表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
8章 【嵐の前夜】
195/202

◇歪んだ言葉(4)

 チェリンとふたり、王城の城門に到着したところで、後ろからアスールが追いかけてきた。連れ戻されるのかと一瞬身構えたのだが、アスールは苦笑しつつ手を振った。


「警戒しないでくれ、イリーネ。護衛はひとりでも多いほうが良かろう?」

「――ありがとう、アスール!」


 ついてきてくれるのだと悟って、イリーネは表情を輝かせる。考えなしに飛び出してきてしまったが、仮にも神姫が暴動の真っ只中へ飛び込むなど危険すぎるし、そうでなくともイリーネはまともに自衛手段すら持ち合わせていないのだ。チェリンとアスールの加勢はまったく心強い。


「これで共犯だ、あとで三人仲良くカーシェルに叱られようではないか」

「叱られるようなことをしているつもりはないんだけど?」

「それでも叱らねばならないのが、立場というやつさ。さ、話はあとだ」


 アスールに促されて、イリーネとチェリンは走り出す。周囲を森に囲まれた王城から、市街地までは少し距離がある。だが走りはじめて幾分も経たぬうちに、遠方の空にあがる白煙を見つけた。ひとつではない、あらゆる場所から数本の煙が立ち上っている。荘厳で趣ある古都には似つかわしくない物騒な煙だ。それが事の切迫した状況を伝えてくる。イリーネは大地を蹴る足に力を込めた。



 森を抜けて見えてきた城下の広場は、阿鼻叫喚の嵐だった。逃げ惑う人々、それを守ろうとする獣兵、そして彼らに銃を向ける者たち。怪我を負って倒れた者に手を差し伸べる余裕がある者は、この場にはひとりもいなかった。ひとり、またひとりと、無抵抗の獣兵が倒れていく。


「先程までこの広場に、神姫の噂に関する真偽を問うため民衆が殺到していた。獣軍将は人々を諭しながら、暴徒が城に近づかぬよう、城に続くこの道を押さえていてくれたのだ」

「で、業を煮やした一部の過激派が武器を持ちだしたってわけね。にしても、なんで獣兵は攻撃しないのよ!? 相手が一般人だからって、武器まで持ち出しているのに」


 物陰に身を潜めつつチェリンが憤慨する。地獄のような光景を見つめながら、アスールは呟く。


「この状況で獣兵が民衆に牙をむくのは、最悪すぎるタイミングだ。化身族に対する嫌悪感に拍車をかけかねない」

「だから棒立ちしてるっていうの!? 今はそんなこと言っている場合じゃないでしょうに!」

「勿論その通りだが、攻撃に移りたくても、彼らはできないのだ。魔術を使える獣兵は先の作戦に参加して、その多くが傷を癒しているところ……いま残っているのは魔術を使えない者たちだ。彼らは、銃弾を防ぐ術すらない。……急なこととはいえ催涙弾でも持ってくるべきだったな」


 化身族は、遠距離からの攻撃に弱い。だからハンターは猟銃を使い、化身族の牙や爪が届かない位置から攻撃をする。魔術を使える化身族はその弱点もカバーできるが、それはほんの一握りの強者だけだ。持ち前の運動神経で銃弾を回避することができても、永遠に避け続けることはできない。

