表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
8章 【嵐の前夜】
192/202

◇歪んだ言葉(1)

 イリーネとチェリンがその部屋に入った時、室内は甘い匂いが立ち込めていた。窓から吹き込む花の匂いでも、香を焚いた匂いでもないそれは、窓辺で老人がくゆらせる煙草のものだった。異国の喫煙具である煙管を咥える仕草は馴染みきっていて、吸い慣れているのだろうと一目で分かる。

 煙草を知らないわけではないが、身近にそれを嗜む者がいないので、喫煙者というのはどうにも物珍しく見えてしまう。煙草は殆どが大陸外からの輸入品だが、乾燥した葉煙草は海を渡っても安定して供給されるため、リーゼロッテでは民間まで広く嗜好品として扱われていた。


 その老人、ツィオはイリーネらに気付くと、にっこりと笑った。


「イリーネちゃんにチェリンちゃん。すまんの、いま消そう」

「ああ、いえ、突然押しかけたのは私たちですから。お気になさらず」

「ならん、ならん。非喫煙者の、しかも女性のいる前で煙を吐くなど、そんな無礼なことはできんよ」

「そうよイリーネ、煙草ってのは実際吸ってるヒトより周りのヒトのほうが害になるんだから」


 ヒト一倍こういったマナーに敏感なチェリンに窘められて、そうなのかと感嘆する。物知らずを露呈させたくなかったから、声には出さなかったが。

 窓は開いていたので、煙と匂いはすぐ気にならなくなった。椅子に腰を下ろしたイリーネは、煙管を片付けたツィオを見やる。


「でも、ちょっと意外です。ツィオさんは煙草を吸われるんですね」


 霊峰ヴェルンで会ったときも、砂漠の遺跡で会ったときも、いつでもツィオから煙草の匂いは感じなかった。彼が王城で生活しはじめてしばらく経つが、喫煙している姿を見たのは初めてだ。するとツィオはからからと笑う。


「最近は禁煙しておったのじゃが、若いころは『へびーすもーかー』というやつでな。城の者に頼んでみたら、いやさすがリーゼロッテの王城、最高級のものを用意してくれたのじゃよ」

「一度やめたものをもう一回吸い出してどうするのよ」

「口寂しくてつい」


 悪びれた様子のないツィオに、早くもチェリンは呆れたように溜息を吐く。侍女が三人分の茶と甘味を持って来てくれたところで、「さて」とツィオが口を開く。


「わしを訪ねてくれたということは、何か聞きたいことがあるということじゃな」

「はい。もう少し【獅子帝】や竜族について、詳細にお伺いしたいのです。よろしいですか?」


 数日前カーシェルに宣言した通り、イリーネはツィオから情報を聞き出すためにやってきたのだ。兄の言いつけ通り、チェリンにも協力を願い出た。「たいした戦力にはならないわよ」と謙遜されたが、ツィオのペースに流されそうになったときに話の軌道を戻せそうなのはチェリンくらいなものなので、おおいに頼りにしている。


「勿論構わんよ。しかしまあ、姫君自ら尋問とは珍しいの。こういうことは普通、専門の尋問官がするものではないのか?」

「まあ、彼らに交代したほうが良かったですか?」

「とんでもない! イリーネちゃんとチェリンちゃんとお喋りするのは楽しいのじゃ」


 尋問という自覚があるのにお喋りってねぇ、とチェリンが苦笑する。当然ながら本来王女が行うような役目ではないのだが、初対面の役人が相手になるよりも、知己であり女でもあるイリーネたちが相手であるほうがこの老人は喋るだろう――と、イリーネは客観的に判断していた。それに、協力者であるツィオを過度に警戒するような真似はしたくない、という個人的な思いもある。

