◇刻まれし時(11)
なくした右腕を押さえながら、メイナードはよろめく。もう完全に、メイナードに余裕はなかった。ただ驚愕の表情で、目の前に立つカイを凝視している。
「なぜ……なぜ生きている? 確かに契約具を砕いたはずなのに……!」
それに答えたのは、カイの横まで歩み寄ってきたニキータだ。
「契約具ってのは、契約の補助でしかねぇんだ。人間と化身族の間で強い信頼関係が生まれれば、契約具なんて必要なくなるのさ」
「そんな馬鹿な……」
「おいおい、じゃあ俺はなんだっていうんだ? 契約しながら諜報員として各地を飛び回っていた俺は、さ」
契約を交わすと、契約具を持っている人間から離れて行動ができない。それが鉄則だ。
けれども、言われてみれば――ニキータは長年、ヘルカイヤ公国に仕えて諜報活動をしていた。契約具を渡していなかったのかとも思ったが、ニキータの契約具は二十年前まではハーヴェル公爵の手にあったのだ。ニキータの説の生き証人は、ニキータ本人なのだ。
「カイ!」
イリーネはカイに飛び付いた。いつものイリーネなら、はしたないと思ってできなかったことである。だが今はなんでも良かった。カイは生きてイリーネの前にいる。この喜びを、他にどう表せば良いのだろう。
勢いよく飛び付いたイリーネを、カイは驚きつつもしっかり抱き止める。イリーネはカイの腕の中で、その温もりを確かめる。
「本当に、生きてる……! 良かった、良かった……!」
「ごめんね、心配かけて」
カイは微笑んだ。
「気絶してたのはほんの一瞬だったんだけど、ニキータが寝てろってうるさくてさ。変な演出の片棒を担がされたんだ」
メイナードを欺くための演技として、死んだふりをしていたのか。ああ、クレイザは言っていたではないか、「大丈夫だ」と。訳もなくニキータがカイのそばに突っ立っていたはずがない。彼らは何か企んでいると、クレイザは見抜いていたのだ。
「契約が解除されていたのにイリーネの気配が追えたのも……契約具を砕かれても死なずに済んだのも、こういう理由だったんだね。契約具という媒介なく成立する人間と化身族の繋がり……これが契約の極地で、最終目的地なのかもしれない」
契約具は失われたが、イリーネとの契約は失われていない。むしろより強くなった。カイはそう言う。
「全部、イリーネのおかげだ」
「私の……?」
「出会ってすぐの時に、言ったでしょ。『俺を信じて』、『それが俺の力になる』って」
覚えている。あれはフローレンツのエフラの街で、初めてカイがデュエルする場面を見た時。力を貸してくれと頼んできたカイに、何をすればいいのかと尋ねた時に、言われた。『信じてくれればそれでいい』と。
あれから、決して短くない月日を、カイとともに過ごしてきた。極貧のハンター時代から、記憶を取り戻した後もずっと。戦いも多かったが、いつもカイはイリーネの一番傍で守ってくれた。最後には必ず勝利して、「大丈夫だよ」と頷いてくれた。
カイは特別だったのだ。幼馴染のアスールとも、なんでも相談できるチェリンとも違う。イリーネにとってカイだけは、特別なヒトだったのだ。
カイにとってのイリーネもそうだったのなら、嬉しい。――いや、カイもそう思ってくれたから、契約具を失っても生きながらえることができたはずだ。
「俺を信じてくれてありがとう、イリーネ」
優しくて暖かな言葉が、イリーネの胸に染みる。礼を言いたいのはイリーネのほうなのに、色々な感情が詰まって言葉にならない。
ただ、大きく頷いた。何度も、何度も。それ以外、何も言えなかった。
「認めない……! 認めない、認めないッ! 人間とケモノの絆……そんなものは、まやかしだ……ッ!」
メイナードが叫んだ。彼の目は余裕を失い、血走っていた。その激情に応じて、メイナードの周囲で魔力が渦巻きはじめる。その量は膨大で、ニキータですら後ずさるほどのものだ。カイはイリーネを背に庇う。
