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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
8章 【嵐の前夜】
198/202

◇歪んだ言葉(7)

 ゴトフリート伯爵はリーゼロッテの北部、イーヴァン王国との国境地帯を領土とする大貴族だ。教会との結びつきも強く、同時に反化身族思想も強い。数十年前、敬虔な女神教徒であった前国王ライオネルに巧みに取り込み、宮廷での発言権をも増大させた。カーシェルが王権を代行するようになってからもその権威は驚異的で、そういう意味では、西の国境を守るアーレンス公よりも厄介な相手だった。

 昨年、カーシェル救出のためにイリーネたちが神国に潜入した際、ファルシェが軍を動かして牽制してくれた相手が、このゴトフリート伯爵だった。信仰の名のもとに化身族を排斥することに情熱を注ぐ伯爵は、以前からイーヴァン王国に対し良い感情を持っていなかったらしい。そこを上手く突いたファルシェの挑発にまんまと引っかかり、ハリマ山の奥深くまで誘い込まれて退路を断たれたということは、伯爵にとって何よりの不名誉であっただろう。それ以降、教会の権威の弱体に伴って、ゴトフリート伯爵の野心も鳴りを潜め、カーシェルの治世に粛々と従っていたのである。


 しかし相も変わらず、ゴトフリート伯爵は教会で高位の立場を維持している。そしてその立場の恩恵を盛大に受けているのが、目の前にいるゴトフリート伯爵の次男ギュンターだった。家督を継ぐことのできない貴族の子弟たちが立身出世のために取る道といえば、他家に養子入りするか、身一つで神都に出て役人として功績を積むかの二者択一。ギュンターは後者を選んだのだが、教会のバックアップもあることから、その権威は強い。少なくとも、王太子カーシェルと面と向かって言葉を交わすことができる程度には。


「殿下! 貴方はイリーネ姫が混血種(まざりもの)であるとご存じだったのですか!?」


 今にも掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってきたギュンターに、カーシェルは平然と答える。一般男性より遥かに長身のカーシェルに見下ろされれば誰でも気圧されるものだが、ギュンターも肝が据わっているのか、怯む様子はない。


「当然だ」

「ではなぜ姫を神姫に据えておられるのです!?」

「イリーネを神姫に据えたのは私ではなく、亡き王陛下や前教皇の判断だ。私やお前が口を挟めることではない」

「陛下は寛大な方でありました。誠心誠意ご説明申し上げれば、きっと殿下のお言葉を受け入れてくださったはずです。それをなさらなかったのは怠慢というものではありませんか」


 なんとも無茶苦茶な態度に、傍にいたカヅキのこめかみに青筋が立ったのが見えた。そのまま何か言おうと口を開きかけたカヅキを制し、カーシェルが言う。


「何か勘違いをしているようだな。私がイリーネを神姫とすることに反感を覚えたことは、ただの一度もないぞ」

「なんですと!? それはどういう……」

「ギュンター、話ならあとでいくらでも聞こう。今は控えろ。お前ひとりに時間をとられて、救える命をみすみす失いたくない」

「いいえ、これほど重大なことなどありません。殿下はこの国の伝統と誇りをなんと心得ておいでですか。リーゼロッテの王太子殿下ともあろう御方が、自ら教会の尊厳を辱めるなど」

「……わきまえろ、ゴトフリート卿! 王者の命は下された。貴殿は連絡もなしに殿下と言葉を交わせる立場にはないはずだ。早急に立ち去れ」


 さすがに我慢できなくなったカヅキが一喝する。その一喝も至極当然だ。ただの役人でしかないギュンターの言葉にカーシェルが答えただけでも異例のことであるのに、あろうことかカーシェルの命に背き、異議まで唱えるとは。

 それでも退こうとしないギュンターに根負けしたのはカーシェルだ。ひとつ溜息をついて、カーシェルはカヅキを振り返る。


「カヅキ、お前は仕事に戻ってくれ」

「しかし」

「負傷者の救護が最優先だ。行け」

「……承知した」


 カヅキがカーシェルの命に否と答えることはない。それはこのときもそうだったが、ここまで不本意そうな顔で頷くカヅキを、イリーネは初めて見た気がする。

 その場を離れて指揮に戻るカヅキの背を見やってから、カーシェルはギュンターに視線を戻す。そうしている間にも、カイとアスールはギュンターから目を離さない。というよりも、ギュンターの傍に控える従者を牽制しているといったところだろう。ひたすら無言で凝視してくるカイとアスールの威圧感はいかほどのものであろうか。