 それに、回避してしまえば、彼らの後ろにいる民衆に銃弾が当たってしまう。民衆を守ることを第一とする専守防衛の姿勢は、カーシェルとカヅキの意思に拠るところが大きい。


 獣兵たちは、自分たちの待遇の向上を成してくれたカーシェルに恩を感じている。だから彼らは一歩も動かない。その身を銃弾に撃ち抜かれても、怯まずに己の身を盾にする。


「民衆の離脱の援護を! 市街地へ紛れ込め、負傷者はできるだけ回収しろ! 生命の防衛を最優先に考えて動け!」


 カヅキの怒鳴り声と、応と答える獣兵の声が、イリーネのもとにまで届いてくる。



 あんなにも、彼らは民衆のために戦ってくれるのに。



「ケモノは死ね、ケモノは死ね、ケモノは死ねェッ!」



 銃の引き金を引く人間の血走った眼には、獣兵はただの的でしかない。



 足の撃ち抜かれた獣兵が、その場に倒れる。それを足蹴にして、過激派の男は銃口を躊躇いなく獣兵の頭部に向けた。

 銃声が響く。横から飛び掛かって男を地面に押し倒した若い獣兵が、男の手から銃を叩き落とす――より早く、別の人間がその獣兵の背に銃弾を撃ち込んだ。

 守ってくれていた獣兵がいなくなり、地面にへたりこんだ民間人が次の標的になる。広場に残っているのは殆どが負傷者か、あるいは――もう既に息絶えた者だけ。


 乱戦のなか指揮を執り続けるカヅキは、抜剣こそしているが、敵の猛攻に晒されて得意の風魔術を使う暇すらない。彼は既に負傷者を自分の後ろに集め、“疾風(ハヤテ)”の術を行使している。負傷者の周囲に暴風域を発生させ、銃弾を弾き返しているのだ。もう化身のできないカヅキには、同時に二つ以上の術を使うことが厳しい。

 銃弾を身を反らして躱したカヅキが、ひとりの男の懐に潜り込む。顎下を剣の柄で打ち上げて、ひとりを昏倒させる。決死の突撃だ。射線は四方八方から伸びてきている。相手は軍人でもなければ、射撃のプロでもないのだ。各人が好き勝手に銃を乱射して、どこから狙撃されるか分かったものではない。


 もうひとりを投げ飛ばしたカヅキの肩を、銃弾が貫通する。よろめいた彼の足を、腕を、さらなる銃弾が貫く。



「……もうやめて!」



 イリーネが叫ぶ。どうやってカヅキらに加勢するかを見定めていたアスールとチェリンが、この暴挙にぎょっとしたように目を見開く。

 だが、もう我慢できなかった。伸びてきたアスールの手をするりと躱して、イリーネは物陰から出る。暴徒たちも銃を撃つ手を止め、イリーネを愕然とした様子で凝視した。


「イリーネ姫……!? 伏せろ!」


 肩の傷を押さえるカヅキが、そう怒鳴った。聞こえはしたが、聞こえなかったふりをした。そのまま真っ直ぐ、イリーネは銃を構える男の前に進み出る。男は銃を持つ手を震えさせながら、近づいてくるイリーネを見つめている。畏怖の色が、男の目に強く宿っていた。


「し、神姫……」

「――貴方の目的は私でしょう。だから、私と話をしましょう」


 静かな言葉に、男はびくりと震える。気付けばすべての者が、イリーネに注目していた。


「お、俺は……」


 やがて男が口を開く。銃口はイリーネに向けたまま、ただ照準だけは不安定にして。


「生まれた時から、教会の教えを信じてきた。何度も何度も教会に行って、神姫さまからお言葉をいただいたこともある……なのに、なのに、神姫さまは本当に混血種(まざりもの)だったのか……!?」

「はい」


 あっさりと認めたイリーネに、男は目を見開く。敬虔な女神教徒だったこの男にとって、それはどれだけ衝撃的な事実だっただろう。混血種(まざりもの)を認めない教会の象徴だった神姫が、混血種(まざりもの)だったなどと。


「俺たちを、裏切っていたのか……?」

「混血の事実を公にしなかったことを、貴方が裏切りと呼ぶのならば……私は貴方の信心を裏切った。そういうことになりましょう。けれどこれだけは言える。私は、みなに恥ずべきような生き方はしていません。これからするつもりも、勿論ありません」


 混血児として生まれてきたのも、神姫に据えられたのも、イリーネの意思の及ばぬところで決められたこと。混血であることに引け目を感じたことがないかと言えば嘘になるが、恥じる必要はどこにもないのだと、イリーネは思うようになった。