「ケモノは滅ぼさなければならない! そうでなければ、人間の支配下に置いて管理しなければならない! それが女神教の教えで、この国の基本理念……ケモノが自由意思などを持ったら、リーゼロッテは崩壊するに決まっている……ッ」
魔術とも呼べない、魔力そのものが叩きつけられる。それを防いだのは、カイの“凍てつきし壁”。
氷壁はびくともしない。メイナードの魔力は消え失せ、分厚い氷だけが残った。その氷の向こうで右手を突きだしながら、カイはメイナードを見つめている。
「……じゃあ、壊してあげるよ。君のリーゼロッテを」
カイが腕に力を込めると、氷壁は粉々に砕け散った。その礫がメイナードへ向けて殺到する。先程感情任せに魔力を放出したせいで、メイナードは防ぐだけの力を失っていた。氷の弾丸を浴びて、彼は倒れこむ。柱に背をぶつけ、そのまま床に座り込む。
それきり動かずにいるメイナードに向けて、滑るようにカイが前進する。と、それを制した者がいる。カーシェルだ。カイはそれに応じて動きを止める。
「メイナード」
カーシェルが呼びかけても、メイナードは俯いたまま動かない。ただ荒い呼吸音だけが響く。
「メイナード。お前の境遇には同情する。私はお前に歩み寄ったつもりでいたし、お前も私に馴染もうと努力していてくれたのに、どうやら私たちは失敗してしまったようだな」
「……」
「だが、王者は個人のために尽くしてはいけないんだよ。お前の行動がすべてシャルロッテ殿のためだったというのなら、それは王者の道ではない。けじめはつけさせてもらうぞ」
言いながらカーシェルは剣を構える。剣を後ろに引き、刃を水平にする。刺突の構えだ。
それを見たメイナードは、小さく笑った。掠れた声がその口からこぼれる。
「……優しいなぁ、義兄上は……」
揶揄するような響きは、なかった。カイにもアスールにもメイナードの始末は任せない、弟の不祥事は兄が片付ける。そうしたカーシェルの心意気が、メイナードにも分かったのだろうか。
イリーネも目を逸らさない。逸らすことは許されなかった。
メイナードに抵抗の意思はない。カーシェルがぐっと床を蹴ろうと足に力を入れた。
その時、異変が起こった。
メイナードが座っている場所の床が、突如闇色に染まった。驚愕したカーシェルが足を止める。
噴き出した闇がメイナードを包み込む。そして一瞬ののちには、メイナードの身体の至る所に闇色の槍が突き立っていたのである。
「……!」
「メイナードお兄様……!」
カーシェルとイリーネは、思わずメイナードのもとへ駆け寄った。カーシェルがメイナードの首筋に指を当て――そして険しい表情で小さく首を振る。今の一撃で、メイナードは完全に息絶えていたのだ。イリーネも絶句し、一瞬で死体と化した実兄の姿を見下ろして後ずさりする。
二人を守るように、カイやアスールは周囲を警戒している。そしてすぐに、カイはメイナードを殺害した犯人を見つけた。
玉座の間の入り口に佇む男がいる。扉が開いた音も、気配も一切感じられなかった。いつの間にかそこにいて、離れた距離からメイナードを殺害した者――。
「……【獅子帝】!」
カイが眉をひそめた。ニキータが信じられないものを見たような表情で進み出る。
「おい、嘘だろ。確かに息絶えたのを見たぞ……!?」
イリーネも驚いて振り返る。そこにいたのは、いつもの白服に金髪の若者。端正な顔立ちに表情が浮かんでいないのも、イリーネの記憶通りだ。
だが、ここに来るまでにカイたちと戦っていたというのなら――なぜ、彼は無傷なのか。服の破れさえない。掠り傷さえない。
フロンツェはそこに立っている。真っ直ぐにこちらを見つめて、黙っていた。
気味の悪い沈黙が舞い降りる。それを破ったのは意外にもフロンツェだ。彼はゆっくりと歩み寄ってきて、こう口を開いた。
「失敗作だったな」
