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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
7章 【女神微笑む地 リーゼロッテ】
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◇刻まれし時(5)

 カイたちが離宮に到着する、そのほんの数分前。


 イリーネとクレイザは本城へ至る道を駆けていた。何者がカイの契約具を奪ったのかは分からない――けれど、イリーネには妙な確信があった。東の離宮にはラウラ以外に誰もいなかった。となれば、メイナードやカーシェルがいるのは、本城か西の離宮。とにかく西へ向かわなければと、それだけを考えていた。

 しかし、走り続けるのにも限界がある。息が切れて速度を落とすと、瞬く間にイリーネは減速してしまう。クレイザはまだ余裕があるが、それでもイリーネと似たり寄ったりだ。


「本当にイリーネさんは足が速い。僕が先に音を上げそうでしたよ……」

「す、すみません」


 息を整えながら謝ると、クレイザは微笑んで首を振った。


「焦るのは分かりますが、永遠には走り続けられませんから。いざというときのために、余力は残して行きましょう」

「分かって、います……でも、カイの命が懸かっているし……契約具がないと、カイとも合流できないかもしれない……」


 この城の上空に、巨大な魔力の壁があるとアーヴィンが言っていた。アーヴィンとエルケ、ニキータが空から見つけてくれる可能性も低い。そうなれば仲間たちとイリーネたちを結ぶのは、カイの契約具のみだった。


 クレイザは歩きはじめる。ゆっくりでも、進むことが大事だ。イリーネもやっと呼吸を整え、クレイザの後を追った。


「……二十年前、ハーヴェル公爵邸にリーゼロッテ正規軍が踏み込んできたとき」


 唐突に、彼は昔語りを始めた。


「既に公爵であった僕の父は戦死していて、その時点で負けが決まっていました。彼らが屋敷にやってきたのは、僕に講和条約のサインを書かせるためでしてね。その条約の項目の中に、公爵家が保持している戦力の引き渡しが書かれていました」

「引き渡し……」

「僕の父は多数の化身族と契約していたんです。彼らのうちの数人は戦役を生き延びて、契約具は父から僕の手へと移されていました。神国は、その契約具の引き渡しを求めていたんですよ。戦犯として」


 それまで忠実に公爵家のため、公国のために戦ってきた化身族たち。敗戦国の旗印であるクレイザが、神国の要求を拒むことはできなかった。


 クレイザは、手元にあった契約具をすべて、神国に引き渡さざるを得なかった――。


「そのあとは地獄でした。僕の目の前で砕かれる契約具と――苦しみもがきながら死んでいく家臣たち。その時の僕は、契約の意味もよく理解していなかったけれど……とんでもないことをしてしまったのは、分かりました。僕はたくさんの臣下の命を敵に引き渡して、見殺しにしたんだと」


 イリーネは何も言えない。それを、イリーネの国の人間がやった。幼い子どもの心を打ち砕くには、充分すぎる所業だ。

 だがクレイザは微笑む。諦観ではない。すべての過去を受け入れた、優しい笑みだ。


「すみません、話が逸れました。問題なのは、その引き渡した契約具の中に……ニキータの契約具もあったってことなんです」

「え……? で、でもニキータさんは」

「そう、生きてます。契約具を砕かれても、ニキータは死ななかった。ぴんぴんしていたんですよ」


 ニキータが桁違いにタフなのはイリーネも知っているが、まさか契約具を砕かれても無事だったとは。ますますニキータの超人ぶりに磨きがかかった気がする。

 ニキータはクレイザと契約していないと言っていた。契約具がないから、契約できなかったというのが真実なのだろう。カイたちの口ぶりからすれば、契約具はそう簡単に量産できるものでもないらしい。それだけに、契約具には魂が込められている。それを砕かれれば、魂を砕かれるのと同じはずで――。


「契約具を砕かれて、死ななかった人物がすぐ傍にいます。カイさんだって強力な化身族であることに違いありません。何せ、あのふたりは師弟なんですからね」

「……ふふ、それ、カイが聞いたら怒り出しますよ」

「そっくりなのになぁ」


 万が一、本当に万が一、カイの契約具を取り戻せなくても――カイは死なないかもしれない。不確かな情報だし、その可能性に賭けるのはあまりに心許なかったが、クレイザがなぜこの話をしてくれたのかは分かる。カイのことだ、自分の命は自分で守る。イリーネが必死になってもできることは限られているのだから、強い彼らの足手まといにならないくらいの気持ちでいたほうがずっと良い。


 少し落ち着いて、イリーネとクレイザは道を歩く。いつも離宮まで馬車で乗りつけていたから、こうして自分の足で本城まで歩くのは久々だ。

 だが、いくらも進まないうちに、道の脇に造られた植え込みがガサガサと音を立てた。ぎょっとしてイリーネが飛び退くと、クレイザも気づいて後退する。そのままふたりで息を呑んで、植え込みを凝視すると――。


