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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
7章 【女神微笑む地 リーゼロッテ】
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◇闇に燃える(1)

「……とまあ、そう言うこった。武装した教会兵の一団が神都を出るところまで確認して、慌てて戻ってきたんだ。だから抜け道までは探れなかった、すまん」


 夜道を駆ける馬の背で、ニキータがそう報告を終えた。手綱を取っているのはクレイザで、彼の馬の左右にイリーネの馬、そしてアスールの馬が並んでいる。少し前方にはエーリッヒがいて、背後には多数のメイザス騎兵が追従していた。

 メイザスの主都デュッセルは、ベルツ山の北側の麓にある。街を出て十分もすれば山道に入る。ベルツ山は西部をメイザス伯が所有し、東部をクレヴィング公が所有しており、それぞれが山道を整備している。リーゼロッテの南北を移動するために不可欠な道であるため、メイザス領内のベルツ山道はかなりきちんと整備され、夜でも安心して駆けることができる。そのため、デュッセルはゲルダに任せて、エーリッヒは騎士団を率いて夜の間に山を越え、その先にあるコロナの街を目指すことになった。イリーネらもそれに同行し、コロナの近くにあるクレヴィング公領の街フェラーへと向かう。ゲルダときちんとした別れができたかったのが心残りだが、彼女は笑って送り出してくれた。


 色々なことが一度に頭に入ってきて、現状の焦りと合わせてイリーネは混乱寸前だった。メイナードは神都の化身族や混血種(まざりもの)たちを虐殺していて、実母シャルロッテがそれを止めようとした。そんな彼女を、自力で脱出したカーシェルとカヅキが助けようとしたが、返り討ちに遭った。メイナードは強力な光魔術を使い、神都にいながらメイザスの出兵拒否もイリーネらの所在も把握していた――それがニキータの報告のすべてだ。


「あの野郎は、ヒトの苦しむ姿を見たいんだとよ。だとすればきっと、カーシェルやカヅキは生かしておくだろう。一思いに殺されるよりも、生きたまま苦しめられている姿を見せられた方が、イリーネやアスールには堪えるだろうからな」

「ちょっとあんた、少しは言葉を選びなさいよ」


 チェリンが眉間に皺を寄せた。イリーネとアスールは沈黙したままだ。イリーネは何も言えなかったのだ。ただの剣術ならばアスールの上を行くはずのカーシェルが、呆気なくメイナードに敗北した。いくら長期間の軟禁生活で身体が弱っていたとしても、カーシェルが情に絆されたのだとしても、一太刀も浴びせられぬまま膝をつくだなんて。

 メイナードはヒトを殺すことを躊躇わない男なのだと、イリーネは思っていた。それは間違ってはいないが、きっとそれだけではない。メイナードは、ヒトを殺すことを楽しんで(・・・・)いるのだ。ヒトの死や苦痛に快楽を覚える者――まともに戦ったら、絶対に勝てない。


「今更言葉を飾ってどうする。奴がヒトを殺すのは、殺すのが楽しいからだ。それ以外に理由も目的もない。そんなのはもう、人間じゃねぇ」

「……そのほうが都合が良い。『実は世界を救うために致し方なくやっていることだ』などという展開だと後味が悪いが、ただの狂人ならば憂いなく斬り捨てられる」


 ニキータの報告を聞き終えて初めて発したアスールの声音は、異常なまでに冷え切っていた。


 だがイリーネはこうも思う。本当にその狂人の面がメイナードの素なのだとすれば、幼少期から今まで一度もその兆しが見えなかったのはなぜなのか。幼いころのメイナードは、ただ辛辣で冷淡だっただけ。成長するにつれて徐々に狂ったのだとすれば、その過程は必ず見えたはず。こんな風に、きっかけもなく突如としてヒトは豹変するものなのだろうか。

 誠実で無欲なメイナードの偽りの姿に、長年イリーネは騙されてきた。メイナードはかなりの演技者だ。だとすれば、今回の狂気も偽りのものではないか。本当の姿や目的を隠すための、隠れ蓑なのではないだろうか。


