第49話 孤独を嗜む者(2)
兄さんの洞察は正しく、そのご指摘については、悔しいことにほぼ正解ではあった。
けれどもそのときはもう誕生日を何日か過ぎていたので、何とか言い逃れられるだけのことを僕はタティと済ませていた。
だから僕は、初秋からつい最近まで何ヶ月ももたもたしていたことは一切言わず、胸を張ってその部分だけを主張した。多少誇張のあることとはいえ、事実に裏打ちされていることを話すことに後ろめたさは少なく、すると兄さんは随分意外そうな顔をして、それからその端整な顔をまだ神経質そうに歪めてはいたが、もう僕に対する怒りは収めてくれたようだった。
「そうか。ならばいい……、そうか」
兄さんは独り言のように何度かそう言い、それから僕とタティのことになんか興味をなくしてしまったみたいにして再び話を変えた。
期限を切るという横暴をどうやら取り下げてくれたようだったので、僕としてもそれ以上この話には触れずにおいて、そのまま話を流した。
そんなに跡継ぎが必要なら、兄さんが誰かお気に入りの金髪女とでもお作りになればいいという言葉が何度か喉まで出かかったが、火に油を注ぐだけの行為であることは分かっていたので言わなかった。
それから、兄さんと僕は他愛のない世間話をした。近年の周辺諸国の情勢について、出仕と執務と女遊びで時間がいっぱいのはずなのに、兄さんはいつ勉強をされているのかと思うくらい話の内容はいちいち詳しかった。王国西部の情勢が今後流動的になるというお話をされているとき、兄さんの勝気な表情がより増していた。何か利益になりそうな話があるのかと僕がたずねると、彼は皮肉な笑いを浮かべて曖昧に返事をした。
そう言えば兄さんはジェシカのことをどう考えているのだろうと思い、以前カイトが言っていた話を少し持ち出してみた。
「ジェシカにつき纏っている男がいる?」
兄さんは特に興味のなさそうな声でそう言った。
少し酔いがまわったのか、グラスの中で揺れるブランデーを見つめながら少し考え、それからこう答えた。
「それは実家が用意している件の結婚相手ではないか。どうも従兄妹婚になるらしく、彼女は乗り気ではないようだったが。どうせ家は弟が継ぐから独身でいいのだと言っていた。
それに、我が国は近親相姦にとって寛大な風潮ではないからな。四親等までは厳格に禁忌としている宗派もあり、よって従兄妹婚では近すぎると考える人間も多い。だから、人によっては嫌悪感があるものなのだろう」
「兄さんが魅力的なせいで、婚期が遅れている女性は多いそうですよ」
「またそんなたわけたことを。カイトにでも吹き込まれたか?
そんなものは、誰も彼も私を言い訳にしているだけのことだ。女とはさかしいもの。気に入らない相手に嫁がされるのが嫌だということを、私にかこつけているだけのことだよ」
ふと、それまでの機嫌の悪さが吹き飛び、酔いのためにはっとするほど艶やかな悪戯っぽさが兄さんの美しい顔にのぼった。
「ところでアレックス、おまえこそ女を手に入れるにはどうすればいいか知りたいとは思わないか。そこらのごろつき女ではない。年末の陛下の夜会には、国中から血統のいい女が大勢やって来る。血統や育ちがよく、その必然として美しい女たちが。
そうした女どもと遊ぶにはどうすればいいか、おまえもそろそろ知っておいてもいい頃だろう」
僕が苦手とする年末の夜会の話題に話が移ったことを、僕は憂鬱に感じていたが、兄さんはそうではなかった。女の話題になるとき、兄さんが本当に楽しそうなお顔をされているのを見るにつけ思うのは、確かに兄さんは本当に女好きなんだろうということだ。
もし彼に妃がいたとするなら、今頃彼女の人生は一時も心の休まる暇のない、悲惨なものになっていたかもしれないと思った。
「血統のいいというのは、王女様なども含まれるのですか?」
僕の問いかけに、兄さんは頷いた。
