第十八話 淑女の朝とエトセトラ
色々立て込んでる中、気晴らしにちょこっとだけアップします。
貴族令嬢の朝は早くない。
寝坊するのはいただけないが、早くから起きてあくせくと動くなどと言うことは令嬢には必要のない労働だからだ。
侍女や召使が早くから掃除や朝食の支度、着替えの準備などを完璧に整えてから起こしに来るまで、ベッドシーツの中で微睡みながら待つのが淑女の嗜みというものである。
『わたくしが侍女よりも早く起きればそれはすなわち彼女達を怠惰と責める圧力になりかねません。わたくしは彼の者たちの謹厳実直さを認めているからこそ、あえて寝たまま待つのですわ』
とある令嬢はこう語る。
その笑顔には生まれながらの貴族の血統としての誇りが溢れていた。
けれど、何事にも例外というモノがある。
「……まだですの?」
その日は朝早くからメイドに起こされ、朝食もそこそこに湯殿へ連れて行かれ、数人がかりで全身をくまなく磨き上げられ、温めた石の上でマッサージを受けた。
全身くまなく揉みほぐされ、二度寝しそうになったところに肌にも髪にも香油を擦り込まれ、落ち着く間もなく下着から順に着付けられ、コルセットを容赦なく締めあげられたのだ。
「痛っ……! ちょっと締め過ぎではありませんこと?!」
「大丈夫です!! マリアベル様は元が細くていらっしゃるから、まだいけます!!」
「元々細いなら! これ以上! 締めなくても! 良いのではないの―――!!?」
身体を千切られるのではないかというほどに締めあげられて途切れがちな息の合間に悲鳴が上がるが、すげなく却下される。
普段ならばメイドたちもそこまで無理に締め付けるような事はしないのだが、久々の王宮での晩餐会である事、そしておそらく初めてであろう、ミカエル殿下がロートレック邸まで直接迎えに来るということで力が入ってしまったらしい。
そもそも晩餐会という名の通り、夜の数時間程度の為だけの準備だというのに一日がかり、いや、前日に学園の寮から王都中央のロートレック伯爵邸に一時帰宅するところから始めればほぼ2日がかりで身支度せねばならないというのは、いくら毎度のこととはいえ、大変だ。
コルセットによる拷問が無事終了し(とはいえ締め上げられたお腹は苦しいままだが)、次はドレスの着付け、更には化粧に髪結い、アクセサリーと、次から次へと重ねられる。
「あ……頭が重い……」
物理的にである。
純金のチェーンで連ねた宝石や真珠が、結い上げられた髪に星が散りばめられたように輝く髪飾りは、見た目にはとても華やかで、歩くたびにシャラリと鳴る音も軽やかだが、実際のところはかなり重い。
瑞々しい薔薇をたっぷりあしらったコサージュが飾られた右側頭部が特に重い。気を付けていないと首が傾いでしまいそうだ。
そうやってわたくしの忍耐と、生まれ持った素材、侍女たちの努力と技術によって仕上げられた晩餐会用の盛装は、それは見事なものだった。
肩を大きく開けた紅のドレスは、胸元はたっぷりのフリルでボリュームを持たせ、コルセットで締めあげられたウエストは折れそうなほど細く、優美なくびれを描いている。
スカートは立っているときはふわりと広がり、釣り鐘のようなシルエットを見せているが、下に重ねられたパニエとペチコートは弾力はあるが柔らかな素材でできているため、晩餐会の席に座っても不格好に膨らむことはない。
二の腕まである手袋は肌が透けて見える素材だが、腕の方に行くほどグラデーションで白銀の薔薇の刺繍が浮かび上がってくるデザインになっている。
結い上げた蜂蜜色の髪にはいくつもの宝石と真珠が煌めき、薔薇の花が鮮やかさを添えている。
ともすれば派手なドレスや髪飾りだが、ぱっちりとした大きな瞳は極上のエメラルドを思わせ、白磁の肌に薔薇色の頬、瑞々しい深紅の花びらのような唇が、華やかな装いに包まれて尚、着るもの以上に見るものを惹きつける華やかさを保っていた。