 そう思ったが、口には出さなかった。そんな甘いことを言ってはいけない。イリーネの甘さはカイを危険に晒し、アスールの剣を鈍らせるだけ。この先、メイナードがどんな悪辣な手段を用いてくるか分からない。もしかしたらこの頼もしい仲間たちの誰かを、失ってしまうかもしれない。

 それでもイリーネは神都に行かなければならない。ここまで来て立ち止まることは許されないのだから。


「……で、教会兵ってのはどんな奴らなの? 神国軍とか憲兵隊とかはともかく、教会兵が戦いに駆り出されたなんて話、これまで聞いたことないよ」


 カイが目先のことへ話題を転じた。答えたのは各国の事情に精通するクレイザだ。


「女神教教会が組織する戦力で、所属する者はすべて聖職者です。もっぱら衛士として教会の警備をするのが仕事なので、正規軍や各諸侯の私兵団と比べればお粗末に見えますが……」

「だが、幹部連中はそこそこの手練れだ。何より人数が多いから、数にものを言わせて突っ込んでくるだろう」


 アスールもそう言ったところで、イリーネがさらに言葉を添える。


「ここ数年、教皇フェルゼンが教会兵を買収して私兵化したという噂がありました……きっと真実だったのでしょう。教皇はメイナードお兄様の理想に傾倒していました。これだけ早く教会兵が動いたということは、お兄様と教皇が繋がっていることの証拠に他なりません」


 平和と平等の守護者であらねばならないはずの教皇。十年ほど前に亡くなった前教皇は、スフォルステン子爵家の血縁だった。確か、イリーネの母方の祖父の従兄だかいうヒトだ。彼は熱心な教徒で、二十代という若さで教皇に抜擢されて以降、実に六十年近くその座にあったのだ。その六十年の間で、教会の上層部はすっかりスフォルステン家の者で固められてしまった。教皇の座を継いだのも、スフォルステン家に忠実に仕えていたフェルゼンだった。リーゼロッテの教会は、完全にスフォルステン家に掌握されてしまっているのだ。


「腐ってやがるな、リーゼロッテの教会は。二十年前のヘルカイヤ侵攻も大概だったが、まさか自国の都市を襲うとは。カイ坊、奴らに女神教の何たるかを教授してやれよ」

「嫌だよ、時間の浪費だ。そういうのは吟遊詩人のほうが専門でしょ、クレイザ」

「いや、僕が神都で吟じたら、即刻教会兵に逮捕されちゃいますよ……」


 男性陣の会話を聞きながら、イリーネは思う。この国の女神教は歪んでいる。民を導くうえで都合の悪い要素はすべて省かれ、リーゼロッテの民衆は徹底的に反化身族の思想を植え付けられた。

 きっと最初は、エラディーナが神格化された当初の女神教は、こんな宗教ではなかった。長い争いの末にやっと訪れた平和を大切にして、種族の隔てなく交流を持とうとしたエラディーナの思いを、きちんと受け継いでくれていた。きっと混血種(まざりもの)も、両種族の架け橋として歓迎されていただろうに。次第に力を強くした教会は、政治に介入し、人々を欺き、私腹を肥やしはじめた。『化身』という、人間にはおよそ理解できない現象を引き起こすことのできる化身族を恐れ、差別し、理由をこじつけて殺戮した。賞金をかけて殺しあわせた。エラディーナの思いとはかけ離れたことであるのに、聖職者たちはそれを『女神の意志』だと騙るのだ。そしてそれを、民衆は疑わずに受け入れるのだ――。


「伯爵さま!」


 夜闇の向こうから、騎兵がふたり駆けてきた。斥候として先行していた者だ。


「どうだった、山向こうの様子は」

「そ、それが……! 既にコロナの街には火が放たれています! 教会兵が到着しているようです」

「! 速いな……!」


 斥候の報告に、緊張が奔る。神都カティアからメイザス領のコロナまでは、馬が全力で駆けて二日。ニキータが教会兵の動きを確認したのが今日の昼だから、早くとも明日の午後以降の到着になるはずだった。だというのに、既に教会兵はコロナに達しているというのか。


