第二十話 弾む会話のエトセトラ
一見和やかな雰囲気で晩餐会は進んでいく。
季節の話に始まって、流通の遅れによる王都の経済の乱れのこと。
会話の中心にいるのはルーベンス侯爵とノワール宰相。
国王陛下は鷹揚な態度で話に耳を傾け、時折ギュスターヴ殿下へと政策、対応がどうなっているかをお訪ねになる。
当たり障りない受け答えをする王太子殿下は傑物ではないが、落ち着いた後継者として周囲に好感をもたれているのが分かる。
わたくしはと言えば、殿方の会話に割り込むことはせず、愛想よく耳を傾けている風を装いながら、クローディアや他のご婦人、令嬢方を観察していた。
皆様もわたくしと同様に必要に応じて相槌を打ち、質問をされれば教養ある返事を返している。
クローディアも学園で学んでいる程度のことであればそれなりに応えてみせるし、全く知識にないことを尋ねられれば隣の神官が適宜フォローを入れているため、何とか会話についてきているようだ。
「……(この場で例の書物についてギュスターヴ殿下に尋ねるのは得策ではありませんわね)」
ならばクローディアに魔流紋の相手の件を聞きだすかとも考えたが、ミカエル殿下の傷を抉るような真似は今はしない方がいいだろう。
落ち着いて見えるが、未だにクローディアの事が吹っ切れたわけではないだろうから。
クローディアは今白い手袋を付けているが、神殿に仕える者は俗世での人間関係やしがらみによって差別を受けないという教義のため、既婚未婚を問わず肌の透けない手袋を着用すると聞いたことがある。
また、歴史書を紐解いてみれば過去に夫のあった女性が聖女に認定された例もあったので、クローディアを処女ではないかもしれないという理由で糾弾することはできないだろう。
貴族令嬢ならばともかく、平民はそこまで貞淑を求められないと聞いたこともあるし……。
そんなことを思いながら観察していると、クローディアが何やらそわそわしているのに気が付いた。
料理を見つつ、周囲の男性陣の様子を見ながら、何かのタイミングを測っているように見える。
男性陣は気づかず、今回の遠征の経路などについて話している。
いったい何をするつもりなのだろうかと伺っていたところ、思いもよらない方向から声が上がった。
「きゃっ! あぁっ……も、申し訳ありませんっ!!」
声のした方向を見ると、アルフォンヌ嬢が真っ赤な顔で謝っている。見れば、料理に付け合されていた丸くカットされた野菜を転がしてしまったらしい。上流の晩餐の席ではなかなかの失態だ。
目には涙まで浮かべて、今にも消え入りそうになっているアルフォンヌ様に、パートナーであるオーギュストが優しく慰めを口にする。
「アルフォンヌ嬢、大丈夫です。社交界に不慣れなうちは誰にでも失敗はあるものです。ああ、そんなに泣かないで。陛下も殿下方もあなたを怒ったりなさいませんよ」
オーギュストの言葉に促されるように、国王陛下は鷹揚に頷くと、給仕にちらりと視線をお寄越しになる。すぐさま召使が零れた野菜を回収し、汚れたテーブルクロスを隠すように、フィンガーボウルなどを配置し直した。
「アルフォンヌ嬢、俺もオーギュストと同意見だ。はじめのうちは失敗も学びの一環だ。次から気を付ければ大丈夫だ」
ミカエル殿下も穏やかな笑みを浮かべてフォローなさる。無駄にキラキラした微笑みに、アルフォンヌ嬢の頬が羞恥以外の感情で赤く染まったが、致し方ない事だろう。
そんなことを思いつつ、横目でクローディアを見ると、なぜか怒りに満ちた形相でアルフォンヌ嬢を睨み付けていた。
マナー違反に対して激怒できるほどクローディア自身のマナーは完璧でもないのだから、アルフォンヌ嬢の失敗にそこまで目くじらを立てる必要は無いと思うのだけれど……。
思わずクローディアの様子に注目してしまった為、彼女の方もわたくしの視線に気が付いたらしく、すぐに表情を改めて、無邪気そうな笑みを浮かべてみせる。
わたくしは彼女から視線を外し、アルフォンヌ嬢を改めて見返してみた。
クローディアはアルフォンヌ嬢の何にそこまで怒っていたのだろうか。
