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三十八話 憎悪と陰謀のエトセトラ

「エドアルド、あなたはわたくしが姿を消した責を負って神殿兵に拘束されたあと脱走したと聞いていたのだけれど?」


 王立軍の兵士の一人は次に会ったら手打ちにしてくれると言わんばかりに憤っていた。


「脱走には違いないだろうな。俺はあの森の神殿で神殿兵に拘束されたあと、牢を脱出し、この砦でミカエル殿下と合流した。このことを知っているのは王立軍でも一部の騎士のみだ」


 そう言われてみれば、この場にいるジャヌカはエドアルドの存在に驚いた様子も無く平然としている。

 わたくしの視線を受けてジャヌカが遠慮がちに口を開いた。


「王立軍の部隊長以上、騎士の称号を持っている者の中で、マーニュ将軍の信を得ている者には内々に伝令が届いていました。マリアベル様とマーニュ卿は幼なじみと伺っています。ご心配されていただろうに、お伝えできず、申し訳ありません」

「いえ、全然全く、これっぽっちも心配はしていなかったのだけれど、なぜ、緘口令を? エドアルドにマーニュ将軍から命令が下ったと言えば神殿兵といえど拘束を解かざるを得ないのではなくて?」


 エドアルドの所属が正式な騎士としてではないにせよ、ミカエル殿下に従っていた近衛騎士団の預かりとなっている。その上将軍であるマーニュ伯爵の息子なのだ。

 例え脱走などの問題行動があったとしても、エドアルドを拘束し、裁くのは騎士団の管轄であり、神殿兵が彼の身柄をどうこうするのは越権行為にあたる。

 あの状況ではエドアルドを拘束できる地位の兵士が王立軍にいなかったため、神殿兵が動いたのだろうが、ミカエル殿下やマーニュ将軍がエドアルドを召喚すると伝令を飛ばせば、神殿兵は従う以外無かった筈だ。


「神殿兵に拘束された日の夜、俺は牢で殺されそうになった」

「……え?」


 エドアルドの表情は憮然としていて、冗談で言っている様子ではなかった。


「わたくしを取り逃がしたくらいで死刑というのはいくら何でも無理がありますわよね。いったい誰が何の理由で……」

「理由は私怨……なんだろうな」


 エドアルドは苦虫を噛み潰したような顔でゆっくりと語り始めた。




 暗く、埃と黴の臭いがする牢の床に腰を下ろす。

 牢に入れられたあとで手足の拘束は解かれたが、長時間縛られていた手首は微かに痺れが残っている。

 少しずつ動かして強張りをほぐしながら辺りの様子を再確認した。

 明かり取りの窓は天井付近にひとつ。大きさからいって、自分の体格ではあそこまで飛べたとしても抜け出すのは無理だろう。

 壁際には寝具の代わりなのか干し藁が積まれている。寝台が無いのは、この牢が下層の罪人を収容するための場所であることを示しているが、自身が侮られたというよりは、寝台を破壊、解体して武器や道具の代用にされない為だろうと察しが付いた。

