◆兆し(4)
リーゼロッテ王城の大会議室に、各国の首脳が集まる。円形のテーブルは、五カ国の王とその従者が座しても余裕があるほどに大きなものだった。特に上座もなく、席順は大陸の位置通りになるよう座るというのが暗黙のルールらしい。
北に、フローレンツ国王アズレト。そこから東回りに、イーヴァン国王ファルシェとヒューティア。リーゼロッテ神国王太子カーシェルと神姫イリーネ。ケクラコクマ女王イル=ジナ、近衛兵団長シャ=ハラ、輔弼官シャ=イオ。サレイユ第二王子ダグラス、第一王子アスール、騎士隊小隊長ジョルジュという並びだ。
カイ、チェリン、クレイザ、ニキータの四人は、イリーネらのうしろに設けられた席に座っている。暗鬼の巣を捜索しているアーヴィンとエルケは、少し遅れてやってくるという話だった。
それぞれに飲み物が配られたところで、カーシェルが口を開く。
「列席の方々よ。臨時の開催でありながら、この度は遠路をお集まりいただき感謝する。また、昨年の騒乱に当たっては、多大なご迷惑をおかけしたことをお詫びしたい」
頭を下げたカーシェルの隣で、イリーネも同じようにする。その静粛な雰囲気と、公人らしい口調のカーシェルの様子に、カイはむず痒さを覚えてしまう。
同じ気分だったのだろう、イル=ジナはここでも持ち前の奔放さを発揮した。
「顔をあげてくれよ。感謝も詫びも、どこも個別にもらったんだから。そうだろう?」
同意を求められ、最初に頷いたのはファルシェだ。ダグラスも微笑を浮かべる。ただひとり、フローレンツ王アズレトは困惑した面持ちだ。メイナードの引き起こした騒動について、一貫してフローレンツは不干渉を貫き、またメイナードも標的にすることがなかった。そのため、フローレンツは今回の事態を知らない。妙に打ち解けた様子のケクラコクマやイーヴァンの様子に目を丸くしているだけだ。
四十代後半、でっぷりとした中年体型のアズレトは、この場では最年長だ。在位歴も二十年近い。その二十年間、フローレンツの民は貧しかったが、それ以上貧困に陥ることもなく、逆に生活が向上することもなかった。見事なまでの現状維持だ。生活水準を下げさせるよりは余程いいのだが、改善を試みてくれても良かったのではないだろうかと、フローレンツでの生活が長いカイなどは思ってしまう。
形式をすべて無視したイル=ジナに、カーシェルは頭を下げたまま少し笑う。それから顔を上げた。
「……そう言っていただけるとありがたい。では、お言葉に甘えて」
「それじゃ、今日の議題はなんだい?」
「まずは、先の騒動の顛末についての報告を。そして、目下最大の脅威である暗鬼の情報を共有したい。些細なことであっても、気になることがあれば遠慮なく発言して欲しい」
そうして本題が始まった。
事の始まりと考えられる、三年半前の国王ライオネルと王妃エレノアの殺害まで遡り、一から説明すること一時間以上。主にアスール、イリーネ、カイやニキータなどといった面々の口から、騒動の一連の流れが語られた。断片的にしか事件を知らなかった首脳たちも、ここでやっと全貌を知ることができたのである。
茶を一口啜ってから、フローレンツ王アズレトが口を開く。
「……しかし、不可解にも思えるな。人々を混乱させるためというには、どうにもメイナード王子のやり方はお粗末だ」
「というと、どのあたりが?」
問うたのはファルシェである。純粋な問いが八割、残りの二割が茶化しと言った表情だ。アズレトはどうやらファルシェが心底苦手であるらしい、薄くなりかけている頭を掻きながら慌てて答える。
「どのあたりといって……話を聞く限り、メイナード王子が行ったのは各国の王を襲うことと王領を封鎖すること、化身族や混血種を殺すことだろう? 具体性に欠けて、ひどく大雑把ではないか」
「なるほど。つまりアズレト殿としては、『やるからには徹底的にやれ』と言いたいと」
「そ、そんなことは言っておらん!」
「ファルシェ、話を脱線させるなよ」
ダグラスにたしなめられて、ファルシェは苦笑して沈黙した。
