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第十五話 従者と秘密とエトセトラ

 ベッドに寝かされたラファエルの額に浮かぶ汗をそっと絞ったタオルで拭う。

 王宮外宮に詰めている医務官の話では傷は思ったほど深くはなかったそうで、ホッとした。

 今は少し熱が出ているが、薬が効いているので朝にはそれも下がるだろう。

 ずれてしまった上掛けをそっと肩まで上げてやりながら、倒れる寸前に彼が言っていたことを思い出す。

 お兄様の事で確かめたいことがあるからロートレック領まで行って戻ってきた、そう言っていた。

 それはつまり眠り続けるお兄様にもお会いしてきたということなのだろう。でき得ることならば今すぐにでも話を聞きたい。けれど熱に浮かされ、荒い息を繰り返す子供を無理に起こす気にはなれなかった。



 様子を見ているうちにうとうととしてしまったのか、いつの間にかベッドに突っ伏して眠ってしまっていた。

 窓の外で小鳥のさえずりが聞こえ、朝が来たのだと知る。


「ん……ッ! ラフィ!」


 慌てて身を起こすと、穏やかに寝息をたてる少年の顔が目に飛び込んできて、ホッと息を吐く。

 どうやら熱も下がったようだ。この分なら心配はいらないだろう。

 そっと背筋を伸ばす。無理な体勢で寝ていた所為か、身体の節々が痛い。

 朝食を二人分部屋に運んでもらおうと立ち上がった時、ベッドの中のラファエルが身じろいだ。


「ぅ……ん……あれ?」


 目を開いたラファエルは一瞬呆けた表情で周囲を見渡すと、ばね仕掛けの玩具のように飛び起きた。そのままぐらりと前のめりに倒れそうになる。


「ああ、ほら、急に起き上がっては駄目よ」


 慌ててその肩を抱き止めると。ダークブラウンの瞳が瞬いてわたくしを見た。


「お嬢……さ…ま……?」

「ええ、わたくしよ。あなたは帰ってきたのよ。わたくしのもとに」


 ゆっくりと言い聞かせると、ラファエルはようやく状況を把握したのか、ゆっくりと息を吐き出した。


「黙って……お傍を離れてしまい……申し訳……」


 震える声で詫びる従者に、わざとらしいほど大袈裟に溜息を吐いてみせる。


「本当に。お前がいなくてわたくしがどんなに苦労したと思っているの?」


 ビクリと肩を震わせたラファエルの柔らかな頬をそっと摘まむ。


「お前がいない間わたくしときたら伯爵令嬢にあるまじき簡素な髪型で過ごす羽目になったわ。おおいに反省なさい。そして早く怪我を治して、またわたくしの髪を結って頂戴」 

「お……おひょふひゃひゃ……」


 子供特有のもちもちとした頬は手放しがたかったけれど、そっと手を離す。


「……それで? あなたは何を知ったというの?」


 わたくしの問いかけにラファエルも居住まいを正す。


「ロートレック領の、兄さんを保護していただいている別邸に行ってきました。……母さんに会うために」

「エヴァに?」


 ラファエルやお兄様、そしてお兄様の双子の妹であるルネとその両親を含めたピサロ家は代々ロートレック家に仕えてくれている一族で、主な任務は護衛と諜報である。

 お兄様とルネはアンリお兄様と生まれ年が同じだったため、母親のエヴァはアンリお兄様の乳母も兼任していた。

 彼らの父であるジョルジュはお父様の専任の護衛としてその傍に控えていたが、数年前にその任務の最中に命を落としていた。

 6年前の事件の後、お兄様をロートレックの別邸で保護してもらうことになった時、わたくしはその世話をエヴァと当時はわたくしの侍女であったルネに託したのだ。


「会って、確認してきました。……お嬢様、兄さんは……――――・ピサロはボクとルネ姉さんの兄ではありません。あの人は……いえ、あの方は現国王陛下のご落胤です」

「え…………?」


 ラファエルの言葉に思わず聞き返してしまう。

 国王陛下のご落胤……? お兄様が……?!


