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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
142/202

戦場に集う者の独白

「戦況はどうかな、ハラ」


 ジナはそう問うてきたが、おそらく自分でも分かっているのだろう。それでも私に聞いてくるのは、同意を得たいためだ。こういうところは、昔から変わっていない。剛毅で肝が据わっていて、【朱の剛剣】などという異名を持つイル=ジナが、実は慎重で気が弱く、少女らしい趣味を持つ普通の女であるなど、誰が知っているだろう。


「渡河は成功しましたが、やはり敵方も周到な準備をしていたのでしょう。なかなか思ったようにはいきませんね」

「メイザスの騎兵がなくてもこれだからねぇ……サレイユの援軍が期待できなかったら、とっとと逃げ帰っているところだよ」


 戦象の背に乗って戦場を見下ろしながら、ジナは溜息をついた。


 ヴェスタリーテ河の下流、水位も浅く流れも緩やかな地点を選んでケクラコクマ軍は渡河を達成した。丘の上に建つ敵本拠地ホフマンから、渡河を阻止するために投石が行われてきたが、そこまで精度は高くない。威嚇のようなものだ。

 なるべく水辺を背にはせず、内陸へ内陸へと敵を押し返しながら交戦すること、すでに数時間。アーレンス公爵は化身族を徹底的に嫌っているため、敵軍に化身族の姿はない。しかし、敵は化身族との戦い方をよく知っている。人間が数人で一組になり、ひとりの化身族を囲んで殺すのだ。それが可能なだけの戦力が向こうにはあるし、ホフマンからは次々と兵が出てくる。いつものことながら、厄介な敵だった。


 それでも、まだ勢いはこちらにあった。思わぬほどの戦力が動員されたことに、敵も戸惑っているはずだ。


「イリーネたちは無事にしているかな。何事もないといいんだけど」


 ふと、ジナがそんなことを呟いた。ちらりとそれを見て、私は苦笑をかみ殺した。この女王は、たいそうイリーネさんのことを気に入ったらしい。本人もそう言っていたけれど、まさかここまでとは。可愛らしい女性をジナが好むのは今に始まったことではないが、今回はそれだけではない。淑やかでいながら強い意志を秘めたイリーネさんが、ジナは本当に心配なのだ。本気で力になってやりたいと思っている。そこまで誰かに入れ込むことがなかったので、ちょっとおかしく感じる。


 おかしいと言えば、イオもおかしい。ジナや私が客だと認めているから受け入れる、というスタンスだったはずのイオが、今ではイリーネさんたちのためにせっせと自分から働いている。相変わらずひねくれた言動は多いけれど、イリーネさんに心を許したのは確かだ。

 きっかけになったのは十中八九、イオが刺客に斬られた時――傷を癒してくれたイリーネさんの無償の優しさを受けて、毒気を抜かれたのだろうか。感情よりも国益を優先して動くイオらしくもない。もしかして惚れたのかと、一時は心配になったものだ。


「腕利きの方々が揃っているのです。滅多なことはないでしょう」


 賞金ランキング一位が不明で、二位が敵方、三位が捕虜になっているとなれば、四位の【黒翼王ニキータ】と五位の【氷撃のカイ・フィリード】が最強だ。そしてそのふたりはどちらも、イリーネさんの味方。六位の【光虎(こうこ)ヒューティア】も、イーヴァン勢として仲間に加わっている。チェリンさんはまだまだ無名だが強者には違いないし、アスール殿下の剣は達人の域だ。地上の何者が、あの面々に敵うだろう。一緒に旅をして、共に戦ったからこそ私は分かるのだ。


「そうだね、無用の心配だったか」

「はい。それより陛下、警戒は怠らずに。【獅子帝】が襲って来る可能性もないわけではありませんよ」


 ジナは頷く。敵が各国の混乱を狙っているのなら、王を殺すのは一番有効だ。アスール殿下たちが全員がかりでも毎回取り逃がす男――情けないが、ジナと自分だけでは倒せそうもない。


 そのとき、戦場の北側でわっと声が上がった。そちらを見やると同時に、兵士が大声で報告をしてくる。


「女王陛下! サレイユの援軍です!」

「来たか!」


 ジナの顔に嬉しそうな笑みが浮かぶ。見れば上流のほうに、無数の歩兵部隊が見える。青い甲冑、ついこの間まで敵だったはずのサレイユ軍が、頼もしい。

 敵も味方もいい具合に消耗してきた。何と良いタイミングで到着したのだろう。いや、したたかな彼らのこと、時期を計っていたに違いない。


「よし、全軍、全速前進! サレイユ軍に呼応して敵を押し返せッ!」


 ジナの命令が、ただちに戦場に広がる。味方は喜び、敵は慄く。前進して敵を蹴散らす戦いこそ、ケクラコクマの戦い方だった。





★☆





 まもなく戦場が見えてくる。索敵に出ていた兵が戻ってきて、前方で戦闘が起こっていることを確認できた。いよいよ、我々の戦いも始まる。


 ローディオン家はサレイユ有数の武門。妹のソレンヌが国王の妃となり、当主である父が王都に常駐するようになってから、故郷であるリゼットを守ってきたのは私だった。定期的にちょっかいを出してくるケクラコクマ軍を、ブランシャール城塞のカルノー率いる南方軍と協力して退けつづけてきた。そして二十年前には、リーゼロッテに協力してヘルカイヤ公国の滅亡に手を貸した。リーゼロッテとケクラコクマ、双方の恐ろしさと強さを一番に知っているのは、私たち南方軍のはずだ。