「おそらく、王領の封鎖に出ていた教会兵の一部が、先行部隊として差し向けられたのだろう。……もしくは、メイナードは最初からこうする予定で、兵を事前に動かしていたか」


 アスールがそう見立てたとき、一行はベルツ山の山頂へと到達した。そこから地上の様子を一望できる。ここからの景色は、何度も見た。山から少し離れた場所に大きな集落があって、周辺は田畑で覆われ、その傍を川が流れている。豊かさを感じさせる広大な自然だ。対照的に夜は死んだように静かなはずなのだが、このときコロナの街は赤く光ってはっきり見えた。闇の中にぼんやりと浮かぶ灼熱の赤。

 街が燃えている。遠く離れたこの場所からでも分かる。コロナは炎に包まれているのだ。


「……っ」


 カイが耳を抑える。彼の耳には、風に乗って街の混乱の声が聞こえているはずだ。悲鳴と怒号、家が焼け落ちる音、泣き叫ぶ声、すべて。

 ニキータが目を細めた。あれだけ明るければ、ニキータには見えているはずだ。炎に包まれるヒトの姿や、いままさに命を落とそうとしている姿が。


「――騎士団、私に続け! 消火と人命救助を最優先とする。教会兵は見つけ次第排除せよ! 遠慮も容赦も必要ない、良いな!」


 エーリッヒの声に、おう、と騎士たちが応じる。彼らはみな怒り、悲しんでいた。このような形で自領の街が蹂躙されては、それも当然だ。飾らず、武人らしい気質のエーリッヒは、決して民のことを見捨てない。誰よりもこの事態を悲しんでいるはずだ。だから彼は常に騎士団の先頭に立つ。それが分かっているから、この心優しい領主に、騎士団は必ずついていくのだ。行く先が国境の激戦地であろうと、炎に包まれた街であろうと。

 続々と騎士団は山を駆け下り、コロナの街へ向かった。同じように馬を駆けさせながら、イリーネはニキータに問う。


「ニキータさん! 教会兵はどれくらいの人数か、見えますか」

「そんなに多くはない、せいぜい十人かそこらだ。民衆がごった返しているから、奴らもそれに乗じて姿を隠しているようだ……摘んできてやろうか?」


 目を輝かせて、ニキータがそう提案してくれる。一瞬少年のように見えたからおかしなものだ。イリーネが頷くと、「よしきた」と頼もしく答えて、ニキータは空へ舞い上がった。あっという間に巨大な鴉の姿は闇に溶け込んで見えなくなる。