わたくしの疑問をよそに、オーギュストがアルフォンヌ嬢へと話題を振る。
「そういえばアルフォンヌ嬢はラ・クロワ領の領境に近いミューズ地方のご出身でしたよね? 確か農業が盛んで風光明媚な山々も多い……」
「は、はい。私の父の治める一帯は果樹栽培が盛んで……今宵のお料理にもいくつか献上させていただいておりますの」
アルフォンヌ嬢は緊張につかえつつも一生懸命にオーギュストの質問に答えている。
オーギュストもにこやかに受け答えしつつ、話を盛り上げ、時に陛下に、時にルーベンス侯爵や、父親であるノワール公爵に話を振っては場を盛り上げる。
その様子から、オーギュストが彼女を陛下やほかの高位貴族に売り込むために連れてきたのだろうということは察せられた。
結婚相手を探してというよりは、その知識や教養を活かし、王宮でなにがしかの役職に据えたいと考えているようだ。
ラ・クロワ地方の領境ということはクローディアの出身地に近い地域の出ということだけれど、何か関係があるのだろうか。
クローディアと面識があるようには見えなかったし、オーギュストの推薦ということであれば少なくとも彼女の味方ではないのだろうけれど。
アルフォンヌ嬢の話が地元で教育の普及のための事業を起こしているという話に及んだとき、カシャーンと澄んだ音が会話に割り込んだ。
「ご、ごめんなさぁい」
クローディアが瞳を潤ませて謝っている。彼女の前には倒れたゴブレット、幸い中身が少なかったらしく、テーブルクロスの染みも大きくはない。
二度目ということもあり誰も何も言わずとも給仕がすぐに片付けた。
「お話の邪魔をするつもりは無かったんです。私、晩餐会なんて初めてだから……」
青褪めて今にも泣きそうに瞳を潤ませるクローディアは先ほどのアルフォンヌ嬢と被って見えて、何か引っかかるものを感じた。
そんな彼女に先ほどと同じくオーギュストがニコニコと声をかける。
「気を付けてくださいね。それで、アルフォンヌ嬢、先ほどの事業について質問があるのですが……」
オーギュストは軽く労いの言葉をかけるとすぐに話を戻した。
オーギュストにしてはクローディアに優しいなと思ったが、そうではなかった事にはすぐ気づいた。
彼が慰めの言葉から流れるように会話の流れをアルフォンヌ嬢に戻したので、彼以外の者はクローディアに言葉をかける隙が無く、そのまま元の会話へ戻ってしまう。
それを見て。クローディアの顔に愕然とした表情が浮かぶ。
「……なるほど。そういうこと」
扇をひらめかせて会話に参加している振りをしながら、クローディアの様子に注意していたわたくしは、彼女が何を狙っていたのか、そしてその企みが失敗に終わった事を理解した。
おそらく彼女はわざとゴブレットを倒したのだ。失敗をすることでこの場の注目を集め、物慣れぬ様子で同情を引き、会話の中心に割り込む算段だったのだろう。
けれど、先を越されたのだ。
晩餐会や舞踏会、社交の場での失敗は後々まで評判に響く致命傷となりかねないのだが、デビュー間もない若者や、王都になれていない辺境貴族に限って、それも初期のうちであればその失敗を逆手にとって名前と顔を売り、場の中心に躍り出る武器になる。
ただし、一夜の夜会の最初の一人目までしか使えない。二人目以降はどうしてもインパクトに欠け、印象が薄くなるからだ。
アルフォンヌ嬢を注意深く観察する。クローディアがやっていたような企みを先回りで実行するなんてただものではない。
もとよりあのオーギュストがただの親戚令嬢を連れてくるはずはないのだけれど。
見た目には何処にでもいるごく普通の貴族令嬢に見える。
装いはおとなしめで、幼さの残る顔立ちは純真さを感じさせる。
とてもクローディアと同じ真似をするようには見えないのだけれど、まあ、見た目と中身に違いがあるなんて珍しいことではないので、彼女が実はしたたかな策略家だったとしても驚きはない。
「ミューズ地方の山間部では牧羊も盛んで独特の毛織物が生産されておりますわ。染め抜いた糸で地方の寓話を描いておりますの。陛下の冬の離宮でもお使い頂ているものもございますのよ」
