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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
7章 【女神微笑む地 リーゼロッテ】
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◆その先に待つもの(2)

 メイザス伯爵エーリッヒは、イリーネに味方することを即断した。それだけの忠誠と、それだけの信頼が、彼らの間にはあるらしい。いよいよカイが口を挟めるような状況ではなくなってきた。アスールも、さすがにリーゼロッテ国内の諸侯の勢力図には詳しくないという。ここまでくると、最終判断はイリーネに任せるしかない。


 全面協力を約束してくれたエーリッヒに対して、こちらがあまりに警戒しているのも悪い。基本的にイリーネの護衛はチェリンに任せ、男性陣は事の成り行きを見守ることにした。


「どうにも、都合が良すぎるな」


 ニキータの言葉に、無言でカイも頷く。視線の先では、ゲルダと話をするイリーネと、傍についていてくれているチェリンの姿がある。話をするのにもう少し良い場所を整えてくると、エーリッヒは席を外していた。それとなくニキータが廊下に出て伯爵の様子を伺ったが、妙な動きはしていないようだった。


「イル=ジナとの協力、国境の渡河、メイザス伯の助力……何の問題もなく、とんとん拍子でここまで来ちまった。うまく事が運びすぎていると、逆に不安になるな」

「ニキータでも不安になるんだね」

「クレイザ、俺をなんだと思ってる。慎重で臆病な俺だからこそ、ここまで生き残ってきたんだぞ」


 嘘くさい、とクレイザが笑う横で、アスールが顎をつまんだ。


「メイザス伯爵の評判は私も耳にしたことがあるし、おそらく噂通りのヒトだ。伯爵のことは信頼しても大丈夫だろう。……しかし、あれだけ神出鬼没なメイナードや【獅子帝】がちょっかいを出してこないのは、確かに妙だ」

「泳がされているか……神都で何か異常事態が起きて手が離せないか、かな」

「後者を願いたいもんだ。敵方の不幸は、俺たちの幸だからな」


 性格の悪い男だ。きっと勝負事でも、味方を応援するより、敵を呪うタイプに違いない。そういうタイプがしぶとく生き残るのだから、世の中は辛いものだ。


「俺が神都まで飛んで、見てくるっていうのはどうだ?」

「却下。いま貴重な戦力に抜けてもらっちゃ困る」


 エーリッヒを信用しかねている状況でニキータに留守にされるのは本当に困る。示し合わせてメイザスの騎兵がカイたちを攻撃して来たらどうするのだ。


「しかし、最後に神都の状況を確認したのは、サレイユにいたころでした。様子が変わっているかもしれないし、潜入前に調査は必要ですよ」

「ファルシェのところの密偵も殺られちまったからな。一番の腕利きをやられた場所に、ファルシェだってそう何人もの部下を送り込むことはできねぇだろうし。結局俺らで調べなきゃならん」


 クレイザとニキータの意見ももっともだった。カイが唸ったとき、エーリッヒが戻ってきたので、この話は一度中断することになった。一行は執務室と同じ並びにある会議室に案内される。大きなテーブルが部屋の中央にあって、十人以上がかけられるだけの座席がある。ケクラコクマには椅子に座る習慣がなかったから、久々なテーブルセットだ。

 席に着くと、使用人の男性がワゴンを押して入室してきた。テーブルに置かれたのはサンドウィッチの盛られた皿と、熱いコーヒーだ。話をしながら軽食を摂ろうということのようだ。なかなか気が利く。そういえば昼食を食べ損ねていた。


 一通り自己紹介を済ませると、イリーネとアスールがエーリッヒとゲルダに対して事情や目的を説明した。アスールはイリーネの説明に言葉を添える程度だ。残る面々は黙って腹ごしらえに専念した。


「メイナード殿下が両陛下やサレイユ王を殺害し……カーシェル殿下を幽閉し、イリーネ姫様を追放した……なぜ、そのようなことに」


 エーリッヒはそう呟き、隣でゲルダは青褪めている。メイナードはごくごく普通に、国政にかかわっていた。スフォルステン家の出身ということもあって、教会との交渉を請け負っていたのだそうだ。各地の教会や聖堂の状況を把握し、巡礼者のための宿や街道の整備をした……カイはにわかに信じられないが、仕事ぶりは真面目で優秀だったらしい。貴族としてよくメイナードとも顔を合わせていたというメイザス伯爵とそのご令嬢からしてみれば、「なぜあの真面目な青年が」ということになるのだろうか。野心も野望もなさそうな顔で、ずっとカーシェルの政務の手伝いをしていたのだから。

