三十二話 ゆうじょうこうさくエトセトラ
暑いですね。皆様も熱中症にはお気を付けください。
不測の事態で本来の部隊編成が崩れてしまったとはいえ、小部隊長や兵卒が戦歴が長いものが多かったことが幸いして、軍営はさしたる混乱もなく野営地を設営し終えた。
わたくしは女性兵士の小部隊の天幕に入れてもらうことができた。
携帯食の堅パンをスープに浸しながら口に運ぶ。
「ロートレック伯爵令嬢はこのような粗食はもっと厭われるかと思っていました」
浅黒い肌に亜麻色の髪の女兵士が意外そうにわたくしの食事風景を見ながら話しかけてきた。
確かに軍の糧食として支給される食糧はお世辞にも美味とは言い難い。
パンは保存のために硬く、水分を飛ばしてあるのでスープに付けて柔らかくしなければいけないし、そのスープも塩気が強く、具は干し肉と芋だけ。
王宮や伯爵邸で出される食事とは比べるべくもない粗食ではある。
けれど不思議と不味いとは思わなかった。
「……黴が浮いたり腐っている訳ではないのですから充分ですわ」
ふとそんな返事が口を突いて出た。
女兵士は一瞬目を丸くした後、相好を崩した。
「伯爵令嬢もご冗談を仰るんですね」
そう言って愉快そうに笑っていたが、わたくしは自分がなぜそんなことを言ってしまったのか、分からず手の中のパンを見つめた。
生まれてこの方黴の生えたパンや腐った食材など、口にすることはおろか、見たことさえない筈なのに。
黴と埃と、血と、煙、暴力。
一介の貴族令嬢には本来一生縁がない筈の事柄が、今はこんなにも身近に迫っている。
「……王都は大丈夫かしら」
家族や友人、王家の方々の顔が浮かんでは胸が締め付けられる。
思えばこんなにも離れたことなど、これまでなかった。
「黒い霧の中の様子は今のところ手がかりがなく、王立軍は周囲を囲んで少しずつ斥候を送り込んではいるようですが……」
霧の中へ突入した斥候からの連絡は途絶え、現状は打つ手がなくなっていると女兵士は悔しげに柳眉を逆立てた。
「食事がすんだらロートレック様はお休みになってください。明日には最初の目的地である神殿に着くでしょう」
「あなたは……?」
「私はこれから不寝番の任がありますので。夜半には交代で戻ってきますから先に休まれててください」
女兵士はそういうと天幕を出ていった。
数人の女兵士と共に簡易寝具に身を包んで横になる。
歩き疲れた身体に睡魔が訪れるのは早かった。
「お嬢様! 起きてください!! 敵襲です!!」
荒々しく揺り起こされ、一瞬自分がどこにいたのか分からずに困惑したが、寝具から引っ張り出され、意識が覚醒する。
「敵とは?! 魔獣ですの?」
「そのようです! 今野営地の外周で兵が交戦中です!」
飛び起き、外套を羽織って天幕を出る。
「こちらへ!」
兵士に案内されるまま、交戦中の区域から離れた奥へと急ぐ。
野営地の最奥には聖女の天幕がある。
ひとまずそこへ避難せよという事のようだ。
「聖女様! おやめください!! 外に出てはなりません!!」
聖女の天幕が見えてきた所で、何やら騒ぎが聞こえてきた。
どうやら天幕の出入り口で誰かが押し問答をしているらしい。
見ればそれはクローディアだった。
「大丈夫だから行かせてください! これは必須イベントなの!!」
「魔獣は兵士たちがすぐに掃討します。危険ですから戦闘区域に近付いてはいけません!!」
巫女と揉みあいになっていたクローディアがこちらに気付いて顔を上げる。
「マリアベルさん! なんでこっちに逃げてきたの!?」
「何でって、魔獣の襲撃があったのですから戦闘員でない者が安全な場所に避難するのは当たり前でしょう」
「これじゃあ予定が狂っちゃうじゃない。まあいいわ。一緒に来て頂戴!」
腕を掴まれ、来た道を戻るように引っ張られる。
踏みとどまろうとしたが、クローディアの力は思っていた以上に強く、わたくしは引き摺られるようにしてその後を追うしかなかった。
暗い森の中、半ば引きずられるように連れて来られたのは小さな池の畔だった。
「こんなところに連れて来て、いったいどういうつもりですの? 魔獣が襲ってきているというのに」
「それなら大丈夫よ。見周りの兵士と神殿兵が追い払ってくれるから」
確信を持っているかのような返事に疑問を覚えたけれど、指摘する暇はなかった。
ガサリと池の対岸の茂みが割れ、銀灰色の巨大な狼が姿を現したからだ。
「魔獣!?」
「違うわ、似ているように見えるけど、あれは神獣よ。魔導皇帝の城を四方から守護していた伝説の四神獣の一頭、白狼の魂が顕現した姿なの。魔導皇帝を守り切れなかった無念に駆り立てられて度々私のところに現れるの。これが出たって事はトゥルールートの証だから、ここからは選択ミスは許されないの。神獣と心を通わせ、真実を暴いて世界に正しい歴史と愛を甦らせるんだから!」
「早口で何言ってるか全く分かりませんわ! そんな事よりも早くここから離れないと、池の向こうにいるとはいえ、飛び越えてこないとも限りませんわよ!」
クローディア曰くの神獣とやらは牙を剥き出しにして、今にも池を渡ってこちらへと襲い掛かって来そうに見える。
「大丈夫よ! 『何があってもマリアベルさんのことは守って見せるから!』」
