拳訣(または拳諺)
修行における師父や達人たちからのアドバイス。これは主人公たちの成長には不可欠な要素。そこで実際に使われている拳法における秘訣と諺をここにまとめる。各流派の言葉や考えが混ざるため、重複するようなアドバイスも多いはずだが、羅列形式でピックアップ。
「一張一弛」
緊張と弛緩。常に力を入れ続けるのではなく、抜くところでは抜く。武術の動作原理。
「剛柔相済」
剛と柔を互いに補わせる。柔の中に剛、剛の中に柔を持たせる。発勁と化勁の組み合わせ。
「動静相間」
動と静を交互に置く。止まっているように見える瞬間にも次の動きを含ませ、動いている最中にも静かな中心を失わない。
「虚実相生」
虚と実を固定しない。実の中に虚を、虚の中に実を含ませ、相手にこちらの本当の力点を読ませない。フェイント。太極拳などで特に重視。
「蓄而後発」
蓄えてから発する。力・勢い・身体の位置・意識などを一度「蓄」えて、それを一気に発する。
「蓄勢待発」
勢いを蓄え、発する時を待つ。ただ力を溜めるだけではなく、相手が崩れる瞬間まで発動を遅らせるという意味にもなる。
「以静制動」
静をもって動を制す。自分から無闇に動かず、相手の動きを見てから最小限の動きで対応する。太極拳などで語られる代表的な原理。
「以柔克剛」
柔をもって剛を制す。真正面から力比べをせず、相手の力を受け流し、その勢いを利用する。
「柔中有剛」
柔の中に剛を隠す。外見は柔らかく、力んでいないように見えても、必要な瞬間には強烈な力を発する。
「剛中有柔」
剛の中に柔を残す。強く打ち込んでも身体全体を固めない。強烈な攻撃の途中にも変化できる余地を残す。
「松而不懈」
緩めるが、弛み切らない。身体から余計な力を抜きながらも、いつでも動ける状態を維持する。「松」はとりわけ内家拳で非常に重要な概念。
「松沉」
力を抜いて沈む。肩や腕だけで力を出すのではなく、身体を沈め、重心を安定させる。「松」と「沉」はセットで扱うことが多い。
「用意不用力」
意を用いて、力を用いない。単純な「脱力」ではなく、筋肉をむやみに固めず、意識によって身体を動かすという太極拳的な原理。
「以意領形」
意によって形を導く。まず意識が動きを導き、それに身体が従う。外形だけを真似するのではなく「何をするための動作なのか」を意識する。
「心意相合」
心と意を一致させる。心に思ったことと身体の動きを一致させる。武術における「意」の重要性を簡潔に表す。
「上下相随」
上と下を互いに従わせる。腕だけで打たず、脚・腰・胴・肩・腕を連動させる。全身をひとつの構造として使う。
「内外相合」
内と外を一致させる。意・呼吸・身体内部の働きと、外から見える姿勢・動作を一致させる。「内外合一」とも表現。
「周身一家」
全身を一つの家、一つの身体として扱う。腕だけ、脚だけで動かさず、全身を連動させる。武侠小説の師匠の台詞としてもかなり使いやすい言葉。
「節節貫串」
身体の各節を一本につなぐ。足から腰、腰から背、背から肩、肩から腕へと力を通すイメージ。身体をバラバラに動かさない。
「力由地起」
力は地より起こる。地面を踏む力を脚から腰、体幹、腕へと伝える。いわゆる「地面から力をもらう」発想。
「腰為主宰」
腰を身体の主宰とする。腕だけで動かず、腰・胴体を中心に全身を動かす。
「步随身換」
歩みは身体の変化に従う。身体を動かすなら足もそれに応じて動き、足だけを独立させない。
「眼随手走」
目は手に従って動く。攻撃・防御する手を目で追い、身体全体の意識を手先の動きと一致させる。
「手到眼到」
手が到れば、目も到る。手だけを先行させず、視線・意識・身体を同時に到達させる。
「身法為本」
身法を根本とする。技の派手さよりも、身体の使い方・重心移動・姿勢・歩法が重要だという教え。
「步不穩則拳不真」
歩みが安定しなければ、拳も真ならず。足元が崩れていれば、上半身の技も成立しないという考え。
「拳無拳,意無意」
拳に拳なく、意に意なし。境地論的な表現。技を意識して「技として」繰り出す段階を超え、意識と身体が自然に一致していく境地を表す言い回し。流派・文脈によって解釈が異なる。
「熟能生巧」
熟すれば巧みさが生まれる。繰り返し練習することで、技術が身体に染み込み、意識せずとも巧みに動けるようになる。
「拳熟功深」
拳が熟すほど、功夫が深くなる。同じ型を繰り返すことによって、単なる動作が「功夫」へ変わっていくという考え。武術の修行描写に使いやすい表現。
「招熟則巧」
招式が熟せば、巧みさが生まれる。技を覚えたばかりの段階では型通りにしか動けないが、熟練すると状況に応じて変化できるようになる。
「圓轉如意」
円滑に転じ、意のままになる。身体や技の転換が滑らかで、相手に動きを止められない状態。
「隨機應變」
機に随って変化する。状況に応じて技を変える。「必ずこの技を使う」という固定観念を捨て、その瞬間に最適な動きをする。
