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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
7章 【女神微笑む地 リーゼロッテ】
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◇その先に待つもの(3)

 翌朝早くに、ニキータは神都カティアへ向けて飛び立った。誰も何も言わなかったが、ニキータが昨夜遅くまで見張りに出ていてくれたことを、イリーネは知っている。知らないだけで、これまでもずっとそうしてくれていたのだろうとも思う。まともに休んでいないのに敵地へ偵察に行って平気なのだろうかと心配になったが、それについてクレイザは朗らかに笑うだけだ。


「ニキータは四日くらい不眠不休でも動けますよ。見た目通りタフですから」


 彼によれば、夜間の見回りも敵地偵察もニキータが勝手に行うと決めたことで、好きにさせておけとのことだった。やめろと言ったところでやめる男ではないし、自分の力量は知っているはずだからだ。


「ああ見えて、年下の面倒を見るのが好きなんですよ。放っておけないんでしょう」


 百六十歳のニキータと比べれば、大半のヒトは年下だ。可愛がってもらえているらしい――カイが知ったら顔をしかめるだろうけれど。


 ともかく、イリーネたちはニキータが偵察から戻るまでの数日、メイザスの主都デュッセルで過ごすことになった。伯爵のエーリッヒはイリーネらを客人として屋敷に迎え入れてくれたが、正体が民衆に知れて混乱させるのもまずい。イリーネたちのことは屋敷の使用人に知らせるに留め、エーリッヒには普段通りの生活を送ってもらうように頼んだのだ。

 客室を借りたイリーネは、カイたち仲間と全員で地図を囲み、通れそうな場所を挙げてはボツにするという作業に入った。


「北側から王領に入る街道は二本。ヴェーデル子爵領の主都トロイを通る街道と、その西側を通る街道です。この街道はすべて封鎖されているそうです」


 イリーネがそう言うと、カイが地図のある部分を指差した。二本の街道の、ちょうど中間地点だ。


「このあたりを抜けられない? 確か神都まで続く森林地帯でしょ?」


 神都周辺ならば、カイも話に参加できるのだ。彼が十五年前にリーゼロッテへ来た道は、イーヴァン経由の東回りの道筋だったから、国内の東部はそこそこ詳しい。

 答えたのはアスールだ。腕を組んで首を傾げる。


「勿論、それが良いとは思うが……ゲルダ嬢の口ぶりからすると、この森の出入り口付近にも兵がいそうだぞ。元々そこまで深い森ではないし、同じことを考える者は多いはずだ」

「じゃあどこを通るのさ」

「それを今考えているのだろうが」


 次に口を開いたのはチェリンだ。


「地下を通る道とか、神都の裏まで出られる洞窟とか、そういうのは?」

「うーん。神都に入るための裏口ならいくつか知ってるけど、森全部を抜けるようなものはなぁ」

「……なんで神都に入るための裏口を、いくつもあんたが把握してるの?」

「もしもの時のために、脱出口は用意するでしょ、普通」


 カイがしれっと答えた。もしかして、カイは神都の地形を十分に把握して、イリーネも知らないような通り道を全部知っているのではないだろうか。抜け目のないカイに、チェリンは呆れた様子だ。

 続いてクレイザも提案する。


「囮を使って兵を移動させて、その隙に森の中へ逃げ込むというのはどうでしょう?」

「囮ですか……かなり危険な役目を頼むことになりますね」

「何も身内が囮にならなくても、それとなくヴェーデル子爵家の兵を誘導させてしまっていいんじゃないですか? 十分な囮になりますよ」

「く、クレイザさん……」


 このヒトは最近過激すぎやしないだろうか。それともこれが本質か。イリーネは苦く笑ったが、カイが根本的なことを口に出した。


「そもそも、王領の封鎖はなんのためにやっているのかな」

「普通に考えれば、私たちを神都に近づけさせないためだと思いますけど……」

「もしくは、神都の『何か』を外に出さないためか」


 アスールの含みのある言葉に、カイが片眉をあげる。


「何かって?」

「さあ。何かさ」


 なんだそれ、とカイは息をついた。チェリンがイリーネのほうを見やる。


「イリーネ、ヴェーデル子爵ってのはどういうヒトなの?」

「古くは商人の家系として、国内外に流通の輪を広げたそうです。爵位を与えられたのも、他国との貿易を円滑に行うために一役買った功績だったとかで」

「それでなおのこと、街道の封鎖が気に入らなかったってことね。ということは、教会兵に対して良い感情は持っていないわけでしょ? 協力してもらえないかしら」

「それは危険だ。イリーネの身柄と引き換えに、街道封鎖の解除を申し立てるかもしれぬ」


 それはそうだ、とチェリンは引き下がる。為人をよく知らない相手を頼るのはあまりに危険だった。ヴェーデル子爵とは接触しないほうがいいだろう。

 やはりどうにかして、街道の間にある森に逃げ込むしかない。ニキータに頼んで森を一気に飛び越えても良いが、ひとりひとりしか運べない上にニキータだけが大変な目に遭うことになる。効率も悪いので、言うまでもなく却下だった。