「え……?」
幻聴だろうかと思ってクローディアの横顔をまじまじと見つめ返してしまう。
わたくしを囮にでもして自分だけ逃げるのならばともかく。
「あなたが……わたくしを、守る、ですって?!」
「マリアベルさんには嫌な事もいっぱいされたけど、それでも同じ学園の仲間だから! 私、『あなたともお友達になりたいの』」
必死で言い募る、クローディアの口に扇子を叩きこみたい衝動をこらえつつ、状況を確認し、態勢を整える。
「……あなた如きに守ってもらうほど落ちぶれていなくってよ。でもそうね。ここは共同戦線、ということにしてあげてもよろしくてよ」
そう言うと、クローディアは何故かしてやったりという笑みを浮かべ、わたくしの前に立った。
「じゃあマリアベルさんは万が一の為の防御魔法を展開して、私はあの神獣と対話するから!」
言われたとおりにいばらの柵を展開し、神獣の襲撃に備える。
そうしてクローディアの影から神獣を観察してみた。
星明かりの下で銀灰色に見えた毛並みはよく見ると少しミルク色がかって見える。
明るい日の光の下で見たらまた違う色に見えるのかもしれない。
炯々と光る眼は血のような光彩を持っていて、対話できる理性を宿しているようには見えなかった。
「『白狼、私がわかるでしょう? 怒りに飲み込まれてはだめ。私の目を見て!』」
クローディアがどこか芝居がかった口調で神獣へと呼びかける。
神獣は聞こえているのかいないのか、唸り声を上げながらじりじりと池の方へと近づいてくる。
「……通じていないのではないかしら?」
「そんなことないわ。大丈夫よ」
言い返すクローディアの声が少しトーンダウンする。
まるで何かを確認するかのようにブツブツと呟いていたかと思うと、懐からペンダントのようなものを取り出した。
「そうだ! これを見なさい! これで私が聖女だってわかるでしょ! あなたの大事な聖女様よ!!」
しゃらんとチェーンが微かな音を立て、その先で雫型のガラス玉が揺れる。
表面には細かな文字が刻まれているのが見えたが、判読まではできなかった。
その時雲間から月の光がそのペンダントへと降り注いだ。
反射した文字が池の水面に投影される。
「あれは……古代の魔導文字……」
学園の王族専用書庫の奥に、打ち捨てられるように置かれていた古文書でしか見たことがない、魔導帝国時代の文字だ。
それを見せられた神獣が動きを止める。
唸りながらも池の手前で右往左往したかと思うと、踵を返し、森の奥へと消えていったのだ。
「今のは……いったい……」
「はぁ~、つっかれたぁ。マリアベルさん、それじゃあ戻りましょ!」
クローディアは一仕事終えたという顔でニコニコとわたくしへと手を差し出してきた。
その手を無視してきた道へと向かう。
「ちょっと、守ってあげたんだからお礼ぐらい言えないの!?」
クローディアの言葉に溜息を吐いて振り返る。
「守ってもらった? 勝手にこんなところまで引き摺ってきたのはどなたかしら? このような野蛮な真似を聖女様ともあろう方がなさるだなんて、神殿の格が問われますわね」
そもそもこんなところまで来なければあの神獣に遭遇することもなかっただろう。
おまけに本隊が魔獣に襲撃されているというのに、適切に避難し、護衛の指示下に留まるべきところを抜け出してきているのだ。
その所為で今頃指揮系統が混乱しているかもしれない。
「そんなの、本当ならマリアベルさんを探してあの場所にたどり着く筈だったんだもん」
「……どういう意味ですの?」
頬を膨らませたクローディアの言葉に、思わず問い詰める。
クローディアは一瞬しまったという顔をしたけれど、すぐにそっぽを向いて本隊のいる方へ駆けだした。
「知らない知らない! 無事済んだんだからいいでしょも~~!!」
森の中だというのにひらひらの浄衣を引っかけもせずに駆ける様は妖精のようだ。
「妖精は……古来より人を惑わす黒妖精と、善を成す白妖精がいると言いますけれど、アレは絶対に前者ですわね」
連れて来ておいて、置いていくなど、わたくしが道に迷って消息を断ったらどうするつもりなのか。
むしろそれが狙いだったのか。
だとしたらあまりにも短慮で後先考えない策だと思うけれど。
一応クローディアに引っ張られた時からここまで蔓薔薇を伸ばしながら来たので迷う心配はない。
戻ったらあの女兵士に迷惑をかけたことを謝らなくては、と思いつつ、足を踏み出した時、唐突に背後の空気が動いた。
「っ!!?」
ぐるる、と獣が唸る声が頭のすぐ後ろから聞こえた。
生臭い風が吹き、首筋の産毛がぞわぞわとそそけ立つ。
「……っ」
息をつめ、恐る恐る後ろを振り返った瞬間、おぞましい気配は掻き消え、ただ静かな暗い森が視界いっぱいに広がっていた。
「今の気配は……いったい……」
鳥肌の立った腕をさすり、今度こそ本隊のいる方へと足早に駆けだした。
本隊へ戻ると、なぜかわたくしが聖女を連れ出したということにされていて、巫女達から厳しく問い詰められる羽目になった。
翌朝、寝不足の身体を引き摺るように隊列は進み、日が落ちる前に第二の神殿へと一行は足を踏み入れたのだった。