「メイナードの真の標的は、カーシェルとイリーネ、アスールだったんじゃないのかい。あんたたち三人は幼馴染なんだろ? 私の勝手な推測だけど、メイナードはその関係をぶっ潰したかったんじゃないのかね」
イル=ジナがそう言う。確かにそのような言動はあった。イリーネとアスールを苦しめるために、カーシェルを生きながら傷つけたり、アスールを苦しめるためにイリーネを殺そうとしたりした。寂しかったのだろうか。仲の良い三人に、嫉妬していたのだろうか。
けれども、イル=ジナの予測通りだとしたら、メイナードのなんと子供じみた動機だろう。冷めた言葉とは裏腹の、メイナードの幼さ。それが彼の弱さだったのだろうか。
「……しかし、アズレト殿の言う通り、不可思議ではある。ライオネル殿とエレノア殿を殺害してから、三年も時間を空けたのはなぜか。それだけ時間があったのに、どれも中途半端な計画……メイナードの思惑通り我らはおおいに混乱したけれど、むしろこれをきっかけに、国家間の繋がりは強まってしまった。……結局何がしたかったんだろう」
ダグラスの疑問に答えられる者はいない。束の間、議会場に沈黙が舞い降りた。
「逆なんじゃないかな」
カイとしては、別段大きな声を発したわけではない。だが、室内が静まり返っていたので、否応なしにカイの声はよく通った。一斉に注目を浴びて、居心地が悪くて視線を逸らす。
「逆というと、何が?」
カーシェルに問われ、カイは肩をすくめる。
「メイナードが目的のために【獅子帝】を使っていたんじゃなくて、【獅子帝】がメイナードを良いように操っていたんじゃないかってこと。イリーネやカーシェルの記憶を操ったのは、【獅子帝】の闇魔術でしょ。メイナードも、知らない間に記憶をいじられていたのかもね」
「あり得ない話ではないな。奴はメイナードではなく、【竜王】に仕えていると言っていた。最初から、【獅子帝】は何か別の理由があってメイナードを利用していたのだろう。隠れ蓑のようなものか」
アスールもそう同調する。それを聞いて、ファルシェが身を乗り出した。
「なら、やはり【獅子帝フロンツェ】の捜索が急務だな。暗鬼とやらを辿って行けば、奴を探し出せるという話だったが……」
「そうだ、その話だ。カーシェル殿、貴国から『暗鬼に気をつけよ』という忠告を頂いたが、フローレンツではそのような化け物を確認しておらんぞ」
アズレトがそう告げた。カーシェルもある程度予測していたのだろう、黙ってうなずく。ジョルジュもまた、口を開く。
「サレイユ国内でも、以前ブランシャール城塞で遭遇して以来、目撃情報は出ておりません」
「こっちもそうです。魔力に自信のある化身族に探らせましたが、戦果はありませんでしたね」
この報告はシャ=イオだ。ファルシェは持参した紙の束をめくりつつ言う。
「イーヴァンでは、リーゼロッテとの国境帯で二度ほど確認されている。どれも居合わせたハンターが対処できるほどの規模だったそうだ」
「……そのようだな。リーゼロッテにおける暗鬼の襲撃は、神都より東――すなわち、スフォルステン、ゴトフリートなどの貴族領と、ヘルカイヤ地方に集中している」
カーシェルの目配せを受けて、カヅキが地図をテーブルに広げた。リーゼロッテの国土を記したその地図上には、赤い印があちこちについている。暗鬼の襲撃情報を集め、図示したものだ。その印は、明らかに国土の東部地方に集中している。
その中で最も頻度が多い、襲撃の中心地は――。
「おそらく、暗鬼の巣はヘルカイヤ地方にあるだろう」
カイの隣に座るクレイザは微動だにしない。ただ黙って、じっと地図を見つめている。
一度どこかに巣を作ってしまうと、その巣からあまり離れた場所では暗鬼を生成できないらしい。だからサレイユやフローレンツなど、リーゼロッテから遠い国では被害が出ないのだ。――あくまで、それらの国に巣が作られなければ、の話だが。
「巣の場所の特定はできたのかい?」
「まだだ。アーヴィンとエルケが探してくれている。そろそろ戻ってくるはずだが」