ドレスの色やアクセサリーはパートナーであるミカエル殿下の瞳や髪の色に合わせてある。
王宮の重鎮も多く参加する今夜の晩餐会では殿下のここ数日の不名誉な噂を払拭する為にも、わたくしとの婚約は問題なく継続中であると見せる必要があるからだ。
「お嬢様、大変よくお似合いです。ミカエル殿下もさぞお喜びになるでしょう」
口々にメイドたちが誉めそやしてくれるが、元々わたくしは自分が美人ではあっても、殿下のお好みの容姿ではないことは充分に自覚している。
これまでに幾度も晩餐会や舞踏会、その他の行事ごとの折々で着飾ってきたが、褒められた記憶がないからだ。
社交界の薔薇、宮廷の宝石とも称えられるわたくしの容姿も、殿下に言わせれば派手派手しく、慎ましさに欠けるということらしい。
『目立ち過ぎではないか? 主賓よりも前に出てどうするんだ?』
『そのように贅を尽したドレス、いくらロートレック家が財政が豊かだからと言って、浪費を繰り返せば民の反感を買うぞ』
『ただでさえギラギラとした金色の髪をしているのにそのように宝石を飾り立てては目が痛い。もっと慎ましい装いはできないのか?』
など、散々な言われようだった。
まあ、殿下の好みがクローディアのように、可愛らしく、見た目が清楚で可憐な、大人しそうな娘であるならば、わたくしとはまさに真逆のタイプなので、どんな格好をしようがお気に召すはずもなかったのだが。
美しい事と、それがすべての殿方に通じるかどうかは別問題というわけだ。
まあその辺りはミカエル殿下の容貌は美しいと思ってはいるが、特別ときめいた気持になったことがないわたくしとてお互いさまではあるのだが。
「殿下のお迎えまでまだ時間がございますね。晩餐会ではあまりお召し上がりになれないでしょうから軽く摘まめるものをお持ちしましょう」
晩餐会の意味を根底から覆すような言葉だけれど、実際問題、コルセットのせいで晩餐会で供されるような豪勢な料理は食べられる気がしない。
もとより王宮での晩餐会におけるわたくしの役割はミカエル殿下の傍でパートナーとして華を添え、必要とあらば社交のフォローをすることなので、晩餐会の席で食欲を満たす必要は無いのだ。
「そうね。お願いするわ」
ドレスにしわが寄らないよう、気を付けながらソファへと腰を下ろす。ふと、サイドテーブルの上の読みかけの小説が目に入った。
ラファエルが暇つぶしにでもと街の書店で買ってきてくれたもので、旅芸人がよく演じる演目を小説に書き起こした短編の寓話集となっている。
塔に捕らわれた獣と奴隷の少女の物語や、領民を虐げる悪徳領主を懲らしめる魔導師の話、城の抜け道を通って市井に出た王子が平民と入れ替わる話など、昔からの民話が中心になっているようだ。
侍女が持ってきた果実水とビスケットを摘まみながらパラパラと冊子をめくる。
「けものは最後の力を振り絞って娘を塔の外へと……」
通俗的な物語だが、中々面白い。芝居として演じられているところもいつか見てみたいと思いながら夢中で読んでいると、侍女がミカエル殿下の来訪を告げに来た。
読みかけの本に栞を挟んで立ちあがる。
ロートレック邸の門前に止められたのは4頭立ての馬車で、外装は一見して黒を基調とした落ち着いたものだが、随所に銀の装飾が施され、王家の紋章が刻まれている。
双頭の鷹に似た鳥は幻の古代鳥の姿と言われており、その嘴にはそれぞれルビーとエメラルドが咥えられていた。
殿下とわたくしの婚約成立の際にお父様から王家へ進呈されたものだと聞いている。
その馬車の前でミカエル殿下はなぜかこちらを凝視なさっておられた。
何かおかしかっただろうかと思いつつ、御前へと進み出る。
「ミカエル殿下に於かれましてはごきげん麗しく。本日はお迎え頂いて光栄の至りでございますわ」