と。
初めて聞いたフロンツェの声は、外見にそぐわぬ低さと落ち着きを持っていた。その声で紡がれた、「失敗作」の単語。何と辛辣な一言だろう。
カイもアスールもニキータも、返す言葉がなかった。ただ身構えながら、近づいてくるフロンツェを警戒することしかできない。
「最後の最後で情に流される……結局、奴もただの人間だったということか」
冷めた視線を、フロンツェは死んだメイナードへと送る。ずっと喋らなかったのはなんだったのかと思うほど、自然と彼は言葉を発している。
「貴様……何者だ?」
アスールが問いかける。それは単純な誰何ではない。得体の知れないこの男に、他の問いかけができなかったのだ。イリーネたちは彼のことを【獅子帝フロンツェ】だと思っていて、メイナードもそうだと思っていた。だが本当はどうなのか。彼は一体何者で、何が目的なのか。なぜ生きているのか、なぜメイナードを殺したのか、聞きたいことは山ほどあった。
フロンツェは初めてこちらを見据える。そして答えた。
「俺はフロンツェ。【竜王】に仕える者だ」
トライブ・【ドラゴン】の存在は、もはや伝説と化している。しかし、確かにかつては存在したらしい。個体数は少ないが、絶対的な力を持った破滅の使徒、最強の化身族。
その中でも【竜王】の称号を持つ者は、今も昔もひとりしかいない。
レイグラン同盟盟主、【竜王ヴェストル】。
三千と数百年前、人間と争い、エラディーナに討たれたとされる男。
「【竜王】が、生きている……?」
呟くと同時に、悪寒のようなものが背筋を駆け上がる。長命な種族だとは聞いている。だが三千年以上を、誰にも知られずに生きてきたというのか。フロンツェのような強者を従えて。
「それなりの役には立ったが、その男はもう用済みだ。余計なことを喋られては困るから、始末に来た。……それだけだ」
「逃がすか……!」
踵を返したフロンツェに向けて、アスールが剣を構えて疾駆した。同時にカイも“凍てつきし礫”を放つ。
フロンツェの背に剣を突きだす。けれどもアスールの刺突は目に見えない壁にぶつかり、激しく弾かれた。カイの魔術も同じものに激突し、地に落ちる。一切アスールらに気を留めずに、フロンツェはすたすたと歩いていく。やがてその姿はぶれ、消え去ってしまった。転移系の魔術を使ったのだろう。
それでもなお食らいつこうとするアスールとカイに、制止の声を投げかけたのは、やはりカーシェルだった。
「アスール、カイ、深追いはするな」
「しかし、カーシェル……!」
「満身創痍で挑んで勝てる相手ではないだろう……また相見えた時に、きっちり討ち取ってやるさ」
カーシェルは言いながら、視線をメイナードへ向ける。義弟の身体を貫いていた闇の槍は消え失せ、傷跡すらもない。それでも彼が息絶えているのは間違いないことだった。メイナードのことは生かしておかないと決意していたカーシェルではあったが、このような結末は非常に後味が悪い。
ひとつ溜息を吐いて、カーシェルは立ち上がる。と、窓辺に近寄ったニキータが何かを見て声をあげる。
「おい、地上が騒がしいようだぞ」
てっきりフロンツェが何かしたのかと思ったのだが、そうではなかった。イリーネの視力でもなんとか見える範囲だったが、地上の庭園で争いが起きているようだった。それはほぼ一方的な戦いで、叩きのめされているのはメイナードに味方した教会兵や正規軍兵、叩きのめしているのは捕らわれていた獣軍兵やカーシェルの部下たち。身動きが取れずにいたはずの味方が戦っている姿に、カヅキが唖然としている。
「あいつら、自力で脱出したのか……?」
するとすぐに、黒い影が地上から急上昇してきた。先程メイナードに飛び掛かって呆気なく吹き飛ばされたはずの、アーヴィンとエルケだ。ふたりとも傷を負ってはいたがどれも浅いもので、どうやらぴんぴんしていたようだ。恐るべき生命力である。