 実際簡易の寝台程度なら持ち上げて窓の下に運ぶことも、立てかけて脚立代わりにすることも可能だ。

 湿気を含み、黴の臭いのする藁に身を横たえる気にはなれなくて、壁にもたれかかる。

 疲れてはいたが、肉体的な疲労ではなく精神的な疲労が濃く、無意識に溜息が零れた。


「まったく、神殿の奴らめ。こちらの話を一切聞こうともしない」


 監視を命じられていたマリアベルが消えた。

 ミカエル殿下からのご命令はあくまでも護衛だったが、マリアベルには王立軍兵士への殺人疑惑が出ており、それは完全には払拭されていない。

 マリアベルの身分、ミカエル殿下の保護命令によりあいつは拘束こそはされていなかったが、一部の兵からは疑いと憎悪を向けられていた。

 姿を消したこと自体はそう不思議ではない。おおかたあいつの父親がその身を案じてあの従者に連れ戻させたのだろう。

 ロートレック伯はあの娘を溺愛し、甘やかしていた。あの従者から状況報告を受け、家へと連れ戻すことにしたとしても不思議ではない。

 そもそもあいつがこんな泥臭い行軍に参加したこと自体、俺にとっては驚きだったのだ。

 その上、下級貴族や平民に混ざって泥臭い看護の仕事や雑用に従事するなど、気位の高いマリアベルに耐えられるはずもない。

 そう思っていたのだが……。


「下々の働きに……馴染んでいたな」


 理不尽に命令され、こき使われるなど、高貴なる伯爵令嬢に似合うはずもないのに。あいつは顔をしかめるでもなく、文句を言うでもなく、黙々と働いていた。

 文句をつけたのは同じ学生部隊の子女が兵士から絡まれた時ぐらいだった。

 俺やミカエル殿下は近衛騎士団と行動を共にしていたから、クローディアのいる後衛部隊にいたので姿を見かけることはそれほど多くはなかったが、噂話は流れてきていた。

 同じ学生部隊の子女からは好評を、神殿兵や巫女、下級兵士からは悪評を。

 今回あいつが姿を消したことで下級兵士はそれ見たことかとあいつやあいつの監視にあたっていた俺を糾弾した。

 神殿兵は俺を拘束し、俺があいつを逃がしたと断定するだけの一方的な尋問を行った後、この牢へ放り込んだのだ。


「ミカエル殿下に状況をお伝えしなければならんな……」


 拘束された際、剣や魔導具の類は没収されたが、幸いにも出立前にマリアベルの兄から餞別と言って渡された術符は見つけられることなく懐の奥にしまってあった。

 伝令用の鳥を召喚し、使役する術だと聞いている。使い方も至極簡単だと早口で説明された。

 マントの端を千切り、牢の隅に落ちていた炭の欠片で殿下への手紙をしたためる。

 指先に歯を立て、血を術符に擦りつけると、淡い光を放ち、掌より少し大きいくらいの梟が姿を現した。その足に手紙を結びつけた。


「頼むぞ、ミカエル殿下の元へこの手紙を届けてくれ」


 梟は小さく鳴くと、明かり取りの窓から飛び立っていった。


「さて……この後はどうするか……」


 拘束されたとはいえ、俺を正式に裁く権限を神殿は持ち合わせてはいない。魔獣襲撃の混乱で分断されたとはいえ、この行軍では俺の身分は近衛騎士団の所属で、ミカエル殿下の側近だ。

 早晩釈放されるか、マリアベルのように監視をつけた上で行軍と共に移動し、王立軍との合流後に裁判にかけられるか。

 そんなことを考えていたら、フードを深くかぶった神官が牢の前に立ち、食事が乗ったトレーを牢の小物口から差し入れてきた。

 少なくとも生かしておくつもりではあるらしい。


「ご苦労だったな。お前は神官のようだが、今回のこと、クローディアは何と言っている?」

「……聖女様は……お前のようなものなどにかかずらっている暇などない……」


 妙にしゃがれた声の男だった。

 フードを深くかぶっている上に身をかがめ、上体を伏せているので顔を見ることはできない。


「クローディアは……この事態を知らないというわけじゃないだろう。学友の一人が姿を消し、俺が拘束されている。あのクローディアが心配をしないわけがない」


 俺の知るクローディアならば。

 性の悪い貴族連中が威張り散らすあの学園で、彼女はその垣根を易々と飛び越え、俺たちに新しい世界と価値観を見せてくれた。

 誰に対しても分け隔てなく優しく、意地悪をされても笑顔で許す慈悲深さを持っていた。

 そんな彼女の優しさや強さに、彼女をいじめる者は次第にいなくなっていった。マリアベル以外は。

 マリアベルは、あいつだけはずっとクローディアを見下し、面罵し、嘲笑い、身の程知らずの平民風情と馬鹿にし続けていた。


「聖女様には……なにも知らせる必要などない。……すべてはすべての美しくないものは……彼女の目に……耳に……ふさわしくない」

「クローディアには知らせていないというのか。だがマリアベルが消えたことも、俺のことも早晩知れるだろう。あいつは、クローディアは俺を解き放てと言うだろうな。アイツは優しい。友を見捨てる筈がない」

