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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
8章 【嵐の前夜】
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◆歪んだ言葉(6)

「あんたは竜族だ。それも、三千年以上生きている。王女エラディーナや【竜王ヴェストル】について詳しくて当然なんだ。だって、あんたはその眼で見てきたんだから」


 そうであればすべて辻褄が合う。フロンツェと知己だということも、人間にしか見えないのに魔術に詳しいのも、見目の割に並みの男より体力があるのも。前々から予感だけはあったが、ゼタやジーハから竜族の特徴を教えてもらって、確信した。この老人は歴史学者ではなく、生きた歴史書なのだ。

 またいつものようにはぐらかすだろうか。もしそうだとしても今日は逃がさない、白状するまで追及する。そういう心づもりでいたのだが、ツィオはからからと笑ってこう言った。


「イリーネちゃんとおぬしと、どちらが先に気付くかと思っていたが、おぬしのほうだったか。竜族のことを覚えている者がまだいたとはな」

「……認めるんだね?」

「うむ。わしはトライブ・【ドラゴン()】、神暦のすべてを観てきた者よ。もっとも、竜の姿と俗世を捨てて久しいがの」


 社会に干渉せず、世界を外側から眺めつづけた竜。それはどれだけの孤独なのだろうか。化身族の中でも鳥族は長命だが、千年単位で生きるのは竜族だけだ。ヒトに置いて逝かれ、永き時を生きる。そんな生活を、ツィオは三千年もしているのか。


「何か証拠がいるか? 化身するのが手っ取り早いが……しかしここで化身したら大騒ぎになるじゃろうなぁ」

「いいよ。俺はもともと確信があって聞いたんだから、信じる」

「ほう、物分かりの良いことじゃな」

「なんで最初に言ってくれなかったの? そうしたら、もっと話は簡単に進んだ」

「わしがそれを言ったとして、おぬしらは信じたか? 何せ今の時代、竜族は実在すら怪しまれておるのじゃ。老人の戯言で片付けられたであろうよ」


 それを言われてしまうと、カイとしてはぐうの音も出ない。【竜王】の名がフロンツェの口から出た時にはニキータたちと一緒に盛大に仰天した覚えがあるし、パドラナ盆地でツィオと再会してからというもの、この老人に懐疑的だったのも事実だ。おそらく信じることができなかったであろう。


「まあ、おぬしの口から語られれば、みなも聞く耳を持つじゃろうて。すまんが口利きを頼めんか」

「……昔は人間と戦っていたのに、今度はこっちについてくれるんだね」

「そうさな。人間との共存のため、必死に働いたエラディーナ王女と【竜王】の想いを踏みにじられるのは、いかな同胞といえど看過はできん」


 この老人の口から初めて、本心を聞きだした気がした。【竜王】はエラディーナに理解ある存在で、そんな【竜王】に従えないフロンツェのような者もいたが、慕う者だっていたのだ。ツィオは人間と手を取り合おうとする世の流れを良しとし、そのために尽力してくれたのだろう。

 これから戦う相手は、かつての同志。そして血を分けたかもしれない同胞。それらを敵に回してでも、ツィオは今の世界を守りたいのだ。


「……分かったよ。俺からも説明する」

「すまんな。……本来ならば身内の不始末、未来ある若人を戦に駆り出さず、わしひとりでなんとかしたかったのじゃが。見ての通り、わしは老いすぎた。あの頃と同じ強さを保つフロンツェや他の竜族と渡り合うことなど、到底できん。だから協力してくれ」


 言われるまでもなく、そのつもりだ。そのためにカーシェルやアスールは動いているのだし、カイも助力を惜しむつもりはない。

 世界のために、などということを言うつもりはなかった。カイはもっと小さなもののために命を賭ける。イリーネが幸せに暮らせるために、アスールが平穏に生きられるために、カーシェルの苦労が少しでも減るように。彼らの力になると、エレノアに約束した。今はカイ自身が、力になりたいと強く思う。

 ああ、化身族に生まれて良かった。少し前なら絶対に思わなかったことを、カイは感じるようになった。人間社会にしがらみのない自分だからできることがある。魔術を使える種に生まれたからできることがある。長命で老化が遅いからできることがある。たとえ将来、イリーネたちを見送る立場にあるのだとしても――彼女らが少しでも平和で幸せならいい。


 だから、そのために。


「竜だか獅子だか知らないけど、邪魔する奴はぶっ飛ばす」


 恐れなどない。自分はフィリードの戦士、豹族の長ゼタの息子。その教えを受け、最終奥義を授かった。あとはもう、力をぶつけるだけだ。


「おうおう、頼もしいことじゃて。……さて、そろそろイリーネちゃんたちが引き上げてくるころじゃろう」


 ツィオは言いながら、視線を市街地のほうへと向ける。


「フロンツェは民意に揺さぶりをかけ、教会や王家への信用を失墜させようとしたようだが……失敗どころか、まったく逆の結果をもたらしたと見える。神姫とは王女エラディーナの後継者たる者の呼び名。両種族に分け隔てなく手を差し伸べるイリーネちゃんの姿は、在りし日のエラディーナと瓜二つじゃ。人々と真っ向から向き合おうとする者には、民衆は必ずついてくる」