「クレイザさま! ご無事で!?」
「アーヴィン、君こそ……! なんともないのかい?」
「ご心配なく! 僕もエルケも頑丈なのが取り柄ですから!」
胸を張ったアーヴィンを見て、すっかり気が抜けたようにカイが笑う。
「さすが、俺とまともに戦って三回も生き延びただけはあるね」
それはイリーネと出会う前の話だが、そのあとも数回カイにふっとばされていた。確かな頑丈さだ。
地上の騒ぎについてクレイザに問われたアーヴィンは、さらりと言ってのけた。
「吹き飛ばされて落ちた先が、兵が閉じ込められていた宿舎だったんです。見張りを倒して事情を説明したら、王太子や獣軍将を援護するために決起してくれました。城内にいるメイナード王子の部下はあらかた捕縛し終えましたよ」
「……驚いたな。少年、君の軍才はたいしたものだ」
カヅキが心から賛辞を送ると、アーヴィンは胸を張るのをやめ、本来の彼らしく照れ始めた。
「クレイザさまならきっとそうするだろうって、考えながらやっただけなんだ」
「それでも、大勢の部下の命を救ってくれたことは事実。礼を言わせてもらう」
頭を下げたカヅキに慌てているアーヴィンの姿を、クレイザは嬉しそうに見つめている。幼いころからクレイザに仕えてきたアーヴィンは、紛れもなくクレイザの後継者なのだ。クレイザの優れた鑑識眼も、状況判断力も、確実に受け継がれている。それが誇らしいのだろう。
思えばアーヴィンとエルケは、この戦いの中で必要な時には必ず駆けつけてくれた。メイナードに斬られそうになったイリーネを助けるために特攻を仕掛け、吹き飛ばされた先では兵士の解放という大役を担っていたのだ。功労者と呼んでも過言ではない。
「カヅキ、疲れているとは思うが現場指揮を執りに行ってくれ。お前の姿を見れば、みなも安心するだろう」
「承知した」
カーシェルの指示に頷いて、カヅキはその場を立ち去る。少しずつ戦いは収束し、後始末の段階に入ってきた。戦いは終わったのだと、イリーネもようやく実感する。
カーシェルはイリーネのほうを振り返る。目が合うと、義兄は優しく微笑んだ。軽く手を広げてくれたので、イリーネはその手を取って歩み寄る。そうしてやっと、ゆっくりカーシェルと向き合うことができた。
「イリーネ、苦労を掛けたな。ここまで大変だっただろう」
「そんなことはないです……カイもアスールも、みんな一緒にいてくれました。ひとりだと辛かったけれど、でも、ひとりじゃなかったから」
「そうか……」
笑みを深くしたカーシェルは、フロンツェの追撃を諦めて戻ってきたアスールとカイに向けられる。
「アスール、リーゼロッテの因縁に巻き込んですまなかった。オーギュスト陛下のことも……」
「いや、いいのだカーシェル。それに、巻き込まれたとは思っておらぬよ。カーシェルとイリーネの一大事は、私の一大事だからな」
さっぱりした表情でアスールは言う。本来サレイユの王子であるアスールが、リーゼロッテの内紛に参加するのは良いことではない。だがそんなことはアスールにとってたいしたことではないのだ。アスールにとって大切なものははっきりしている。それを守るためなら、身分だろうがなんだろうがアスールは蹴り飛ばしてしまうのだ。
カーシェルの目は、次にカイへ向けられる。
「カイ、久しぶりだ。……恐ろしいくらいに十五年前と見た目が変わっていないな」
「君は成長したね。背も高くなったし、声も低くなった。もう立派な大人だ」
「それでも、まだあの時の貴方のほうが大人だったよ」
「人間と化身族の年齢を比べないでくれます?」
年齢を話題にすると怒るのはニキータだが、実はカイもよくご機嫌斜めになる。カーシェルは笑って「すまない」と話題を改める。
「ずっと……ずっと礼を言いたかったんだ。貴方が俺たちの重荷を引き受けて姿を消したことも、今回イリーネとアスールを守ってくれたことも。ありがとう、本当に」
