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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
7章 【女神微笑む地 リーゼロッテ】
164/202

◆刻まれし時(8)

 フロンツェと戦ったことでだいぶ時間を失っていたが、幸いにもカイたちは獣と鳥だ。化身してしまえば機動力は獣のそれと同じである。ニキータの背にカイが、チェリンの背にアスールがそれぞれ乗り、ヒューティアと並んで、三人は全力で駆けたのだ。おかげで、徒歩で移動していたイリーネたちにぐんと近づくことができた。


 カイたちが素早く移動できた理由は他にもある。イリーネたちの居所を示すヒントが、そこかしこにあったからだ。

 ニキータが本城への潜入口に選んだのは、図らずもイリーネらが通ったあの通用口だった。扉を開けてまず最初に目に入ったのは、屍の山。メイナード側についた兵士たちだ。予想外の光景に、思わずカイたちは足を止める。


「見張りが倒されている……この傷は、斬撃だね」


 おっかなびっくりに死体を覗き込んだヒューティアが、その傷を確認する。それを聞いたアスールとニキータが首を捻った。


「イリーネは剣など握ったことがないぞ」

「構えくらいは知っているらしいが、クレイザもまるきりの素人だ。こんな的確にヒトを斬れる技量なんざないはずだぜ」


 カイは周囲を見回す。床の前面に絨毯が敷かれて、足跡など残っていない。誰がこの場にいたのかを知る術はなかった。


「先客がいるのか……それとも、誰かがイリーネたちと行動を共にしているか、だね」

「誰かって、誰?」

「分からないから『誰か』なんだよ」


 言いながらも、なんとなく見当はついていた。この城を自由に歩けて、メイナードと敵対する人物。そしてこれだけの人数を相手取って、難なく斬り伏せてしまう技量……カーシェルを除けば、そんな人物はひとりしか思い当らない。敵がうじゃうじゃいるであろう場所に忍び込んで、イリーネが心の平静をずっと保っていられるのだから、それはきっとイリーネにとっても頼もしい味方。【迅風のカヅキ】そのヒトだろう。


「カイ、イリーネの気配は?」


 アスールに問われて、カイは天井を見上げる。


「上の階だ。どんどん移動している」

「ふむ……さっさと追いかけたいところだが、ここらの構造は入り組んでいてな。上の階にあがる階段もどこにあることやら」

「さすがに俺も城内の間取りまでは知らんぞ」


 ニキータがお手上げだというふうに手を挙げる。ヒューティアは困ったようにチェリンを見やった。


「チェリンちゃん、イリーネちゃんたちの匂いとか追えない?」

「あたし鼻は利かないから……そういうあんたはどうなのよ?」

「わ、私も無理……ごめんね……っ、役に立たなくて……」

「ちょ、ちょっと、何で泣くのよ」


 めそめそしだしたヒューティアを、チェリンは慌てて宥めている。とりあえず近辺の様子を見て、現在地を見失わないようにしながらひとつひとつ道を確かめていくしかない。そう思って移動を始めた矢先、またしても行く手に現れたのは倒された兵士の遺体だった。しかも血の跡がひとつの方向へ向かって点々と滴っていて、まるで順路を示す目印のようだ。


「これを辿っていけば、イリーネらに追いつくかもしれないな」

「うわ、嫌な目印だなぁ」


 アスールの言葉に、思わずカイは身震いする。しかしそれしか方法はなさそうだ。イリーネの気配は感じても、イリーネがどこを通ったかはカイには分からない。天井を突き破ることもできないので、地道に歩くしかなかった。


 行けども行けども景色の変わらない部屋と廊下を歩き、時々出会う兵士の亡骸を頼りに進む。先客が軒並み兵士を倒してくれたのか、カイたちは敵と遭遇しなかった。それが良いことなのかはともかくとして。


 相変わらずカイは化身できない状態が続いているが、イリーネの気配だけははっきりと分かる。そうだと確信してからは、疑いようもないほどに強い気配。今までカイが『イリーネの気配』だと思っていたものは、実は契約具の気配でしかなかった。契約具がなくなってなお感じるこの暖かさこそ、本物の『イリーネの気配』なのだ。契約具に惑わされて、カイはそのことに気付きもしなかった。