 微笑むツィオの横顔は、穏やかだった。孫の成長を褒めるような笑顔でもあり、三千年以上生きた竜族としての貫録も窺わせる笑顔でもある。

 真剣に物事に向き合う者を蔑ろにしてはいけない。フィリードの里で、確かそんなことをファビオが言っていたような気がする。眠りから醒めかけていた時に聞いた言葉なので、「ファビオらしくない言葉だ」となんとなく思ったものだが――ああ、確かにそうかもしれない。あのときは本気でゼタに教えを乞い、本気で鍛錬に取り組んだ。それを見ていたファビオにも、それは伝わったのだ。ファビオは短気だが、カイが真面目に話しているときは、きちんとそれに耳を傾けてくれた。その心は、きっとすべての者に宿っている。


「……本当に、いつから混血は忌避されるべき存在になったのじゃろうなぁ。かつてはあれだけ、両種族を繋ぐ者として祝福されたというのに……」





★☆





 もう少し塔に留まるというツィオと別れて、カイはひとり城へと戻る。城門へと向かうと、ちょうどそこに市街地から戻ったイリーネやカヅキらと、カーシェルが揃っていた。カーシェルは市街地へ派遣する憲兵を組織しているところのようだ。暴動は鎮圧されたとはいえ、今後しばらくは警戒が必要なのだろう。部隊を見送ってから、カーシェルはこちらに向き直る。


「無事か、イリーネ。カイとニキータ殿も戻られたんだな」

「はい、私は無事です。アスールやチェリンや、カイが助けてくれました」

「たいしたことはしていない、むしろ私もカイに助けられてしまったからな」


 これはアスールだ。アスールの傷はすっかり治っていて、彼はけろりとしている。勿論証拠隠滅を図るためにアスールがイリーネに傷を消させたのであって、イリーネにも固く口止めしていたのだ。イリーネは気が乗らなさそうだったが、アスールが強引に話を繋げてしまったため、口を挟むことができないようだった。代わりに、別のことを口にする。


「あの、お兄様……ごめんなさい、勝手をして」


 まったくだ、もう少し気をつけろ。――カーシェルからそんなお咎めが来るだろうと、カイだけでなくみなが思っていただろう。この程度で済めばいいが、国家機密をあっさり認めたということを考えれば、もう少しキツい仕置きがあるかもしれない。それを覚悟していただけに、カーシェルの口から飛び出た言葉は拍子抜けするものだった。


「何を謝る必要がある」

「……え?」

「報告にきた兵から、顛末は聞いた。お前は銃を向けられた民を守り、銃を向ける民にそれ以上の罪を犯させなかった。民の安全のために尽くすのは王族の務めであり、ヒトの心を守るのは神職の務め。お前はその両方を立派にこなした。俺はそれを誇りに思うよ」


 微笑むカーシェルを、唖然とした様子でイリーネは見つめる。随分と頭が柔らかくなったものだと、カイも感心する。カーシェルはイリーネに甘いところもあったけれど、甘さ加減ではアスールのほうが数段上で、どちらかといえば諌めることのほうが多かったのに。

 カーシェルは視線をカヅキへと向ける。気付いたカヅキが、心なしか背筋を伸ばした。


「すまない、カヅキ。暴動に発展する危険は予測できたはずなのに、充分な兵力を回すことができなかった。不十分な態勢で、あまりに厳しい戦いを強いたな」

「謝罪など不要だ。俺たちはリーゼロッテ神国の正規軍、どのような状況であれ民衆を守るのが役目。それに殉じる覚悟は、とうの昔にしていた」

「……ああ。みな、よくぞ踏みとどまってくれた。その働きにはしっかりと報いよう」


 労いの言葉を受けて、カヅキは頭を下げる。その肩を、カーシェルは軽く叩いた。


「俺が言えたことではないが、気に病むなよ。お前が現場にいて指揮した結果だ。俺は、お前が最善を尽くしてくれたことを知っている」


 付き合いの短いカイでさえ、カヅキが背負い込みがちで責任感の強い性格だと知っている。今回獣兵に多くの犠牲を出したことも、自分の力が至らなかったせいだと思っているに違いない。カイが想像できることを、契約主であるカーシェルが分からないはずがないのだ。先手を打たれた形のカヅキは、さらに深々と頭を垂れたのだった。


 こうして話をしている間にも、多くのヒトが慌ただしく城を出入りしている。人的被害も勿論だが、物的被害も多かったのだ。特に広場の周辺に建ち並ぶ家屋にはいくつもの銃痕が穿たれ、道は血で汚れてしまった。療養していた獣兵たちも、休暇を返上して自ら手伝いに出ているらしい。力自慢で体力の多い化身族たちが作業の手伝いに入れば、街の復興は容易いだろう。


