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第十六話 つかずはなれずのエトセトラ

「……?」


 王族とその関係者のみが入室できる特別図書室の歴史書コーナーの奥まで来て、ふと周囲を見回す。

 普段来ない区画だからなのか、空気が違うように感じたのだ。

 ここは基本的に通常の図書室の奥の書庫の更に奥にあるため、司書もめったに入ってくることはなく、人の気配は皆無だ。

 それもそのはずで、現在学園に在籍する王族はミカエル殿下のみ、その殿下も最近は王宮に詰めているので、入室できるのは魔法仕掛けの鍵を預けられているわたくしと、司書部の長である教授のみだ。

 一応、随伴者も入室はできるが、先日のクローディアの一件もあって、誰が誰を連れて入ったかは記録が取られることになっている。

 今日ここに入ったのはわたくし一人の筈だ。


「……筈、ですわよね……」


 空気がこもっている所為かもしれない。

 気を取り直して棚の本を一つ一つ確認していく。

 この国が創建された年代の本を探し、開いてはざっと中を確認していく。


「どれもこれも……当たり障りのない逸話ばかりですわね……」


 建国の祖は魔道帝国皇帝に仕える騎士だったが帝国斜陽の時代に幾度もその暴政を諌めようとして宮殿を放逐され、虐げられた民を率いて帝国へ反旗を翻した。

 革命は1年以上の戦乱となり、多くの民が死に、多くの帝国魔導師もまた討ち滅ぼされた。

 騎士は時と光の女神の現身うつしみとして託宣を受けた聖女と共に帝国宮殿にて魔道帝国最後の皇帝を追い詰め、その肉体を滅ぼし、魂を常闇深くへと封じた。

 のちに騎士と聖女は結ばれ、クリステル王国を起ち上げ、戦乱で疲弊した民に安寧と平和をもたらした―――。


「考えてみれば、建国史というものは戦勝国側の視点で語られるものですものね……。よしんば当時の詳細な出来事を記したものがあったとしても、王家の管理下では情報は統制されていますわよね……」