 一方で、彼はめっぽう化身族に厳しかった。寛容で融通の利くカーシェルと違って、化身族のための福利などは認めなかった。街を未契約(フリー)の化身族がうろついているのも、化身族を戦いに使うのも、どちらも嫌がったらしい。自分に服従しない反抗的な化身族を何人も手にかけたという噂もある。しかしこの残虐さは、敬虔な女神教徒としては当然のことである――と、リーゼロッテの大部分の人間は特に気にしていなかったようだ。


 ただし、フロンツェのことは――メイナードなりに――大切にしていた様子なので、支配下に置いた者は遠慮なく使うのだろう。


「神都カティアの様子を、メイザス伯はご存じか?」


 アスールが問うと、エーリッヒはなぜか視線を娘のゲルダへと向けた。


「ちょうど娘が偵察から戻ったところだったのです。ゲルダから報告を」

「……え? ゲルダ嬢が、おひとりで神都まで偵察に……!?」


 この場にいる全員の驚きを、アスールが代弁してくれた。そういえば街中で初めて会ったとき、彼女は旅装だった。急いでいると言っていたのは、父に偵察の報告をするためだったのか。

 ゲルダは誇らしげに胸を張る。


「私はこう見えて旅慣れているんですよ、アスール殿下。それにこの状況下で、メイザスの騎兵を供にするわけにはいきませんもの。見咎められた場合は、女の方が切り抜けやすいものですし」


 そういう問題じゃないと思うけどなあ、とクレイザが苦笑いを浮かべる。イリーネを訪ねてしょっちゅう神都に通っていたようだし、エーリッヒのほうも半ば放任しているらしい。類は友を呼ぶとはこのことか。


「……でも、あまりお役に立つような情報は集められなかったわ。王領に入ることができなかったの」


 ゲルダが一転、申し訳なさそうにそう告げる。王領は、神都カティアを中心に展開する、国王の直轄地だ。深い森林を有し、大規模な街や観光地もある、リーゼロッテの中心部だ。


「検問があって、身分を証明できるヒトしか通行を許されていなかったわ。神国軍じゃなくて、教会兵が仕切っていたみたい。ちょうどヴェーデル子爵家のヒトが来ていて、文句を言っているところだったの」


 ヴェーデル子爵領はベルツ山を越えた先、メイザス伯領と王領の間にある領地だ。王領には国内でも人口が集中する場所である。そこへ向かうための大型街道が通っているということで、ヴェーデル子爵領は繁栄を謳歌しているのだ。その街道を封鎖されてしまっては、ヒトだけでなく、商品やお金の流通もストップする。理由の説明もなしに検問など設けられて、怒るのは当然だ。


「仕方ないから、帰りがけにベルネット伯領の主都オイゲンの近くに行ってみたわ。アーレンス公はホフマンまで押し戻されて、籠城を決め込んでいるそうよ。でもケクラコクマやサレイユは城攻めはしないで、周囲を包囲しているだけだって」

「サレイユ軍には、積極的な攻撃を禁じてある。イル=ジナ女王もそれを汲んで、和議の申し入れをしてくれているはずだ」


 アスールの言葉に、エーリッヒは目を伏せる。


「……諸侯の軍を、なるべく傷つけないようにしてくださったのですね。我々は貴方がたの理由など、考えもしなかったというのに……ありがとうございます、殿下」

「礼を言われるようなことではないよ。むしろ武力的な方法しか思いつかず、申し訳ない」


 ふたりはそう言うが、話を聞く限り、たとえ事情を知っていてもアーレンス公がイリーネのために協力したとは思えない。国境を侵す者は等しくアーレンス公の敵で、それを手引きしたのが自国のイリーネ姫だとすれば、それを裏切りと見て攻撃してくるはずだ。武力衝突は、どのみち避けられないことだった。


