少林寺における敬称・呼び名あれこれ
まだまだ続くよ、少林寺。
いかんせん、儒教的精神の染みついた中国社会である。いろいろと礼儀にうるさい(おい)。ということで、敬称は絶対である。というか、ちゃんと知っておいた方がかっこいい。
<階層別尊称>
まず、最もベタなところで「師父」から。師父とは、自分の師匠のこと。これは武術でも禅でも共通。
次に「師公」。師公は、師匠の師匠。つまり祖師(つまり?)。自分の師匠の師匠には「師公」を、他人の師匠の師匠には「祖師」ということなのだろうか?(このへんが中国作品はむずすぎる)
「師祖」は、師公より格式が高く、流派の祖に近い呼び方。少林寺では達磨を「達磨祖師」と呼ぶ(師匠の師匠の師匠の……でも祖師なのか?)。
「太師父」は、師父の師父よりさらに上。曾祖父のような感覚とされるが「達磨祖師」のせいで、すべてがバグる(達磨だけすごい近い、根本の存在とでも捉えておけばいいのか?)。
「師兄」は、兄弟子。年齢は関係なく、入門順(芸人の世界と同じ)。30歳でも新参者なら15歳の先輩を「師兄」と呼ぶ。
ややこしいのが「師弟」。通常は、おとうと弟子のことではなく、師匠と弟子を指すことば。弟弟子は「師弟妹」で括り、妹弟子なら「師妹」と呼ぶ。自分の弟弟子や妹弟子なら呼び捨てにするため、これは他の僧たちの弟分や妹分などについて語る時の表現か。―― 実際には、弟弟子をそのまま「師弟」と呼ぶこともあるが、これは文脈から読み取るほかない。
この上には、首座(首座師伯)、長老(長老様)、方丈(方丈大師)、教頭(教頭師父)、武僧長(武師父)、などがあるが、これは関係性により、呼び名が変わる。
大師は尊称なので、通常は方丈か、歴代の方丈あたりに使うのが妥当。
「禅師」は禅宗の高僧、「法師」説法を行う僧、上人は徳の高い僧への敬称。
<名前のルール>
仏教では、正式に得度すると「法名」を得る。
それまでの名では、呼ばれなくなる。
たとえば、主人公が李 文龍であった場合、「李文龍」や「文龍」と呼ばれるのは得度するまで。だが、名無しの孤児も多いため、沙弥たちは、一般にあだ名で呼ばれる(「小石」であったり、けっこう適当な名を付けられるのが通例)。
得度すると「釈+世代字(字輩)+一文字」という名となるが、これもなかなか面白い。釈は「釈迦の弟子」の意味で、名乗りでは使わず、後ろの二文字が名となる。面白いのが「世代ごとの接頭漢字一文字」のルール。一世代は、だいたい20~40年前後とされるが、自分との同期や同世代などは、皆が同じ漢字をひと文字与えられる。―― ひとりの師匠の弟子が必ず全員同じ字になるわけでもない。
主人公が「悟空」であるなら、同世代はみな「悟〇」となり、それぞれの気質に合わせ、悟雷、悟玄、悟円といった当たりの名付けが行われる(おそらくこの「組み合わせてよい漢字」にもルールがあるが、それは実際に名付けを行う際に勉強するものとする)。世代は「法系(師資相承)」で区切るとされるが、ちょっとこれはもうマニアック過ぎる。
―― たとえば、諸葛亮の字は孔明である。「亮」が明るいを意味する漢字であるため、字も明るさを意味する孔明がつけられている。関羽なら雲長と空のイメージ。張飛の字が益徳と翼徳で説が分かれるのも、益徳では意味が通らないというところからかもしれない。
この世代字(字輩)の文化は、華山派や武当派などの道教(道士)にもあるらしく、また使われる漢字にも順序がある。最も有名なものは、少林寺曹洞宗系の「七十字派」。
たとえば、方丈が慧真であった場合、次の代の弟子は皆「玄〇」となり、その次の世代が「清〇」といった塩梅に変化していく(さらにその次の「真〇」へと)。