 ギュンターの視界には、カイたちはおろか、当事者であるはずのイリーネすら入っていないようだった。いや、考慮するだけの価値がないと思っているのだろう。今の標的はイリーネではなく、イリーネが混血であることを隠していたカーシェルだ。自分のことでふたりが論争をしているのに黙っているしかないのがみっともなくて仕方がなかったが、正直なところイリーネには口を挟むことができなかった。

 だが、おそらくこれはカーシェルが乗り越えるべき相手なのだろう。カーシェルも先程から、イリーネに喋らせないように意識しているように思える。その証拠にカーシェルは、自分の身体でイリーネの姿を完全にギュンターの視界から遮断した。


「もう一度言う。私はイリーネが神姫であることに不満を持ったことはないし、これからもない。お前は不満があるようだが」

「大いにありますとも。人間とケモノの交わりは禁忌であり、混血種(まざりもの)は忌み子。殿下も当然ご存じでしょう」

「知ってはいる」

混血種(まざりもの)は凶兆の印、それを身に染みてみなが思い知ったのです。昨年のメイナード殿下のことといい、今回の暴動といい、ケモノに関わるとろくなことにならない。今すぐにイリーネ姫を教会から破門すべきです。そして神都から、ゆくゆくはリーゼロッテからケモノを排除しましょう。この国の平和と安定のためにも、これは王家と教会が共同で行うべき使命です!」


 熱く語るギュンターに、カーシェルはふっと息を吐き出すように乾いた笑みをこぼす。だがその眼は冷めきって、まったく笑っていない。


「……なんとも非人道的なことだな。彼らがいなくなれば、本当に平和になるのか? お前は化身族が災厄をもたらすと信じているらしいが、人間同士で衝突することはないのか。今まさに、私とお前は意見を対立させているように思えるのだが」

「私たちには理性があります。ケモノのように暴れることはありません」

「彼らには理性がないと?」

「彼らは元は奴隷です。殿下は諸侯の奴隷所有を廃止なされましたが、教養も学んでいない奴隷が自由の身になったところで、所詮はケモノの知恵しか持ち合わせてはいないでしょう。そうしたケモノたちが各地で事件を起こしていることを、殿下は把握していらっしゃるはずです」


 カーシェルはなおもギュンターを見下ろす。その沈黙を「反論できない」のだと解釈したギュンターが、さらに口の回転を滑らかにする。


「殿下がケモノを人間のように扱うから、ケモノも自分の立場を勘違いをしてしまうのですよ。彼らは所詮労働力であり、戦闘要員。替えの利く駒でしかありません。そんな者たちの福利厚生に尽くすなど、はっきり言ってしまえば時間と金の無駄でしょう」


 カーシェルが何度も言われて、それでも突き返してきた言葉。イリーネも何度も聞いた言葉。だが、それをカイとチェリンには聞いてほしくなかった。リーゼロッテの上層部には、まだまだ種族差別をする者が多い。きっとそのことをふたりは分かっているだろうけれど、それでも聞いてほしくなかったのだ。

 カイは慣れっこなのだろう、しれっとした顔をしている。だが、イリーネの隣にいるチェリンは、固く握った拳を震わせていた。「あっ」とイリーネが思ったときには、もう遅かった。


「――替えの利く駒って、なによ、その言い方」


 初めて口を開いたチェリンに、カーシェルもギュンターも驚いたようにチェリンに振り返った。


「あんたは、さっきの暴動のとき、どこにいたのよ。市民を守っていたのは、人間じゃなくて獣兵たちでしょ。平和と安定のために命を賭けていたのは、あんたじゃない! あんたは、自分に銃口を向ける相手の前に素手で立つことができる!?」

「チェリン……っ」

「獣兵は立ったの、人間を守るために。イリーネは混血だって知られることよりも、少しでも死人を減らすことを優先させたのよ。ねえ、分からないの。あんたがここで大声で喚いている間にも、死ななくて良かったはずの命が消えているのよ」


 ギュンターに掴みかかりそうになったチェリンを、イリーネが引き止める。いつでも冷静で、怒ることはあれど取り乱すことなど一度もなかったチェリンが、目に涙をにじませ、激情を露わにしている。