「……」


 男は舌打ちをしてトレーを置くと立ち去った。

 暫く待ってみたが、誰も来る様子はない。

 仕方なくトレーを受け取り、硬く黒ずんだパンをスープに浸し、口に運んだ。


「っ……ぐっ!」


 口に含んだ瞬間に感じた違和感に、思わずそれらを吐き出す。

 パンとスープ、それぞれの臭いを確かめ、ほんの少量ずつだけを口に含んで確かめる。


「遅効性の神経を麻痺させる毒……か。致死毒ではないが……」


 我がマーニュ家はいざという時の為、幼い頃から毒への耐性を鍛えさせられている。それはただ単に毒が効かなくなるように慣らすだけではなく、味の変化や臭いから毒の種類を判別し、適切な薬草を煎じるスキルまで求められるものだ。

 今回の毒は神経を麻痺させ、身体の自由を奪う性質のものだが、毒性は強くはなく、今口に含んだ程度の量なら殆ど俺の身体には影響は出ないだろう。

 しかし、目的がわからない。

 身体の自由を奪いたければ、此処に入れられる前のように手足を拘束し、解かなければいい。

 殺すつもりならば致死毒を盛るだろう。


「あのフードの男の単独行動……ということか」


 神殿兵は俺を拘束はしたが、処罰する権限を持たない。俺を牢に入れたのは俺に反発していた一般兵の不満を逸らし、あわよくば神殿側の権威を強めるのが目的だろう。

 つまり俺を殺す必要はなく、適度に王立軍と近衛騎士団の落ち度を責め、交渉できる材料として俺の弱みを利用する腹積もりだろう。

 とすればこの毒はあのフードの男が別の目的があって俺に盛ったと考えるべきだ。


「様子を見てみるか……」


 食事を食べた振りをしながら、牢の隅の厠に毒の入ったものだけ捨てる。その上で、毒が効いたふりをして床に転がった。

 うめき声を上げながら手足の末端を震わせる。

 しばらくすると廊下を近付いてくる足音が聞こえた。


「……効いているようだな。相変わらず意地汚い体力馬鹿め」


 しゃがれた声、目深に被ったフード。

 先刻の男で間違いない。

 男は鍵束を取出し、牢の戸を開けると中へ入ってきた。

 俺が動けないことを確かめるように靴先で軽く蹴ってきたが、それでも俺が動かず、苦しげな顔で見上げていると、フードの影から覗いた口元が笑みの形に歪んだ。


「くっ……ははははははは!! あっはははははははぁ!! ざまぁないな!! 学園一の剣士もこうなると芋虫……いや、虫以下だなぁ!!? 腐った床に転がりみっともなく呻くしかできないなんてなぁ??!」


 哄笑と嘲り。

 愉悦に満ちた声で笑いながら、男がフードを外し、その顔を露わにした。


「お前は?!」


 思わず普通に声を出してしまったが、悦に入っている男は気づいた様子も無く、俺を足蹴にし、踏みにじりながら笑い続けている。

 その顔は半分が焼けただれた痕に覆われ、赤く引き攣れた無残な様だったが、残りの半分は、俺のよく見知った顔だった。

 短く刈り込まれた深緑色の髪はかつては長く、緩やかに波打ってその肩にかかっていた。髪と同じ色の瞳は大人びた印象で、市井の情報にも詳しく、機知に富んだ軽妙な会話は、俺やミカエル殿下、クローディアをいつも楽しませていた。同年代の青年の中では華奢で中性的な美貌の持ち主だったが、多くの女性を惹きつけ、浮名を流す伊達男でもあった。