辺境の出であまり王都と関わりがないように見えて、特産品などが多く王宮で使われるなどしているらしい。アルフォンヌ嬢の顔は誇らしげで、故郷への愛が聞くものに伝わってくる語り口だった。
「水源にも恵まれているので果樹と合わせて酒造も……」
「お酒ならラ・クロワ領の葡萄酒の方が有名じゃないですか?」
アルフォンヌ嬢の言葉を遮るようにクローディアが声を上げた。
テーブルに着く面々の視線が一斉にクローディアへと集まる。
「ラ・クロワ産の葡萄酒は最高級品で、めったに王宮でも出されないってレオくんが……言ってた……もの……」
注目を集めたことに気を良くしたのか、ふるさと自慢を始めようとしたクローディアの声が段々としぼんでいく。
自分が集めた視線が、好意的なものではなかったと気付いたからだ。
「え……何……なんで……?」
「聖女よ、奔放なのは無垢なるものの証左なのかもしれんが、ほかの者が話をしている最中に割り込むのは感心しないな」
国王陛下が重々しい口調で諭す。
そこでやっとクローディアは己の失態を悟ったらしい。今度こそ演技ではなくその顔が青ざめていく。
オーギュストが大仰に溜息を吐く。
「私が浅学ゆえに知らないだけかもしれませんが、平民諸氏の間でも貴族と同じく『人の話は最後まで聞きましょう』と教わるものだと思っていたのですが、違うのですかねぇ」
違わない。
少なくとも、わたくしたちの通う学園では貴族も平民も同じように教わっているので、クローディアがそれを知らなかったというのは通らないだろう。
一応マナー講義の単位も得ているのだし。
「ノワール子爵、そんな風に仰らないで差し上げて。クローディアさんは学園でも一生懸命お勉強なさってましたもの。きっと故郷を誇る気持ちが先走ってしまったのですわ」
わたくしは微笑みを浮かべてオーギュストを窘めた。もちろん善意からではない。
「故郷を遠く離れて王都で学んでいるのですもの。気持ちが募るのも致し方ありませんわ。ねえ、クローディアさん、わたくしラ・クロワ産の葡萄酒の事は存じておりましたけれど、それ以外の事はあまり知りませんの。よろしかったら教えてくださらない?」
扇をひらめかせながらクローディアに尋ねる。
彼女の希望通り、会話の中心に立たせてあげることにしたのだ。視界の端でオーギュストがくすりと笑みをこぼすのが見えた。
「え……ええ、ラ・クロワ地方は農業が盛んで、特に果樹園と牧羊が……」
「あら、それは先ほども聞いたわね」
王妃様の言葉にクローディアがたじろぐ。
先ほど聞いたのはアルフォンヌ嬢のミューズ地方の話なのだが、ミューズ地方とラ・クロワ地方は領境を接するいわばお隣同士、気候風土が似ているので、当然産業も似たようなものになる。
結果として、同じような話の繰り返しになり、目新しさが失われるのだ。
貴族というものは飽きっぽい。同じ服を繰り返し着ることも、同じ話を繰り返すことも蔑まれる要素となりうる。
クローディアは学園で貴族の男子に囲まれる中でそのことを嫌というほど体験している。
その顔には話題選びを間違えたことへの焦りが滲んでいた。
「ラ・クロワの織物についてはあまり聞いたことがないけれど、どんな特徴があるの?」
王妃様は特に気にした様子もなく、クローディアに質問を投げかける。
彼のお方は本当に他意無くお尋ねになっておられるのだろうけれど、当のクローディアは二番煎じの話をさせられることを恥じているのか、言葉に詰まっている。
けれど、この場で応えなければそれこそ不敬になるとは気づいているようで、震える声で話し始めた。
「……織地に、民話や、言い伝えの物語を織り込んでいます……」
またしてもミューズ地方の織物とまる被りだ。
それもそのはずでラ・クロワ地方の牧羊はもともとミューズ地方で盛んだった産業が拡大する過程で隣の領であるラ・クロワにも広まったものだからだ。
正真正銘の二番煎じ、しかもミューズ地方には染色や機織りについて芸術的な技術を持つ職人を手厚く保護する政策が行われているため、完成した毛織物は美術品として高く評価され、王侯貴族がこぞって買い求める高級品だが、ラ・クロワは安く量産することに力を注いでいるため、庶民の日用品に多く用いられている。