 ここでイリーネが混血であることを詫びるような発言をすれば、いまを生きるすべての混血児たちの生き場所を失わせることになる。正体を知られずに、細々と生を繋いでいるであろう彼らの、安息の地を作ってやれなくなる。


 カーシェルが化身族との間に絆を作るのならば、イリーネは混血児たちに手を差し伸べたい。私もみなと同じなのだと。苦しいことはあったけれど、それでも自分たちは生きているのだと。生まれてきた自分たちを責めることは、誰にもできないのだと。


「貴方が私への怒りのために、関係のない市民や獣兵たちに武器を向けるのは、筋違いというものです。彼らを撃ちたいのならば、まずは私を撃ちなさい」

「! なんで……」

「この国に生きるすべてのヒトを愛しています。私を撃って貴方が救われるのであれば、それは喜ばしいことです」


 背後に獣兵たちを庇いながら、イリーネは両手を広げる。


 男がどう動くか、イリーネには分からなかった。銃を下ろしてくれればそれが一番いいが、もし逆上して引き金を引かれたら到底イリーネには避けられない。しかし、撃たれるくらいの覚悟がなければ、彼らに言葉は届かない。

 少し離れたところで、アスールとチェリンがさりげなく身構えている。このふたりがいてくれるから、イリーネは無茶ができる。多少でも男が動揺して隙を見せてくれれば、確保することもできるだろう。


 銃を持つ男の手が、見るも哀れなほどに震えている。ぽたぽたと滴っているのは、男の汗と涙が混じったものだ。嗚咽をかみ殺しながら、男の身体の震えはぴたりと止まった。

 アスールがじりっと僅かに滑るように前進する。それと同時に、猟銃は男の支えを失って地へ落下した。ガシャンと大きな音を立てて一度跳ね、そして静かになる。


 イリーネと男のやり取りを聞いていた他の者たちもまた、次々と銃を手放していく。

 言葉が届いた。イリーネがほっと、安堵の息を漏らした、その時。



 銃声が響く。



 倒れたのは、今の今までイリーネと言葉を交わしていた男。目の前で血を吹き出して倒れていくその様を、イリーネは唖然として見つめる。


「騙されるなァ! 神姫は汚らわしい血を引いているんだぞォ!? 信用できるかよォ!」


 呂律の回っていない、胡乱気な声。それが響いた途端、チェリンがイリーネを地面に引き倒した。ふたりを守るように、イリーネの前にアスールが飛び出す。そして飛来した弾丸を抜剣の勢いで弾き返した。


「慈悲も分からぬとは、救いようのない輩だ」


 アスールの声はいつもより数段低い。こういう声を出す時のアスールは、怒りで腸が煮えくり返っている状態だ。アスールはリーゼロッテの人間ではないし、そもそもが苛烈な性格だ。イリーネの手前はこらえてくれていたが、一度抜剣すれば反撃に出るだろう。


「邪魔をするなァッ!」


 アスールめがけて、男は銃を連射する。剣一本で弾丸を防ぐことは、剣の達人のアスールにしてみれば容易いことだ。

 しかし、驚くべきことが起きた。最初の一発を打ち払っただけで、アスールの剣が粉々に砕けたのだ。武器にこだわらないアスールだが、それでも使っていたのは丈夫な長剣で、手入れも欠かさず行っていたのに。尋常ではない力が、銃弾とともに刀身に加わったとしか思えなかった。


 初撃で銃弾を防ぐ手段を失ったアスールは、続く二発目を腕に受け、三発目を脇腹に受けた。――ああ、これでは獣兵の、カヅキの二の舞だ。


「っく……!?」

「アスール……ッ」


 イリーネとチェリンの声が重なる。イリーネは“止まる世界(クロノス)”を発動させようと口を開きかけ、同時にチェリンが“重力制御(グラビティ)”を発動させようとした。



 期待していなかったわけではない。だが幸運というのはそうそうやってこないから幸運というのであるし、そもそもこの場に到着してからは傍にいない者のことを気にする余裕などなかった。イリーネだけでなく、アスールもチェリンも、きっとそうだろう。