「……あの、私の魔術が使えないでしょうか」


 ふとそう言うと、カイが振り返る。


「どういうこと?」

「時を止めるんです。ほんの少しだけ。霊峰ヴェルンのときみたいに……」


 神属性の魔術ならそれができる。カイは以前そういっていた。時を止めている隙に見張りの横をすり抜けてしまえば、兵士はイリーネたちの侵入に気付きようもない。森林の中を悠々と通過できるだろう。


「できるのか」


 アスールの問いは、どちらかといえばカイのほうへ向けられていた。イリーネの魔術の師はカイなのだ、カイができると言えばきっとできる。だがそれを認めたくないのか、カイはいまだかつてないほどの渋面だ。

 アスールやイリーネの無言の視線に耐えかねて、カイが息を吐き出したのは、丸々一分ほどが経過したあとだった。


「……練習が必要だ。その段階で無理だと俺が判断したら、この作戦は却下だからね」

「はい……! 私、がんばりますね!」


 あんまり頑張ってほしくないなぁ、とカイはぼやいている。カイの心配はありがたいが、できることがあるのにそれをやらないのは、あまりにもったいない。これ以上案が出ないようなら「強行突破」という言葉が出てきてしまいそうだし、そうなって戦うのはカイやアスールたちだ。なるべく戦わずに済む方法を、イリーネは探したい。


 すると、部屋の扉がノックされた。イリーネが返事をすると、顔を出したのはゲルダだ。


「イリーネ、入るわ……よ」


 ゲルダは部屋に一歩入って足を止めた。イリーネにあてがわれた客室の中に、仲間が勢ぞろいしていたので驚いたのだろう。気まずそうな笑みを浮かべて、ゲルダはそそくさと身を引く。


「み、みなさんお揃いでしたのね。お邪魔しました……」

「え、ちょっとゲルダ。何か用があったんでしょう?」


 呼び止めると、部屋を出ようとしていたゲルダは振り返り、頬に手を当てる。さらさらと流れる金髪が美しいゲルダは、じっとしていれば人形のようにかわいらしいのに、言葉が荒かったり趣味が男っぽかったり、何かと残念なご令嬢だ。だからこそ、イリーネと気が合ったわけだが。


「……ずっと部屋に籠っているようだから、気晴らしに街へ行かないかって誘いにきたの。お昼でもどうかと思って……」


 そういえば、もうそんな時間だ。しかし話は途中だし、こんな状況で友人と遊びに行ったりして良いものか。躊躇っていると、アスールが口を開いた。


「行ってくるといいよ、イリーネ」

「でも……」

「折角のお誘いだ。それによく言うだろう、腹が減っては戦はできぬと。会議は昼休憩を挟んで再開するということで」


 にっこり笑ったアスールに感謝して、イリーネは頷いた。神妙だった顔を一気に明るくしたゲルダは、イリーネの手を取って「行こう」と急かす。


「待って、あたしも行きたい。良い、ゲルダ?」


 そう挙手したのはチェリンだ。勿論イリーネの護衛のために申し出たのだが、ゲルダはチェリンのことを気に入っていた。そのため、特に怪しむこともなく喜んで快諾してくれた。


 出かける支度をしてくる、と、ゲルダは軽い足取りで部屋を出て行った。外出用の服に着替えるのだろう。基本的にいつも旅装のイリーネたちは、身一つでどこへでも行ける。外出するたびに服を変えて、大掛かりな手続きを踏んでいた頃が懐かしい。身軽な思いをしてしまったあとだと、神都での生活は窮屈かもしれない。

 屋敷の入り口でゲルダを待つために、留守をアスールたちに頼んでイリーネとチェリンは部屋を出る。その寸前、カイが勢いよく立ち上がった。あまりの勢いだったので、隣に座っていたクレイザが驚いて一緒に飛び上がってしまう。


「ど、どうしたんです、カイさん?」

「やっぱ俺も出かける」


 その言葉を聞いたチェリンが、にやにやとヒトの悪い笑みを浮かべる。


「あんたどれだけ心配なのよ……」

「そうじゃない! ……いや、心配だけど、でもそうじゃない。買い物に行くだけ」

「買い物?」


 カイは頷く。イリーネがそれを見て、はたとその買い物の内容に思い至った。


「もしかして、神属性の魔術書を……?」


 カイが以前調達してきてくれた魔術書は、基礎的なものしか書いていなかった。時を止めるような上位魔術は、あの書では学べない。


「これだけ大きな街なら、魔術書も揃っているはずだからね」

「だったら、私も一緒に……!」

「残念だけど、魔術書売りは人間族相手に商売をしないんだ。本物かどうかも確かめなきゃいけないし、俺が行ってくるよ」


 そう言われてしまうと、イリーネも引き下がるしかない。カイは続けて言う。


「学ぶ環境を整えるのは、教える側の役目だよ。……そういうわけでチェリー、お金ちょうだい」

「いくらいるの?」

「うーん、そうだなあ……」


 旅の資金を管理しているのは主にチェリンだ。アスールが以前言っていたような小遣い制は導入されず、必要経費は逐一チェリンに申請するのが決まりとなっていた。母親に小遣いの前借りを頼むようなカイの様子に、思わずイリーネは笑みを浮かべてしまう。

