表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/47

第二十九話 迫りくる脅威とエトセトラ

そろそろ生存を疑問視されてそうですね。社畜は生きてます。ただし夏休みとお盆は存在しません。

第二十九話 



 宝石のような人だった。

 花のような人だった。

 人形のような人だった。


「今日からこの子がお前の従者になる。護衛役も兼ねているから常に傍に置くように」

「今日からお前がわたくしの従者なのね。こちらへいらっしゃい」

「今日からお嬢様のお傍で仕えさせていただきます。何なりとお申し付けください」

「今日から君も僕のお友達だよ。さあ、おいで。甘いお菓子をあげよう」


 笑顔をくれる人だった。

 ぬくもりをくれる人だった。

 生きる意味をくれる人だった。


「今日は薔薇園に参りましょう」

「今日は王宮へお供致します」

「今日は東方のお茶にしてみました」

「今日は一緒に外へ出てみよう」


 ずっと傍にいる人だった。

 いつか別れる人だった。

 近付くことなどできない人だった。


「今日もミカエル殿下が無茶を仰るの。困ってしまいますわ」

「今日もお嬢様が楽しそうで何よりです」

「今日も書庫へ籠られるのですか?」

「今日もいい天気だね。何をして遊ぼうか?」


 春の陽だまりが似合う人だった。

 月明かりが似合う人だった。

 満天の星が似合う人だった。


「明日は何をしましょうか?」

「明日は何処へ行かれますか?」

「明日はどなたにお会いしますか?」

「明日は…………きっといいことがあるよ」


 守るべき人だった。

 助けたい人だった。

 出会ってはいけない人だった。


 救うと決めたひとだった。


「わたくしはロートレック伯爵家の娘ですもの」

「ボクはピサロの家に生まれた者ですから」

「俺はあなたの為にここにいるんですよ」


 いつだって恋しい人だった。

 何よりも大切な人だった。

 誰よりも愛おしい人だった。


 ひたすらに眩しくて、光そのものだった。


「お手をどうぞ」

「手を貸してくださる?」

「この手をお取りください」


 繋いだ手は小さく、柔らかだった。

 縋った掌は大きくて力強かった。

 頭を撫でる手は優しくて、いい匂いがした。


 掴んだ手はいつだってすり抜けていった。 




 目を開けると、埃っぽい天井が目に入った。

 何か夢のようなものを見ていた気がする。

 幼い頃の夢、自分ではない誰かの夢、いくつもの声が交錯する言葉の海を揺蕩たゆたって、最後に見覚えのある門の前へとたどり着く夢。

 けれどその先へ進む前に目が覚めたのだ。


「……ここは……いったい……?」


 ゆっくりと視線を巡らせる。どうやら自分は寝台らしきものに寝かされているのが分かった。

 寝心地はお世辞にもいいとは言えないが、遠征軍の天幕で薄い毛布にくるまって床に寝ていたのに比べると雲泥の差だ。

 寝台の横には簡素な木のテーブルとイス。テーブルの上には水差しが置かれている。

 それを見て、意識を失う直前に起きた出来事を思い出した。


「わたくしは……っ!」


 身体を起こすと少しだけ眩暈がしたが、薬の影響はほぼ抜けているようだ。

 服は意識を失う前のまま、手足も拘束などはされておらず、問題なく動く。


「何故……」


 呟いた時、ドアが開いて、わたくしの疑問に応えられる唯一の人物が現れた。


「お嬢様……お目覚めになられましたか」

「ラフィ……どうして……?」

「お身体の調子はいかがですか? 痛いところなどはございませんか?」


 わたくしの問いかけには応えず、ラファエルは気遣うようにわたくしの様子を確認し、手に持っていたお盆をテーブルに置く。


「お食事をお持ちいたしました。粗食ではございますが、お許しください。毒見は済んでおります」

「そのような言葉を信じられると思っているの?」


 硬い口調で返せばラファエルは困ったように眉尻を下げた。

 まるでわたくしの方が我儘を言っているかのような態度だ。


「どうか召しあがってください。ご心配ならもう一度毒見を目の前でさせていただきます」

「お前は……何を考えているの……? ここは何処? 誰の命令でこのような真似を?」


 目が覚めて最初に浮かんだのは、お父様の命令かもしれないということだった。

 お父様はわたくしが遠征軍に参加することに難色を示していらっしゃったから、戦局が激化したのを機にわたくしを戦場から連れ出すように言われたのかもしれない、と思ったのだ。


