三十五話 涙と、偽りの、エトセトラ
「何をなさろうというのかしら? そんな物騒なものをお持ちになって」
鋏を構えたクローディアはニコニコと朗らかに笑っていて、それがかえって不気味で怖い。
神殿の封印と植木用に見える大きな鋏が何の因果があるというのだろうか。
生贄として命を取ろうというには逆に武器として小さすぎるし。
わたくしの懸念が伝わったのか、クローディアはきょとんとした後に慌てたように手を顔の前で振った。
その際手に持ったままの鋏がシャキンシャキンと音を立てて、かえって恐怖を煽る絵面になったが。
「誤解しないでね。危ない目に合わせるわけじゃないの。ただ、マリアベルさんの髪を少し分けてほしいなぁって」
ティータイムのおやつを分けてほしいとでもいうような軽い口調に、言葉の意味を理解するのに少し時間がかかってしまった。
「髪……わたくしの、髪、を……?」
「そうよ。この神殿の封印を解くために、光の魔力を帯びた髪が必要なの。マリアベルさんは魔法属性が光だったし、綺麗な金色の髪をしてるから映えると思うのよね」
神殿の封印とやらが何なのかはわからないが、魔法属性はともかく見栄えは関係ないのではないだろうか。
「それでしたらご自分の髪を使ったらよろしいのではないかしら? 確かあなたの魔法属性は光と水だったはず。黒髪では見栄えがしないとしても、魔力に不足はないでしょう?」
「もちろん私の髪を捧げてもよかったんだけど、イベントスチルで見た感じ、私髪が短いの、似合わないのよね。おかげでこのイベント以降のスチルがちょっと萎えだったし。だから光の魔力持ちなら他の子の髪でもいけるんじゃないかって思って試してみたんだけど……」
相変わらず早口で何を言っているのかわからないことばかりをブツブツと呟くクローディアは悩ましげに溜息をこぼしながら鋏をシャキシャキと鳴らしている。
正気の沙汰とは思えない様子に、じりじりと後ずさっていたら背後から現れた巫女服の女たちに掴まえられた。
両腕を拘束され、床に抑えつけられる。
髪を乱暴に掴まれて、痛みに悲鳴を上げそうになるのを必死でこらえた。
滲む視界を巡らせ、わたくしを押さえつけている巫女達を見れば、彼女たちの髪はザンバラに切り取られ、見るも無残な状態になっていた。
「なんて……酷い事を……」
「あら? 彼女たちは自ら志願してくれたのよ。この戦いの勝利の為、世界の為にって。ひと房ずつ光の水盤に捧げたらちょっと光ったから、聖女の髪じゃなくてもいいかもしれないってわかったんだけど、彼女たちの髪じゃあ水盤の光が全然足りなくて、仕方なく捧げる髪の量を増やして行ったらこうなっちゃったの。それでね、やっぱり光の魔力が弱い子の髪ではだめだって事になっちゃって」
「でしたらそれこそクローディアの髪捧げればよいじゃないの。聖女の髪なら一束落とせば事足りるのではなくて?」
「そうしても良かったんだけど~。この先私の魔力が絶対に必要になる場面がくるから、あまり無駄遣いしたくないのよね~」
勝手な言い分に腹立たしいと思っていても、掴まれた髪を振りほどこうにも、数人がかりで押さえつけられたわたくしに抗う術などなかった。
ニコニコと笑いながら鋏をシャキンシャキンと鳴らして近付いてくるクローディアに、せめてもの矜持として、怯えるような態度は見せるまいと、睨み付ける。
「平民の癖に髪に固執するなんて、身の程を見失ってるのかしら? お前如きの髪で世界が救えるだなんて世界も安くなったものね。いっそ丸坊主にでもなさったら? きっとよく似合っていてよ?」
「乙女の黒髪は残念ながら課金でも手に入らないレアアイテムなの。でも……脇役の、それも悪役令嬢の金髪なら代用品くらいにはなるでしょう?」