 カイはイリーネたちが出発した後に出ると言うので、イリーネたちは屋敷の玄関ホールへと向かった。間もなくゲルダが合流し、三人の女性はデュッセル市街へと出かけたのである。





「ねえ、イリーネ。迷惑じゃなかった?」


 歩きながらゲルダが最初に口にしたのは、そんな言葉だった。イリーネは目を見張り、それから微笑む。


「そんなことないわ。どうして?」

「大変な時なのに、空気も読まずにイリーネを誘ったりして……私、勝手に浮かれてたのよ。貴方に久々に会って、言いたいことも行きたいところもいっぱいあったの。でも、そんなことをしている余裕なんてないのよね。私、何も出来なくて……」

「……ふふ」

「なんで笑ってるのよ」

「殊勝なゲルダなんて、滅多に見られないなあと思って」

「ちょ、ちょっと! 私は本気で言ってるのに!」


 顔を赤くしたゲルダに、イリーネは笑う。その様子を見ていたチェリンも苦笑を浮かべ、ゲルダを諭す。


「ゲルダがいなければ、あたしたちは何も知らずに王領に突っ込んでいたわ。立派な手柄よ」

「そ、そうかしら」

「ついでに、この街で一番美味しいご飯が食べられるお店を紹介してくれるのも、あんたしかいないわ。期待しているからね」


 チェリンの言葉に、ゲルダは気を取り直したようだ。友の単純な性格は昔と変わらず、イリーネは安心できる。落ち込んでいるのは、彼女には似合わないのだ。気が強くて、言いたいことは口に出して、素直なゲルダこそ、イリーネの知っているゲルダだ。


「――あっ、そういえばずっと気になっていたんだけど」

「何が?」

「アスール殿下ってかなり整ったお顔立ちよね。爽やかで優しそう。まじまじと見たのは初めてだけど、あんな良い男めったにいないわ」

「……ゲルダ、アスールに一目惚れでもしたの?」

「馬鹿ねぇ、貴方、私の好みは知ってるでしょ? 私は筋骨隆々の逞しい男が好きなの」

「はいはい」


 イリーネは笑って流す。それにしても、なんだって突然アスールの話をするのだろうか。ひいき目をなしにしても、確かにアスールの顔立ちは整っていると思うけれども。


「で、イリーネもかなりの美人なのよ。髪の毛もふわふわして綺麗で、優しさ全開のこの雰囲気。男なら守ってあげたくなる危うさがありながらも、実は結構おてんばっていうのも可愛いわよねぇ。ねえ、チェリンさん」

「まったくだわ」

「ちょ、ちょっと?」


 矛先が自分に向いて、イリーネは慌てた。チェリンも、何をあっさり同意しているのだ。

 ゲルダは腕を組んで、形の良い眉をしかめた。


「アスール殿下とイリーネってお似合いのふたりよね。誰もが憧れる関係だと思うわ。……だというのに、なんでそれっぽい雰囲気が貴方たちの間にはないのかしらね」

「!?」


 思わぬ言葉に驚いたのは、イリーネだけでなくチェリンもだった。むせたらしいチェリンが咳き込んでいる。イリーネが絶句している間に、ゲルダの分析は続く。


「だって、どう見たって恋愛関係じゃないもの。アスール殿下がイリーネを見る目は、なんというか……温かく見守る保護者みたいな目だし。そうよ、まるで兄妹みたいなんだわ。信頼しあっているけど、でもそれだけなの」

「げ、ゲルダ……」

「カイさんのほうがよほどイリーネに親身だわ。あれは絶対、イリーネのことが好きよ。ねえ、イリーネはどうなの? カイさんのことをどう思って」

「ゲルダ! そ、そういうのは良いから……ほら、早く行きましょう」


 歩調を速めたイリーネを、ゲルダとチェリンが追ってくる。


「あっ、逃げる。ますます怪しいわ。ちゃんと教えなさいよイリーネ。どこで出会ったの?」

「ゲルダ、あんたはやっぱり少し神妙になっているくらいが丁度いいんじゃない?」


 食い下がるゲルダと、呆れたようなチェリンの声を背中に受けながら、イリーネは赤くなっている顔を隠すので必死だった。

 ――カイのことをどう思っているかなんて、イリーネが一番知りたいのだ。

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