「堅苦しい挨拶はいい、それよりもお前、そのドレスは……」
また派手だの贅沢だのと言われるのだろうか。
けれど、わたくしの顔はあまり淡い色や暗い色は似合わないし、ロートレック家の家格を考えてもとりわけ贅沢というわけでもない。
さらに言ってしまえば殿下の顔もわたくし同様、派手で華やかな顔立ちをしているので、淡い色や地味な色は似合わない。そんな二人がパートナーとして盛装したらどうあがいても派手で華やかな装いになってしまうのは防ぎようがないではないか。
かくいうミカエル殿下も白を基調にしたブラウスにに、エメラルドのカフスと金糸の細やかな刺繍が施されたジュストコール。襟足でひとまとめに括られた白銀の髪にはカフスと同じエメラルドの髪留めが輝いている。
紅玉を思わせる瞳は長いまつ毛に縁どられ、高く整った鼻梁と真一文字に引き結んだ唇が優美な中にも凛々しさを添えている。
見た目の派手さならばわたくしといい勝負だと思う。
薔薇の刺繍の扇子をパラリと開いて、殿下の言葉を受け止めるべく身構える。
「何か?」
「いや……その……よく似合っている」
……一瞬聞き間違いかと思った。
思ってもみなかったお言葉に、思わずミカエル殿下の顔をまじまじと見つめ返してしまった。
あまりにじろじろと見てしまったものだから、殿下の顔が真っ赤に染まっていく。
その顔は昔王妃様に、わたくしへの意地悪を窘められて嫌々謝罪させられた時とそっくりだった。
どうやら本気で称賛しようと思ったわけではなさそうで、安心する。
殿下が本気でわたくしの装いを褒めるような事があれば、今宵は晩餐会どころではなく行き先を王宮からご典医の宿舎に変更せねばならないところだった。
「……誰かに入れ知恵でもされましたの?」
「オーギュストの奴が、女の身支度には途方もない努力と時間と手間暇と技術が凝縮されているのだから好みであろうとなかろうと賛辞を贈るべきだ、と。身支度の手順まで交えて微に入り細をうがつように、こんこんと説明された。何でアイツは男のくせに女の身支度にやたらと詳しいんだ?」
それはもう、経験者は語るというやつではないだろうか。
なるほど、ミカエル殿下はオーギュストの経験談を聞かされ、わたくしや侍女を労うために無理にお褒め下さったのか。
「別に思ってもないお言葉でしたらご不要ですわ。わたくしも殿下に褒めていただきたいとは思っておりませんでしたし」
「お前という奴は……昔からそうであったな。俺に対して何も期待しようとせず、何も求めない。この国の王子の婚約者に選ばれたことを誇るでもない。お前の目はいつも……いや、いいか。とりあえず、行くぞ」
殿下は何か言いかけたけれど、そのまま話を切り上げてしまわれた。深々と溜息を吐いているが、やはりわたくしを褒めるなどと慣れないことをなさったせいで調子が狂われているのかもしれない。
気を取り直すように背筋を伸ばした殿下にそっと手を差し伸べられ、大きな掌に自分の手を重ねれば、馬車へとエスコートされた。
未婚の男女であるので、馬車へはお互いの侍従として1人ずつが同乗する。わたくしの供は当然侍女に扮したラファエルである。
全員乗り込むと、馬車は滑るようにロートレック邸を後にした。
「……そういえば、殿下、行きがけにこのようなことを申し上げるのも不躾ですけれど、今宵は大丈夫ですの?」
馬車が動き出して程なくしてそっと尋ねる。
主語を省いた会話だが、意味は通じたらしく、殿下の顔が曇った。
「大丈夫だ……と、言いたいところだが、そう簡単には割り切れていない。あいつが俺を見限ったのは仕方がないことだと思う一方で、学園でのあの日々は嘘だったのだろうかと問いただしたい気持ちもある。……だが、俺はこの国の第二王子で、今は民の命が危機にさらされている。あいつが聖女としてこの国を救ってくれるなら、俺は自分の感情に蓋をして、この国の騎士として、今回の派兵の事だけを考えることにする」
