◆兆し(10)
カーシェルが青褪めた、その数十分前。
カヅキ率いる中央部隊は岩壁に挟まれた道を抜け、広い平野部分へと出ていた。本陣を出発してから数時間、ようやく開けた場所に出ることができて、カイは大きく腕を伸ばす。狭くて細い一本道を、しかも大柄な獣兵に囲まれて歩くなんて、言っては悪いが窮屈で仕方なかったのだ。
霊峰ヴェルンに行くまで暗鬼など見たことがなかったが、それ以来カイは何かと暗鬼と戦ってきた。対処も分かっているし、敵は細い通路に密集して現れてくれるから、魔術をぶつければ面白いように倒せる。最初のうちこそカイが暗鬼を蹴散らしていたが、幾度も遭遇するうち兵士たちも対処に慣れてきて、序盤に戦ったカイは力を温存することができた。カイとカヅキには、巣を潰すという大きな任務が待っているのだ。雑魚の相手を兵士たちが買って出てくれるのは、ありがたいことだ。
本陣のほうにも暗鬼がひっきりなしに出現しているようだが、カーシェルの指揮のもと上手く捌くことができているという。様子見に行ってくれたアーヴィンとエルケが、『早く巣をなんとかしろ』というカーシェルの指示を持ってきたときには、思わず苦笑してしまったものだ。
アーヴィンは同時に、左翼、右翼の部隊の様子も定期的に見に行ってくれていた。どこの部隊も着実に前進してはいるが、アスールたちは複雑な分岐路に少々時間をとられ、ニキータたちは度重なる暗鬼の襲撃で持ち前の機動力を活かしきれていないらしい。結局のところ、中央突破を図るカイたちの進軍がもっとも速いという状況だ。
「見ろ。あれが巣だな」
カヅキが指差した方向は、緩やかな傾斜を下った先。パドラナ盆地の中で最も低地に位置する場所――そこに、強烈な禍々しい気配を感じる。遠目に見える、黒々とした不気味な集団は、暗鬼だろうか。
「すごいな、何千体の暗鬼の群れだよ」
「あの群れを掻き分け、巣の中心に存在する媒体を壊さねばならんのだったな」
「そうだけど、まさか突撃するつもり?」
それはさすがのカイも、一瞬戸惑ってしまう作戦だ。いくら個々は脆い暗鬼とはいえ、千の単位で群れられると怖気づいてしまう。カイたちの魔力も無限ではないのだ。
「……じゅ、獣軍将! なんかでかい奴が、こっちに来るぞ!」
目が利く獣兵のひとりが、そう警告を発した。『なんかでかい奴』をカイの目が捉えたのは、それから三秒ほど経過したときだ。
四つ足、どうやら化身族の姿を模した暗鬼だ。それはここに至るまで何度も遭遇してきたから、今更驚くことではない。だが、異常なのはその動き。暗鬼は総じてゆらりゆらりと這うように近づいてきたというのに、その暗鬼は猛烈な勢いでこちらへ駆けてくる。――まるで、生きているかのように。
黒々としたその獣は、瞬きする間にカイたちの元へと近づいてきた。トライブ・【ライオン】。そう思ったときには、暗鬼はカイの眼前まで迫っている。
間一髪、その暗鬼の攻撃を躱す。同じように回避したカヅキが、信じられないものを見たかのように、その暗鬼を凝視していた。
「あいつは……まさか!?」
獣兵の中でもざわめきが起きる。カイは早口で問いかけた。
「知り合い?」
「前の獣軍将、アパリシオだ。二十年前、この地で戦死した……馬鹿な、なぜ」
「……【獄炎将軍アパリシオ】。聞いたことがある」
カヅキの前に、賞金ランキング三位だった男。長いことリーゼロッテで獣軍を率い、絶対的な強さで尊敬を集めた荒れくれ者の長。ヘルカイヤとの戦争がはじまったころには既に老化も進み、余命も残り少ない状態だったというのに、それでも最後まで戦うことに固執したという。老年であってもその強さは健在で、もはや伝説的な存在だ。
衝撃の抜けきらない獣軍の兵士たちに、アパリシオは容赦がなかった。隙を突かれた兵士がひとり、化身する間もなくアパリシオに食いちぎられる。怨念の塊であるはずの暗鬼でありながら、牙は人体を容易く引き裂いた。
