大暑断水
大暑断水考 ―渇きをもって屈せしめる兵法―
出典:『兵法異聞・裏三十六計大全』(著・欅田柾彦/民明書房刊・大正十四年)
一、定義
大暑断水とは、炎暑の最中、敵を包囲したうえでその水源を悉く絶ち、刃を交えることなく敵兵をただひたすらに干からびさせるという、極めて陰惨にして、しかし極めて確実なる策である。
人は飢えには数十日を耐え得るが、渇きには三日と持たぬ。ましてや炎天の下、鎧兜に身を包んだ兵が水なくして戦い得るはずがなかろう。これを知る者にとって、水源こそが真の急所であることは、もはや言うまでもない。刃を交えずして勝つ、これぞ兵法の極致に他ならぬ。
二、語源と起源
この策の恐るべき実例として、後世の兵法家が必ず引き合いに出すのが、三国時代・蜀漢の武将馬謖による街亭の戦い(西暦二二八年)における一事である。
丞相諸葛亮より街亭の要衝を託された馬謖は、定石通り道を挟んで布陣し水源を確保するという参謀・王平の進言を退け、あろうことか近隣の山上に全軍を上げて布陣するという奇策を選んだ。「高きに拠りて低きを臨めば、その勢い、竹を割るがごとし」――兵法書の一節を字面のみで解した彼は、これぞ必勝の陣形なりと確信していたと伝えられる。
しかし敵将**司馬懿**は、まさにこの大暑断水の理を熟知した者であった。彼は馬謖の陣を力攻めするどころか、ただ静かに山を包囲し、山中に僅かに流れる水路を悉く堰き止めた。真夏の炎天下、山上に取り残された蜀軍は水を求めて統制を失い、渇きに耐えかねた兵は次々と山を下って投降するか、あるいは倒れ伏したという。戦いは、まともに刃を交えることすらなく決着した。
馬謖はこの大敗の責を負い、諸葛亮の手により処断されることとなった。世に言う**「泣いて馬謖を斬る」**の故事である。しかし後世の兵法家が真に着目すべきは、斬られた馬謖その人にあらず、水という、誰もが軽んじて顧みぬ資源を戦略の核心に据えた司馬懿の慧眼にこそあることは、もはや論を俟たぬであろう。
三、余話
なお、この故事より遥か以前、中原の乾いた大地においてすでに「城を落とすには、まず井戸を探せ」という格言が武人の間で密かに囁かれていたとする説もある。刃を交えることを美徳とする表の兵法に対し、水を絶つことを是とする裏の兵法――両者は常に表裏一体をなして歴史の陰に潜んできたのである。
高きに拠るは、決して過ちにあらず。過ちは、渇きという最も原始的な急所を、己自身が見落としたことにこそある。これを知らずして陣を敷く者は、千八百年前の山上に立つ馬謖と、何ら変わるところがない。
(民明書房刊)