「レオナルド……?」


 かつての学友。ともに切磋琢磨し、知識を、魔法の腕を磨いた同級生。

 クローディアを中心にミカエル殿下とは恋敵でもあったが、それでも互いを認め合い、友と呼べる仲間の一人だった男。

 表向きは病気療養という理由で学園を辞したが、実際は実家の商会の金を横領した咎で実家へと連れ戻され、半幽閉されることになったとミカエル殿下に聞いていた。


「その……顔は……?」

「醜いだろう?! 醜悪だろう?! 社交界で数多の女性を虜にしてきた私の美貌が! 見るも無残に!! それもこれもあの女が私を陥れ、お前たちが私を見捨て、誰も彼もが私を貶めた所為だ!! 髪を失い、金も名声も失い、閉じ込められ、メイドを誑かして逃げた先でも裏切られ、かつて少し遊んだ程度の女に売り渡された! 顔と喉を焼かれ、玩具にされ、逃げて、逃げて、逃げて、神殿に逃げ込んだ! 名を捨て、最下層の神官見習いに身をやつし、馬鹿な祭司や巫女にこき使われ、奴隷のように扱われた!!」


 喚き散らしながら、レオナルドが繰り返し俺の身体に蹴りを入れてくる。

 正直痛みはそれほどでもない。元々力の強い男ではなかったが、学園にいた頃よりも痩せたその脚力による蹴りは俺からすれば弱々しく、腹に力を込めていれば容易に耐えられる程度の威力しかなかった。

 麻痺毒を盛ったのは俺が反撃できないようにする為、殺さなかったのは俺の意識がある状態でいたぶる為だったようだ。


「我が愛しのクローディアがが聖女に見出されたと知って運命を感じたが、こんな顔になってはもはや合わせる顔が無い!! すべてはあの女と!! お前らの所為だ!! お前らが!! 友と呼んでいたくせに私をあっさりと見捨てて!! お前らが、ミカエルが、父に取り成してくれていれば、私は実家に連れ戻されることも!! 髪を刈られることも!!! すべてを失うことも無かったのだ!!!」


 唾を飛ばしながら喚くレオナルドは火傷の無い半面だけを見ても、その顔は憎悪に歪み、かつての面影を失っていた。

 興奮している所為か、言葉の端々が支離滅裂ではあったが、学園からいなくなった後、何がこいつの身に起きたのかはだいたいは把握できた。

 要するに、逆恨みだ。

 確かにあの断罪事件のあと、マリアベルがレオナルドの父親に何かを働きかけ、結果としてレオナルドは実家へと連れ戻され、監視付きの軟禁生活に入る羽目になったが、その理由は、レオナルド自身が実家の商会の金銭に手を付け、違法に使い込んでいたことにある。

 ミカエル殿下も俺も、友人が犯した罪に驚きはしたものの、その罪状が揺るがぬ事実である以上、こいつの父親が下した罰に異議を唱えることなどできない。

 むしろ、ミカエル殿下の立場であれば、逆にレオナルドを厳しく糾弾せねばならない。

 学園内では友人であっても、レオナルドは王家に使える臣民であり、ミカエル殿下は王子なのだから。


「クローディアが聖女だったのなら彼女に金を使うことは浄財だ! 父上のような薄汚い商人が溜め込んでいた汚れた金を聖女の為に捧げ続けただけの何が悪い!!」

「それは因果が逆転している。あの頃はクローディアはまだ聖女ではなかった。たとえ聖女だったとしても、ヴィンツ家の財を動かす権限は当主と嫡男にあり、お前は手を出してはならない財に手を付けた、それは明らかなお前の罪だ」

「うるさいうるさいうるさい――――――!!! 脳筋馬鹿のくせにもっともらしい事を言って、お前などミカエルの腰ぎんちゃく、あの甘ったれ王子がいなければこの行軍でも偉そうな顔などできなかったくせに!!!」


 脇腹を靴底でぐりぐりと踏みにじられる。

 ガツガツと繰り返し踏まれたが、歯を食いしばって堪えた。

 レオナルドの方はぜえはあと肩で息をしながら、牢の格子に手をついて、それでも俺を足蹴にするのをやめようとはしなかった。


「っ……は……あまつさえ……クローディアに目を掛けられておきながら、あの売女を庇い、保護に護衛だと?! あいつは卑しく薄汚い軍の豚共に犯され汚泥と恥辱に塗れて地べたに転がされるべき悪女だ!! 性悪で!! 狡猾で!! 冷酷で!! 人を人とも思わない雌豚だ!!」