 植え込みの中に身を隠していた何者かが、不意に立ち上がった。かなり高さのある植え込みだが、その人物の上半身は植え込みから飛び出している。背は高く、それでいて細身だ。ひょろ長く見えないのは、きっちりと鍛えてある肉体が衣服の下にあることが分かるからだ。黒髪で、どこか異国情緒のあるその人物は、切れ長の瞳をこちらに向けてくる。

 イリーネは知っていた、この人物が誰であるかを。クレイザも知っていた。だから構えを解く。


「カヅキさん!」

「イリーネ姫……よくぞ無事で。いまから離宮へお救いに行こうとしていたが、どうやら無用のことだったようだ」


 獣軍将、【迅風(じんぷう)のカヅキ】。賞金ランキング第三位に名を連ね、カーシェルと契約して神国正規軍の化身族部隊を率いる男。見た目は二十代後半ほどに見えるが、実年齢はイリーネも知らない。だがかなり名の知れた化身族であるので、かなりの時代を生きてきたのだろう。


 よく見れば、カヅキはぼろぼろだった。神国正規軍の兵士が着用する深緑色の軍服はところどころ破け、顔や腕にも生傷が目立つ。ひとりで戦い続けていたのだろう。この広い城の中で、たくさんの敵を相手にして。


「そちらの御仁は……」


 カヅキがクレイザに視線を送る。イリーネが紹介するより先に、クレイザは自ら口を開いた。


「旧ヘルカイヤ公国の公子、クレイザです。昔、何度かお会いしたことがありますね」

「ハーヴェル公爵か。……随分、大きくなられた」

「二十年も経ちましたから」

「そのようだな。ニキータ殿は?」

「元気ですよ。今はちょっと離れ離れになっていますが」


 妙にギクシャクしたやり取りだ。そういえば、カヅキは二十年前、リーゼロッテの兵士としてヘルカイヤ滅亡に関わったのだ。その際にニキータと戦って、互角の戦いを繰り広げたという。両者ともに複雑なのだろう。カヅキ本人を信用することができても、彼はリーゼロッテの軍人で、多数の部下を従える【獣軍将】。神国正規軍の幹部なのだ。手放しに仲良く、というわけにはいかない。


「おふたりとも、すぐにここから脱出を。ここらにメイナード王子の手の者はいないが、本城の中は兵士で溢れている。近づくのは危険だ」


 カヅキがそう言ってくるが、引き下がるわけにはいかなかった。


「カーシェルお兄様を助けなければ。それに、カイの……私と契約を結んでくれたヒトの契約具を奪われてしまいました。取り返しに行かなければならないんです」

「ならば、俺が取り戻す。元々カーシェルを助けるために本城に潜入するつもりでいたゆえ」

「でしたら連れて行ってください!」


 そう頼みこむのだが、カヅキは渋面で首を振る。


「カーシェルは……姫が危険を冒そうとするのを、快くは思わない」

「そんなの……そんなの、お兄様の勝手です」

「確かに。だが俺にとっては主君の想い、無下にはできない」


 カヅキは戦士の誇りを大切にするヒトだ。主君と定めた相手にのみ忠誠を尽くし、その命に従う。時には自分の身すら犠牲にする。どれだけイリーネが懇願しても、カヅキはカーシェルの願いを優先させる。それは分かっているし、そんな誠実なカヅキのことは頼もしく思っている。それだけに、イリーネはなんとも反論できない。


「それに……なぜか俺は、一連の事件が始まってから、化身できない状態が続いている。加えて部下の多くが殺され、残りの者たちも身動きが取れない状況にある。このざまでは、情けないが姫と公爵をお守りできる自信がないのだ。悪く思わないでほしい」


 軽く頭を下げられ、いよいよイリーネは手詰まりだ。そう――確かに脱出したほうが良いのだ。カヅキのためにも、カイたちのためにも、お荷物は少ないほうが良い。


「……分かりました。でもカヅキさん、これだけ」


 イリーネはカヅキの腕に触れた。治癒術が発動し、あっという間に全身にあった傷が消え失せた。この状況で、イリーネが神属性魔術を扱えるということを失念していたのだろう。カヅキははっとして自分の身体を見つめている。