 ツィオは自分から何かを語ることはないが、こちらの問いには応えてくれる。それは分かっていたから、イリーネは早速質問をぶつけた。


「率直にお尋ねします。いま、【獅子帝フロンツェ】はどこにいるとお考えですか?」

「ステルファット連邦じゃな。少なくとも、この大陸にはおらんじゃろう」

「連邦と大陸の間に国交はありません。どうやって海を越えたのでしょう」

「奴は転移系魔術を習得している。特殊な技じゃが、フロンツェほどになれば闇から闇へ移動することは容易いじゃろう。この世に太陽がある限り、影はどこにでもできる」


 チェリンはといえば、持参した紙にツィオの回答を書き記していく。


「ステルファットの国境封鎖について、何かご存知ですか?」

「うむ。――あの国では内紛が勃発しておるのさ、政府と革命派たちの間でな。国境封鎖は国内の内紛の鎮圧に専念するため、他国からの干渉を受けぬようにと張られたものじゃよ」

「お詳しいですね」

「わしも丁度その時、ステルファットにいたからな。港が封鎖される寸前のところで、脱出することができたのじゃ」


 ツィオは本当に幸運だったようで、内紛を知って国外へ出ることができた者はほんの一握りだけだったそうだ。大半の者が対処できないでいるうちに、政府は国境を封鎖した。その早業と徹底ぶり、恐れ入る。現に大陸の首脳陣は、ステルファット連邦の鎖国理由を知らなかったのだ。内紛が始まってから国を脱出できた者もゼロに等しいということだろう。


「でも、鎖国してからもう五年よ。徹底している割に、鎮圧に時間がかかっているわね」

「それだけ革命派が強力ということでしょうか」

「ああ、強力だとも。なにせ中心にいるのは狩人協会の本部。所属するすべてのハンターが、革命のために戦っている」


 だが、とツィオは唇の端に笑みを浮かべる。


「もっと強いのは政府じゃよ。そして狡猾で陰湿じゃ。あえてすべてを鎮圧せずに泳がせ、隠れた革命派を引きずり出してから殲滅していると聞く。それでもなお革命派が力尽きていないというのは、国境封鎖が解かれていないことから明らかじゃが」

「……その内紛の発生と、メイナードお兄様の連邦訪問の時期が重なったのは、偶然ですか?」

「偶然ではないな」


 きっぱりとした否定に、イリーネは知らず生唾を呑みこむ。


「そもそもな、連邦政府とフロンツェの思惑は同じなのじゃ。封印された古代の竜を復活させたい――そのために奴らは各地で暗躍していた。諍いを引き起こしたり、不和を呼び寄せたりしてな」

「……」

「そんなとき、メイナードという王子が現れた。彼の持つ野心や憎悪を、フロンツェは見抜いたのじゃろう。そして彼を使って大陸中を混乱させ、連邦内でも内紛を発生させた。これで封印を弱める作業は二倍の速度で進むわけじゃな」

「ちょ、ちょっと待ってください。発生させた(・・・)って……」


 みなまで言わずとも、ツィオはイリーネの問いを肯定した。何もかもすべて、竜を復活させるための作業だというのか。そのために、自国の民同士が争うよう仕組んだというのか。

 争いを長引かせるために、あえて完全な鎮圧をしない。そうなると混乱が収まってしまうから。


「胸糞悪い話ね」


 チェリンが吐き捨てる。言葉はいかがなものかと思うが、まったくイリーネも同じ気分だ。革命派の人々は、そのことを知っているのだろうか。自分たちが政府にとっての餌でしかないことを。


「そうまでして蘇らせたい、古代の竜というのは……?」


 そこで、これまで歯切れが良かったツィオが初めて口をつぐんだ。顎を撫でて束の間何か考えたあと、こう告げる。


「【竜王ヴェストル】の後継者……というべきかの。【竜王】がエラディーナ王女に敗れた後、レイグラン同盟の指導者となったと言われている」

「そんな奴がいたのね。知らなかったわ」

「ステルファットにしか残っていない記録じゃからな。国交が失われたいま、知ることは叶わん」


 何にせよ、フロンツェと対立するということは、連邦政府と敵対するということと同義のようだ。個人を追うこととは訳が違う。ステルファット連邦の力が明確でないいま、表立って対立することは危険すぎる。狩人協会のハンターたちが束になっても勝つことのできない相手だ。リーゼロッテやケクラコクマと言った列強国の武力を以って、どこまで対抗できるか。

 ステルファットと接触を持とうとしているサレイユからの報告を待ちつつ、早めに対策を練ったほうが良いだろう。すぐにでもカーシェルのところへ届けなければならない案件だ。