「……誰の命令でもありません。これはボクが一人で決めて、勝手にやってる事なんです」

「どういうことなの?」

「お嬢様をお守りする為です。その為には、お嬢様には暫くここで隠れていてほしいんです」


 ラファエルの表情は嘘を言っているようには見えない。ただ、何かを隠してはいる。そう思えた。


「暫く、とはどのくらい? お前の言っていることから察するに、わたくしが狙われているかのようだけれど、今更ではなくて?」


 そもそもこの行軍中に何度も危機に陥った。その度にミカエル殿下やラファエルに助けられてはいるけれど、だからといって行軍の最中から連れ出してこのような場所に匿うのはやりすぎではないだろうか。

 下手をすれば行軍中の逃亡との誹りを受けかねない。


「あの状況ではエドアルドにも誤解を受けてしまうわ。ミカエル殿下のことも心配だし、軍へ戻りましょう?」

「戻っては駄目です!」


 急にラファエルが大きな声を上げたので、驚いてその顔を見返す。

 細面の顔は青ざめていて、何か尋常ではない様子だった。


「ラフィ、どうしたというの? いくらあの行軍にクローディアがいて、更には何ものかがわたくしを貶めようとしているのだとしても、わたくしにはやるべきことがあるわ。だから戻らなくてはならないの」

「駄目です。あのまま行軍を続ければ……あなたは……っ! いえ、とにかく、お嬢様が危険を冒してまであれについて行く必要なんてありません。すべてが終わるまで、お嬢様は此処にいらしてください」

「だから、そのすべてとは何のことなの? それにお父様にも無断でこのようなことをしていると知れたらいくらお前でも……」


 ラファエル以外にも、通常の正規兵の中にもお父様の息のかかった者は多く存在する。

 彼らにも無断でわたくしを軍から連れ出したのだとしたら、その行いはお父様に報告が飛んでいるだろう。

 主家の娘を拐すなど、いくらこれまでの働きが高く評価されていたとしても、許されるとは思えない。


「旦那様は……現在安否が不明でいらっしゃいます」


 室内が沈黙で満たされた。

 ラファエルの言い放った言葉を理解するのに、時間がかかった所為だ。


「なん……で……すって……?」

「現在王都一帯が黒い霧状の結界に覆われ、周辺一帯に魔獣の群れが発生、王都に近付くことはできない状況になっています。国王陛下及び王室ご一家、宰相閣下ご一家、並びに我がロートレック家の皆さまも現状どうなさっておられるか窺い知れない状況になっています」


 全身の血の気が引くとはまさにこのような感覚なのだろう。

 指先が凍り付くように冷たくなっていくのを感じて背筋が震える。


「それだけではありません。国内の主要な街道、関所近辺でも魔獣が同時多発的に大量発生し、魔獣討伐の遠征軍は現在分断されており、各地で交戦中です」

「クローディアは何をしているの?! 魔獣を鎮めるための聖女ではなかったの?!」

「森の神殿で近衛騎士団と共に立往生しているようです。騎士団内で王都奪還を最優先とする派閥と、森の深部にある最古の神殿を目指し、魔獣に対抗しうる光の女神の加護を得てから動くべきだとする派閥で争っているようです」


 最古の神殿と呼ばれる神殿には光の女神クロノアの聖遺物が奉られている。

 それゆえか、神殿一帯には魔獣が発生したという報告はなく、太鼓から変わらぬ清浄さを保っていると神官たちが自慢げに語っていた。

 今回の遠征では各地の浄化と魔獣の発生源の封印を巡ったのち、最後に国土全体の加護を祈るために聖女がそこへも巡礼し、国の加護を祈る予定になっていた。


「最古の神殿に魔獣に対抗しうるような加護を得る方法があるのならむしろ最初に巡礼しておくべきだったのではなくて?」


 そう疑問に思って祭司長のジョシュアに尋ねてみたが、神官たちは今回の遠征程度で女神の御座所を騒がせるわけにはいかないなどとよくわからない理屈をこね回し、討伐終了後に神殿兵と聖女のみで巡礼すると言っていたのを覚えている。


