↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
131/292

造屍還魂

民明書房刊

謀略奇計全書 第二十四巻

「自作大義篇 附・借屍還魂転用秘訣」


造屍還魂

挿絵(By みてみん)

三十六計第十四計「借屍還魂」を知らぬ者は謀略を語る資格を持たぬと言わざるを得ない。廃れた権威・滅びた勢力・死せる英雄の名を「借り」、その残骸に自らの意志を吹き込んで復活させる――これが借屍還魂の本義である。しかし賢明なる読者はここで一つの疑問を抱くであろう。「借りる屍が、都合よく存在するとは限らぬではないか」と。


この根本的矛盾を解決すべく生み出されたのが、「造屍還魂(ぞうしかんこん)」に他ならない。屍を借りるのではなく、自ら造る。受動を能動へ。これが借屍還魂に対する造屍還魂の、唯一にして絶対的な優位性である。


本術の原型は、戦国末期の秦に仕えた陰謀家・屍工慎(しこうしん)が確立したとされる。屍工慎が直面した問題は切実であった。秦の昭襄王が隣国・韓への侵攻を望みながらも、開戦の大義名分を持てずに逡巡していたのである。屍工慎はここに一計を案じた。韓の重臣・公孫朔(こうそんさく)を秘密裏に毒殺し、その遺体を国境付近に遺棄したうえで、「秦の使節が韓の兵に謀殺された」との流言を秦国内に撒き散らしたのである。


屍工慎が用意した「屍」は公孫朔一人ではなかった。秦の下級兵士三名を密かに処断し、その遺骸を韓の衣装で包んで国境に晒した。「韓の刺客に殺された秦の兵」という屍を、自ら造作したのである。昭襄王は激怒し、即日出兵を宣言した。民は義憤に燃えた。誰も屍が自国の謀略家の手で造られたものとは知らなかった。


「屍工秘録」より ―― 屍待つ者は機を人に委ぬ。屍造る者は機を己に握る。将たる者、いずれを採るべきか、論ずるまでもあるまい。

(屍を待つ者は機会を他者に委ねる。屍を造る者は機会を自ら握る)


かくして屍工慎は「造屍還魂」の祖として後世に記録されたが、本術の真の完成は、それより三百年後の後漢末期に待たねばならなかった。乱世の謀略家・滅義先生(めつぎせんせい)は、屍工慎の術を根本から再解釈した。「造屍の屍は、必ずしも人の肉体に限らぬ」――これが滅義先生の到達した境地である。


滅義先生の定義によれば、「屍」とは「大義名分の素材となり得る一切の滅びたもの」を指す。かつて栄えた制度を自ら骨抜きにして廃滅させ、その廃骸を「復興」の旗印に掲げる。忠義の士を謀略で失脚させ、その冤罪を後に「雪辱」の名目として利用する。民の信仰を弾圧して「殉教者」を量産し、その殉教を旗幟として民心を掌握する。これらすべてが「造屍還魂」の射程に収まると、滅義先生は喝破したのである。


「滅義論」より ―― 肉の屍は一人を動かす。義の屍は万民を動かす。大謀略家は肉を斬らず、義を斬る。

(肉体の屍は一人を動かすに過ぎぬ。大義の屍は万民を動かす。真の謀略家は肉を断たず、大義を断つ)


屍工慎の「肉体の屍」から滅義先生の「大義の屍」へ。この二段の昇華を経て完成した造屍還魂は、謀略史上最も陰湿にして最も有効な計略の一つとして、後世の謀略家たちに畏怖とともに伝承されてきたことは疑いの余地がない。借屍還魂が「運と機会の術」であるとすれば、造屍還魂は「意志と冷酷の術」に他ならないのである。


【現代における造屍還魂の諸相】

滅義先生の術が大西洋を渡り、近代国家の戦争指導に応用された事例は枚挙に遑がない。中でも後世の謀略研究家が「造屍還魂の完成形」と異口同音に評する事例を、ここに二例挙げておくことは本書の責務であろう。


まず一八九八年の米西戦争開戦に際し、ハバナ港に停泊中の米戦艦メイン号が突如爆沈した事件は記憶に新しいであろう。二百六十余名の乗組員が犠牲となったこの事件を米国の新聞各紙はスペインの謀略と断定して報道し、米国民の対西世論は一夜にして沸騰した。議会は即座に対西宣戦を決議した。しかしながら後世の調査において、爆発の原因が内部の弾薬庫事故であった可能性が濃厚となったことは、当然ご承知のことと思う。屍工慎が国境に晒した三名の兵士の遺骸が、二千年の時を経て二百六十余名規模で再現されたと見るのは、果たして穿ち過ぎであろうか。


次いで一九六四年のトンキン湾事件は、「肉体の屍」すら必要としない造屍還魂の究極形として特筆に値する。北ベトナム軍の魚雷艇が米駆逐艦マドックスを攻撃したとの報告を受け、米議会はベトナムへの全面介入を承認する決議を可決した。しかるに後年、当時の国防長官マクナマラ自身が「二度目の攻撃は存在しなかった」と認めたことは広く知られている。造作されたのは遺体ですらなく、暗闇の海上における「攻撃があった」という事実の屍であった。滅義先生の言う「義の屍」が、ついに実体を持たぬ純粋な虚構にまで昇華された瞬間である。


さらに一九九〇年、米国議会の公聴会において、クウェートから逃れてきたとされる少女ナイラが涙ながらに証言した。「イラク兵が病院の保育器から赤ん坊を取り出し、冷たい床に叩きつけた」と。この証言は米国民の怒りを一気に沸点へと押し上げ、湾岸戦争への世論形成に決定的な役割を果たしたことは論を俟たない。しかし後に判明したのは、ナイラがクウェート駐米大使の令嬢であり、その証言が大手広報会社の演出によるものであったという事実である。肉体の屍ではなく、涙と言葉によって造作された「義の屍」――滅義先生はかかる事例をこそ、造屍還魂の真髄と呼んだに違いない。


二〇〇三年のイラク開戦に際して喧伝された大量破壊兵器の存在もまた、同様の文脈において論ずべきであろうことは、今さら指摘するまでもあるまい。存在しない脅威を「屍」として造作し、それを大義名分として戦争を起動する――屍工慎が秦の国境に三名の遺骸を晒してより二千余年、造屍還魂の本質は寸毫も変わっていないのである。


『謀略奇計全書 第二十四巻 自作大義篇』

著:滅義斎蔵人 監修:古代謀略学研究所

民明書房 昭和六十二年刊 pp.84–95

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。