 十数冊ばかり無駄にパラパラと流し見たとき、ふと一冊の本が目に留まった。

 埃をかぶった棚の、一番上のさらに上、天板の上に置かれているらしい本の角だけがちらりと覗いて見えたのだ。

 当然背表紙も見えないので何の本かもわからない。

 あの本を取るにはわたくしの身長では到底届かない。

 踏み台を使っても一番上の段にギリギリ手が届くかどうかなのだ、そのさらに上ではもっと大きな梯子のようなものを持ってこなければならないだろう。


「……ラフィなら棚を足場に登ってしまいそうですけれど……」


 自慢ではないが、運動はそう得意な方ではない。幼い頃もミカエル殿下に木登りに誘われて、最初の枝にすら上がれなかったのだ。

 大きい踏み台を探してきてもいいのだが、ここから見える状態ではあの本が今探しているものとは限らない。むしろはずれの可能性の方が高いだろう。

 急ぎでもないのだから、ラファエルが迎えに来た時にでも取って貰えばいい。

 そうは思ったのに、妙にあの本が気になる。


「……踏み台の上から少し上の棚に足を掛ければ……届くかも……?」


 普段のわたくしであれば絶対にそのようなはしたない行いはしない。

 近くにある踏み台と、棚の上の本を何度か見比べる。


「ちょっとだけ……」


 踏み台を引き摺るように本が乗っている棚の下へと運ぶ。

 一番上に上がって、そこから少し上の棚板に足を掛ける。

 棚へしがみつくようによじ登れば、件の本へ指の先が掛かった。


「やりましたわ……取れ……ッ!?」


 本を掴んだ瞬間、棚に掛けていた足がずるりと滑ってしまう。

 思わず目を閉じて痛みに備えたが、予測していたような痛みはなく、目を開ければ誰かの腕の中に抱き止められていた。


「大丈夫か?! マリア」

「……ミカ…エル……殿下?」


 何故彼が此処にいるのだろう。今日も朝から王宮に詰めていて、講義は欠席していた筈ではなかったか。というか、いつからいたのだろう。

 混乱している所為か、考えがまとまらない。


「おい、マリア? 目を開けたまま気を失っているんじゃないだろうな?! おい」


 目の前で手をひらひらとされてやっと我に返る。

 そして今の状態に意識がいく。わたくしはミカエル殿下に後ろから抱えられるようにして二人して床に座り込んでいたのだ。


「ごッ……ご無礼を……」


 慌てて立ち上がろうとして髪が引っ張られた。

 殿下の上着のボタンに絡まってしまったらしい。とことんついていない。


「申し訳ございませんッ……すぐに解きますわ」

「背中側で絡んでいるものをどうやって解く気だ」

「では、わたくしの髪を千切ってくださいませ。殿下の力なら鋏なしでも……」

「いいからじっとしてろ。痛むぞ」


 ぐっと引き寄せられ、逞しい膝の上に座り直させられた。


「万が一千切るとしても、俺のボタンの方だろう。淑女が容易く髪を切ろうなどとするな」

「……すみません」


 距離が近い所為か、殿下の声が以前より柔らかくはっきりと響く。

 先日の一件以来、ほとんど顔を合わせてはいなかったのだが、気まずくならずに済んでいるのは幸いだ。

 いや、今の状況は別の意味で気まずいが。


「……もう少しで取れるから我慢してくれ」

「我慢など……恐れ多い事でございます」

「だが、俺などとこのようにくっついているのは不本意だろう」


 わざわざ口に出さなければよろしいのに。とは思ったが、殿下の性分としては言わずにもいられなかったのだろう。


「不慮の事故ですもの。元はと言えばわたくしが落ちそうになったのを助けて頂いたのですから」

「それだ。なぜあのような危ない真似をしていた。お前はどんくさい上に小さいのだから上のものが取りたければ人を呼べ」


 一言多いとは思ったが、助けられた手前、大人しく座って髪が解けるのを待つ。

 意外な事にミカエル殿下は器用に絡まった髪を解きほぐすと、ボタンから外し、軽く手櫛で整えてくれさえした。


「ちょうどお前を訪ねてきたのだが……流石に肝が冷えたぞ。いつもの従者はどうした?」

「別の用を言いつけておりましたの」


 やっと身を離すことができて、二人して立ち上がると、スカートやズボンの埃を掃う。


「お前な……俺が言うのもなんだが、従者一人しか連れず、用を言いつけるたびにこうして一人になっていたのでは護衛の意味がないだろう」


 確かにその通りだが、普段から一見すると一人で行動しているように見えるミカエル殿下には言われたくはない。

 けれど、実際に危ういところを助けられた手前、返す言葉もない。

 進退極まったわたくしはそっと話題を逸らすことにした。


「そんなことよりも、殿下、わたくしにご用、とは?」


 殿下はここ数日王都からの対魔獣部隊の派遣について軍部の会議に出るために王宮に詰めていた筈だ。

 学園内の講義も欠席しているが、特例扱いなのでレポートを課されている訳でもないし、もしそうだとしてもわたくしとは選択している科目が異なるのでノートを貸せということでもないだろう。


「ああ、大した用ではないんだが、来週派遣軍の送り出しの為の晩餐会が催されることになってな」

「晩餐会……このような情勢で……?」

「俺もそう言ったんだがな……。国のために各地へ赴く兵の士気を上げるためにも盛大に執り行うべきだとルーベンス侯爵が提言してな」


 今のところ魔獣被害が頻発しているとはいえ、国内の状況はそこまで逼迫している訳ではない。

 一部の街道で流通の滞りは発生しているが、迂廻路を使えば道はあるし、国庫も豊かで魔獣対策に回す予算にもまだ余裕がある。

 とはいえ、魔獣に悩まされている民がいるのに王宮で華やかな催しを行うというのは国民感情を徒に逆なではしないだろうか。


「夜会や舞踏会ではなく晩餐会としたのは一応向こうとしては妥協案のつもりであるらしい。派遣兵に出兵前に英気を養ってもらうという建前だからな」

「王立軍の皆様の場合、王宮で窮屈な食事を供されるくらいなら、臨時給与を受け取って花街へ繰り出す方が士気が上がりそうですけれど」


 言ってしまってから、流石にあけすけ過ぎたかと殿下の顔色を窺えば、耳まで赤く染めた殿下が眉間にしわを寄せてこちらを見下ろしていた。


「おまっ……まがりなりにも淑女なんだから、そういう事は思っても口に出すな!」

「わたくしも他の方の前でこのようなことは申しませんわ」


 流石に人目があるような場で先刻のような品のない物言いはしない。そういうつもりで言い返せば、なぜか殿下は更に赤くなって黙り込んでしまわれた。


「殿下……?」

「んっ…ごほっ……何でもない。と、とにかく、そういうわけで俺もその晩餐会に出なければならないわけだが……」

「それでしたら、わたくしもパートナーとして出なければなりませんわね。畏まりました。そのつもりで用意しておきますわ」


 咳払いの後話を続けた殿下に、わたくしへの用事を察する。

 色々ありはしたものの、未だにわたくしと殿下は婚約中の状態に変わりはなく、王宮の公式行事にはどうあっても二人で参加せねばならないのだ。


「ああ、急な話ですまない」


 以前なら各々への招待が届いた後、簡素な、お役所の依頼書も真っ青な飾り気の欠片もない手紙で当日のドレスの色の指定だけを送って寄越していたような殿下が、急な連絡だったとはいえ、自ら足を運んで、謝罪までなさるとは思ってもみなかったわたくしは暫くの間ぽかんとそのお顔を見上げるしかなかった。


「殿下、何か悪い者でもお召し上がりになられました?」

「お前な……いや、以前の俺の態度の所為だな。……食い物に当たったわけでもないし、熱があるわけでもない。ともかく、そういうわけだから。ドレスの色はお前に合わせる。何を着ていくか後で王宮に連絡を寄越してくれ」