「今も昔も、俺は自分がしたいようにしかやっていないよ。……君も無事で良かった」
カイはそう言いながら、カーシェルが差し出した手を固く握った。
メイナードは討たれ、カーシェルとカヅキは救出された。フロンツェは逃がしたが、目的も分からなくなってしまった以上は追いかけようもない。それよりも今は、メイナードを弔い、傾いたリーゼロッテ王室を建て直し、国情を落ち着け、カーシェルたちにはゆっくり休んでもらわなければならない。手を貸してもらったファルシェやダグラス、イル=ジナに礼をして、メイザス伯の無事を確かめよう。
やることはたくさんあったし、これからが大変なのだが、イリーネは憂鬱には思わなかった。昔とは違う、いまならイリーネはカーシェルの助けになれる。
それに――。
「終わったね、イリーネ」
カイがそう口を開くと、乱れた黒髪を指で梳いていたチェリンが、イリーネを心配そうに見つめた。
「イリーネ、大丈夫? ずっと治癒術使って、疲れたでしょう」
「私なら平気です。チェリンこそ、傷は……」
チェリンの傷はイリーネが治癒していたが、完治には程遠い、応急処置のようなものだ。それでもチェリンは明るく笑う。
「ここまで治してもらったんだもの、もう放っておいても治るわよ」
「ほ、放っておくなんて駄目です!」
「はは、怪我のこととなるとイリーネは頑固になるな」
「カーシェルお兄様、笑っている場合じゃないですよ。アスールも! みんなまとめて、あとで診させてもらいますからね」
うっかり墓穴を掘ったチェリンの巻き添えを、カーシェルとアスールが食らった。あまり大口を叩くとカイのお咎めが飛んでくるかと思ったが、カイはそのことについて何も言わなかった。イリーネの気持ちを尊重して、好きにさせてくれているのかもしれない。
「これからは国の立て直しと、【獅子帝】の捜索か。時間がかかりそうだね」
カイは柱にもたれかかってそう言った。彼の視線の先では、ヒューティアとチェリンとアスールが何やら三人で話している。そのうちヒューティアが感極まって泣き出し、チェリンとアスールが慌てて宥めはじめた。戦いが終わって気が抜けたのだろう。
「はい。……あの、カイ?」
「ん?」
「カイは、このあと……」
言いかけて、イリーネは口を閉ざす。カーシェルを取り戻すというイリーネの目的は果たした。アスールはサレイユに戻るだろうし、おそらくチェリンもついていくだろう。ヒューティアはファルシェの元へ帰り、ニキータとクレイザはまた放浪の旅に出るのだろうか。
カイは、フローレンツに戻ってしまうのだろうか? ――それを思うと、口に出すのが怖くなる。カイがそのつもりだと答えたら、イリーネは引き留められない。カイにとって化身族差別の強いリーゼロッテは、居心地が悪い。あの静かなオスヴィンの古巣に戻りたいというのなら、イリーネはそれを尊重してあげたい。
カイのことだから、それでもイリーネの元に残ってくれるのではないか。そういう予感もある。だからこそイリーネは、カイに我が儘を言った。カイが「残る」と告げてくれる前に。
「ここに、残って……一緒にお兄様を手伝ってくれませんか?」
思えば、誰かを引き止めるのは初めてだった。
そう告げると、カイは「もちろん」と即答してくれた。
「どこにイリーネを狙う不埒者がいるか分からないし、ひとりじゃ危なっかしいしね」
「……わ、私、そんなに危なっかしいですか?」
「そりゃもう」
そんなはっきり言わなくてもいいのに、と少々むくれると、カイは笑う。
「心配しなくても、君の影の差す場所に俺はいるよ。……これからもよろしくね、イリーネ」
「はい……!」
カイが傍にいてくれる、それがこんなにも嬉しい。
やることも懸念事項も山積みだったが、いまだけは、皆が無事生き延びられたことを喜びたいのだ。