 だが、重大なことをひとつ忘れていたのだ。


 『彼ら』は、いつも都合の良いときに登場するのだと。





 アスールが撃たれる様を覚悟したイリーネの目の前に、巨大な氷壁が聳え立った。銃弾はすべて氷壁に当たって跳ね返り、壁はびくともしない。その壁を創りだした者を、イリーネは勿論知っていた。


「カイ!」


 どこか高所から飛び降りてきたらしいカイは、危なげなくイリーネの横に着地した。数日ぶりに見るカイだったが、なぜか腕や足には生々しい包帯が巻いてあって、一体何をしていたのかと問い質したくなるほどに満身創痍だった。だがそれを問うている場合でもない。

 カイの意思に応じて氷壁は形を変える。細く長く伸びた氷の槍を掴むと、カイはそれを投じた。飛んだ先にいたのは、銃を乱射した男。“凍てつきし槍(フローズン・スピア)”は寸分の狂いもなく、男の心臓を貫いた。


 何の躊躇いもなくヒトを殺したカイに驚いたが、すぐにイリーネは別のもので度肝を抜かれた。なんと、カイの氷の槍に貫かれた男が、どろりと粘り気のある泥のようになって崩れたのだ。


「あれも暗鬼の一種らしいよ。この場所に集まる不安とか疑惑とかが具現化したものなんだって」


 カイはごく静かな口調でそう説明した。カイの登場で張りつめていた気が解れたのか、アスールが多少の余裕を取り戻しながら呟く。


「人間ではなかったのか……」

「うん。あれがヒトを扇動していたんだ。暴動の規模的に、いま倒した奴の他にもいるかもしれない。ニキータたちが探してはいるけど」

「それは有難い。一応、地上からも探ったほうが良いだろうな」


 カイは頷く。カイが暗鬼を倒した直後に、急激に暴動は縮小していた。ただでさえイリーネの言葉を受けて戦意を喪失しかけていた過激派の者たちは、呆気なく獣兵に捕縛されている。あわやハチの巣にされかけたカヅキも無事で、部下から手当てをうけていた。


「イリーネ、怪我はない?」


 カイに問われて、イリーネは頷く。チェリンに地面に引き倒されてから、地面に座り込んだ状態だったので、カイを見上げる形だ。

 と、カイは膝から崩れ落ちるようにしてへたりこんだ。地面に両手をついて、深く深く息を吐き出す。


「良かった……俺、心臓、止まるかと思った」

「カイ……」

「丸腰で銃持った人間の前に立つなんて、正気じゃないよ。ほんともう、帰ってきて早々寿命縮むって」


 ああ、カイには全部聞こえていたのか。イリーネが窮地にあるのは契約を通じて分かっていただろうし、きっと遠方から聴覚を研ぎ澄ましていたに違いない。自分を運んでくれるニキータを急かして、駆けつけてきてくれたのだ。

 イリーネが無茶をしても、なんだかんだと笑って窘めるくらいだったカイが、こんなにも肩を落としているのは初めて見た。それを見て、初めて自分は命の危機にあったのだと実感した。イリーネの行動が、アスールとチェリンの命をも危うくしていたのだということも。


「……ごめんなさい、カイ。でもこの先またこんなことがあったら、きっと私、同じことをすると思う」


 素直にそう告げると、カイは顔を上げて微笑んだ。


「分かってるよ。イリーネは黙って見ていられるような性質じゃないもんね」

「はい。……すみません」

「謝らなくていいよ。そのために俺たちがいるんだから」


 改めて数日ぶりに、カイの顔をまじまじと見る。真新しい傷が顔にもいくつかあって、白い肌は赤く熱を持っているように見える。何をするためにこの数日神都を離れていたのかは聞いていないが、イリーネはなんとなく分かっている。カイは来たるべき決戦に備えて、己の中の決着をつけに行っていたのだと。


「――守ってくれてありがとう。お帰りなさい、カイ」


 そう告げると、カイもまた笑みを深くした。


「ただいま、イリーネ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