「畏まりました。当日は……」

「迎えを寄越す……いや、俺が迎えに行く。ロートレック邸で待ってろ」


 殿下が自ら迎えに来るというのも以前にはなかった。迎えの馬車が来ても殿下は先に会場で待っているのが常だったからだ。

 先日の一件以降、殿下なりに気遣ってくださっているのだろう。

 変につついて蒸し返すのも本意ではないので、そのまま受け止めることにする。


「ええ、お待ちいたしておりますわ」

「ああ、ところでお前は今日は何を調べていたんだ? 王国史?」


 殿下が周囲の棚を見て首をかしげる。

 学園ではわたくしの専攻科目は高等魔法の実践科目が中心で、語学や歴史などの教養科目は学園に入るよりも以前、家庭で受ける初等教育の時点で修了している。

 今更王国史など調べてどうするのだと思われるのは仕方がない。


「……妙な噂を耳にしたものですから」

「それは、神殿の連中がやたらと騒いでいるあれか? 魔獣が古代の魔道帝国復活の予兆などと言う……」

「ええ、神殿の目的がなんにせよ、噂が浸透するからには何処かしらに根拠めいた史実があるのではないかと思いましたの」


 わたくしの言葉にミカエル殿下もふむ、と考え込む仕草をする。

 以前であればわたくしの言葉など一笑に伏してしまわれただろうことを思えば、人間変われば変わるものだと不思議な気持ちになる。

 失恋による怪我の功名かと言われると何か違う気はするが、ともあれ、前向きに変わってきているのは良い事なのだろうと思う。


「それならば王国史よりはこの奥の神話の棚の方がそれらしい文献があった気がするぞ。神話だけに史実の記録とはいかないが、語り継がれてきた物なりの根拠を秘めているものもあると思う」


 殿下の言うことにそういう考えもあるのかと目を瞬かせる。

 確かに表向きの史書では語れない物事というのは神話やお伽話の形を借りて世に継がれていくこともままある。


「ありがとうございます。それではあちらを探してみますわ」

「今度は棚に登るなよ」

「……っ!」


 背を向けたところで揶揄うような声で言われてカッと頬が熱くなる。

 助けられたのだから文句の言いようもないけれど、紳士ならば見なかったことにするくらいしていただいてよかったのに。

 と思ったところで、そういえば助けていただいたお礼をちゃんと言ってはいなかったことを思い出す。


「もう、……次からはちゃんと人を呼びますわ。……それと、先ほどは助けていただいてありがとうございました。……髪も……」


 そっと振り返ってお礼を述べると、殿下は一瞬虚を突かれたような顔をなさった後、そっと気まずそうに目を伏せてしまわれた。


「ん? これは……さっきお前が落した本じゃないか?」


 踏み台の影に挟まるように、先ほどの本が転がっていた。

 殿下が摘まみ上げて表紙の埃をそっと払ってから差し出してくる。

 受け取ると革張り表紙のその本は見た目よりもずしりと重たかった。

 落とした時にわたくしや殿下の頭に当たらなくて良かった。当たっていたら瘤の一つもできてしまっていただろう。


「棚の上に乗せられていて、何の本か気になったんですの」

「だからと言って棚板に登る奴があるか。で? 結局何の本だったんだ?」


 殿下の苦笑いに先刻の羞恥が甦りつつ、手元に目を落とす。

 一見すると表紙にはタイトルらしきものはなく、妙な雫型の窪みがあった。

 表紙をめくって中のページを見てみる。


「これは……!?」

「この文字の配列はどこかで……っ! 前に史務省の書庫で見た書と似ていないか?!」


 殿下の言葉に頷きながらもページをめくる。厳密には書かれている文字は同じではない。けれど、形からして古代神聖文字の一種だということは判別できたし、区切れがない文字の配列の仕方は史務省で見たものとうり二つだった。


 改めて表紙を見直す。表紙の川の色味は経年でだいぶ褪せてはいるものの、クリーム色の所々に金色の箔が剥がれたような跡がある。


「表紙に、何かが嵌っていたような窪みがありますわね」

「なあ、その本、俺に預けてくれないか? 少し調べてみたい」


 殿下に言われて少し迷ったが、この本が読み解けない以上、わたくしが持っていても仕方がないし、王族専用の書庫の本なのだから、殿下の方にこそ持ち出しの権限がある。


「どうぞ」

「何かわかったらお前にも知らせると約束する。……それじゃあな」


 殿下は一瞬こちらへ手を伸ばしかけて、少し迷うようにしていたけれど、そのまま本を受け取るとわたくしに背を向けた。


「また来週、な」

「ええ、では来週までごきげんよう」


 そっとスカートを摘まんで腰を落として見送る。

 殿下の姿が見えなくなって、気配も遠ざかり、図書室内に静けさが戻ってくる。

 そっと息を吐いて顔を上げる。

 自分の手を見下ろしたけれど、震えてはいない。

 いつまでも引き摺りたいわけではないけれど、案外普通に接することができるものだなと己の図太さに苦笑いが零れる。


「殿下が変わった、というのが大きいのかもしれませんけれど」


 いずれにせよ、殿下とは変わらず婚約中である以上、避けられる相手ではないのだから、いつまでも怯えている訳にもいかないのだ。

 そっと深呼吸をして、殿下に教えて頂いた神話の棚へと向かった。


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