「Oslo」
スカンジナビア半島、フィヨルドが切り裂くのは国境、スイスとノルウェー、そのノルウェーの方で歴史ある音楽祭が毎年開かれる。今年の主賓は音楽祭始まって以来の日本人。この二年間、一人の女性ピアニストを追ってきた我が班は今回の撮影でそのドキュメント企画を閉じることとなろう、期待と共に遣り遂げた、また何か淋しい気持ちを皆漂わせながら、カメラ、照明、音声、全てのセッティングを終えた。
会場入り前、彼女が友人らしき日本人女性に挨拶をしていたが、その様子もカメラに収めた。今回はまだ若い名も知れぬ新進気鋭のピアノメーカーのグランドピアノを弾くらしい。ディレクターが寄りの表情を求めたので、近付く事無くレンズをズームにした。この二年間、彼女をレンズ越しに眺めて、まるで自分だけの紫の上が短期間に著しく成長し、皆に生きる英気を与える女神に変貌したように思えた。私しか知らない髪を掻き上げるクセや、指先の微動、音階に影響する心理、情念、それを私だけの優越と、その時までは勘違いしていた。彼女が此方に気付いて手を振ったので、手を振り返した。近寄って来て、レンズを覗き込み、私の名前を呼んだ。
「へえー、今日はお金掛かってるじゃない。でもスタッフまで正装する必要は在るの?」
開演十分前、彼女はいつもの如く舞台裏で精神安定剤をスキットルからブランデーで飲みこんだ。いつもそそくさカメラの点検をするタイミングで、いつも彼女が何か別のものに、運命や、抗し難い使命に溶け込み、ミュージ・キノという形相の中の一端に生まれ変わる瞬間であった。観客席は犇めき合って、特等席には私が、彼女は舞台に立った。深々と頭を垂れ、着席し、これもいつもの事だがドとミとソを順番になぞった。音が耳に確かだった。
見ても触れても聴いても分かるだろう、良いグランドピアノだ。さて今夜は我々、ジャップ・ア・ニーズにとっては歴史的な瞬間になる。世界中の聴衆達よ、朝までは眠れまい。音楽界の新時代、見よ、聴け、古今、ここまで音楽に愛された人間はいない。フィクションにはノンフィクションに(似た)節がある。火のない処に、これが過大評価ではない、個人の思い込みではないということが、たった今証明されよう。鼻がムズムズして堪らない。胸が張り裂けそうでそうはならない、恋心にも似たような胸苦しさがたった今、快感に変わる。
彼女は深呼吸を一つ、マエストロにアイコンタクトし、オーケストラの前奏、彼女のソリズムが引き立つ様に荘厳でなだらかに。ピアノと向き合う姿は今まで何度も撮影してきたがここまで彼女の透き通った佇まい、穏やかな口元、視線、楽器や脳中枢の音的構造に戯れる表情は撮れなかった。彼女の感情が胸から足先に穏やかに浸透して行き、愉悦が訪れる。誰にでも、万国で、途方もなく遠い星、そして弾き始めた。私は仕事を放棄せざるをなかった。目を閉じて音楽に耳の奥を溶かした。そしてそれはこの星この異空間に座した会場で唯一の自制心を保つ手段であった。天空から地面に無数の光が落ち、地中から芽生え、蕾をつけて、花が咲き、風にほころび、皆が笑い、酒に忘れ、花びらの最後の一枚、忘れ、ステレオタイプの日常、忘れ、自分の名を忘れ、今此処に忘れることを強いられている男がいることを忘れる。ここまで来ると目を開けることが恐ろしくなる。そして皆、彼女も目を瞑って弾いているような感覚がした。アレグロ・マ・ノン・タント。
ラフマニノフの第三番、彼女が腱鞘炎を、更に骨まで痛めるに猛練習した事は知っている。しかしそれ以上、今日の音楽祭に対しての異常な熱意は日がな取材してきて目にしてきた。春の木漏れ日のようにあっけらかんと穏やかな曲入り、この曲には合わない、また画期的な解釈を細部にちりばめ、好調の走り出しを見せた。怖しさを感じるほどの多幸感、逃げても逃げても追って来る。音階が空の果てに連なって、いつの間にか足元には自分の居場所が無くなっている事に気付く。1シーンが終わらない。元々一繋がりの時空間列を区切ろうなんてあまりにも愚かな行為だ。ウィーン交響楽団、時点最高の指揮者、彼女は皆を抱きこむように凛然と夜を暗くした。あたたかな眠気さえ覚える、フィナーレ。
オーストリア入りしてからもずっと見せなかった人の世のおどろおどろしい旋律、そしてそこから脳を後ろに引っ張られるような高揚するリズム、湧き上がる情切、眩暈のするようなアップダウン、呼吸が不正になり、服を脱いだり踊り回りたい衝動、月影の無遠慮の侵入、胸を強奪する必の然とした一音の繋がり、脳内に広がる表現不可の感情の波状、観客席では失神する者もいよう、風の冷たい国に楽観な春が訪れた。音楽界の目が覚める、アラ・ブレーヴェ。