「やれやれ。やっぱり俺が神都まで偵察に出るしかないな」


 台詞に反して意気揚々と名乗り出たのはニキータだ。どうしてこう落ち着いていられないのだろう。休んだら翼が腐りでもするのかと本気で思うほど、この男は空を飛びたがる。

 とはいえ、それが最善なのは分かっている。メイザス伯の部下に任せるより、カイの心も安寧だ。


 イリーネはニキータに向き直った。


「ニキータさん。お願いしてもいいですか?」

「ああ、任せろ。二日くらい時間をもらえれば、神都や周囲の都市の様子を一通り見てくる。余裕があれば、教会兵の検問の薄そうな場所も調べてくるさ。そっちはそれとなくルートを考えながら、準備を整えていてくれよ」

「ありがとうございます……!」


 ニキータは地図を覗き込んで、どこを見て回るかの目星をつけ始めた。案外念入りな下調べをするのだなと、カイは感心する。もう何度も行った場所であろうに。


「この街にいる間は、どうぞ安心しておくつろぎください。イリーネ姫様も、お仲間の皆さまも、必ずお守りします」


 エーリッヒがそう言うと、ぱっと顔を明るくしたのはゲルダである。が、はっと我に返ったように表情を改めて椅子に座り直す。その様子が百面相をしているみたいで、カイは面白い。友人のイリーネがしばしここに留まると知って、嬉しかったのだろう――。





★☆





 夜半過ぎ、カイはアスールと共に屋外にいた。屋外といってもメイザス伯爵邸の敷地内で、門を入ってすぐのところを流れる川に架かる橋の上だ。見上げた夜空には、見知ったフローレンツのものとは違う星々が輝いている。しかし懐かしい。十五年前には、毎日見ていた空だ。

 久々に落ち着いて屋内で眠れるのだが、どうにもカイは休む気になれなかった。妙に緊張して、疲れはあるはずなのに眠気がやってこないのだ。仕方なく外へ出て、橋の欄干にもたれて夜空を見上げていたところに、アスールがやってきたというわけである。


 しばし他愛のない話をした後で、アスールが問いかけてきた。


「カイ、何か気にかかることがあるのか? メイザス伯と会ってから、妙にピリピリしているな」

「……メイザス伯を、心の底から信頼する気になれないんだよ」

「今日会ったばかりの人間を信頼するのは難しいだろう。私とて、イリーネほど彼に対して信頼は抱いていないよ」

「いや、そういうんじゃなくてね」


 長くなってきた前髪を、軽く引っ張ってそこで言葉を止める。アスールは、その先を察していたようだ。


「伯爵が、我らを裏切ると?」

「ないわけじゃない。ニキータも言っていたでしょ、都合が良すぎるって」


 親交の深かったメイザス伯が、今回に限って出兵していなかった。転がり込んできたイリーネのために、これまでの貴族としての名誉も何もかもかなぐり捨てようとしている。そんな上手い話があるか。メイザス伯はこれまで、カーシェルの危機もイリーネの危機も、知っていながら何もできずにいたのに。


「君は、そういう意味で伯爵を信頼できてる?」

「逆に問うが……」

「ちょっと、いま質問してるのは俺」

「まあまあ。カイ、お前はファルシェやダグラスやイル=ジナ女王……ジョルジュやクレイザを、本気で信じたか? 全員、これまで会ったことのない人物だったはずだな」


 質問の意図を掴めず、カイは眉をしかめた。信頼しているか? しているに決まっている。彼らは協力を申し出て、実際その通りに力を貸してくれた。それと同じで、すべてが終わってみれば『メイザス伯も良い奴だった』と思うようになるとでも?


「お前が彼らを信頼できたのは、彼らが打算をもって味方してくれたからだ。イリーネに味方することによって、彼らには大なり小なりの益が生まれる。リーゼロッテとの関係改善、領土拡大、もしくは貸しを作ること自体が目的だった者もいた。……ところが、メイザス伯がイリーネに味方する理由は、『親交が深いため』というのみ……胡散臭くも思えるだろうよ」

「……ははあ。疑り深い俺は、メイザス伯の無償の善意を信じていないと?」

「違うのか? 自分でそう言ったではないか、サレイユで私に」


 違わないかもしれない。そういえば、『見返りを求めない善意は胡散臭い』と、言った覚えがある。


「各領地は諸侯の支配下にあって独自の発達を遂げている。領地そのものが、ひとつの国と言ってもいいだろう。とはいえ、領主の権威はやはり国王には及ばない。あっさり領地を没収されたり利権を奪われたりすることが分かっているから、領主たちは必死に策謀を巡らせて生き残ろうとする。……しかしメイザス伯にはそういった後ろ暗いところが見られない。その矛盾が、お前は気にかかるのではないか?」