その様を見ても、獣兵たちは攻撃に移ることができない。長い年月を生きる化身族にとって、二十年前というのはそれほど前のことではない。ついこの間まで彼らの良きリーダーであった男が、部下たちを虐殺する。それはどれだけの衝撃だろうか。
「騙されるな! そいつはアパリシオを模っただけの暗鬼だ。化身しろ!」
怒鳴ったのはカイだ。そうでもしなければ、兵士たちは黙ってアパリシオに食われてしまいそうだった。初めて大喝をあげたカイに、カヅキは掠れた声で問いかける。
「……あれは、暗鬼なのだな? アパリシオの屍が動いているわけでも、生き返ったわけでもないのだな」
「ああ。個体差がはっきり判別できる暗鬼は強力な存在だ。この地に残る強い怨念が、アパリシオって男の形になったんだろう……余程の未練を残して死んだんだね」
カイの淡泊な物言いが、カヅキの動揺をねじ伏せたらしい。彼は意を決したように、じりじりとアパリシオとの距離を取る部下たちに告げる。
「聞いたな? 我らが長は、雄々しく立派な獅子だった。このような傀儡では、断じてない。アパリシオの名誉を守るためにも、するべきことはただひとつだ。我らを惑わすために彼を利用したことを、決して許してはならん!」
おお、と獣兵が声を張り上げる。カイも言葉を添えた。
「こいつは物理的な攻撃ができるほど強くなっている。怨念の塊だからって侮っちゃ駄目だよ」
「――ほう、良いことを聞いた。ならば私にも活躍の余地はありそうだな」
知った声が背後から聞こえて、カイは振り返る。そこにいたのはアスールだ。北側の道を進んでいたアスールたち左翼軍は、岩壁の迷路を抜け、平野に出たところでカイたちを見つけたらしい。巣に突撃する前に合流できたのは有難いことだ。
アスールはすらりと長剣を引き抜く。悠然とした足取りで、彼はアパリシオを包囲する兵士たちの中に足を踏み込んだ。
「ここは私たちに任せてもらおう。カイと獣軍将は、巣のほうへ行ってくれ」
「でも」
「化身族との戦いは私の専門だぞ、忘れたのか?」
自信満々にそう言いかえされて、こんな時だというのにカイは苦笑して肩をすくめてしまった。
「そろそろ【獣狩りのアスール】的な二つ名が出来ても良いよね」
「ちょっと、怖いこと言わないでよ。本当にそうなったらどうするの」
チェリンが慌てたように首を振る。その隣にいるヒューティアはアスールのそうした一面を知らなかったらしく、びくびくしていた。化身族ならば一度は思うものだ、「アスールとは戦いたくない」と。
「ほら、うだうだしてないで、とっとと巣を潰してきな。私たちもついているんだ、心配ご無用だよ」
イル=ジナが追い払うように手をひらひらと振る。剣を構えながら、シャ=ハラも目線だけこちらに向けて頷いてきた。
「……分かった、任せるよ」
「かたじけない」
カイとカヅキは巣へ向けて駆けだす。途中、カイは上空にいるアーヴィンに呼びかけた。巣の全貌を知るためにだいぶ高みにあがっている少年に声を届けるには、柄でもなく声を張り上げるしかない。
「アーヴィン! 何か見える!?」
「――中央に、光るものがある! だがこれだけの数、さすがに容易には突破できないぞ!」
アーヴィンの声が空から降ってくる。一点突破を図るにしても、これだけの数の暗鬼を掻き分けて進むのは骨が折れる。いや、骨が折れるで済めばいい。今なお巣の中心からは暗鬼が湧きだしているはずで、倒した数より多くの暗鬼が湧いてしまえば、中央までたどり着くことなど不可能だ。
「カヅキが通れるだけの空間を、俺が作りだせるか……?」
カイが全力で氷礫を投じれば、おそらく一直線に敵を貫通することができる。そこにできる道が新たな暗鬼で塞がれてしまう前に、“神風”を使ったカヅキが突破する。