「もし神殿の主張なさっている通り、この魔獣発生が魔導帝国復活の兆しであるとして、聖女の力を持ってしかその危機を乗り越えられないとしたら……わたくしたちの国は随分と厄介なものに命運を預けなくてはなりませんのね」
正直なところ、いきなり古代の魔導帝国がどうだと言われても、ピンとこない。
「こたびの派兵で魔獣がすべて討伐されてしまえば、彼女の出番は必要なく終わるかもしれませんわ」
できればそうあって欲しい。神の御使いだからと言って、聖女などと言うものの力なくしては解決できない程の危機など、発生しないに越したことはない。
「そうなるよう、俺も努めたい。これは別にあいつの負担を軽くしてやりたいとかそんな個人的な感情ではないぞ。未然に防げる厄災なら防ぐ、それは民の命を預かる身分の者として当然の責務だと思うからだ」
「わかっておりますわ。殿下は昔から我儘で傲慢なところがおありですけれど、ご自身の役割を放棄なさることはございませんでした。……多少職権を濫用なさりそうになることはございましたけれど」
それにしたって、学園にある貴族専用、王族専用の私設の中でも温室や遊技場、書庫を部外者にも開放したという程度のことで、殿下自身がご一緒にそのものと行動なされていたので大きな問題にはならずに済んでいる。
加えてあまりに分を逸脱した要求については否と言う理性もあったように思う。
そういった点ではクローディアにのめり込むあまり実家の財に手を付け、自らの破滅を招いたレオナルドなどとは雲泥の差だ。
「それについては……軽率だったと反省している。万が一にも何かあった場合、俺が責任を取るといったところで済むものと済まないものがあるということを弁えるべきだった。……だが我儘で傲慢は言い過ぎではないか?」
憮然と口をとがらせる殿下は年相応の少年のように見えて、知らず笑みがこぼれた。
「あら? 殿下は昔から我儘で傲慢でしたわよ。淑女を前に木の上まで登って来いだの、かけっこで勝負をするぞだのと無茶ばかり仰って」
「そういうお前こそ王子である俺相手にやれ暑いから外遊びは嫌だの、馬が怖いから遠乗りは行きたくないだのとわがままを言っていたぞ」
「それは殿下やエドアルドのように真夏に外で一日中走り回れるような体力は持ち合わせておりませんでしたし、わたくしは一人では馬に乗れませんから従者の馬に乗せてもらってついていくのでよろしければと申し上げたんですのよ?」
「俺の馬に乗せてやると言っただろう?」
「乗馬を習い始めたばかりの殿下の馬に相乗りするなんて怖いに決まっているではありませんか」
自分が振り落とされるのも怖いが、相乗りした所為で王子に怪我でもさせたらと思うと、とてもではないが殿下と相乗りなどできるわけがない。
「……つまり今の俺の腕前ならば相乗りするのだな?」
幼い頃は危うかった殿下の乗馬の腕前も、今や王国軍の騎馬隊長と競っても遜色のない腕前だ。
「そうですわね。機会があれば」
「こたびの派兵から戻ったら機会を設けよう。忘れるなよ」
「言っておきますけれど、わざと速度を上げたり、馬を跳ねさせたりなさらないでくださいませ」
殿下は昔から時々子供のような悪戯をなさるから、先に釘を刺しておく。
先ほどからやたらと遠乗りをなさりたがっているのも、馬の苦手なわたくしが怯える様が見たいのだろうと思う。
昔話をした所為か、殿下の顔から気鬱の色が薄れたような気がする。
このまま晩餐会の最後までしっかりしていてくださればよいのだけれど……。
馬車の窓から王宮が近付いてくるのが見えた。
幼いころから慣れ親しんだ場所の筈なのに、今宵はなんだか知らない場所のように見える気がした。