 次にイリーネは、カイに視線を送った。


「カイ、氷の魔術であの火を消すことができますか?」

「ここは川が近い。任せて」


 答えたカイは、横にいるチェリンに声をかけた。


「チェリーも手伝ってね」

「へっ、あたし!?」

「超便利な重力系地属性魔術を覚えたばっかりでしょ。俺より余程効率的に消火できるよ」

「そ、そっか……! やってみる」


 どこか不安げなチェリンだが、覚えたての魔術を使うことを恐れてはいない。いつでも前向きなのは彼女の良いところだ。


「メイザス伯、敵の本隊はコロナではなく、他の都市を襲撃する可能性もあります。用心したほうがいいでしょう」

「! 分かりました。隊をひとつ隣の街へ送り、警戒に当たらせます」


 エーリッヒの判断は迅速だった。イリーネの指示が次々と実行に移されていく様子を見て、アスールが苦笑を浮かべながらイリーネの隣に馬を並べた。


「やれやれ、指示の出し方がカーシェルそっくりだな。頼もしい限りだ」

「アスール」

「この騒動を指揮する者の本陣が街の外にあるはずだ。私はそこへ行こう。消火作業のほうでは役に立てそうにないからな」

「では、僕は負傷者の手当てをお手伝いしますね」


 クレイザもそう申し出てくれた。イリーネが頷くと、仲間たちはそれぞれの役目を果たすべく街へと駆けて行った。馬から下りたカイとチェリンはそれぞれ化身して俊足を飛ばす。アスールは街の周囲を探り、安全な場所に構えられているであろう敵の陣地を叩いて退路を断つつもりだ。イリーネとクレイザはそのまま、メイザス騎士団に同行して街へと突入する。教会兵の排除はアスールとニキータが、消火はカイとチェリンがやってくれる。イリーネは民衆の避難誘導と負傷者の手当てに全力を注ぐだけだ。


 山側、つまりイリーネたちがやってきた街の北側は、それほど火事の被害を受けていなかった。敵は南側からやってきたのだろうから、まだ火が全域には広がっていないのだ。そのため、街の北門付近には大勢の民衆が避難してきていた。中には酷い火傷を負っている者もいる。このような真夜中に突如大規模な火災が発生したのだから、パニックに陥るのも無理はない。エーリッヒは馬上からみなを見渡して声を挙げた。


「みな、落ちつけ! 歩ける者はこのまま川を目指せ。負傷者は我々が抱えていくゆえ、遠慮なく申し出よ。大丈夫だ、みな助かる。だから慌てずに行動してくれ」


 こういう場合、へたに声を張り上げるよりも冷静に諭す方が効果が高い。声の主がエーリッヒだと気付いた者も多く、悲鳴や苦悶のうめきだけがこだましていた民衆の間に、やっと理性的な声が聞こえるようになった。


「エーリッヒさまだ」

「領主さまと騎士団が助けに来てくれた」

「もう大丈夫だ、俺たちは助かったんだ」


 メイザス騎士に先導されて、民衆は川の方へと移動を始める。動けない負傷者は、騎士が馬に乗せたり背に負ったりして運搬することになる。しかし負傷者の中には、パニックに陥って転んで足に怪我をしただけという者も多い。そういう者はイリーネがすかさず治癒術で傷を癒して、自力で歩いてもらったほうがいい。


「これでもう立てますね?」


 足を挫いて蹲っていた女性にそう声をかけると、女性ははっとして顔をあげた。顔は涙と煤で汚れている。燃え盛る街を必死で逃げてきたのだろう。そんな女性は、イリーネを見て目を丸くした。


「あ、貴方は……! 神姫さま……!?」

「はい。後のことは私たちに任せて、貴方は早く安全な場所に……」


 そこまで言ったところで、女性がイリーネの前に膝をついて深々と頭を下げた。イリーネのことを知っているようだし、敬虔な教徒なのだろう。だが、そんなことをしている場合ではない。イリーネがそれをやめさせようと口を開いたのだが、それより早く女性が言った。


「神姫さまっ、お願いします……! まだ街の南側に、私の家族や友人がたくさん残っているのです! どうか、どうか彼らをお助け下さい……!」


 神姫とは、教会の最高位の存在ではあるが『象徴』でしかなく、政治的な権力は一切持たない。神姫に直訴したところで、民衆の要求が通ることはない。イリーネがなんとかしてやりたいと思っても、それを実行することはおろか、誰かに相談することさえ禁じられていた。それは常にイリーネがもどかしく思っていたことだが、同時にどうしようもないことだと甘んじてもいたことだ。

 けれどいま、イリーネは確信を持って女性に告げることができる。『大丈夫だ』と。


「仲間たちが既に街に入っています。じきに火も消えましょう。私の仲間がヒトを見捨てることは、決してありません。だから大丈夫です」


 そう微笑むと、女性は涙を流してもう一度頭を下げた。女性を立たせて、街から脱出するように促してから、イリーネは街の南を見やる。闇の中でぼんやりと赤く染まっている場所、あそこが火災の中心地。何一つ恐れずに飛び込んで行ったカイとチェリン、アスール、ニキータを、そしてたくさんのメイザス騎士を、今は信じるだけだ。

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