だが心配なのは、それだけの魔術を行使してカイの身が持つかということだ。そもそも“凍てつきし礫”は手数重視であって、ニキータの“黒羽の矢”などよりも低威力。以前ニキータがローダインの近くで暗鬼を殲滅したものと同じ規模の術をカイが使おうとすれば、消費する魔力は莫大なものになる。いくらカイでも、その場で力尽きかねない。
そのことはカヅキも察しているのだろう、カイの提案にあまり良い顔はしていない。もし成功したとしても、これだけの暗鬼を前にして、カイとカヅキは分断されることになってしまう。それはあまりにも危険だった。
(エルケに頼んで、上空から巣の中央へ飛び降りようか……目測を誤ったら一貫の終わりだな)
いささか情けない不安に駆られたところで、カイの耳が鳥の翼のはためきの音を捉えた。はっとして音のした方向の空を見ると、南側から大量の鳥が飛んできていた。そのうちの一羽がカイらの真上で化身を解き、地上へ降りてくる。
「よう、待たせて悪かったな」
「ニキータ、遅い」
「だから、悪かったって珍しく謝っただろうが。道がえらく混んでたんだよ、ったく」
ニキータは黒髪を掻きむしり、眼前に迫る暗鬼の群れを悠然と見やる。
「で、この暗鬼の軍団を片付けにゃならんのだな?」
「うん。とにかく巣の中心に行きたいんだけど、どうしたものかと思って」
「んなもん、ごちゃごちゃ考えるまでもないだろう。全員で一気に攻撃を仕掛けるぞ。援護するから、カイとカヅキは中央まで突破しろ」
指示を出すことに慣れた者がいるのは頼もしいことで、ニキータのおかげで簡潔に話がまとまった。ニキータは一度首をコキリと鳴らし、数歩後ろに下がった。カイとカヅキは一足先に化身し、いつでも飛び出せるように身構える。アーヴィンとエルケを含め、ニキータがそれまで率いていた鳥族の者たちも、上空を旋回しながら突撃の合図を待つ。
「準備はいいな。行くぜ」
化身したニキータは、地面すれすれのところで滞空する。黒く太い矢が空中に形成され、一瞬の後にそれは雷撃を帯びる。雷撃の勢いは次第に大きくなり、離れているにもかかわらずカイの毛が逆立つほどだ。
最大まで力を溜め、ニキータが矢を放つ。その際に響いた音は、矢が空を切る音というより、真横に稲妻が落ちたかのような轟音だった。その破壊力は、ヒトの身を十人でも百人でも貫通するほどのもの。人体より脆い暗鬼が耐えられるはずがない。
閃光が暗鬼の群れを貫いた。矢が通過したあとには、暗鬼は一体たりとも残っていない。一瞬で焼け焦がされたのだ。
ニキータが作ってくれた通路に、カヅキが飛び込む。カイもそのあとを追った。背後では魔術が飛び交う気配がする。ニキータやエルケ、獣軍の兵士たちが、暗鬼と戦っているのだ。彼らの後ろにはアパリシオという強者と戦闘中のアスールたちがいて、さらにその先にはカーシェルらの待つ本陣がある。これより先に暗鬼を進ませてはいけない。群れの空白を埋めるべく這いよってきた暗鬼は、カイが全て蹴散らした。その援護を受けて、カヅキは速度を落とさずに一直線に駆け抜ける。
暗鬼に埋め尽くされていた視界が急遽開けた。目に飛び込んできたのは黒い光を放つ物体だ。禍々しい光であるのに、暗鬼を寄せ付けない力であるのか、それの周囲には暗鬼がいない。化身を解いたカイはじっとそのものを見て、その正体を口にする。
「……剣、だな」
一振りの大剣が、真っ直ぐ地面に突き立っている。その剣が禍々しい気を発していたのだ。暗鬼作成のための媒介としては意表を突いたものではない――おそらく、この地で戦死した者が所有していた武器だろう。
剣から発した光が宙を漂い、やがてヒトの形になって地面に降りる。暗鬼が生まれる瞬間を目の当たりにして、カイは地面に突き立てられた剣に手を伸ばした。