 息を切らせながら俺を蹴りつけていたレオナルドだが、とうとう体力の限界が来たのか、足元をふらつかせ、格子にもたれかかって、足を止めた。

 焼かれた喉で叫び過ぎた所為だろう、口の端からが血泡を吹き、血走った瞳を爛々と輝かせたレオナルドは、己の方がよほど獣じみた様相を呈していることに気付いていないのだろうか。

 何とも言えない気持ちで見上げていると、レオナルドはゆっくりと息を整え、懐から細身のダガーを取出し、狂気に満ちた表情でうっとりと微笑みかけてきた。


「ふふっ……痛いだろう? 苦しいだろう? 学園一の剣の使い手だろうが身体が動かなければウドの大木……。私のようは非力な腕にいたぶられ、さぞ悔しいだろう? その悔しさを存分に味わいながら死ぬがいい。お前を殺し、火急の知らせと称してあのボンクラ王子に近付いて殺す。あの女は最後の最後。私が味わった屈辱を全て、じっくりと味わわせながらいたぶり、弄び、野卑な男どもの玩具にし、尊厳も誇りも奪い尽してから獣の餌にしてやる」


 俺を蹴りつくして気が済むならこのまま放っておくかとも思ったが、流石にこの企みを聞かされては受け入れるわけにはいかない。


「言いたいことはそれだけか」


 そう言って立ち上がると、レオナルドが目を見開いて飛び退った。


「なっ……お前っ……どうして?!!」

「毒入りのスープなら飲まずに捨てたぞ。おかげでパンを硬いまま食べる羽目になった。口の中がパサパサだ」


 言いながらレオナルドの方へ一歩踏み出す。

 ひとまず取り押えて、ほかの神殿兵か、王立軍兵士を呼んでくるべきか。だが、下級兵士や神殿内部にもこいつの仲間がいるかもしれない。

 一瞬考え込んでしまったのが仇になった。

 レオナルドが藁の山へ手をかざした。


「伸びろ!!」


 詠唱とも言えない短い叫びに、藁の山から植物の蔓が伸びて飛び出してきた。

 虚を突かれ、飛びのいた隙に、レオナルドは先刻まで息を切らせていたのが嘘のように身を翻し、牢の外へ転がり出ると逃走したのだ。

 慌てて後を追う。牢のある建物は神殿の裏手に少し距離を置いて建てられている。その出口から飛び出した途端、足元の地面が消失した。

 地面に大穴が開いて、その中へと転がり落ちてしまったのだ。

 レオナルドの魔法属性は風と大地。先刻の植物を操る魔法もあいつの得意技だった。警戒して然るべきだった。

 臍を噛む思いで泥をかき分けて地上に這いあがった時にはレオナルドの姿は何処にも見当たらなかった。




「……俺は神殿兵をまとめている祭司に事の次第を報告したが、行軍に参加している神官にはレオナルドのような容貌の者はいない、と言われ、逆に虚偽の報告で牢を破ったことを誤魔化そうとしていると更なる罪状を上塗りされそうになったんで、王立軍の分隊長にだけ状況を説明し、神殿を抜け出した」


 エドアルドの話が終わり、わたくしは震えの止まらない身体を自分で抱きしめ、呼吸を整えた。


「レオナルド=ディール・ヴィンツ……」


 頭の中では、蛇の神殿で聞いた耳障りな声が響いている。


『髪など……また伸ばせばいいではありませんか?』


 涼しくなってしまった襟足に、悪寒が走る。


「あの……男が……」


 蹴られ、踏みにじられ、床に転がされたことも屈辱ではあったが、何よりわたくしの髪をズタズタにされた事への怒りと恐怖が全身を強張らせる。

 あの神官が、レオナルドだったなんて……。


「お前もレオナルドに会ったのか?! どこで?!」

「此処へ来る前に立ち寄った、古代魔道帝国時代からある神殿のひとつですわ。クローディアが言うには魔導帝国の神獣を祀った遺跡を神殿として利用しているとのことでしたけれど」