クレイザのさらに隣に座るニキータが、息を吐き出しながら椅子に深く腰掛ける。彼が「場所なんて分かりきってるのにな」と呟いたのを、カイだけは聞き逃さなかった。分かっていれば言えばいいのに――と思わないでもないのだが、たぶん、彼らは複雑なのだ。故郷に暗鬼の巣があることを認めたくないが、「ああやっぱり」という思いもあるのだろう。
なにせ暗鬼の巣が形成されるのは、怨念や憎悪が集まりやすい場所。ヘルカイヤ地方には、そんな場所はたくさんあるのだから。
いつも良いタイミングで登場するアーヴィンとエルケが帰参したことを衛兵が知らせてきたのは、やはりそれから間もなくのことだった。カーシェルの許可に応じて、アーヴィンとエルケが会議室内に入ってくる。豪華な面々が勢ぞろいしているのを見てアーヴィンはたじろいだようだが、エルケはしれっとした顔だ。カイの想像だが、エルケという男は優雅な言動ながら肝が据わっているに違いない。二十年前の戦役を生き延びただけのことはある。
お帰りなさい、とねぎらいの声をかけたイリーネに、アーヴィンがはにかんだ笑顔を見せる。……見ているこっちが恥ずかしくなるほどに嬉しそうな顔だ。出会ったばかりのころはあんなにも勇ましかったアーヴィンが、すっかり骨抜きにされてしまっている。
アーヴィンははっと我に返ると、表情を改めてカーシェルのほうを見た。
「暗鬼の巣と思われる場所、見つけました。旧ヘルカイヤ公国の北東部、パドラナ盆地です」
クレイザは、やはりぴくりとも動かない。ニキータは、少し眉に皺を寄せた。
パドラナ盆地の名を聞いたカーシェルは、彼らしくもない、すぐに言葉が出ないようだった。妙な間を挟んで、それから口を開く。
「――分かった。ありがとう、アーヴィン、エルケ。……嫌な役目を押し付けたな」
「いえ……お役に立てるなら、これくらい」
アーヴィンはそう首を振って、カーシェルの前を退いた。ニキータの隣の空いている席に座り、それから心配そうにクレイザをちらりと見やる。
「ほ、本拠地が分かったのならば、早々に手を打たねばなるまい。カーシェル殿、我がフローレンツから兵をお貸ししよう。化身族の手が必要ならば、協会に依頼を出しても良い」
何とも言えない空気感に耐えかねて、アズレトがそう申し出る。フローレンツは貧困に苦しみ、他国からの援助を少なからず受けている。だというのに、最も援助してくれているリーゼロッテの危機に、フローレンツだけが駆けつけることができなかった。アズレトはそれに危機感を持って、どうにか恩を売ろうと必死なようだ。
「敵は無限に湧き出てくる、確かに兵は多く必要だ。うちには優れた化身族の兵が揃っているから、呼び寄せようか」
「パドラナ盆地へ行くには陸路より海路のほうが速い、移動用の船を出そう」
「物資面はイーヴァンが引き受けるぞ」
イル=ジナ、ダグラス、ファルシェも次々と援助を申し出る。こんなことが、長い大陸の歴史の中でいまだかつてあっただろうか。大陸全土の国々が協力して事に当たるなど、そんなことが。
だが、カーシェルは首を振る。
「それでは遅すぎる」
「しかし、カーシェル」
「援軍の申し出は、とてもありがたい。だが暗鬼が出没するようになって、もう一か月だ。ヘルカイヤ地方の人々は既に疲弊している。援軍が揃うまで待っていたら、取りかえしがつかなくなるかもしれない」
カーシェルの意見は尤もだっただけに、誰も言い返せない。だが、厳しい戦いになるのは分かりきっていた。
「……じゃ、じゃあ、私が協力する!」
急にそう宣言したのはヒューティアである。これには契約主であるファルシェも驚いたようで、隣に座る金髪の美女を振り返った。
「ヒュー、お前……」
「わ、私は暗鬼を祓えるよ。それに、もうここまで来ちゃっているんだから、援軍を呼ぶまでもないと思うの。だ、だめかな……?」
戦うことがあんなに嫌いだったのに、誰に言われたからでもなく、ヒューティアはそう言ったのだ。危険な戦いになるのを理解したうえで。
ふっと不敵に笑い、同調したのは血気盛んなイル=ジナだ。