「……ニキータ、あんた、本当はクレイザがどこにいるのか知ってた?」


 後方を固めていたカイは、隣を歩くニキータにそう声をかけた。それは問いというよりも確認だ。この男、カイが離宮にイリーネの気配を感じると言えば「俺もそっちに行きたかった」と言い、カイが気配を見失ったときには「本当にそうか」と念を押してきた。それは紛れもなく、彼自身がクレイザの気配をなんらかの方法で読み取っていたからに他ならない――。


「まあ、なんとなくな」

「なんでそれを言わないかなぁ」

「イリーネとクレイザが同じ場所にいるって確証はなかったからな。もしかすると、ふたりは別の場所に捕まっていたのかもしれなかったし」


 それはそうだが。カイがイリーネの気配を感じ取れなくなって焦っていた時に、「クレイザの場所なら分かる」と言ってくれていたら、かなり気が楽になったのに。仮にイリーネとクレイザが別の場所にいたとして、全員でイリーネだけを探していたら、あまりにもクレイザが可哀相ではないか。クレイザはニキータの主筋なのに。


「心配じゃないの、クレイザのこと。それとも信頼してるの?」

「おいおい、戦力としてクレイザを信頼できるわけねぇだろ」

「酷いな」


 言い切った黒衣の大男に白い目を向けると、ニキータは軽く肩をすくめた。


「だが、状況判断だけはできる奴だ。自分も戦えない、イリーネも戦えない、そんな二人組が何をしようと無駄だ。クレイザなら、俺たちが駆けつけるのをどこかで待つはずなんだよ」

「……けど、クレイザは移動している」

「そう、たったふたりで敵の本拠地に乗り込んだ。こんな無謀なこと、普段のあいつならしない」


 クレイザは無茶無謀とは無縁のヒトだ。いつだって慎重で、ぽやぽやしているように見えて実は冷静に物事を見定めている。要領も良いし、大抵のことはそつなくこなす。そんなクレイザが無茶をするのは、なぜなのか。

 もしかして、カイの契約具を取り返そうと必死になっているイリーネに引きずられたのだろうか――。


「いや、それは違うな」


 ぽろりと口から出た言葉を拾ったニキータが、即座に首を振る。


「確かにイリーネの気持ちを尊重したいって思いも、クレイザにはあっただろうがな。あいつが動いた一番の理由は、それじゃない」

「じゃあ、なんで?」

「『勝算があるから』に決まってんだろ」


 その言葉に、カイは目を丸くした。カイの反応に満足したのか、ニキータはにやりと笑う。


「言っただろ、クレイザは状況判断ができる。どこかに隠れて俺たちの到着を待つよりも、攻め込むが吉と考えた。多分、この死体の山を築き上げたやつと遭遇してな」

「……やっぱり、獣軍将かな、これ」

「だろうな。お前や【獅子帝】の状態からして、カヅキも化身を封じられているのかもしれん。あいつは剣もできるし、生身で魔術も使える。俺ですら攻撃を当てるのが難しい相手だ、人間相手に遅れは取らんよ」


 ニキータの必中の攻撃、“黒羽の矢(ヴォルト・アロー)”をも完全に見切った男、それがカヅキなのだという。二十年前、このふてぶてしいニキータをして『もう少し戦いが長引けば負けていたかもしれない』とまで言わしめた戦士だ。カイもその力は知っている。十五年前、カイの分厚い氷の壁をあっさり両断してきたのだから。


「なるほど。つまりクレイザの判断を、あんたは全面的に信用していると」

「そういうこったな。今頃盛大にカヅキをこき使っているんじゃねぇか?」


 そのニキータの言葉は限りなく真実に近かったのだが、今のカイやニキータがそれを知る術はない。


 クレイザが大丈夫だと判断したのだから、イリーネも大丈夫だろう。狡猾で抜け目のない一面を持つクレイザなら、大概の危機は自力で脱する。本当に駄目だと彼が判断すれば、イリーネを連れて一目散に逃げる。いまはまだその時ではないから、クレイザは前進を続けているというわけだ。


 再び死体の傍を通り過ぎる。彼らは教会兵ではなく、リーゼロッテ正規軍の格好をしていた。正規軍の中にもメイナードに賛同する者がいるのだろう。皮肉なことだ。カヅキが率いる獣軍も、正規軍の一部であるというのに。


