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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
8章 【嵐の前夜】
193/202

◇歪んだ言葉(2)

 神暦二十六年、ギヘナ平原の決戦。長きに渡る戦いの末、ようやく訪れたひとつの幕引き。


 終始優勢を保っていたア・ルーナ帝国軍に一矢報いようと、決死の突撃を敢行したのはレイグラン同盟軍最強の獅子将、【燐光(りんこう)のジャハル】だった。これによって帝国軍は二分され、王女エラディーナと大騎将ヘイズリーは戦場で互いを見失うことになる。そしてこれが両者の永遠の別れでもあったのだが、それはまた後の話だ。一転して各個撃破の対象となった帝国軍に向けて、化身族たちが突撃する。戦局を変えることに一役買ったジャハルは、雄敵であるヘイズリーと見えることになった。両軍の将として何度も戦場で矛を交わし、互いが傑出した戦士であることはとうに認め合っていたふたりだ。いずれ決着をつけねばならない相手であることは、誰もが知っていた。その決着を、ギヘナ平原という最高の舞台で、一騎打ちという最高の方法でつけることができたことは、戦士として幸せなことだったかもしれない。最後に勝者となったのは、大騎将ヘイズリーだった。


 さてこのとき、もう一方のエラディーナへと攻撃をしかけていたのは、フロンツェという獅子族の率いる部隊だった。フロンツェはまだ二十歳そこそこの若者だったが、獅子の中では抜きんでた力の持ち主で、ジャハルも一目置くほどの存在だった。しかしながらレイグラン同盟軍にはフロンツェ以上に優れた将はごまんといて、ジャハルとフロンツェの実力の差は天地ほどにも開いていた。生まれた時代が悪かったのだ、と誰もが同情するほどに、当時化身族は強力だったのだ。大抵の戦士が二属性以上の魔術を扱える時代に、稀少とはいえ闇属性ひとつしか行使できなかったフロンツェは、武勲をたてる機会に恵まれずにいた。

 けれども神暦二十六年といえば、帝国と同盟の戦いのクライマックスともいえる年。この頃には同盟軍の将は数多くが討ち取られ、残っているのは【竜王ヴェストル】の直臣か、戦闘経験の未熟な若者たちか、どちらかだった。そこでようやく、後者だったフロンツェは戦士として日の目を見ることになる。一軍を与えられ、王女エラディーナを撃破するという大役を任されたのである。


 フロンツェは戦士としての才能に恵まれ、指揮能力も悪くない。冷静で理知的で、直情的な行動をとることもない。「ひとりでは何もできない人間族」と偏見を抱く者が大半だった中で、彼はその限りではなかった。敵を最初から見下すことなどしなかったし、敵の情報はすべて頭に叩き込んでから戦場に出るような、用意周到な男であった。当然、エラディーナと直接対決するにあたって、彼女の戦闘の癖や使用する魔術の種類などを綿密に調査した。そのうえでフロンツェは、エラディーナに対して互角以上の戦いができると確信していた。撃破まではいかなくとも、彼女の体力を十分に殺いでおけば、ヘイズリーを倒したジャハルが加勢してくれる。そう信じて疑わなかったのだ。

 その思惑通りにならなかったのは、史実が歴史書に語る通りだ。ジャハルはヘイズリーに敗れ、フロンツェに加勢することができなかった。そしてフロンツェは、エラディーナに敵わなかった。【竜王】と一騎打ちができるほど強く、全属性の魔術を使えたエラディーナにとって、フロンツェなど雑兵に過ぎない。彼が使う闇魔術など、光魔術で封殺できたのだ。


 しかし、フロンツェは死ななかった。意図的にかそうではないのか、エラディーナはとどめを刺さず、死んだことも確認しなかった。衝撃で意識を失っただけで、フロンツェは生きながらえることができたのだ。

 それがフロンツェの悪夢の始まりだった。

 エラディーナはフロンツェとの戦闘の際、“遅き世界(スロウ)”を使ってフロンツェを弱体化させていた。エラディーナの神属性魔術とフロンツェの相性が、よほど悪かったと見える。エラディーナの魔力の影響を異常に受けたフロンツェは、己の時間を止められて(・・・・・)しまったのだ。それ以上肉体が成長することも、老いることもない。傷ついたとしても、その傷は脅威の回復力で瞬時に完治してしまう。まさしく永遠の命。フロンツェにとっては、それは『呪い』以外の何物でもなかった。時間の流れから切り離され、世界に存在しつづけることを強制された、恐るべき呪いだ。自ら命を絶つこともできず、フロンツェは絶望するしかなかった。