「見招拆招」
相手の技を見て、それに応じて技を解く。相手の攻撃を見極め、適切な受け・崩し・反撃を選択する。武侠作品では非常に使いやすい表現。
「後発制人」
後から動いて、人を制する。先に攻撃するのではなく、相手の動きを利用して後手から主導権を奪う。太極拳的な戦闘原理を表す場合にも使いやすい。
「後發先至」
後から発したものが、先に到達する。相手より遅く動き始めても、身体の連動・距離・タイミングによって先に攻撃を届かせるという、武侠的には非常に格好のよい表現。
「出手如電」
手を出すこと雷電のごとし。攻撃開始から着弾までが極めて速いこと。
「動如脱兔」
動けば逃げ出す兎のように速い。静止状態から一気に動く俊敏さを表す。
「靜如處子,動如脱兔」
静かなること処女のごとく、動くこと脱兎のごとし。有名な表現で「普段は静かで動きを見せず、動く瞬間には一気に動く」という対比。
「大開大合」
大きく開き、大きく合わせる。身体・手足を大きく展開し、大きく動かす。套路の序盤などで、身体を十分に開いて勢いを作るイメージに使えます。
「小開小合」
小さく開き、小さく合わせる。大きな動作から、より小さく精密な動作へ移るような対比に使えます。
「開中有合,合中有開」
開く中に合わせがあり、合わせる中に開きがある。単純に「開く→閉じる」と二分せず、一つの動作の中に次の動作を含ませるという考え方。
「一動全動」
一箇所が動けば、全身が動く。腕だけを動かすのではなく、一つの動作が全身へ連動するという教え。
「一静全静」
一箇所が静まれば、全身も静まる。動作を止めた瞬間にも全身のバランスを失わない。
「大開大合,小開小合」
大きく展開するところでは大きく、小さく収めるところでは小さく。動作には大小の変化をつける。
「先求開展,後求緊湊」
最初は大きく伸びやかに動いて身体の可動域と勁の通り道を養い、上達するにつれて動きを小さく緊密にまとめていく、という稽古の順序。
「一張一弛,剛柔相濟」
張るときは張り、弛めるときは弛める。剛と柔を互いに補わせる。
「蓄勢而發,動則如雷」
勢を蓄えてから発し、動くときは雷のごとく。
「靜如處子,動如脱兔」
静かなときは処女のごとく、動くときは脱兎のごとく。
「大開之後,歸於一線」
大きく展開した後、最後には一本の線へ収束する。伝統的な定型句というより創作向けの拳訣。
「先鬆後緊,先大後小」
まず緩め、後に締める。まず大きく動き、最後に小さく収束する。これも創作向けに使いやすいです。
「蓄而不發,發則盡力」
蓄えている間は発さず、発するときには力を尽くす。
「形大而意小,勢廣而力聚」
形は大きく、意は小さく。勢いは広く、力は一点に集める。かなり武侠小説の「極意」らしい言葉。
―― ここまでを要約すると、言い回しは違えど「肉体の連動」「剛柔の使い分け」「(相手をよく見て)臨機応変」「心身の合一」などについての言葉が多く並ぶ。だとすれば、それも「十則」のようにまとめているものがあるに違いない、と予想したら、やはりあった。1925年に陳微明が「楊澄甫の口述」を筆録した「太極拳術十要」というものが見つかった。
<太極拳術十要>
「虚霊頂勁」
頭をまっすぐ保ち、首を力ませず、精神を上に保つ。身体の軸を整える第一歩。
「含胸抜背」
胸をわずかに含ませ、背を伸びやかにする。上半身を固めず、背中から力を出せる状態を作る。
「鬆腰」
腰を緩める。腰を身体の中心・主宰として、腰を固めず自由にする。虚実の転換も腰から生じるとされる。
「分虚実」
虚と実を明確に分ける。左右の足、身体の重心、攻防の力などを「全部同じ」にせず、どこが実でどこが虚なのかを明確にする。
「沉肩墜肘」
肩を沈め、肘を落とす。肩をすくめたり肘を張ったりせず、力を身体の中心へ落とす。
「用意不用力」
意を用いて、力を用いない。これは「力を出すな」という意味ではなく、筋肉を無闇に緊張させる拙い力ではなく、意識によって身体を動かすという意。
「上下相随」
上と下が互いに従う。手だけ、腕だけで動かず、足→腰→胴→肩→腕→手まで全身を連動させる。
「内外相合」
内と外を合わせる。心・意識と身体、身体内部の動きと外形を一致させる。つまり心身の合一。
「相連不断」
連なって途切れない。一つの動作から次の動作へ、力・意識・身体の動きを断ち切らない。動作と動作の「隙間」をなくす。
「動中求静」
動きの中に静を求める。身体は動いていても、心や身体の中心は乱さない。動いているのに軸は静かという状態。
―― 流派によって、それぞれ表現が異なるだけで、対人などにおける身体操作の基本は、やはりひとつの考えに集約されていくのかもしれない。
追加)「捨己従人」
自分の力を抜いて相手の動きや力に逆らわず、相手に従うように動く太極拳の重要な極意(化勁)。
感想欄による藤村氏の掲載提案。