「……あったぞ、階段だ」


 廊下の角を曲がると、目の前に二階への階段があった。上を見上げると、そのまま階段はさらに上層階へと続いている。どうやら一気に上がれそうだ。

 先頭を行くアスールが階段を上りはじめる。と、カイの鋭敏な耳が微かなヒトの声を捉えた。何やら言い争う男女の声だ。そのまま階段を上りきろうとするアスールを引き止め、カイはそっと行く先を覗き見た。二階の構造は、複雑だった一階とは大違いで、一直線の廊下にいくつもの個室の扉がずらっと並んでいる。その個室の一部屋の前で、ひとりの女性と三人の兵士が押し問答をしていたのだ。カイの後ろからその様子を見たアスールが、はっと息を呑む。


「……ですから、どうぞこの部屋でお待ちください。いま城内には敵が入り込んでいて、大変危険なのです」

「お前たちに心配される謂れはありません。そこをどきなさい!」

「なりません。第二妃殿下の御身を死守せよと、メイナード殿下より命じられておりますれば」

「私はそのメイナードと話をしに行くのです、何がおかしいと言うの。放しなさい、無礼者……!」


 カイの視線を受けて、アスールが頷いた。物陰から姿を見せたアスールは、剣を抜き放ちながら廊下を進む。少し遅れて、チェリンとカイもあとを追いかけた。

 接近するアスールの存在に先に気付いたのは、女のほうだ。すぐに兵士たちも気づき、慌てて剣を抜き放つ。


「き、貴様ら……!?」

「知らない間に、この国の正規軍も粗野になったものだ。ご婦人の扱いもろくに知らぬとは、カーシェルが聞けば嘆くだろうな……?」


 カーシェルの名は、おそらくこの兵士たちにとって最も聞きたくない単語であったのだろう。たじろぎつつも、剣を突きだしてくる。そのような迷いのある剣がアスールに掠ることなど、万に一つもない。無造作に振り下ろされたアスールの剣が、兵士の手首から先を斬りおとした。間髪入れずにアスールは横薙ぎの一撃を叩きこむ。上半身と下半身を半ば切断された兵士は、声もなく床に沈んだ。その時にはカイの氷の剣が別の兵士を斬り捨てており、残るひとりはチェリンによって軽々と吹き飛ばされていた。


 血濡れた剣を丁寧に布で拭って、アスールは鞘に納める。そして初めて女へと向き直る――憎らしいほどイリーネに似ている。その赤い髪色も、ゆるく癖のある髪質も、緑色の瞳も。


「シャルロッテ殿……ここで何をしているのです?」


 アスールの声は静かだが、言いようのない緊張感に満ちていた。第二妃シャルロッテは、イリーネを捨ててメイナードを溺愛する、『敵』だった。メイナードの命を受けた兵士と対立していたようだが、それだけでは彼女とメイナードの繋がりがないことを証明はできない。何より、過去の経験がアスールには刻み込まれているのだ。一応助けはしたが、気を許すつもりはないという雰囲気が伝わってくる。


「アスール王子……サレイユの王子である貴方がなぜ……? もしかして、カーシェルとイリーネを助けるために?」


 問いに問いで返されてしまったが、アスールは不快感を表しはしない。ただし、肯定も否定もしない。沈黙を貫いていると、シャルロッテがアスールにすがりつく。


「ならばお願い、私をメイナードのもとへ連れて行って。あの子を止めなければ」

「……止める?」

「そう、止めるのよ……いえ、もう殺さないと止まらないのかもしれない。とにかく、カーシェルとイリーネを助け出さなければいけないの。あの子たちは玉座の間にいるわ。さっきメイナード本人から聞いたのだから確かなことよ。早く行かなければ、間に合わないかもしれない……!」


 シャルロッテは必死だ。常日頃の強気はどこにいったのか、幼い少女のように『メイナードを止める』という言葉を繰り返す。対するアスールは冷淡だ。


「なぜ貴方がメイナードを止めようなどと?」

「なぜって……」

「メイナードを『助ける』、の間違いでは? 我々を騙して、メイナードと共にイリーネたちを殺すつもりなのではないのですか」

「そ、そんなわけがないわ! 私は……っ!」

「お言葉ですが、私には信じられません。メイナードを溺愛していた貴方の口から、そんな言葉を聞いても」


 紳士を自任するアスールとも思えない辛辣な言葉。言わずにはいられないのだろう。カイは黙ってそのやりとりを見ている。


「あれだけイリーネを虐げておいて、メイナードが狂気に走り出した途端にそれですか。貴方の二十年はなんだったんです? 二十年間メイナードだけを見てきて、変化に気付ける時はいくらでもあったはずだ。そのすべてを見逃して、あげく『殺さなければならない』? 貴方は、一体何人の運命を狂わせれば気が済むのですか……!?」