「みなもありがとう。この先は俺たちの仕事だ、みなは休んでいてくれ。そちらの御仁は、カイのお知り合いか?」


 唐突にカーシェルから声をかけられたのは、黙していたファビオだ。ファビオはカーシェルを見定めるようにずっと見つめていて、カーシェルがその不躾な視線に気づかないはずがなかった。人間の権力者相手に臆することがないのはファビオらしいが、返事すらしないのはヒトとしてどうかと思う。仕方なくカイが説明した。


「そう、フィリードの里のファビオだ。こんな奴だけど、一応俺たちに協力してくれる」

「そうだったか、それはありがたい。私はリーゼロッテ神国王太子、カーシェルと申します。慌ただしくて申し訳ないが、いまは城内でお待ちください。後ほどきちんと挨拶に伺います」


 腰の低いカーシェルの言葉に、ファビオは若干目を見張った。その様子を見てカイは舌を巻く。ファビオは「人間は態度の大きいもの」と偏見を抱いていたのだ。権力者ともなれば尚更そのはずだと構えていただろうに、カーシェルの言葉はひどく丁寧なものだった。ファビオはそのことに拍子抜けしている。単に自分より年上だろうと推測したから敬語を使っただけかもしれないが、ファビオがそういう性質だと見抜いたうえでカーシェルが言葉を選んだのなら、まったく鋭い洞察力だ。


 軽く咳払いしたファビオは、組んでいた腕を解いて腰に当てた。そのポーズもだいぶ威圧的だが、腕組みをやめたというだけで評価に値する。


「俺は長の言葉を受け、見定めにきたのだ。我らフィリードの里が人間に与するだけの理由があるかどうか――茶を啜っている時間があるのなら、化身族と人間が手を取り合うという姿を見物したい」

「要するに、手伝うってさ」

「カイ、貴様、俺がいつそんなことを言った!?」

「どう聞いてもそれ以外に聞こえないって。カーシェル、こいつはじっとなんてしていられないタイプだから、雑務でもなんでも押し付けて大丈夫だよ。俺が許可する」


 噛みついてくるファビオを押さえつけながらカイがそう言うと、カーシェルは小さく笑った。


「ではお言葉に甘えさせていただこう。いま、城に蓄えてあった医療品を市街へ運搬させている。それを手伝っていただけるとありがたいのだが」

「仕方ない、協力しよう」

「ほら、頭を使う必要もない力仕事は得意でしょ? とっとと走る!」

「ええい、貴様は指図するな!」


 文句を言いながらも、ファビオはカーシェルが示したほうへと駆けていった。「面白い方だな」とカーシェルが呟いたことに、カイも苦笑しながら頷く。故郷にいた時は常に対立していたファビオが、まともに話すと案外面白い奴だと気付いたのは、本当に最近のことなのだ。

 きっとイリーネもアスールもじっとしていられないのだろうけれど、ふたりは自分たちの出る幕はもうないということを悟っているようだ。この先はカーシェルの言った通り、リーゼロッテ正規軍の仕事だ。


 チェリンが駆け去るファビオの後姿を見て、不安げに眉根を寄せた。


「……ファビオ、ひとりで行かせて大丈夫なの? 人間を見るのだってほぼ初めてに近いのに、混ざって作業するとか」

「俺ももう指揮に戻るから、彼の様子も見ておこう。心配するな」


 カヅキが頼もしくそう申し出たところで、彼はふと視線をチェリンの背後へと向けた。つられてチェリンも後ろを振り向く。見ると、場違いな礼服に身を包んだ中年の男が、従者らしき人物を従えてこちらにやってくるところだった。その姿を見て、イリーネとカーシェルとカヅキが緊張したのを感じた。


「カーシェル殿下! これは一体どういう状況ですか……!?」


 その男はカーシェルを見て、開口一番に詰問口調で問いかけた。ちらりと目線だけでニキータに合図すると、大抵のことを知っている黒衣の隻眼男は軽く肩をすくめて、小声で言う。


「ゴトフリート伯爵家の次男坊だ。ゴトフリート伯爵は教会に多額の寄進をしたとかで、聖職者界に影響力が強い。宮廷内に蔓延る反化身族派の筆頭ってところだろう。そういう奴らはカーシェルが一掃したはずだったが、巧みに生き延びたらしいな」

「はあ、また面倒臭そうな……」


 できれば今すぐこの場を立ち去りたいくらい、面倒臭い相手に違いない。それでもカーシェルは逃げない。それどころか、イリーネを庇うようにして前に出る。

 カーシェルは逃げない。少年の時から、真っ向から困難に向き合おうとする凛々しい横顔は変わらない。そうして生きていかなければならないと告げたあの時から、変わらないのだ。

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