この子は昨日までは、もっと正確に言えばついさっきまでは、日本人の中では類稀な音資を持ったいたいけな女の子だった。それがこの瞬間、全世界の、全人類、地球を代表するピアニストになった。大喝采は当たり前、このスカンジナビアの音階がそのうち宇宙船に乗ることになろう。胸が不可解な超人類的な圧倒的征服力で捻じ曲げられ、たましいの行方を誰にも教えてもらえない。私は自分の開いたままの口に気付き、目を開けた。すると彼女が微笑んでいるのが見えた。共感覚は激しい個性を持つ人間でもそうでない人間にでも等分配されているものなのか、答えの出ないまま、迷路の出口が見えてきて、「ここは入り口と一緒だったのか」、ゆっくり、果てしなくゆっくり、永遠の一欠片をひらい、この仕事の価値の前で自分の名を無意味な物とさせた。しかし見たことも無い虹の両端が降りてきて、「ここよ」と教えてくれた。笑顔の意味は夕暮れ黄昏によく見られる家路への安堵感、最後の一音を、態とか、遅らせたのは曲終に色を付けた。
オーケストラに囲まれたステージ上でも彼女一人しか目に映らなかった。周りの観客達はそのままステージを凝視、ここスカンジナビアでは世紀的なモンスーンの到来、信じる信じぬは愚直の際、BS放送で「不世出のピアニシャン」、明日の今頃を考えた。
しばらくの沈黙の後、すくっと彼女が立ち上がると滾り滾ったマグマがうねり吹き上がるように一斉に皆も立ち上がり轟々と湧き立つ歓声を上げた。叫び、腕を振り回し、ハットを投げ、ステージがステージ、幕が幕でなくなり、皆、音楽が好きだった頃も嫌いだった頃も思い出す。そして胸に今日の日を刻む。最高の演奏会になった。この放送は勿論日本でも流れ、父や母に誇れる仕事が出来たと、想念深くレンズカバーを取り付けた。
しかし何か腑に落ちない、聴きなれた曲なのに。公演後、彼女は姿を消した。楽屋にもパーティー会場にもいない。これまでのレッスンの過酷さを知っているだけに、遣り遂げた満足感は勿論彼女個人の物でもある。だから探さず、そのうち素知らぬ顔で後夜祭のケルト合奏の時間には間に合うようにワインのオープナーを取りに行っているのだろう。確かお気に入りの小洒落たソムリエナイフをポーチに常備していた。しかし、所在を尋ねてもスタッフの誰一人見かけていないと立言する。
道々に興奮の冷めやらぬ輩が家路に着く出足を挫かれ、いつまでもいつまでも騒ぎ立てている。あれ、予定のパーティー会場は何処だ、知らない土地の十字路の不安感、彼女には何か秘密があるんじゃないか、記憶を手探りで引き出したが、それもこのいつまでも鳴り止まない大喝采を聞けば杞憂であろうと自分を嗜めた。
通路の女子トイレの出入り口から彼女が、化粧直しから時間を取られた、ベロを出して私の一張羅のシャツに「Thank you」とルージュを無駄遣いして、通路の壁に寄り掛かり、満足げに、はたまた一時代の始まりの契機、『猫踏んじゃった』の冒頭ばかり鼻唄でダ・カーポしていた。ご機嫌だね、二年ぶりに煙草に熱を灯し、本国での新聞の見出しがどこまで麗辞礼賛をほどくのか、この女の子の、これからは友人として鼻高く、電話で思い出話なんて物を並べてみようとも思う。
帰りの飛行機は隣の席だった。着陸前のアナウンスを切っ掛けに
「私は君を誇りに思う。」
と告げると、彼女は鼻で笑って、
「勿体無いわ。急にどうしたの?歳を取ったみたい。」
子どものような歯に噛みを見せた。そして彼女は静かに目を瞑り、穏やかな表情で
「また逢えるかな?」誰に、自分で自分に質問していた。
六面のフレームには外郭に想像力を求められる、求めさせられる。そして今ただ隣にいる女の子は飛行機の窓から眼下の雲を眺め、ガラスに人差し指で文字をなぞった。その向こうの景色に、見覚えがあるな、そんな訳はなかった。雲の浮遊感に惑い、画郭に収まらない広い広い青景に己の小ささを知った。東経百四十度二十六分、上空二千フィート。その辺りの旋回を繰り返し、胸の中を別れ惜しさが目まぐるしく踊った。彼女の手は細く小さく頼りなく、役目を失くしたコウノトリのように何処かへ消え往きそう、膝の上に黙としていた。そしてふと、彼女は窓に肘付いて、子どもが退屈すぎて何か遊びを考えるように溜め息をつき微笑んでいた。「あーあ 」
成田空港では雑踏に遮られるまで手を振って別れた。
そして思いもしなかったその次の日がやって来た。




