄介なことをしてくるからね。····何か妙なことをされなかった?」
ただのイタズラだったにしてもよくはない。むしろその方が腹立たしい。
妙といえば全てが妙なので難しいが、類はここへ連れて来られた時のことを出来る限り詳細に思い出す。
「そういえば、雷国へ入る前に雷帝に生身の人間であることがバレないように、魂にベールをかけると言って心臓辺りに黄色い光の玉のようなものを入れられました」
ヴァリスは怪訝な顔で類を見る。
「なにそれ。····怪しいわね。『人間界の者であることがバレないように』という意味かしら? 生身であること自体は問題ないもの。天上界の人間は魂のみで生きているわけではないのよ? いわば全員生身よ。魂のみがウロウロしてるのは冥界だけ。冥界から天上界へ移る時も肉体が与えられるからね。やっぱり何か企んでるのね」
類はいよいよ不安になってくる。大事なのは元の世界へ帰れるかどうかなのだが。
「あの、一つお聞きしたいことが。ペレ····が言っていたのですが、49日以内に天上界の扉を出れば元の世界に戻れるというのは····」
「それは冥界の話よ。生まれ変わるまでに魂のみが肉体に戻るということ。それも滅多にあることじゃないわ」
「天上界には当てはまらないと言うことですか?」
「····そうね」
そんな! ではどうやって元の世界へ帰ればいいのか! そもそも帰れるのか!?
類は足元から崩れそうになった。元の世界へ戻れると思っていたから、類はここへ来たのに。一緒に来てくれなかった場合、三日後に必ず死んでもらうという脅し付きだったので仕方なかったのはあるが。
そもそも死神でないなら、処罰がどうのという話も全て嘘だったということか。まさか類が三日後に死ぬと言っていたのも!?
何を信じれば良いのか分からない!
「落ち着いて、ルイ。『49日以内』というのが当てはまらないという意味よ。何故ペレはそんな期限を設けたのか知らないけど、神ならいつでも戻せるはずよ。神が人間界の人間を天上界へ行き来させた例はあるの。これも滅多にあることではないけどね。“神”という存在が持つ権限や力は絶大なのよ」
類は目を見開く。
「そ、それは! 雷帝ならいつでも戻せるということですか!?」
「····雷帝でも、ペレでもね。私としては戻って欲しくないけど。まあそれは後で考えるとして、まずはペレのことを話してくれて良かったわ。ペレの行方は雷帝もずっと探していたの。ひとまず雷帝に報告するわ。昨夜から外出されてるから戻り次第ね。たぶん呼び出されることになると思うから、連絡を待っていて」
そう言って、ヴァリスは飛び立って行った。
一人残された類は、小さくなるヴァリスを見送りながら考える。
神なら期限なくいつでも戻せることが分かったのは収穫だ。ただ、ヴァリスは『雷帝でもペレでも』と言っていた。つまり類が知る中ではその二人しかいないということ。今のままで雷帝がご親切に自分を元の世界へ帰してくれるとはとても思えない。
類をここへ連れて来たペレも同様だ。目的は分からないが、わざわざ連れて来てあっさり帰してくれることはないだろう。
期限がなくても状況を変えない限り、帰れないのは変わらない。
類は立ったまま静かに両拳をギュッと握った。
◇◇◇
オスカは雷帝の書斎近くの廊下で、外出から戻ったばかりの雷帝に固い表情で近づいた。雷帝はそんなオスカを見てわずかに目を見開く。
「何かあったか?」
「はい。申し訳ありません。昨夜王宮内に使い魔の気配がしたのですが、すぐに消えたので仕留められませんでした。接触した者の調べはついています」
オスカは昨夜、他国へ出掛けた雷帝を見送り王宮に残っていた。王宮内に突然現れた使い魔の気配が消えてから、必死に接触した者を調べていたのだ。
近頃こういうことがよくある。
「····何処だ?」