 ところがクレイザは、治療が済んだのを見ると急に歩き出した。前へ――進路を阻むカヅキの横を悠々と通過して、本城の方向へ。


「それじゃあ行きましょうか、イリーネさん」


 おまけに、けろっとそんなことを言って肩越しに振り返る。ぎょっとしてカヅキが身体ごとクレイザのほうを向いた。


「待たれよ、どこへ行くつもりだ?」

「本城です」

「貴殿は話を聞いていなかったのか。本城は敵の巣窟で、俺一人では貴殿らを守り切れない……」

「ええ、だから僕たちは僕たちで行きます。お構いなく」


 お構いなくって、とカヅキが口の中で呟くのが見えた。イリーネはなんとなくクレイザの思惑を察し、そそくさと彼の元へ歩み寄る。クレイザは楽しそうに微笑んだ。


「きっと貴方はカーシェルさんの居場所を知っていて、そこへ救出に行くんでしょう? で、自分ひとりの身だったらどうとでもできる貴方は、真正面から殴りこむはず。だとすればたくさんの敵が貴方の行く手を遮るでしょう。そうなれば僕たちは、人気のない城内を悠々と移動できるというわけです。いや、見事な作戦です。囮の役目、ありがとうございます」

「……!?」

「ええっと……カヅキさん、それじゃご無事で」


 イリーネは苦笑を浮かべながらカヅキに頭を下げ、クレイザの後を追う。冷静沈着で知られる獣軍将が、このときは本気で焦っていた。そして苦々しくも、去ろうとするふたりの背中を呼び止めたのである。


「――き、貴殿らとここで相見えていながら、ふたりだけで行かせたとなれば、それこそカーシェルに顔向けができない。せめて俺を伴に加えてくれ。そのほうがまだ安心できる」

「あ、本当ですか? 助かります!」


 良い笑顔でクレイザはくるりと振り返る。してやられた、とカヅキは溜息を吐いた。呆れと感心が混じった表情で、カヅキはしたたかな若者を見やった。


「生身の状態でも、僕などより百万倍はお強いでしょうからね。頼りにしていますよ」

「まったく……肝の据わった御仁だな。俺が貴殿の言葉を真に受けて、構わずに行こうとしたらどうなさるつもりだったのだ」

「貴方が自分で言ったんですよ。カーシェルさんの想いを無下にはできない、とね」

「……ふっ、成程。俺は自分で墓穴を掘っていたわけだ」


 剣だけ持った素人の若者だけを護衛に、イリーネが敵の本拠地へ乗り込もうとしている。そんなことをカヅキが見過ごせるはずがない。クレイザにはそういう確信があったから、挑発するようなことを言ったのだ。そしてカヅキはクレイザの思惑通りの人物だったというわけだが、もしカヅキの性格を読み違えていたらどうなっていたことか。恐れ多くも獣軍将を囮にしようとして、「侮辱された」と受け取られてもおかしくはなかったのに。カヅキが懐の広い人物で助かった。


「まんまと策に嵌った腹いせというわけでもないが、戦力となりそうな者に素直に助勢を乞わないのは、この状況ではあまり褒められたことではないと思うぞ」

「指導者としてならそうでしょうが、今の僕は流れの吟遊詩人ですよ。それに僕は、カーシェルさんよりイリーネさんの気持ちを尊重したいですからね」


 カヅキが「イリーネを守りたい」と思うカーシェルの気持ちを尊重するのなら、クレイザは「カーシェルを助けたい」と思うイリーネの気持ちを尊重する。たったそれだけで、クレイザはここまでついてきてくれた。逃げようと思えば脱出することも出来たし、カイたちとの合流を最優先にすることもできた。それでも前に進みたいと思うイリーネを、クレイザは諭しながらも全力で援護してきてくれたのだ。カヅキだって、イリーネだけだったら引き下がっていた。これ以上カヅキを説得することはできないと、諦めかけていたのに。


「順序が逆になったが、姫、貴方をカーシェルの元までお連れする。くれぐれも無茶だけはしないように」

「はい……! ありがとう、カヅキさん。クレイザさんも」


 カヅキは神妙に頷き、クレイザは微笑む。そしてカヅキは本城へと視線を向ける。もうその古めかしい建物は眼前まで迫っていた。


「メイナード王子は玉座の間にいる。カーシェルも、【氷撃】の契約具も、おそらくそこだ」


 玉座の間。本城の最上階にある神聖な場所だ。そこに至るまで、いくつか道順を選ぶことはできるが、結局のところ一本道でしかない。どのみち正面突破になりそうだ。

 カヅキの腰帯には長剣が佩かれている。本来化身して戦う化身族たちは、生身の状態で戦うことを想定していないため、鉄の武器を装備して鍛錬などしない。カイやニキータだって、天性の運動神経と戦いのセンスでどうにかしているだけであって、剣の使い方など知らないし、アスールと剣を交えたら五秒ともたずに負けるはずだ。だがカヅキは違う。彼は軍人として、生身での戦い方も心得ている。剣術も、並みの兵士よりずっと巧みだ。


 カイよりも、ニキータよりも数字の上では強いとされている男。カヅキがカーシェルの救出に乗り出すのだから、カーシェルは無事なのだ。カーシェルとメイナードの居場所も分かった。

 もう、そんなに遠くない。

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