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155/292

猿猴拽人

民明書房刊

謀略奇計全書 補遺二十七巻

「誘地造成篇 附・猿猴拽人秘訣」

挿絵(By みてみん)

猿猴拽人の計


『孫子』虚実篇に次の一節があることは言うまでもない。


「善く戦う者は人を致して人に致されず」


――孫子 虚実篇第六


(戦上手は敵を思い通りに動かし、自分は決して敵の思い通りに動かされない)

孫子はここで主導権思想における最も根本的な分水嶺を示した。力の強弱が勝敗を決めるのではない。戦場を選んだ者が勝敗を決めるのである。しかし孫子はここで一点、論じ残した問題がある。「人を致す」とは言うが、「いかにして敵が自ら望んでその戦場へと足を踏み入れるか」という問いへの答えが、虚実篇において明示されていないのである。この欠落を補完し、「敵自身の好奇心・欲望を利用し、最も自分に有利な場所まで誘い込む術」として完成させたのが「猿猴拽人の計」に他ならない。

猿猴拽人の本義は明快である。敵を力で引きずり込むな。敵が、自らの意思で水辺へと近づきたくなる景色を見せよ——これが猿猴拽人の核心に他ならない。陸で戦えば人間は河童に勝つ。しかし水中に引き込まれた瞬間、力関係は完全に逆転する。戦場を選んだ時点で、勝敗の九割は既に決している。これが孫子の虚実篇を二千年かけて完成させた結論である。


【第一段 ―― 「誘地」の確立】

猿猴拽人の計を史上初めて意識的に体系化した人物として、後世の兵法家が異口同音に挙げるのは、戦国時代・斉に仕えた謀臣・誘淵子(ゆうえんし)に他ならない。誘淵子が直面した問題は、陸戦においては精強だが水戦に不慣れな斉軍が、水運を得意とする越の勢力とどう渡り合うかという難題であった。正面から越の水軍に挑めば斉軍に勝ち目はなく、かといって陸戦のみに徹すれば越は常に水路を使って戦場を選び続ける。誘淵子は力による対抗を断念した。代わりに「敵を逆に己の得意領域へ誘う構造」の設計に専念した。

第一に「餌の設計」――敵が抗いがたい魅力を持つ対象を、自らの得意領域の最奥に配置する。第二に「経路の段階的誘導」――敵に「これは罠だ」と気づかせぬよう、一歩ずつ自然な形で深みへと導く。第三に「退路の静かな消失」――敵が誘地の中心に達した時には、既に後戻りできない位置関係が完成している。

『誘地秘伝』(戦国・誘淵子撰、推定)より――


「河童は人を水に引きずり込むのではない。人が自ら水辺に近づきたくなる景色を作るのみなり。陸にて人と戦えば河童は負ける。されど人を一歩、また一歩と水辺に誘い、ついに水中に立たせれば、もはや勝敗は決している。これを猿猴拽人と謂う。戦う場所を選んだ時、すでに七分は勝っている。」


「戦う場所を選んだ時、すでに七分は勝っている」――この前提条件の支配こそが猿猴拽人の第一核心である。力の優劣を競う前に、競う場所そのものを支配する者が真の勝者である。誘淵子はここに猿猴拽人の謀略的原型を確立したのである。


【第二段 ―― 「非力なる者の必勝法」への理論的昇華】

誘淵子の理論において、後世の研究者が最も注目すべきは、誘淵子自身が河童という存在の本質的な非力さを出発点に据えていた事実である。『誘地秘伝』には次の一節が続く。


「河童は陸にあらば、人の童子にすら及ばぬ非力なる者なり。されど水中にあらば、巨躯の男すらこれに敵わぬ。河童の強さとは、河童そのものの強さにあらず。水という、河童のみが支配する一領域における強さなり。」


(河童は陸上では人間の子供にすら及ばない非力な存在である。しかし水中では巨躯の男すらこれに敵わない。河童の強さとは河童そのものの強さではない。水という、河童のみが支配する一領域における強さである)

ここに猿猴拽人のもう一つの核心が存在する。全領域において強い者は存在しない。しかし一領域においてのみ絶対的に強い者は存在し得る。誘淵子はこれを「片域絶対の理」と呼んだ。陸・水という二つの領域において、河童の総合力は人間の総合力に劣るかもしれない。しかし勝負の場を水中のみに限定した瞬間、河童の劣位は完全に消失し、優位のみが残る。

弟子の問いに誘淵子はこう答えたと伝わる。


「弱き者よ、強くなろうとするな。己の最も得意な一領域を見極め、その領域でのみ戦え。陸にて戦えば童子にも負ける河童が、水にて戦えば巨躯の男にも勝つ。汝もまた、汝の水を見つけよ。」


(弱き者よ、強くなろうとするな。己の最も得意な一領域を見極め、その領域でのみ戦え。陸で戦えば子供にも負ける河童が、水で戦えば巨躯の男にも勝つ。お前もまた、お前自身の水を見つけよ)

万能であろうとする者は、結局どの領域においても一流に届かない。しかし己の水を一つに定め、そこに全てを注ぐ者は、総合力で勝る相手にすら勝つ。これが猿猴拽人の、誘導の謀略を超えた自己鍛錬の奥義である。