「そいつはいいね。待っているのは性に合わないし、私も戦力に数えてくれよ」
「陛下が戦われるのであれば、ぜひこの私も」
シャ=ハラも追従し、横でイオが盛大に溜息を吐く。無茶無謀が特徴だという女性二人を引き止めるつもりは、端から頭にないらしい。これにはカーシェルもやや慌てた。
「いや、イル=ジナ殿、王である貴方にそのようなことをしていただくわけには……」
「それはこっちの台詞だよ、カーシェル。どうせあんただって戦場に行くつもりだろ。寡兵で挑むってんなら、せめて腕利きを連れていきな。私のようなね」
自信に満ち溢れたイル=ジナに、さすがのカーシェルも気が抜けたように笑ってしまう。
「……では、お言葉に甘えよう。カヅキ、獣軍の編成を急げ。魔術を扱える強者をなるべく選び、残りは神都の防衛に充てろ」
「了解した」
指示を受けたカヅキが、すぐさま会議室から出ていった。それを見送って、ニキータが口を開く。
「ヘルカイヤには強力な化身族が多い。呼びかければ、奴らも手を貸してくれるだろうよ。なんなら、俺が旧知を当たっても良い」
「ありがとう、ニキータ殿。カイとチェリン嬢は……」
「勿論、俺たちも一緒に行くよ。ね、チェリー」
「ええ」
アスールなど、聞かれるまでもなく行く気満々だ。イリーネも。カイたちが討ちそびれた【獅子帝】が、この騒動を引き起こしているのだ。後始末はきちんとしなければならない。
今後の方針が慌ただしく定められた。リーゼロッテの獣軍が中心となって暗鬼の巣へ進撃し、戦える者が手を貸す。そうでない者たちは国へ戻り、万が一に備えて援軍の手配をする。イーヴァンやケクラコクマなど、軍に化身族を有する国からは、機動力に優れた鳥族の兵を先駆けて派遣するということになった。
そうして会議が終わりつつある中で、一言も発言しなかったのはクレイザである。いつでも朗らかだったクレイザが、このときは沈鬱な表情を保っている。
「――またあの場所で、血が流れる」
ぽつりと、クレイザが呟く。二度とヘルカイヤに戦いを持ちこまない、それを誓って国を出たクレイザにとって、今回のことはどれだけの苦痛だろう。
会議が終わり、首脳たちが退席していく中でも、クレイザは椅子から立ち上がらなかった。何か考えたまま、じっと床へと視線を落としている。カーシェルはそんなクレイザを見て、意を決したように歩み寄ってくる。そしてクレイザの真正面に立った。クレイザが驚いたように、初めて顔をあげる。
「クレイザ殿。……今や私にとっても、ヘルカイヤは守るべき場所、守るべき民たちです。決して民たちに血は流させない。私の名誉と、貴方に誓いましょう」
パドラナ盆地は、二十年前のリーゼロッテとの戦争で、最大の激戦地となった場所。
クレイザの父であるハーヴェル公爵や、その他多くの家臣たちが散ったのも、その戦場だったという。
その言葉を聞いたクレイザは、ふっと目元を和ませた。
「……貴方を信じています。貴方が嘘を吐いたことなど、一度もなかった。僕はそれを知っています」
「クレイザ殿……」
「どうか、よろしくお願いします。力を持たない、不甲斐ない僕の分まで……ヘルカイヤを救ってください」
クレイザは深々とカーシェルに頭を下げる。……もしカイがクレイザの立場にいたら、盛大に腹が立っていたかもしれない。自国を滅ぼしたリーゼロッテに頼らざるを得ない自分、戦う力を一切持たない自分に、むかついたと思う。それでもクレイザは、見栄を張ることなどなかった。彼本人の器の大きさと、カーシェルの真摯さ、誠実さがそうさせたのだろう。
「戻れるか、ヘルカイヤに」
ニキータがそう問いかける。顔を上げたクレイザは笑みを浮かべた。もう、そこには憂いの色はない。
「戻るよ。ヘルカイヤは僕を歓迎しないかもしれないけど……」
「歓迎しないわけがあるかよ。俺たちの故郷だろ」
「――うん、そうだね」
公爵の立場を失って、ただの一般人になった今でもヘルカイヤを背負おうと必死な若者を、拒むはずがない。カイもまた、ニキータの意見に心中で全面同意したのだった。