柄を握る。その瞬間、ぞくりと総毛立つような悪寒に襲われた。強い強い憎しみの感情――それと同時に感じたのは、あるはずのない血の匂いと、土埃の煙たさと、焼けるような身体の痛み。あまりに強烈で鮮明な、絶命の瞬間。
ああ、この剣は。
この剣の持ち主は、これだけ多くの暗鬼を作りだせるほどの怨念を抱えながら、ここで最期を遂げたのか。故郷に残した家族のもとにも帰れず、このような何もない荒野でひとり死んでいく。どれだけの無念、どれだけの怒りだっただろうか。
危うく呑まれそうになったカイは冷気を掻き集め、己の内に流れ込んだどす黒い魔力をぶつけて排除した。そうして柄を握る手に力を込めると、先程までびくともしなかった剣が、案外簡単に地面から抜ける。黒い光はそれと同時に収束し、手の中には一本の錆びた大剣が残っただけになった。
「大丈夫か、カイ」
「うん、なんとか」
「ならいいが、得体の知れないものをよく調べもせずに触るのはよせ。何かあったらただではすまないぞ」
「ご、ごめん」
ひどく幼稚なことで叱られて、カイは小さくなってしまう。カヅキはカイよりは年上だが、獣族の寿命からして、ニキータほど年長ではない。だというのに、カヅキに窘められるほうがカイには堪えるのだ。生まれ持った貫禄の違いだろうか。
「暗鬼の生成は止まったようだが、やはり既に生まれていた暗鬼は消えぬか。少し期待していたのだがな」
そう、まだ戦いは終わったわけではなかった。カイとカヅキの周囲には数千の暗鬼が蔓延っているのだ。皮肉なことに、暗鬼を遠ざけていた力はカイが断ってしまったため、わらわらとふたりに迫ってくる。この暗鬼の海の向こう側ではニキータたちが鬼神のごとく戦っているはずだが、それでも一向に数が減っていない。これを倒しきらなければ、作戦成功とは言えなかった。それどころか、どうにかせねばカイとカヅキが生きて戻ることもできない。
「向こうにはニキータもいるし、きっとアスールたちも合流してくれる。まずはみんなのところまで戻ろう。そうすれば、いくらでもやり方はあるよ」
「……先程、剣を引き抜くのにかなりの力を使ったのではないか? ここに至るまでにも、お前は魔術を使ってきただろう」
指摘を受けて内心ではぎくりとしたが、努めて表情には出さない。こんな時に、弱音を吐くほど落ちぶれているつもりもない。
自然とカイとカヅキは背を預けあった。近づいてくる暗鬼を、カイは大剣で吹き飛ばす。錆びてはいても、打撃武器としては申し分ない。
「まだまだ行けるよ」
「頼もしいことだ」
「……含みがあるな。何?」
「少し俺に任せてくれないか。暗鬼の数を減らして見せよう」
カイは肩越しに、背後に立つカヅキをちらりと見やる。
「……あんた、攻撃系の魔術はそれほど得意じゃないんじゃなかったっけ?」
「ああ。だが、俺にもとっておきの一撃があってな」
この状況で放つ一撃。それは風属性の最終奥義なのではないか。化身族にとって最終奥義は秘中の秘。どのような術かは知らないが、攻撃系の最終奥義の代償は高い。イリーネのように、寿命を少し縮められる程度では済まない。
「駄目だ、そんなもの使わせられない。俺ならまだ戦える。だから……」
「それでは、ここまで力を温存してきた意味がない」
その一言を聞いて、思わず振り返ってしまう。カヅキは変わらず静かな表情で、包囲の輪をじりじりと縮めてくる暗鬼を眺めている。
(最初から……こうするつもりで)
道中の暗鬼の対処を、獣軍の部下たちに任せたのも。カヅキの援護をカイにさせたのも。ここでこうして、暗鬼を一網打尽にする力を温存しておくためか。
「なんで……ここで暗鬼と心中でもする気!?」
「カイ。これは弔いであり、けじめなんだ。この地で散った魂を鎮めるのは、俺の役目と心得ている」