 フロンツェの存在を語る歴史書が存在しないように、実は【竜王ヴェストル】の終焉を語る歴史書はない。ヘイズリーの剣をエラディーナが【竜王】に突き刺した、という記述があるだけで、【竜王】が死んだのかどうかは後世の人々の想像に委ねられた。そして多くの歴史学者が、「死んだ」と解釈したのである。

 実際の答えは否だ。そもそも王女エラディーナという人間は、人間族と化身族の講和をかねてより望んでいた。積極的に殺しをすることもなかった。だからおそらく、フロンツェの若い命も見逃したのであろう。愛するヘイズリーを殺した【竜王】のことさえ、最後には殺すのを躊躇うのだから。手加減をされてしまえば、生命力の高いトライブ・【ドラゴン()】は死ぬに死ねないのだ。


 この期に及んで甘い態度を取るエラディーナに、【竜王】は拍子抜けしてしまった。「両種族の繁栄」という、耳にタコができるほど聞かされた夢のような話を再びされたときには、完全に戦意を喪失してしまったのだ。どのみちレイグラン同盟軍は壊滅した。これ以上戦っても勝利は見えないし、僅かに生き残った兵たちをむざむざ死なせることになる。本土には女や子ども、老人が多く残っている。ここで降伏すれば、エラディーナは同盟の民を無下にはしない。そんな非道な女ではないことを、【竜王】はよく知っていた。仮にも一度惚れた相手なのだ。両種族の共存など夢物語だと一蹴しながら、それが実現すればどんなに良いかとも思っていた。そしてエラディーナなら、成し遂げるのではないかとも。この自分、最強の種である竜族の長を倒した、彼女なら。

 だからエラディーナに賭けることにした。敗北を認め、兵たちに戦闘停止を指示したのだ。死ぬまで戦うと叫ぶ兵を殴ってでも止めるのは、【竜王】の務めだった。無用の血を流したくないと思うのは、【竜王】も同じだ。元より竜族はヒトに近く、獣の闘争心には呑みこまれにくい種族なのだ。


 和平を、と望むエラディーナにそれを誓って、【竜王】は国に戻った。待っていたのは再戦を望む過激派との対立だった。【竜王】の高いカリスマ性によって大部分の臣下たちは王の決定に従ったものの、一部の兵は人間との友好をきっぱりと拒否した。その筆頭が【竜王】の実子などの竜族であり、フロンツェだ。同じ竜の仲間たちは【竜王】に対して獣族ほど畏怖の念を持っていないから言いたいことは好きに言ったし、エラディーナを殺して呪いを解くと意気込むフロンツェも、王の命に背いた。

 ア・ルーナとの和平が着々と進むなか、ついに過激派たちは実力行使に出た。【竜王】は一族の者たちと戦うことになったのだ。協力してくれたのは、かつて戦火を交えた帝国のエラディーナだ。反乱は瞬く間に制圧された。ただし親の情であろうか、子らを自ら殺害するのが忍びなくて、眠らせて故郷ステルファットに封じるという手段を取った。いずれ封印が解けて目覚めた時には、改心しているものと望みを託して。


 旧体制を良しとする者たちは、【竜王】の子に追従してステルファット諸島に渡り、二度と大陸に戻らなかった。反乱分子を一掃したレイグラン同盟では正式にア・ルーナ帝国との和平を結び、平和の時代が訪れる。両国でヒトの往来も盛んになり、両種族が結ばれて子を成すこともあった。それを見届けると【竜王ヴェストル】は人知れず城を離れ、行方をくらましたという。

 やがてレイグラン同盟は解体され、人間が治めるケクラコクマ王国が成立した。ア・ルーナ帝国ではエラディーナを神格化した宗教が権威を強め、教会をめぐって分裂していくことになる。このうち王女エラディーナの妹の血族であるリーゼロッテ家が、女神教を国教とした国を作る。だがこの国でも、当初は人間と化身族の友好を解いていた女神教の教義が歪み、歴史は時間の渦に埋もれた。そしてエラディーナの死後三千年、平穏と戦乱の時代が乱立する、激動の時代が始まるのだ。





★☆





「……」


 チェリンとふたり、四苦八苦しながら数日がかりで解読したツィオの書物には、衝撃的な事実が詰まっていた。あまりに驚いて、読み終えた時絶句するほどであった。先に立ち直ったチェリンが、くしゃりと髪を掻き回しながら口を開く。