後ろから抑えつけてきていた巫女がわたくしの襟首を掴んで無理矢理立たされた。女の力にしては強すぎる腕力に違和感を覚え、振り返ると、その者は何故か顔を仮面で覆っていた。あの仮面の魔導師を思い出して一瞬身が強張ったが、すぐにあの魔導師ではないと分かった。
「此処で髪を切ってはもったいないでしょう。強い魔力を持つとはいえ、切った髪を余すところなく水盤に捧げるのであれば、水盤の上で刈り落としましょう」
放たれた声は低く、しゃがれた男の声だった。
おそらく喉が何かの薬品で焼かれているのだろう。抑揚を失い、発音も怪しくなっているが、その声音には隠しきれない憎悪が満ち満ちていた。
髪を掴まれたまま、神殿の奥へと連行される。
男はわたくしが躓こうが構うことなく引き摺っていく。膝を、脛を、石の床が皮を削り、血が滲んでも男の手は緩むことなく、私はまるでズタ袋のように引き摺られ続けるしかなかった。
クローディアはと言えば、
「マリアベルさんは大事なお友達だから、あまり乱暴に扱わないでね」
と口先だけの慈悲深い言葉を言いながら先頭を切って神殿の最深部へと弾むような足取りで駆けていく。
背後でその『お友達』がどのような扱いを受けているかなど、さして興味が無いようだった。
「ここが神殿の最深部よ。……表向きはね」
クローディアは鼻歌でも歌うような朗らかさで扉を開いた。
そこは広く、祭壇の奥は水で満たされていた。水は澄んでいるのに底が見えないほど深い。水全体が光を帯びているのか、室内は灯火もないのに明るかった。
祭壇の中央には大きな水盤があり、その中央から湧き上がる水が溢れて奥の水槽へと流れ込んでいく。
男はわたくしを引き起こすと、水盤へと沈めんばかりに上半身を押しつけた。
湧き上がる水が顔に降り注ぎ、鼻や口へも流れ込む。
溺死させられるのではないかとの恐怖でもがくが、男の力は強く、更には暴れる足を容赦なく蹴りつけられて抵抗する気力を奪われる。
鷲掴みにされた髪が力任せに引っ張られ、ブチブチと千切れるような音と痛みと皮膚が引きつれる痛みに悲鳴が零れる。
ジャキリと耳障りな音が響き渡り、髪を引っ張られる痛みが無くなった。
拘束が解かれ、床に打ち捨てられる。
げほげほと咽ながら見上げれば、水盤が光を放ち、金色の輝きを帯びた水が水槽へと流れ込んでいくのが見えた。
「わたくしの……髪が……」
手で触ってみれば、腰の上まであった筈の髪が、襟足の後ろでぶつりと途切れている。所々長く残っているのは、掴みきれていなかった部分の髪だろう。
植木でも切るような鋏で断ち切られた髪はズタズタで、結い上げることはおろか、ハーフアップにすることも難しそうだった。
高位貴族の淑女として、味わったことの無い恥辱に気が遠くなる。
「よくお似合いですよ。ロートレック、伯爵令嬢殿」
嘲笑と愉悦に満ちた男の声が癇に障る。
「その伯爵令嬢にこのような恥辱を味わわせたこと、後悔することになるわよ」
「恥辱……ですか」
男の声に怨嗟が滲む。
「たかが髪を切られたくらいで大袈裟な。……髪など……また伸ばせばいいではありませんか?」
怨念と愉悦でどろどろに塗り固めたような声音。ねっとりと絡みつくような喋り方。
「お前は……?」
その顔を覆う仮面に手を伸ばそうとしたところ、叩き落とされ、床へと蹴り転がされた。
脇腹へ靴先がめり込み、吐き気がこみ上げる。
「ちょっと! 乱暴はやめて! マリアベルさんは大切な仲間なんだから!!」
クローディアの言葉に男の靴先は止まったが、蹴られない代わりに足を踏みにじられた。苦い胃液が口の端から零れる。
「いい加減にして! あなたはもう戻って!! この先は私とマリアベルさんの二人で進むわ!」