 今までイリーネを顧みなかったことよりも、あれだけ愛したメイナードをあっさりと見限ったということのほうが、アスールには許せないのだ。イリーネは決して不幸ではなかった。エレノアとカーシェルのもとで、愛されてのびのびと育ったのだから。対するメイナードはどうだろう。母親の強硬な態度のせいで兄妹との間に溝ができ、化身族に対して偏った差別意識を植え付けられた。メイナードの中の狂気が目覚めたのだとしても、その狂気を形成させたのはシャルロッテではないか。アスールはそう言うのだ。


「自分勝手にも程がある! メイナードを止めることは償いではなく、ただの逃避。その程度で詫びになると思ったら大間違いだ。イリーネやカーシェルが許したとしても……私は決して許さない」


 アスールがそう言ったときには、シャルロッテは震えて何も言えなくなっていた。カイは見かねて、アスールの肩を叩く。


「アスール、もうやめな。今はこのヒトを言い負かしているような暇はないでしょ」

「……そうだな。すまない、見苦しいところを見せた」


 幾分か冷静さを取り戻したアスールの声には、少し疲れが滲んでいた。本番前に疲れてどうする、とカイは苦笑を禁じ得ない。人一倍仲間想いな彼のこと、本気でシャルロッテが嫌いで仕方ないのだろう。


「――それでも……」


 ぽつりと、俯いたシャルロッテの口から声が漏れた。見ると、彼女の目には涙が浮かんでいる。


「それでも私は、これ以上メイナードがヒトに仇なすところを見たくない。あの子たち兄妹が争うさまを、見たくないの……」

「……」

「あの子の暴走を止めないと……カーシェルとイリーネが殺されてしまう……! それだけは……それだけは……!」


 それは彼女の本心であるように見えた。元々、偵察に出たニキータが報告していたではないか。シャルロッテは自ら剣を取ってメイナードを殺害しようとしたり、メイナードが殺した化身族や混血児たちの姿に悲しんだりしていたと。


「シャルロッテ。俺たちはね、イリーネを助けに来たんだ。そのためにメイナードを殺すかもしれない。それが君の本当の望みなら、ここで待っていて。ついてこられても足手まといだ」

「……お願い、メイナードを止めて……イリーネとカーシェルを助けて……!」

「分かった。君が俺たちの邪魔をせず、ここで待っていてくれるなら……全部終わった後、俺は君の誠意を認めるよ」


 カイの言葉に、シャルロッテは小さく頷いたように見えた。そのまま彼女に背を向けると、階段の傍で周囲の警戒をしていたニキータが、振り返りもせずに問いかけてきた。


「話は終わったか」

「うん」

「愛だの憎しみだのってのは、面倒臭いもんだな」

「……そうだね」


 すべてが終わって――イリーネは母を許すだろうか。優しい彼女のことだから、許そうとはするかもしれない。でも、母子にはなれないだろう。イリーネにとっての母はエレノアただひとりであり、エレノアはもうこの世にいないのだから。歩み寄りを見せたからといって、簡単にシャルロッテを母と慕うようにはできていない。ヒトの心は複雑で面倒くさい。それがヒトらしさなのかもしれないけれど。

 それでも自分たちは、この世界で生きて行かなくてはいけない。十五年前、少年だったカーシェルが言った言葉が脳裏に蘇った。人間の社会は面倒臭いと評したカイに、返した言葉だ。人間であるカーシェルたちは、単純明快な化身族の社会では生きていけない――あの時はそういう意味で受け取ったけれど、今思えば他の意味も込められていたのかもしれない。十歳にしてヒトの心の優しさも醜さも知っていたカーシェルの、なんと深い言葉だろう。急にそれを思い出して、カイは内心で舌を巻くのだ。


 広いダンスホールに、数十人の兵士の死体。その横を駆け抜けて、階段を上がる。

 その扉の向こうに、イリーネの気配がする。カイは勢いよく、扉を押し開けたのだった。

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