「ええっと、つまりまとめると、あのフロンツェは本当に三千年生きていて、【竜王ヴェストル】は今も行方知れずで死んだと決まったわけではないってことよね……?」

「ツィオさんがこの書物を渡してきた意図を考えると、そういうことなんでしょうね」

「【竜王】は完全に悪人と思っていたけど、本当はエラディーナと一緒に種族平和を作った立役者だったのね。教会が隠した都合の悪いことっていうのは、このことなのかしら」


 おそらくチェリンの言う通りだろう。女神教は人間たちが創ったものであるから、元々敵であった【竜王】が軽視されるのは仕方がないとしても、きっと彼もエラディーナと共に平和に尽くしたに違いない。やがて女神教というものが生まれ、エラディーナの神格化が始まるとともに、【竜王】は悪の象徴へと貶められていったのだ。すべてはエラディーナを平和の女神と崇めるために――この過剰な化身族の排斥が、現在の化身族差別に繋がっているのだろう。リーゼロッテ教会が異端と断言するヘルカイヤの女神教こそが、本来の教会の教えそのもの。そう言い切っていたクレイザの言葉は、真実なのだ。ヘルカイヤの人々は、王女エラディーナと【竜王ヴェストル】の望んだ種族の恒久的平和という信念を、三千年間守り続けている。それを異端と称して、リーゼロッテは滅ぼしたのだ。


「リーゼロッテ王家がエラディーナの妹の家系っていうのは、本当?」

「どうなんでしょう……そこまで遡れる家系図がないので、分からないです」

「あれ、そうなの?」


 これについてはイリーネだけでなく、カーシェルなども断言できないことだ。「エラディーナの子孫である」というのは自らの血統の正統性を示すためによく使われた文句で、リーゼロッテだけでなく、ア・ルーナ帝国から分裂した国ではどこででも言われていたことのはずだ。おそらくイーヴァン王国などでも、これに似た伝説が残っていると思われる。

 エラディーナの妹の血族。そんな話はイリーネも聞いたことがあるが、正直でたらめだと思っていた。この土地を統一するまでのリーゼロッテは弱小国のひとつでしかなかったし、歴史も建国した千年ほど前までしか遡ることができない。ア・ルーナ帝国の面影など、リーゼロッテにはないのだ。


 この書は明らかにレイグラン同盟側の視点から書かれたものだ。しかも【竜王】に近しい人物によって、手記のような形で記されている。まるでその場にいたかのように詳細な記述は、後の世の歴史書では書けない。

 もう誰も知らない歴史。それを所持しているツィオ。この書物がツィオによる出鱈目という可能性もなくはないが、その可能性は限りなく低いように思う。これはイリーネの直感でしかないのだが、ツィオを疑うことがどうしてもイリーネにはできないのだ。カイやアスールに聞けば、また違った見解が出てくるかもしれないが。


 とにかく、この情報をカーシェルに伝えなければならない。カイとニキータもそろそろ帰還する頃合いだし、ステルファット連邦へ接触を試みているサレイユからも報告が届いたかもしれない。女神教に通じるクレイザや、教皇イザークの意見を聞いてみるのもいい。ケクラコクマで起こったことだから、イル=ジナやシャ=ハラは何か知っていることがあるやもしれぬ。この場には有識者が集っているのだ、みなで吟味したほうがいい。

 そうして部屋を出ようとした矢先、室外に控えていた衛士が来客を告げた。許可すると、現れたのはひとりの若い男。彼がカーシェル付きの侍従であることを、イリーネは知っていた。侍従はイリーネの前で一礼する。


「失礼いたします。イリーネ姫様、カーシェル殿下がお呼びです」

「お兄様が?」

「はい。火急の案件であると」

「ありがとう、すぐ伺います」


 侍従は再び頭を下げて、退室した。扉が閉まるとともに、チェリンが首を捻る。


「火急の案件って、何か起こったのかしらね。嫌なことじゃないといいけど」

「こちらもお伝えしたいことがありましたし、丁度良いです。行きましょう、チェリン」

「あたしも行っていいの?」

「お兄様はチェリンを除け者にするような御人柄ではありませんよ」


 口ではそう言ったが、イリーネも急な呼び出しに不穏な気配を感じ取って、ひとりで兄を訪ねるのに少々尻込みしていたのである。何せ諸々の手続きをすっ飛ばして――兄はもとよりそういうことを嫌うヒトではあるが――直接自らの侍従を寄越すくらいなのだ。只事ではない匂いがぷんぷんする。


 この時間、カーシェルは執務室にいるはずだ。

 ステルファット連邦との交渉に立っていたサレイユから、返答があったか。もしやまたしても暗鬼が出没したか。そのようなことを考えつつ、イリーネはチェリンと共に広い城内の廊下を進んで行った。

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