駆け寄ってきたクローディアに支えられて立ち上がる。
一緒に行きたいなどと言った覚えはなかったけれど、ここに取り残された場合、仮面の男がわたくしをどのように扱うかは火を見るよりも明らかだったので、痛みと屈辱に震える身体を叱咤してクローディアの後に従うしかなかった。
「ごめんなさいね。さっきの人、神殿の魔法師らしいんだけど、聖女に信望するあまり、私以外の人にちょっと乱暴なところがあるみたいなの。悪気はなかったと思うから許してあげて」
「アレを悪気が無いなどと言えるお花畑頭がいっそ羨ましい限りですわね。許す気はないし、お前にもいつか報いを受けさせるわ」
「憎まれ口を聞く余裕があるなら元気な証拠ね。良かった。マリアベルさんには最後の神殿までちゃんとついてきてもらわなきゃいけないもの」
恨みを込めて毒づいても、気にした様子もないクローディアに手を引かれ、水槽の中央へと延びる通路へ進む。
水盤から流れ込んだ水は光を放ちながら水槽に広がり、水底から地響きを立てて何かが浮かび上がってきた。
「これは……扉……?」
「そう、これが本当のこの神殿の聖地へ繋がる道なの。マリアベルさんのおかげでやっと開くことができたわ」
薄っぺらい感謝の言葉と共に扉が開かれる。現れた通路には魔法による仕掛けが施されているのか、誰が灯したのでもなく明かりが煌々と灯っていた。
奥へと進むにつれ、背筋を覚えのある悪寒が這いあがってくる。
この感覚は……昨晩の……。
考えながら重い足取りで突き進んだ先に、一際大きな部屋があった。
「これは……?!」
部屋に入った瞬間思わず驚きの声が零れた。
そこには壁一面に紫色の鱗に覆われた長大な蛇のレリーフが埋め込まれていたからだ。
「これがこの神殿の神獣、アメジストサーペントを模した封印の間よ。この大蛇は魔導皇帝の城を守る結界の一翼を担っていたのだけど、結界を壊すために騎士王の兵によって殺されたの。魔導皇帝様と初代聖女はとても憐れんで、革命のさなかにも関わらず、彼をこの地に埋葬したのよ」
レリーフの周囲には長大な蛇に切りかかる、黒い鎧の兵が無数に描かれている。
「これが……騎士王の兵……?」
「魔導皇帝の初代騎士王は黒鋼の鎧で全身を包んでいたから、黒曜の騎士とも呼ばれていたのよ。そして繁栄に光り輝く帝都を下す為、闇討ちや神獣の虐殺を行ったの。歴史書ではそう言った不都合な描写は隠蔽されているのよ」
クローディアの声が震えている。
「可哀想な神獣……。魔導皇帝様にとても可愛がられて、頼りにされていたのに……」
悲嘆に打ち震えながら蛇のレリーフに取り縋る姿は慈悲深い聖女そのものに見える。
けれど、わたくしの頭の中ではクローディアの様子よりも気になることがあった。
「わたくしが見たのは……黒い鎧ではなかったわ……。あの者たちは……いったい……」
暫くの間、室内にはしくしくと鳴き声をぐずらせるクローディアの声だけが響く。
それを無視して、蛇のレリーフを注意深く観察した。
鱗の模様は本物のアメジストではなくガラス玉で模してあるようだ。
巨大さと、その滑らかな質感は今にも動き出しそうなほどリアルに作られている。
瞳の部分はどうやらガラスではなく本物のブルートパーズが使われているようだ。
何の気なしに近付いて、その瞳の縁に不自然な空きがあることに気付いた。ちょうど涙をこぼしたかのように鱗がひとかけら欠けている。
「この大きさと形は……」
そっとクローディアの様子を窺うと、彼女はまだレリーフの胴体に取り縋ったまま顔を伏せ、しくしくと泣いていた。ただ、その様子がどこか芝居ががかっているようにも見える。よく見ると顔を覆っている手が、頬の端を強く摘まんでいる。ねじるようにして力いっぱいつねっているので、相当痛そうだ。