 きっと彼女にとっては、衝撃的な光景だったに違いない。期待に胸ふくらませて故郷を出て、初めて見た人間と化身族の圧倒的な格差。人間のために、戦う術を持ちながら無抵抗で死んでいく獣兵。その獣兵を、駒だと言い切ることのできる人間。


「なんで責められなきゃいけないの。ねえ。あたしたちが何をしたっていうのよぉ……っ」


 ついに涙の雫が地面へと落ちて、チェリンはぐっと涙を拳で拭った。イリーネも目を伏せて、震えるチェリンの背を撫でる。

 それを見て先に動いたのは、ギュンターではなく従者のほうだった。主人に忠実な従者は、言葉ぶりからチェリンが化身族であると悟ったのだ。護身用の銃を引き抜いて、銃口をチェリンへと向けかける。イリーネが咄嗟にチェリンを己の身で庇うと、そんなイリーネよりもさらに前に男が進み出る。カーシェルではない、今まで静観していたアスールだ。


「彼女は、このアスールの友だ。その銃口を向けるのであればこちらも相応の態度をとらせてもらうが、構わぬな?」


 言いながらアスールは、剣の鍔を指で軽く押し上げる。この間合いならば、アスールの居合抜きが確実に従者の首を跳ね飛ばすだろう。本気の威嚇だ。それに気づいた従者が銃を下げると、どこからか静かな声がかけられた。


「――やあ、何やら物々しいですね。次期国王の前で武器を構えるとは」


 ポロンと一回、弦を弾く澄んだ音が響いた。緊迫した場にそぐわぬ音色に視線を巡らせると、少し離れた木の下に旅の吟遊詩人が佇んでいる。彼は全員の注目を一身に集めさせておいて、ゆっくりとこちらへ歩み寄った。その姿を見たギュンターが、顔を引きつらせる。


「だ、誰だ」

「おや、僕をお忘れですか」

「貴様のような卑賤な楽士風情、この私が知るはずがなかろう」

「それはおかしいなぁ。僕はよく覚えていますよ。二十年前、貴方と伯爵が屋敷へ踏み込んできた光景を、昨日のことのように」


 二十年前、という単語がギュンターの表情を変えた。ヘルカイヤ公国の滅亡には、当然ゴトフリート伯爵家も関与している。クレイザにとっては、最大の仇のひとつだろう。

 だが、クレイザは微笑んでいる。知らぬ者には穏やかにしか見えない笑顔だが、裏に激情を孕んでいるのをイリーネは知っている。


「『ケモノは生きているだけで罪だ』と、そう言ってうちの家臣たちを殺しましたよね。『ケモノと共存する人間は裏切り者だ』と言って、市民も殺しましたよね。僕は覚えている。この二十年、忘れたことなどなかった」

「き、貴様は、ヘルカイヤの……!?」

「混血児の何がいけないんです? 混血は災厄をもたらす、化身族の血を引く者を神姫にしてはならないと、教典のどのページの何行目に書いてありました? ――そんな記述はありませんよね。教典至上主義のリーゼロッテの聖職者ともあろう方が、そんなことも知らないとは言わせませんよ」


 人間と化身族を厳格に区別することで共存を図ろうとしたリーゼロッテ総本山と、種差なく手を取り合うことで融和を目指したヘルカイヤ派。女神教の成り立ちを考えればヘルカイヤの考え方が原則であり、根源となる教え。総本山から異端扱いされはしたが、総本山の教義こそ歪められたものである。――それが、ヘルカイヤ派教徒の主張。それゆえに滅亡の憂き目を見たが、志は折れず。クレイザの瞳が、強くそれを物語る。


「人間と化身族、両種族の平和と共存――創設から変わらない、ただひとつの教会の教えでしょう。それも忘れて他人の生命を軽んじる者に、国家や教会を語る資格はない」


 声を荒げたわけではない。それでもクレイザの凛とした言葉は、鮮明にみなの耳に届いた。クレイザがこんなにもはっきりと意見を述べたことが、今まであっただろうか。それだけクレイザにとっては、譲れない案件なのだ。


「その者の言う通りでしょうな」


 横手から声をかけられて、イリーネは振り返る。そしてそこにいた者の姿を見て、仰天した。豊かな白髪と髭を蓄えた老人が、数人の聖職者を引き連れて立っている。老人が身に着けているのは女神教の紋章が刺繍された法衣。手には、この世界でたった一人だけが持つことを許される杖が握られていた。