「後宮です」
「····後宮に刺客が潜んでいるということか」
行くぞと言って雷帝は踵を返した。オスカはその背後に付く。
そこにヴァリスが現れた。
「雷帝! お戻りだったのですね。ご報告したいことがございますわ!」
「····今から刺客を討ちに行く」
「また刺客が? ····こちらはペレのことですわ! ルイと接触していたようです。何か企んでいる可能性があります」
それを聞いて、雷帝はオスカの方に目をやる。
「······まさか、使い魔と接触していた者とはあの女か?」
「いえ、違います。しかし同じ日に後宮へ入っています」
「······」
雷帝はヴァリスに付いてこいと言って、真っ直ぐに後宮へ向かった。
◇◇◇
類はシルヴァから広間へ呼び出され廊下を歩いていた。隣にはヘルガもいる。
二人で並んで歩きながら、呼び出された理由を考える。
先程ヴァリスに話したペレの件が頭をよぎったが、ヘルガも一緒なのでそれはないかと思い直す。
「何の用事か聞いてる?」
ヘルガが言う。
「う、ううん。聞いてない」
「また何かのイベントの準備かしら」
話しながら広間の前まで来て、ギィと扉を開けたヘルガは中を見るなり
「あちゃ~」
と言った。扉で隠れて類からは中が見えない。
「····入らない方がいいわよ?」
こちらを振り返って言う。その顔は少し引き攣っている。
「何なの?」
「····入ったら後悔するわよ。まあ逃げられないけどね」
そして片側の扉を全開にする。
ヘルガ越しに部屋の中が見えた。
そこには、雷帝とヴァリスと白髪の男が立っていた。
(なにこの状況)
類は立ち尽くす。ヘルガは、はぁ〜と大袈裟に息をついて中へ入っていく。
やはり先程話したペレの件なのか。それなら早速対応してくれたということだが、雷帝と対面する心の準備は出来ていなかったので戸惑ってしまう。
シルヴァの姿はなかった。
「ルイ。入りなさい」
ヴァリスに言われ、まだ扉の前に立っていたことに気付く。「はい」と言って中へ入り扉を閉めた。
雷帝を真ん中に、両隣にヴァリスと白髪の男が立っていて、全員ニコリともせずにこちらを見ている。まるで裁判官を前にした被告の気分だ。
めちゃくちゃ気まずい。
類は俯き加減で少しだけ前に進む。そして男装中であることに気付きしまったと青ざめる。
数日前この場所で起こった出来事についても思い出す。
雷帝の前に姿を現すだけで何か言われそうなのに、この格好ではまた殺されかけてもおかしくない。
頭に血がのぼっていない状態では、歯向かうどころか獅子の前に差し出された兎状態だ。『雷帝に物申す権利が与えられるなら、言いたいことは山ほどある』などと思っていた自分だが身の程知らずも甚だしい。
それにしても、何故ヘルガまで呼び出されたのだろうか。
それに正面に立つ三人は、こちらではなくヘルガを見ている気がする。
その時、突然閃光のような眩く強い光が視界を遮った。類は思わずうわっと目を瞑る。ほぼ同時に雷鳴のような轟音が鳴り響く。耳が壊れそうなほどの音にビクッと体が跳ね上がる。
(な、何っ!?)
身構えた体勢のままゆっくりと目を開けた時、正面に立つ三人の姿が見えて、前に立っていたヘルガがいなくなっていることに気付いた。ヘルガがいた辺りには大きな黒い穴が空いていて、何筋かの白く細い煙が立ち昇っている。
「へ、ヘルガ!?」
慌てて周囲を見回す。ヘルガの姿がない!
一体何が起こったのか。
「これを避けるとはやはりお前か」
雷帝の低い声が響き、金色の瞳が類の真上を見ている。ヴァリスと白髪の男も同様だ。
類は視線を上へ向ける。
類の立つ位置よりも少し後方の壁際の上空には、足を揃えて直立するように浮かぶヘルガの姿があった。まるで地面に立っているかのようだ。
「びっくりするなぁ、もう。僕を殺す気? ユリウス」