「ボクも確認するまでは半信半疑でした。史務省での国王陛下の手紙……あれは兄さんを産んだ女性に宛てたものだったんです。その人は、母さんの従姉で、王妃様に仕える女騎士だったそうです」


 思いもよらなかった事実に頭が真っ白になりかけたが、ラファエルが嘘を言っているようには見えない。


「……詳しく……聞かせて頂戴」


 ラファエルの話によると、エヴァの従姉は王宮で王妃様の傍に控えていた折、陛下の目に留まり、見初められたのだという。

 けれど、使えるべき主を差し置いて国王の寵を受けるなど、周囲が許すはずもなく、王宮の中で孤立した彼女は、陛下に請われて離宮に入るのを良しとせず、王宮を抜け出し、エヴァのもとに匿われることを選んだのだそうだ。

 そうして産まれた子供はエヴァの子として届けられ、産後の肥立ちの悪かったその女性はその後身体を壊し、療養の果てに亡くなったのだという。


「母さんはその女性が受け取った陛下の手紙の束を保管していました。史務省で見た手紙と同じ筆跡、封蝋の印、……間違いありません。小さい頃に一度だけ見たことがあって、もしかしたらって思って……」

「……お兄様が……」


 そういえば昔からお兄様はピサロ家の中では抜きんでて目立つ容姿をしていた。

 周囲に紛れて諜報を行ったり、気配を消して主の警護にあたる一族の者としては浮いていたようにも思う。


「このことを……お父様や陛下はご存知なのかしら……?」


 よくよく考えれば、ただの従者に過ぎない若者が王宮で呪いを受けて眠り続けているからと言って、ロートレック伯爵がその身柄を手厚く保護するのはおかしい。

 わたくしがそれを懇願し、学園にいる間に解呪の方法を探す代わりに卒業後はお父様の言いつけ通り政略結婚を受け入れると請願したとはいえ、お父様にはそれを受け入れる必要も本来は無かったのだ。

 貴族の娘の政略結婚を当主である父親が決めるのは当たり前のことで、本来取引材料になるはずもないことを条件に出したわたくしの要望を受け、ロートレック家の別邸をお兄様の為に開放したのは、お父様がお兄様の出生についてご存知だったからではないのだろうか。

 お父様がご存知ならばおそらく陛下も……?


「ご当主様は……ご存知だと母さんが言っていました。けれどこのことを公表するつもりも、本人に教えるつもりもない。母さんにもそれを告げてはならぬと厳命されたそうです」

「……よく聞き出せたわね」


 エヴァにとってはお父様の命令は絶対だ。例え実の息子相手であっても、話すなと言われたことをそう簡単に口にするとは思えない。


「ピサロ家の家訓にのっとって、一騎打ちを申し込みました。10本勝負中3本しか取れなかったので、ここまでしか聞き出せなかったんです」


 ピサロ家の護衛としての戦闘能力はずば抜けているのだが、その中でもエヴァは抜きんでた腕の持ち主だと聞いたことがある。そのエヴァ相手に3本取るラファエルも充分すごいのではないだろうか。