何故そんなことをと思わないではなかったが、こちらを見ていない様子だったので、この隙にとポケットから昨晩獣に託されたアメジストの欠片を取り出す。
小さな欠片はまるで測ったかのようにレリーフの欠損にぴったりと填まった。
その途端、部屋全体が地響きを立て始める。
中央の祭壇が大きく二つに割れ、中から虹色に輝く剣が現れた。
「あの剣は……」
ぞわぞわと背筋を這いまわるわたくしの恐怖をよそに、クローディアがはしゃいだ声を上げた。
「やったわ! 神聖なる蛇の亡骸に清純なる乙女の涙が零れた時、神代の剣が解き放たれる! シナリオ通り!」
クローディアは先ほどまで泣いていたのが嘘のように晴れやかな笑顔で剣を手に抱え込む。
「これであとは風の神殿のルビーハルピュイア、氷の神殿のダイヤモンドタイタンの神具を手に入れれば真ルートベストエンドは確定だわ!」
はしゃぐクローディアを尻目に、わたくしは蛇のレリーフに目を戻す。
一見するとレリーフ自体には変化はないのだが、その口の部分、鋭い牙の模様に隠れた場所に小さな穴が開いている。
先ほどまでは開いていなかったから、今の仕掛けが動いた時に開いたのだろう。
まるで蛇の口の中に手を突っ込むようで、気が引けたが、不思議と恐怖は感じなかった。
たとえあの蛇が生きて目の前にいたとしても、わたくしを噛むことはない。何故かそんな気がしたからだ。
「これは……」
蛇のレリーフの喉奥から出てきたのは鱗の欠片同様ごく小さな、白くとがった牙の欠片だった。
これが何を意味するのかは分からなかったが、あの獣といい、この蛇といい、わたくしに何かを託そうとしている事だけはわかったので、クローディアに見つからないうちにそっとそれをポケットへと滑り込ませた。
「さあ、神剣を手に入れたらもうこの神殿には用はないわ! 明日にでも次の場所へ出発よ!!」
先ほどまで蛇の事を悼んでいたとは思えない切り替えの早さで、クローディアが弾む足取りで隠し部屋を後にする。
その後ろに続きながら、そっと隠し部屋の出口で振り返った。
レリーフの蛇と目が合ったような気がして、そっと死者を悼む祈りの言葉を唱えた。
「……すべてが終わったら、また会いに来ますわ」
壁の鱗をそっと撫でる。
偽物の感触は、それでも在りし日のひんやりとした触り心地を彷彿とさせた。
引かれる後ろ髪は既になかったが、それでも後ろ髪を引かれる思いに駆られつつ、わたくしを呼ぶクローディアの後を追った。
翌日、聖女一行は慌ただしくも次の目的地へと向けて行軍を開始した。
聖女の身の回りの世話をする巫女や神殿兵、国軍の兵が整然と列をなして出発したが、その数は最初に狼の神殿にいた時より三割以上減っていた。
脱走したものや、体力の限界を理由に神殿に残る者が多数いたためだ。
そうして出発した一行の中で、どれだけ探しても、あの時わたくしの髪を切り落とした仮面の男の姿を見つけることはできなかった。
「あの神官? さあ? 私もこの神殿に来て初めて見たからよくは知らないの。でも声はガラガラだし、気持ち悪いお面してるし、私のことやたらと熱のこもった視線で見てくるし、いなくなったのならちょっとホッとしちゃったかも。マリアベルさんだって怖い神官がいなくなったのなら安心でしょ?」
何処にも見つからないということは、いなくなったのではなく、身を隠している、という可能性が高く、その方が見える位置で憎しみを露わにされているよりも遥かに不気味で危険だとは思ったが、クローディアに行っても無駄な事と思い、それ以上追及するのはやめた。
そうして途中途中の道でも行軍は人数を減らしながら、風の神殿に着いた時には最初にいた人数の半数にまでなっていた。