 その老人の登場に、ギュンターはイリーネ以上に驚いていた。大袈裟なほどに飛び上がり、顔を青褪めさせて、震える声でその名を呼ぶ。


「猊下……!?」


 女神教教会の実質的な最高権力者、教皇イザークであった。杖をつきつつこちらへ歩み寄ってくるイザークに、カーシェルがやや目を丸くして問いかける。


「イザーク殿、なぜこちらに」

「情報が錯綜して、現状がどうなっているのかがまったく把握できずにいたものですから。自分の目で見たほうが早いと思い、こうして参りました。連絡もせずにすみませんでしたね」


 イザークは穏やかに微笑む。暴動が起きたばかりだというのに、この緊張感のなさだ。カーシェルがやや呆れたように肩を下ろす。だが、この性格だからこそ新教皇にイザークは選ばれた。スフォルステン家による高位階級の独占を破壊するために投じた一石。名門と呼べるほどの家柄の出身ではないイザークの、その徳を見込んで教皇に抜擢したのだ。厳格だった前教皇フェルゼンとは真逆の教皇である。こうして自らの足で現場を訪れるということも、本来ありえないことだ。


「神姫。怪我はありませんか」


 イザークがイリーネに優しく声をかけた。彼は勿論イリーネが混血だということを知っていて、それを受け入れてくれたヒトだ。


「はい。大丈夫です」

「それは良かった。貴方が現場にいたと聞いて、心配しておりましたよ」

「げ、猊下! 神姫は混血種(まざりもの)です! 触れては御手が穢れてしまう」


 イリーネの肩にイザークが手を置いたのを見て、ギュンターがそう叫んだ。イザークはギュンターを見て、嘆かわしげに溜息を吐いた。


「ギュンター、貴方が頑ななのは分かります。化身族を排斥するよう徹底した教育を施してきたのは、他ならぬ教会です。時代の高揚に煽られて、私たちはたくさんの人々を傷つけてきました」

「この世界の安寧のために、異端者を排除したのは当然のことです! 我らに何の罪がありましょうか!」

「姿が自分たちとは異なるというだけで、彼らも心を持っているのだと気付きもしなかったこと。違う思想を持つからと、分かり合うことはできないと決めつけたこと。そうした視野の狭さを民衆に説き、結果的にあの殺戮を引き起こしたこと。これが教会の罪であると、私は思います」


 クレイザはぽかんとした様子でイザークを見つめている。彼にしてみれば信じがたいことが起きているのだ。今まで二十年前の戦争を「聖戦」と正当化し、その姿勢を崩すことがなかった教会が、非公式の場とはいえ、聖戦を過ちだと言った。しかも、教会のトップである教皇の口から。


「そちらの彼が言っていたように、我々は今一度教会の教義を見つめ直し、行いを改める必要があります。教会は、人々の心を守るために在る組織です。その教会が人々を害することなどあってはならないし、それを正当化してもいけません」


 イザークと視線が交わって、クレイザは我に返ったように目を逸らす。ヘルカイヤとリーゼロッテ教会は互いに仇だ。大抵のことを笑って流せる余裕のあるクレイザでも、さすがに蟠りを完全には捨てきれない。至極当然のことだろう。イザークのほうはといえば、クレイザの正体を知らない。そのため、不自然に視線を外したクレイザには気を留めず、言葉をつづける。


「イリーネ姫が混血であるから、今回の暴動が起こったのではありません。民衆の理解を得ることを最初から諦めてしまっていたから、暴動が起きたのです。本来ならば真っ先に教会兵が事態の鎮圧を図るべきであったのに、実際に動いてくれたのは神国正規軍。これほど情けない話がありましょうか。にも関わらず、貴方は神姫や獣兵にその責を負わせようというのですか」

「げ、猊下、私は……」

「彼らは功労者であり、イリーネ姫は真にこの国の王女、ヒトの心を守る神姫です。その行いを非難することは、教皇イザークが認めません。よろしいですね」


 カーシェルには意見できても、骨の髄から女神教徒としての教えを叩きこまれているギュンターは、崇拝する教皇には異を唱えることができないらしかった。

 その場を立ち去るよう指示されると、ギュンターは大人しく退いた。これで彼が納得したとは思えないが、今はこれ以上の抵抗を諦めてくれたようで、イリーネはほっとする。イザークは厳しかった表情を崩し、カーシェルへと向き直る。