【第三段 ―― 歴史的実践への理論的昇華】

誘淵子の理論から二千余年を経た近代、猿猴拽人の理は軍事戦略の領域において凄まじい理論的完成を見た。

ナポレオン戦争におけるロシア遠征(1812年)の帰結は、皮肉にも猿猴拽人の理を裏面から証明する事例として後世の戦史家が必ず言及する。ロシア軍はナポレオン軍との正面決戦を避け続け、広大な国土の奥深くへと退却を重ねた。ナポレオン軍は勝利の幻影を追い、自ら冬のロシアという「水中」へと深く踏み込んでいった。誘淵子の言う「一歩、また一歩と水辺に誘う」構造が、意図的か結果的かは歴史家の間でも議論が分かれるが、機能の上では完璧に再現されていた。モスクワに到達した時、ナポレオン軍の退路は冬将軍によって既に断たれていたのである。

『近代戦略誘導論攷』(民明書房刊、平成二年)はこれを評して次のように断じている。


「ロシア軍が勝ったのは戦闘によってではない。広大な国土という己の最も得意な領域へ、敵を静かに誘い込んだことによってである。陸戦の強者であったナポレオン軍も、極寒と補給線の断絶という『水中』に立たされた瞬間、その強さは意味を失った。猿猴拽人の理、近代戦争史上最大の規模で証明された。」



【第四段 ―― 現代における猿猴拽人の完成】

猿猴拽人の理が、現代のビジネス・教育・受験の領域においていかに純粋な形で機能しているか、三つの事例を以て示すことが肝要であろう。

現代における猿猴拽人の最も洗練された実例として識者が必ず挙げるのが、プラットフォーム企業のエコシステム戦略である。優れたハードウェア・無料の基本機能・魅力的なコンテンツという「餌」によって、利用者は自ら進んでそのプラットフォームへと足を踏み入れる。しかし一度そのエコシステムの奥深くに入り込み、データ・課金履歴・人間関係までもがプラットフォーム内に蓄積された頃には、利用者は既に「水中」に立っている。乗り換えのコスト(スイッチングコスト)という見えない水流が、利用者の退路を静かに奪っているのである。

国際裁判・国際交渉の領域においても、猿猴拽人の構造は精確に再現される。自国に有利な法廷・仲裁地・交渉ルールへ相手を誘い込む外交戦術は、誘淵子が戦国時代に確立した原理の忠実な再現である。表向きは「公平な第三者機関」として提示されながら、実際にはその場の言語・慣習・先例の全てが一方に有利に働く。相手が「これは公平な戦場だ」と信じて足を踏み入れた時点で、誘淵子の言う「七分の勝敗」は既に決しているのである。

そして現代において「片域絶対の理」が最も純粋な形で機能しているのが、受験・資格試験における戦略的科目選択に他ならない。総合力で上位校を狙う受験生の多くは、全科目を満遍なく鍛えようとして、結局どの科目においても合格者平均に届かない。しかし己の「水」――最も得意とする一科目・一分野――を見極め、そこに圧倒的な時間を注ぎ、配点の大きい得意分野で他の受験生を大きく突き放す戦略を取った者は、総合的な学力で劣っていても合格を勝ち取る。誘淵子が「弱き者よ、強くなろうとするな」と説いた言葉そのままに、苦手科目を平均点まで引き上げる努力より、得意科目を満点近くまで磨き上げる努力の方が、合格という一点においては遥かに効率的なのである。陸では非力な河童が、水中でのみ無敵となるように、受験生もまた己の戦場——得意分野——を選んだ瞬間、格上の相手にすら勝ち得る。

『現代誘導戦略論攷』(民明書房刊、令和四年)はこの三事例を並置して次のように総括している。


「プラットフォーム経済であれ国際交渉であれ受験戦略であれ、その構造において全く同一である。総合力で劣る者が、特定の領域に絞ることで優位に転じる。河童は陸では童子にも負ける。されど水中では巨躯の男にも勝つ。猿猴拽人の理は、他者を誘い込む謀略であると同時に、己を一つの水に定める者への教えでもある。」


孫子が「人を致して人に致されず」と喝破してより二千五百年、猿猴拽人の本義は戦国の水戦からナポレオンのロシア遠征へ、プラットフォーム経済から受験戦略へと形を変えながら、力ではなく場所の選択によって勝敗を決する謀略として機能し続けている。敵を引きずり込むな。敵が、自ら歩いて水辺に来たくなる景色を作れ。そして己もまた、己の水を見つけよ。陸で童子にも負ける者が、水中で巨躯の男に勝つ。これこそが猿猴拽人の、攻守両面に通ずる本義である。


「河童は陸にあらば、人の童子にすら及ばぬ非力なる者なり。されど水中にあらば、巨躯の男すらこれに敵わぬ。弱き者よ、強くなろうとするな。己の水を見つけよ。」


――『誘地秘伝』戦国・誘淵子撰


引きずり込むな。ただ、景色を見せよ。そして、己もまた——己の水を、見つけよ。


『謀略奇計全書 補遺二十七巻 誘地造成篇』

エンコウ違い? 

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