別にそれ自体は悪い事ではないし、庶民の生活を支える産業には違いないのだから充分誇るに値すると思うのだが、クローディアはそうは思っていないらしい。
悔しげに顔を歪め、唇を噛みしめたりしている。
「そうなのね。どのような物語なのかしら。見てみたいわ。わたくし、冬の離宮の絨毯に描かれた神話がとても気に入っているのだけれど、庶民の伝承模様も見てみたいわ」
王妃様はあくまでも平等に褒めているつもりなのだろうが、クローディアはミューズの高級毛織物と引き比べて笑いものにされると思っている様子で、涙目になってすらいた。
勘違いも甚だしいが、それをわざわざ訂正してあげるつもりは無い。
「王妃様、ラ・クロワの毛織の毛布やブランケットでしたら、王都の下町の市場で取り扱っていると聞いたことがありますわ。王宮の召使の中には愛用しているものもいるのではないでしょうか?」
「そうなのね。侍女に聞けば見せてもらえるかしら?」
「恐れながら王妃様付きの侍女でラ・クロワの毛織物はお使いの方はいらっしゃらないと思います。掃除担当の女中か、洗濯処の下女あたりが使用しているでしょう。内宮女官長を通して御下問なさるしかないかと……」
「あら、では今度訊いてみましょう」
わたくしの指摘にクローディアの表情が益々歪む。故郷の毛織物が王宮では下女の使うものと言ったことで、蔑まれたと感じたらしい。
俯きつつもキッとこちらを睨み付けてきた。
けれど、わたくしとしてはただの事実を言ったまでだ。安くて品質がいいからこそ王宮に勤めるような身元のしっかりした家庭の平民階級がこぞって買い求めるのだ。
ちなみに我が家でもラファエルら使用人たちはラ・クロワの毛織物を冬場は重用している。一度使わせてもらったが、暖かでしっかりとした作りだった。多少表面の毛羽立ちが目立って、肌触りが少し硬かったが。
「ふふ、こうして民のお話が聞けるのは嬉しいわね」
ウキウキした様子で未知の毛織物へ思いを馳せる王妃様を微笑ましげに見つめる国王陛下。仲睦まじい様子からは陛下に王妃様以外の女性に産ませた子供がいるなどとは信じられない。
けれど、よく見れば、国王陛下の瞳の色は確かにお兄様とよく似ていらっしゃった。
「それで? 他には何があるの?」
王妃様のご質問にクローディアは今度こそ言葉に詰まる。最高級葡萄酒と大量生産の毛織物。それがラ・クロワの産業のほぼすべてで、ほかに語れるものなどないからだ。
青褪めて震えていたクローディアがはっとした様子で顔を上げた。
何か思いついたのだろうか。けれどわたくしの知る限りラ・クロワ地方に他の産業などない筈……。
「……特産品ではないのですが、私の故郷には建国の騎士王と聖女にまつわる遺跡と伝承がいくつもあるんです。思えば私が聖女として選ばれたのも……何かの御縁だったんじゃないでしょうか」
「ほう、それは興味深いですな!」
クローディアの言葉にルーベンス侯爵が目を輝かせた。
「吾輩、聖女にまつわる歴史書や古文書の類を研究しておりましてな。是非聖女様のお話をお伺いしたい」
「そんなたいそうなお話じゃないんですよ。ただ……騎士王様と初代の聖女様は最初に王宮を追われた後、落ち延びた先がラ・クロワの森の奥の神殿だったと、私たちの故郷では伝えられているんです」
「それは史書にも記述がございますな。クリステル王国の祖たる騎士王は魔導皇帝に諫言したことで城を追われ、聖女たる巫女姫を連れて辺境の森に身を隠したと」
それをきっかけに歴史談議が始まった。
先ほどまで青褪めていたクローディアは話の流れが自分に優位に進んだことに気をよくして生き生きと語りはじめる。
内心面白くはないが、巫女姫と騎士王の伝承についてはわたくしも調べているところだったので、この際有り難く拝聴することにした。
「神殿にて、巫女姫さまはクロノアの神託を授かったんです」
そうしてクローディアが語り始めたのは、歴史書に沿っているようで異なる、国の祖たる騎士王と、美しき巫女姫、そして魔王と恐れられた魔導皇帝の悲しき逸話だった。