 わたくしがラフィに連れ去られた森の神殿でエドアルドが襲われ、あの蛇の神殿ではわたくしが暴行を受けた。


「けれど、蛇の神殿でも、神官たちの中にレオナルドはいませんでしたわ。クローディアもあのような神官は知らない。いつの間にかいたと言っていました」

「クローディアはレオナルドを見ても気づかなかったのか?」

「気づくはずがありませんわ。顔は仮面で隠し、声はしゃがれて見る影も無かったのですもの」


 蛇の神殿であったことを話すと、エドアルドは難しい顔をして黙り込んだ。

 おおかた、彼の中では未だクローディアへの幻想ともいうべき好意が捨てきれずに燻っているのだろう。

 そんな風に考えていたが、どうやら私の読みは外れたらしい。エドアルドはしばしの沈思黙考の後、至極真っ当なことを言ったからだ。


「やはりあの男には協力者がいるな。森の神殿から、マリアベルが会ったという蛇の神殿まで、あいつはあの目立つ容貌を持ちながら、行軍の中でその存在を隠し続けている。おそらくこの砦にもついてきて、神殿側の者の中に紛れ込んでいると考えた方がいいだろう」

「けれど、蛇の神殿を出たあと、行軍の中にあの男はいませんでしたわ」

「身を隠す為の協力者がいると考えるのが妥当だろうが……」


 己の恨みのみで動いているレオナルドに協力するようなもの好きがはたしているのだろうか。

 しかもその害意は高位貴族であるわたくしやエドアルドだけでなく、王子であるミカエル殿下にも及んでいる。

 協力するメリットは殆ど無いと言っていい。


「顔が元のままだったなら、女性が協力者で間違いないんでしょうけれど……」

「金……も今のアイツにはないだろうしな……」


 美貌を失い、資金も、資金源となるような女も失っている。行動の動機は逆恨み。


「協力者……もしくは、何者かがレオナルドを利用して何か別の企みの隠れ蓑にしようとしているのかもしれませんわ」


 いわばレオナルドは捨て駒というわけだ。


「そうなるとレオナルドの関係者の線から探るのは無駄足に終わりそうだな。……いずれにせよ、レオナルドがお前やミカエル殿下を執拗に狙ってくるならば、俺はミカエル殿下と……ついでにお前も守ってやる」

「たとえ片手間でも守ってくれるというならば感謝すべきなのでしょうね。……大いに不本意ではございますけれど」


 ラファエルがいない今、わたくしはわたくし自身の身を守る術が殆どない。防御魔法は得意だが、それだけでは万全ではない。実際レオナルドからの暴力をわたくしは防げなかった。

 エドアルドにとっては大したことが無いレオナルドの腕力も、わたくしにとっては反撃もできないほどの力の差がある。


「相変わらず可愛くない奴だな。そんな態度だから……」

「態度だから……何だというのです?」

「……いや、何でもない。結果としてお前は未だにミカエル殿下の婚約者であり続け、俺が仕えるべき主の伴侶となる女だ。片手間とは言わん。全霊を以って守るさ」


 そういうとエドアルドは立ち上がり、再びヘルムを被り、顔を隠した。


「この部屋にはジャヌカが護衛に就く。ミカエル殿下は軍議を行う会議室で寝泊まりすると言っていたから、今日はもう休むといい」


 そう言ってエドアルドは部屋を出ていった。

 わたくしはジャヌカが運んできた食事を共に食べ、寝台へと潜り込んだ。

 灯りを落とした薄暗がりの中、蛇の神殿で聞いたレオナルドの声が何度も頭の中で甦って、中々眠ることができなかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 忘れた頃にレオナルド 彼の落ちぶれっぷりより クローディアのビッチぷりと彼の狂気ぷりがダントツですね [気になる点] 恋は盲目とは言うがまさかこれほどとは 聖女にも謎が深まりますね なぜあ…
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