 リーゼロッテの貴族たちがしたたかなのを、カイは知っている。あれだけメイザス伯を信頼しているイリーネが、もし裏切られたら――それが怖いのだ。

 状況はほぼ同じなのに、ファルシェやイル=ジナは信じられてメイザス伯を信じられないことが、カイ自身も不思議だ。アスールの言葉を聞いて、少しは納得できたというのも、妙な感覚である。


「どのみち、数日は【黒翼王】殿が不在の状態で、ここに留まらなければならん。警戒するに越したことはないが、多少は力を抜いてもいいと思うぞ。メイザス伯が怪しい動きを見せたら、斬って捨てればいいだけのこと。簡単だろう」

「……君はそういうことを突然言うから、優しいんだか厳しいんだか分からないよ」

「誰かがやらねばならぬなら、私がやると決めているだけさ。ところでカイ、イリーネの記憶が戻ってからというもの、なぜ私を『君』呼ばわりするのかね」

「特に深い意味はないよ。昔を懐かしんでいるだけ」


 子ども扱いをするなと、アスールがぶつくさ言っている。仕方ないじゃないか、実際アスールは子どもなのだから――と、カイは苦笑を浮かべる。


 と、庭に仄かな明かりが灯った。ゆらゆらと揺れている。誰かがランプを持って歩いているのだ。見回りの兵士だろうか――と思っていると、なんと近づいてきたのはメイザス伯本人ではないか。これにはカイもアスールも飛び上がり、「さっきの話を聞かれていなかっただろうか」と本気で心配する。

 どうやら杞憂だったようで、彼はふたりを見つけると穏やかな笑みを見せた。


「どうなされました、このような夜更けに」

「少し涼んでいたのだ。伯こそ、何をされている?」

「私は夜間の見回りです」


 カイがそれを聞いて首を傾げる。


「伯爵自ら?」

「自分の家ですから。習慣のようなものです」

「そう……」


 エーリッヒはちらりと空を見上げた。それから彼は、カイを真っ向から見据える。何を言われるのかと、思わずカイは軽く構えてしまった。


「貴方は、かの有名な【氷撃のカイ・フィリード】ですね」

「そうだよ」

「……十五年前にイリーネ姫様と暮らしていた、ミルクでもあるということですね?」

「!? 知ってるの、それ」

「カーシェル殿下やイリーネ姫様が、何度も話してくださいました。貴方が姫様のために何をして、どのように離れて行ったか」


 褒められたことをしたわけではない。結局カイがいなくなったあとも、カーシェルやイリーネの苦難は続いたはずなのだ。


「貴方が再びリーゼロッテに戻ることがあれば、その時は必ずイリーネ姫様のために行動しているはずだ。殿下はそのようにおっしゃっていました」

「買い被りだ」

「貴方にお会いすれば、買い被りでないことはすぐに分かりましたよ。貴方のような化身族の方がついておられるのは、心強い。どうかイリーネ姫様をお守りください。ここを動けぬ私の分まで」

「分かってる。……言われるまでもないよ」


 エーリッヒは頷き、カイとアスールに一礼して見回りに戻った。その姿が十分に遠ざかったのを見て、アスールが呟く。


「聡いな、さすが武人だ。こちらの警戒心を察して、先手を打ってきたな」


 カイも無言で同意した。彼は、今現在上空を旋回しているニキータに、気付いていた。なんのためにニキータが上空にいて、カイとアスールが地上で共に何を話していたのか、大体は察しているのだろう。戦いは駆け引きだし、相手の考えが読めれば先んじることもできる。エーリッヒはきちんとそれを知っているのだ。


 カーシェルがカイのことをエーリッヒに話していたのなら、本当に彼は信頼に値するのだろう。仕方がないから、過度な警戒はしないでおいてやろう。カイは負けを認めて、小さく息をついた。カイには「ずっとイリーネと旅をしてきた」という自負があっただけに、あんな風にへりくだられては、認めるしかないではないか。

 悶々とするカイに、アスールがくつくつと笑う。不愉快だったので、鳩尾に一発拳を入れておいた。

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