「無論、過去には遊び好きな王女もおられたそうだよ。姫君が王宮にて、あちこちの貴公子らと御乱交をなされたなんて話も、まことしやかに残っている」
「フェリア王女もですか?」
「フェリア王女はそのような方ではない。あの美しい方は……、そのような方ではなかったよ。私のデートの誘いにも、とうとう一度も首を縦に振ってくださらなかった」
「兄さんの誘いを断る女がいるんですか」
僕が驚いた声を出すと、兄さんは自嘲するように頷いてそれを認めた。
「アレックス、おまえは私をいったい何ほどと思っているのだ? 私は只の伯爵だよ。
それに、殿下には誰か想う男がいたのだろう。もっとも、その恋はとうとう叶わなかったようだが……。
しかし世の中には、彼女のように分別を弁えた姫君は多いが、同じだけ奔放なのも多いのだ。貞潔を守ることよりも、目先の恋や快楽を優先するあばずれ女は実は多い。知らぬはまだ見ぬ夫ばかりなり」
「……どうするんです?」
単純な好奇心から僕は聞いた。
それを見て、何故か兄さんは笑った。
「夜半をまわったら外に出て、馬車に乗るといい。王城前に、予め用意されたギース公爵家の馬車だ。目印は桜の紋章。それに乗れば、乱交会場へ直行だ。さすがに陛下の宴を乱交場にとって変えることはできないからな」
「ギース公、あの紳士がそんなことを計画されているのですか?」
「いかにも。真に変態というのは、しばしば常人のような顔をしているものだ」
「……兄さんも、参加されるんですか?」
「いや、私はしない。他の男の体液にまみれた女を抱こうという気が知れないからな。
ああいうところにのこのこ行くのは、余程の好きものだ。そのての性癖の。そう例えば、自らの性交を他人に公開したいとか。夜毎に偏執的なテーマが決まっていることもある。略取した未成年、まだ女とも言えないようなのをよってたかって――」
「じゃあそんなことを、僕に勧めないでください。何を考えているんですか」
耐え難い内容の話になりそうだったので、僕が憤慨して言うと、兄さんは可笑しそうに笑った。
「なんだ、動揺しているのかアレックス? こんな程度の話でうろたえるとは、まったくおまえはいつまでも子供だな。恥ずかしがって、まるで処女と話しているような反応だ。
それともおまえはとてつもない妄想力の持ち主なのか……何を想像したのか気になるな、うん、耳が赤くなっているぞ?
まあ、無理に行けとは言わない……、あまりの汚らわしさに、おまえのような純粋培養は卒倒してしまうかもしれないから――、それに現実的に言って病気の心配もあるしな。
だが性交とは、所詮その程度のことだということだ。女などというものは、所詮は……我々が執着するほどのものでもない。連中はか弱く、愛でるべき存在だが、しがみつくべきものじゃない。
アレックス、おまえにもそれが、やがて分かるだろう」
勿論僕としては、兄さんのそうしたお考えに同意できるはずもなく、そんな彼の言い分をただ理解したような素振りでいただけだった。
世の中というものが、兄さんが言うほどには汚らわしいものであるとは僕は思いたくなかったし、たとえ夜毎何処そこで乱交が行われているなんて話を僕がもう知っているにしても、それに加わりたいとは思わなかった。
しかし断ち切れない好奇心というものは否定しきれず、どうにか詳細を知りたいために、噂に名高い貴族の乱交会場への確かな道筋を仕入れた話をその後カイトにすると、意外にも彼は潔癖になってそれを批判していた。
「乱交がお望みの君なら行きそうな気がしたから、後から話を聞かせて欲しかったのに」
僕が文句を言うと、カイトは眉間を寄せて怒っていた。
「心外ですね! 幾ら何でも俺はそこまで飢えちゃいないですよ」
「そんなに言うなよ。カイトって、本当は真面目な奴なんだな」
「俺が真面目じゃなかったことがありますか!?」
「その怒った態度は真面目なのかい?」
「いいえ。言ってみただけです」