「結果として魔獣に追い詰められた挙句、騎士団も巻き込んで女神の御膝元へと逃げ込む相談をする羽目になっているのね」

「神官はみな、魔獣の増加は魔導皇帝復活の兆しに違いないと怯えています。その所為で近衛騎士団も浮足立っているようです」


 そもそも近衛騎士団は平和な王都の、それも王宮近辺の警護が主な仕事で、今回は聖女の周辺だけを警護していればよいだけの任務だったのだ、それを突然魔獣相手の実戦を余儀なくされた挙句、頼る筈だった王立軍とも分断されたのだ。

 浮足立つのも仕方ないのかもしれない。


「ミカエル殿下とエドアルドはどうしているの?」

「第二王子殿下は北部の王立軍との合流後、分断された街道を迂回して近衛騎士団との合流を図っているようですが、状況は芳しくありません。……エドアルド様は……神殿兵によって勾留状態にあります」

「どういうこと……?」

「ボク達の逃亡を幇助した疑いが掛けられているようです」


 言われてみればエドアルドはミカエル殿下に代わってわたくしを監視する立場にあったのだ。

 それを目を離した隙にラファエルによってわたくしが連れ去られた―状況的にはわたくしとラファエルが共に逃げた―とあっては、責任を取らされる羽目になるのも頷ける。


「いくらエドアルドでも濡れ衣を着せるわけにはいかないわ。ラファエル、わたくしを元の部隊へ連れて戻りなさい」

「聞けません。エドアルド様にはボクから謝っておきます」


 ここで再び押し問答が始まってしまった。

 ここを出て、元いた部隊に戻りたいわたくしと、絶対にここから出さない構えのラファエル。

 互いの意見は平行線で、その上ラファエルは決して理由を話そうとはしないのだ。


「ラファエル・ピサロ、このままわたくしに逆らうということがどういうことか分かっていないようね?」

「十分に承知しております。すべての罰は後々お受けいたします。今はボクの言うとおりに此処にいてください」


 こうなったら、無理やりにでも押し通るしかない。

 けれど、いくら集中しても、魔力が湧き出てこない。


「この建物全体に魔法封じが施されています。魔法が使えない以上、純粋な体術でボクを抑えるのは不可能です。諦めてください」


 それで諦められるような性格なら、そもそもこんな行軍に参加などしていない。

 学生部隊に支給品として着ていたワンピースのポケットの中身は既に抜き取られている。

 けれども、流石に懐奥の下着に挟みこんでいた物までは気づかれなかったようだ。

 素早く抜き取ると爪で指先を掻き切る。

 光を放つそれを床へと叩きつけた。


「魔法封じの結界は魔力を練りあげるのを阻害する術。既に練りあげられた術符には効果がない!」


 おびただしい光が弾け、ラファエルの目を眩ませる。

 そして光を避けるようにラファエルが手をかざした瞬間、術符から飛び出した蔓薔薇がその腕を縛り上げた。

 さらに蔓薔薇はラファエルの全身を縛り上げる。

 いつものラファエルならこんな単純な手には引っかからなかっただろう。

 ラファエルは何かにひどく動揺して、怯えていた。

 それが何なのかは、軍に戻ってみればわかるのかもしれない。


「暫くそうしていなさい。1日たてば解けるわ」


 そう言い置いて出口へと向かう。


「だ……駄目です!! 行ってはいけません!!」


 ラファエルがもがきながら必死に追い縋ってくる。

 そんなに暴れては蔓薔薇が喰い込むだろうに、お構いなしに足元へと掴みかかってくるのだ。


「暴れてはお前が怪我をするわ。じっとしていなさい」


 その手を振りほどき、ドアを開ける。部屋を出たわたくしの背中にラファエルの悲痛な叫びが突き刺さった。


「駄目です!! 行けばあなたはあの人に殺されてしまいます!!」


 その言葉はまるで断定するような、実際にその場面を見て来たかのような強い響きを持っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