 このまま成長したら歴代のピサロの者の中でも随一の戦士に育つかもしれない。


「それでこのことをお嬢様にご報告しようと急いで戻ってきたんです」

「……まさかそれで疲れた体で無理をして急いで帰って来ようとして魔獣に襲われたとか言うんじゃないでしょうね?」


 わたくしは苦笑いで誤魔化そうとした従者の頬を、今度は心もち力を入れてつねり上げたのだった。



 ひとしきり無茶を叱ったら、運んできてもらった朝食を二人で食べる。


「……そういえば、ラフィ、その……お兄様には……」

「お会いしてきました。お変わりなく、心もち顔色も良かったですし、安心してください」


 屈託のない笑顔で報告してくれるラファエルに、それ以上深く尋ねることはできなかった。……お兄様の指に、魔流紋が現れてはいなかったか、など。

 そもそも眠ったままのお兄様の手はベッドの掛布に覆われていて見えなかっただろう。

 それにそのような事を尋ねるのはまるでお兄様を疑っているような気がしてしまったのだ。


「そう……ありがとう。わたくしは今日の講義があるから、お前は暫くは此処で休んでなさい」

「いえ、このくらいの怪我、何でもありません。すぐにでもお嬢様の護衛に復帰させてください」

「駄目よ。怪我をちゃんと治さない限り、わたくしの傍に侍ることは許しません」


 言葉通りすぐにでも起き上がろうとするのを押しとどめ、その額を指で突く。


「お前はわたくしの一番の護衛なのだから、ちゃんと万全の状態でわたくしを守りなさい」

「お嬢様……はい。わかりました! すぐに治します!」


 そう言って猛然と朝食を平らげ始めた従者の頭をそっと撫でてやることにした。



 それから数日後、魔法省の派遣隊が出払ってしまったこともあって、王宮での研修講義は期間半ばにして終了とされ、わたくしたちは学園の寮へ戻ることになった。

 けれど、クローディアはベリーニ大公の助手を兼任で続けることになったらしく、授業以外でその姿を見かけることがほぼなくなり、ミカエル殿下も王子として魔獣対策の会議に出席する為王宮に詰められるようになった。

 学園の生徒の中にも故郷へ避難する者も出始め、学園の中は段々と閑散とした空気に包まれるようになっていった。



 そして派遣隊の第一陣が戻ったと聞いた頃から、ある噂が学園の中で聞かれるようになった。


「……魔道帝国が復活する……? リリアンナ様、どういうことですの?」

「私も聞いた話ですので詳しくはないんですのよ。ただ……魔法省の派遣隊の報告を聞いた大神官長様が魔獣の発生はその予兆だと仰ったって……」


 魔道帝国と言えばクリステル王国の建国よりも遥か以前に滅びた伝説の国だ。不老長寿の魔導師を多く抱え、その頂点に立つ皇帝は光以外の全ての属性を操り、その強大な力で人々を支配したと史書には記されている。


「伝説では魔道帝国の最後の皇帝は時と光の女神クロノアの分身である聖女によってその魂を封じられたとされていますでしょう? 神殿の神官様たちによれば、その封印が時を経て弱まり始めている。魔道皇帝の魂が復活すれば魔獣たちを従えてこの国を呑み込みにかかるだろうって……何て恐ろしい話なのでしょう……」


 青褪めて震えるリリアンナ様はご家族に言われて故郷へと避難することになったらしい。


「魔道皇帝の魂を封じたのは聖女クロムですけれど、肉体を瀕死にまで追い詰めたのはクリステル王家の祖だと言われていますでしょう? もし魔道帝国が復活したら一番に狙われるのは……」

「リリアンナ様、不用意なお言葉は慎まれた方がよろしいですわ」

「あ……私、そんな……失礼しましたわ。それじゃあ、マリアベル様もお元気で」


 そそくさと立ち去るリリアンナ様を見送る。


「ラフィ」

「はい、お嬢様」


 呼びかけるとどこからともなく現れる従者にそっと扇の影で声を潜める。


「これから特別図書室に向かいます。お前は先ほどの神官たちの噂の裏を取ってきて頂戴」

「何か気になる点が?」

「噂が拡がるのが速すぎる気がするの。魔法省の派遣隊が報告内容を王宮の外に漏らすとは考えにくいわ。だとするならば噂の出どころは……」

「……わかりました。夜までには戻ります。お嬢様もお気を付けて。学園内とはいえ、最近は空気が悪い気がします」

「ええ、ある程度調べたら図書室まで迎えに来て」


 ラファエルの気配が傍らから消える。


「王家の建国史……確か特別図書室に初版の写しがあった筈……」


 入学以来幾度となく訪れた場所だが、史書のコーナーには足を運んだことが無かった。

 建国にまつわる歴史は通常の授業でも教えてはいるが、それは歴史の面面のごく一部に過ぎない。

 王族とそれに連なる者のみが入室を許されたあの図書室になら、一般の民には知らされていない建国の秘密が記載されているかもしれない。

 そのことが今回の噂とどうつながるのかはまだ分からない。

 けれど、どうしようもなく胸が騒いだのだ。


「いにしえの……魔道帝国……」


 脳裏に浮かんだのは、仮面の奥に暗闇を携えた魔導師の姿だった。


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