「ふざけるなよ! あんた、こういう方法は醜いことだって、昨日自分で言ったんだよ。同じことをするな」
カイはカヅキの前方に回り、その両肩を掴んだ。この男を逃がしてはいけない。手を離したら、きっとすぐにでも奥義を発動する。それだけはいけない。
「何も知らないで、あんたを信じて送り出したカーシェルのことはどうする? 獣軍のみんなは? 無責任だ、カヅキ。自分ひとりで結論出して……残される方の気持ちを考えろ」
「お前も、同じことをした。十五年と半年前にな」
鋭く切り返されて、カイは言葉に詰まる。カヅキは肩を掴むカイの手に、自分の手を乗せた。
「無責任は承知だ。だが、これ以上戦いが長引けば確実に犠牲が出る」
「ニキータもアスールも、みんなそんな柔じゃない。俺だって、こんなところで死なない。信じてよ」
「信じている。だが、きっとこの戦いは序幕に過ぎない。これから先、お前たちは大きな敵と対することになるのだろう。だからこそ、こんなところでお前たちに消耗されては困るのだ」
その時、カイの周囲で風が吹いた。はっとしたときには遅い。突風がカイの身体に叩きつけられ、あまりの風速に、カイの身体は後ろへと押しやられてしまう。
だというのに、カイの目の前に立つカヅキはびくともしない。風がカヅキを避けているのだ。
「カヅキッ……!」
「ずっと考えていた。これだけ多くの暗鬼を生みだした恨みの持ち主は、リーゼロッテの将なのか、それともヘルカイヤの将なのか。どうやら後者だったようだが、どちらにせよ身内の不始末であり、あの惨劇を止める力のなかった俺の咎だ」
「そんなの、あんただけが背負うことじゃないだろ……ッ」
「その剣、ハーヴェル……届けろよ。おそらくは……の愛剣だ」
耳元で風が唸り、カヅキの声が途切れ途切れにしか聞こえない。だが、剣のことなどいまはどうでもよかった。足を踏ん張りながら、カイはカヅキへ手を伸ばす。彼の服の裾でも掴んでしまえば、共に爆風に煽られて脱出できる。だが、カヅキは笑い――カイの手を、奥へと押しやった。その途端、バランスを崩したカイの足が地面から浮く。
「馬鹿ッ、何する……!?」
「早く……離れろ。……巻き込む」
突風に煽られて吹き飛ばされたカイは、高く宙に放り出された。最後に見えたのは、化身したカヅキの姿。獅子や虎などと比べれば小柄なトライブ・【ウルフ】だ。彼の黒い毛並をカイが見ることができたのは、本当にただの一瞬だった。
上昇が落下に転じた瞬間、何か柔らかいものが背中に当たる。驚いて顔を上げると、目が合ったのは金髪の少年。アーヴィンだ。どうやらエルケの上に落ちたらしい――見ていたエルケが受け止めてくれたのか、それともカヅキが見計らってカイを放り上げたのか。
「おおッ!? 【氷撃】、お前いまどうやってここに……って、おいおいおい!」
エルケの背から飛び降りようとしたカイの服の裾を、慌ててアーヴィンが引っ掴む。いつもなら簡単に振りほどけるはずの少年の手だが、宙を舞う鷹の背の上では足場が安定せず、それも叶わない。
「い、今どこにいると思ってる、暗鬼の群れの真上だぞ!?」
「放してくれッ、カヅキが……!」
「獣軍将がどうしたって……」
その言葉の途中、地上で強力な光が炸裂した。一瞬の空白の後、空中にいるカイたちの眼前に巨大な竜巻が発生した。あわや巻き込まれそうになって、エルケが急上昇して竜巻を避ける。
竜巻は暗鬼の群れを呑み込み、呆気なく消し飛ばしていく。その力は、ニキータの“黒羽の矢”の比ではなかった。あんなにも手こずっていた暗鬼が滅していくさまに、アーヴィンは言葉もないようだ。
荒れ狂う暴風は、まさに神の息吹。
呑みこまれればたちまち切り刻まれ、肉片のひとつさえも残さぬ風の刃。
風属性最終奥義、“志那都比古”。
その術の発生源にいた者がどうなるかなど、言葉にせずともみなが理解していた。