「申し訳ありませんね、殿下。つい喋りすぎて、殿下のお株を奪ってしまいました」

「いえ。私とイザーク殿の考えが同じであることが分かって、私は嬉しかったですよ」


 微笑むカーシェルにイザークは頷いた。


「これまでは何かと対立してきましたが、本来王家と教会は互いを補い合う関係でなければなりません。目指すものはどちらも同じであると分かったのです。共に努力してまいりましょう」


 負傷者の見舞いに行くと言って、イザークは歩いて行った。災害時などに慰問に訪れることは教皇の重大な役目のひとつであったが、発生からこれだけ短時間のうちに行動を起こすことは異例だった。だが、イザークがそういうヒトであるということをイリーネは知っていた。人々が傷つけば、真っ先に教会を飛び出して市民に手を差し伸べに行く。何かあればすぐに駆けつけてくれる、高位聖職者なのに偉ぶらない、民に寄り添ってくれるヒトなのだ。

 イザークの後姿を見送ったカーシェルは、そのまま視線をめぐらせる。その先にいたのはアスールと、彼から手巾を借りて涙を拭っていたチェリンだ。目元は赤くなっていたが涙は完全に引いたようで、いまは感情を露わにしてしまった己を恥じるかのように俯いていた。その横には、クレイザもいる。


「チェリン嬢、クレイザ殿。おふたりの言葉、正直耳が痛かったよ」

「……わ、悪かったわ! ついカッとなっちゃって」

「僕も調子に乗ってしまって、すみません」

「いや。おふたりの想いは、私が受け止めた。これ以上みなを失望させないように……この国を変えてみせる」


 そう宣言するカーシェルの横顔は、いつにも増して決意に満ち溢れて見えた。その顔のまま改まってイリーネの名を呼ぶものだから、思わず緊張して背筋を伸ばした。


「最初にも言ったが、今回の事件でイリーネが咎められることはない。――お前が混血であることや、神姫の座にあることも、咎められる者などいない。そのことをこちらが後ろめたく思っている間は、ギュンターのような者に付け入られて当然なんだ。そのことがよく分かった」

「お兄様……」

「俺はもう、逃げることも先延ばしにすることもしない。お前の出自を蔑む者がいたら、それを許しはしない。だからイリーネも、堂々と生きてくれ。混血だと言われても、『それがなんだ』と言い返してやれ。人間と化身族と混血児を繋ぐことができるのは、きっとイリーネだけだから」


 その生き方はきっと、敵を作る。政治権力を持たない神姫は基本的に中立の立場を取り、個人的な思想を発信することは許されなかった。けれどもイリーネは化身族や混血児を強く擁護する行動を取ってしまった。カーシェルはこの先もその姿勢を貫けと言っている。賛同してくれる者もいるだろうが、反対する者もまた大勢出てくるだろう。今までは義兄が常に守ってくれた。教会にいる間は、腫れもののように扱われて悪意のひとつも向けられてこなかった。これからは、そうもいかなくなってくる。


(でも、本当はずっと、大声で言いたかった。『混血で何が悪い』と。私と同じ境遇のヒトが堂々と生きられる世界を、創ることができたなら)


 それはなんと、素晴らしいことだろう。


 カイが横に立って、ぽんとイリーネの肩を叩いた。一緒に立ち向かうと、カイが言ってくれたのはつい先程のこと。共に同じ夢を見ようと、言葉はなくともその意思が伝わってくる。

 それが嬉しくて、小さく微笑む。そしてイリーネは兄を見上げた。


「……私は、混血であることを隠す必要のない環境を創りたいです。この血は両種族の架け橋になるのだと、みんなが私を肯定してくれたように、私もまた誰かの支えになりたい」


 人間と化身族の間の溝を埋めるのは、カーシェルをはじめとする為政者たち。両種族と混血を結び付けられるのは、きっとカーシェルの言う通り、当事者であるイリーネだ。

 声に出さないだけで、きっとこの大陸には、たくさんの混血児が存在する。いつ身元がばれるかと恐れを抱いて、己の血に嘘をついて日々を生きている。その日々はしんどいのだと、イリーネは知っていた。畏怖の目を向けられる辛さも、身を以って知っていた。


 ――同じ思いをさせてはいけない。


 神姫としての務め。王族としての務め。あと少しで神姫としての生活も終わり、サレイユに嫁ぐ予定も破断になったいま、イリーネにできることはなんなのか。それがいま、見つかった。

 そしてそれは、何年も前から思い描いていた理想そのものだ。


「そのために、この身のすべてを捧げましょう。それが私の決意です」

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