「【獅子帝】と連邦政府の関係は?」

「おおいにある。というより、すべての物事はフロンツェの主導で行われていると考えるべきじゃ」

「……彼の生い立ちをご存知ですか?」

「詳しくは知らんのぅ。ケクラコクマに生まれたことくらいか」

「いったいいつ?」


 ツィオは正面に座るイリーネをじっと見つめる。穏やかな眼差しは変わらないが、どこかこちらを探るような目つきをしていた。イリーネは気圧されないように背筋を伸ばし、口を開く。


「百五十年ほど前、ケクラコクマ軍に【獅子帝】が所属していたという記録がありました。でもトライブ・【獅子(ライオン)】の寿命はそんなに長くないし、仮に生きていたとしても老齢になっていなければおかしいそうですね」

「そうじゃな」

「ところで、レイグラン同盟軍にもいたそうですね。金髪碧眼の、フロンツェという名の若者が」


 それを伝えると、ツィオは驚いたように目を丸くした。手ごたえを感じて、イリーネはさらに言う。


「三千六百年ほど前に【竜王】の側近だったその男は、なんらかの事情によって神属性魔術を受け、老いを失ったのではないか? ……推測ですがどうでしょう、当たりですか?」

「……推測と言いつつ、自信があるようじゃの。それはイリーネちゃんだけの推測かな?」

「まさか、博識で思慮深い仲間がたくさんいますから。ケクラコクマの方々にも、たくさんご助力いただきました。古い資料を出していただいたので、証拠を見つけることができましたし」

「ほほ、なるほど、あの白黒坊やたちの入れ知恵か。想像力豊かなことじゃな」


 白黒坊やとはまた新しい括り方だ。カイとニキータのことを言っているのだろうが、ニキータを指して『坊や』とは、なかなか勇気がいる呼称だ。

 ツィオは椅子の傍に置いてあった鞄を引き寄せ、その中を漁り始めた。何か探しながら、ツィオは口を開いた。


「すまんな、イリーネちゃん。全面的に協力すると言っておきながら、どこまでの情報を明かして良いものかと計るような真似をしてしまった」

「では、私たちは合格ですか?」

「うむ。物事を的確に推測し、一般には出回っていないような資料まで辿りついたこと、まったく見事じゃ。おぬしたちになら、この書物を託しても良いじゃろう」


 鞄の中から出てきたのは、古びた一冊の本だった。表紙の革も紙面も変色しており、年季が入っていることが一目で分かる。表紙には本の題らしきものはなかった。差し出されたそれを、イリーネは受け取る。


「おぬしらの知りたいことの大半が、その書の中に記されている。女神教会が忘れたふりをして、いつの間にか本当に忘れ去られた真実のすべてじゃ。おぬしらなら正しく理解してくれると信じておるよ」

「あ……ありがとうございます」


 ページを一枚繰ると、びっしりと黒インクの文字の羅列が現れた。一見して読むことのできないそれは、いまならば古語だと分かる。カイから教わり、それなりに古語を使うことができるようになったイリーネだが、カイのようにすらすらというレベルには程遠い。出かけているカイが戻るまでにはまだ時間があるし、辞書を片手に奮闘するしかないだろう。

 女神教会が忘れたふりをして、本当に忘れ去られた真実。教会にとっては都合の悪かったことが、この書物には記されているのか。そんなものをなぜツィオが所持しているのかは、もう問うまい。読めばわかると、ツィオ本人が言うのだから。


 それと同時に、これ以上問うても何も聞きだせないだろうとも、イリーネは察していた。どうやら今日はこれで引き下がったほうが良いらしい、と思ってチェリンを促すと、彼女も素直に頷いた。ツィオに改めて情報提供の礼を述べ、立ち上がる。と、そんなイリーネをツィオが引き止めた。


「イリーネちゃん、気を付けたほうがいい」

「え?」

「人心を惑わせ、不和を呼ぶのはフロンツェの得意とするところ。奴がヘルカイヤの件とは他に、何か置き土産をしていないとも限らん。警戒するんじゃぞ」


 その忠告の意味をイリーネが知るのは、もう少し後のことだった。だが今は何のことを言っているのかが分からず、ただ曖昧に頷くことしかできなかったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