「憎かったケクラコクマが味方で、頼もしいはずのリーゼロッテが敵。不思議な気分だな」


 呟きはごく小さなものだったが、すぐ傍に控えていた従者には聞こえたようだ。彼は私が初陣した幼少のときから、ずっと付き従ってくれている。私よりもずっと逞しく、力も強い男だが、このときばかりは少し心許なげだった。


「しかし、シメオンさま。本当に良かったのでしょうか。恩を仇で返すような真似では……?」

「恩か。確かにそうだな。奴らは神国との恒久の平和を誓った、心優しき我らの王を殺してくれたのだ」


 私の言葉に、従者ははっと息を呑んだ。


 王都グレイアースから派遣された軍の陣頭に、ダグラスの姿を見たときは驚いた。自分もリーゼロッテへ遠征すると言って聞かなかったらしい。私とカルノーとジョルジュが全力で止めて、本来ならブランシャールの留守を預かるつもりだった私が王家の名代として従軍することで、なんとか思いとどまってくれたのだ。ダグラスは確かに勇敢な王子だが、彼はアスールと違って武芸の心得もなければ、従軍経験もない。そして国王亡きいま、ダグラスがサレイユを離れてしまってはまずいのだ。

 私にとってダグラスは、甥であるアスールの兄弟で、従妹であるレティシアの子。なんと表現したらいいのか分からない関係の相手だ。王都へあがることも年に数度しかない私が、ダグラスと会うことはそうない。それでもあの若王子は、私を信頼して戦いを任せてくれた。だからこそ、私は彼がやるべきことを代わってやらなければならないのだ。戦いに躊躇いを持つ兵に、戦いの意味を示す。ケクラコクマ軍と協力することがあまりに衝撃的で、彼らは本来の目的を忘れているのだ。


「忘れるな、オーギュスト陛下を殺害したのは、同盟国だったはずの国の王子だろう。常にリーゼロッテの友であった我々に、先に牙を剥いたのはあの国だ」


 国境を守る三諸侯は、メイナードの凶行を知っているのか。いや、どちらでも構わない。知らないのならば教えてやればいい。知っているのなら打ち破るだけだ。


「昨年の水害にあたっては、リーゼロッテは救援物資をいち早く届けてくれた。神国内で遭難した我が国の旅行者を、必死で捜索して保護してくれた。サレイユとリーゼロッテ間の海路の安全を確保し、広く国境を開いて互いの交流を盛んにしてくれた。すべてカーシェル王子とイリーネ姫が取り計らってくれたことだ。メイナード王子は我々に何をしてくれたのだ?」


 かつてはサレイユを「リーゼロッテの属国」と侮る貴族も多かった。いまでは、表立ってそんな言葉は聞かない。サレイユに来る使者はみな礼儀正しく、丁寧だ。リーゼロッテに行けば、歓迎して親身になってくれる。すべてカーシェルの仁徳に他ならない。神姫イリーネとアスール王子の婚約が発表された時には、民衆が両手を挙げて喜んだのだ。ふたりのおかげで、いっそう両国の距離は縮んだ。希望そのものだった。

 友とは何か。国同士の取り決めで決められた間柄か。――違うだろう。一方が困っていれば助け、一方が頼ってくればそれに応える。サレイユ王家とリーゼロッテ王家は絆を作り上げ、それは確かに民衆にも広がっていた。その絆を無残に壊したメイナード王子は、既に友ではない。

 いまだ友であるイリーネ姫は、メイナード王子と戦うことを決めた。ならば応えねばなるまい。思惑はどうあれ、共に戦うとケクラコクマが決めたのなら、今日からかの国はサレイユの友だ。


「恩には恩で報い、仇には仇で返す。恐れることはない。この先の戦いは苦境にある友を助けるためのものであり、そして主君の仇討ちである! 危険な旅を続けておられるイリーネ姫とアスール王子の信頼に、背くような真似はできぬ!」


 おおっ、と歓声が上がる。――こういうことは慣れていない。私はローディオン家に生まれながら、ごく平凡な指揮官でしかない。言葉でヒトの心を動かすのはダグラスの本領だろうし、アスールでももっとうまくやるだろう。下手に口を動かすよりも、私自身が戦う姿を見せたほうが、ずっと効果があるはずだった。

 上層部から開戦の命令が届いたから、戦うのではない。ひとりひとりが戦いの理由を知り、何かを思ってくれれば。それだけで、抜群の力を発揮できる。


「打ち鳴らせ! 狙いは敵軍側方、突撃するぞ!」

「はっ!」


 従者の男が、太鼓を大きく打った。進撃の合図が響く。

 アーレンス公爵とは顔見知りだ。戦場で会うこともあるかもしれぬ。「裏切り者」と呼ばれるだろうか。言いそうな男だ。――それでもいい。謗りはすべて、この身が引き受ける。





★☆





「サレイユ軍です! 北方からサレイユの歩兵が……!」

「数はどれほどだ!?」

「は……判別不能です! おそらく、サレイユのほぼ全軍なのではないかと……!」

「くっ……話は聞いていたが、本当に裏切るとはな!」


 戦場の地図を広げていた卓に、握り締めた拳を叩きつける。敵や味方を示す駒が大きく跳ね、ばらばらと床に落ちた。身を竦めてベルネット伯がその駒を拾い集める。


 サレイユとイーヴァンが連名でリーゼロッテに宣戦を布告し、どういうわけかそのタイミングでケクラコクマが攻めてきた。だから何かしらの繋がりがあるとは思っていたが、どうやらサレイユは宿敵ケクラコクマと手を結んだらしい。なんという恥知らずだろう。サレイユもケクラコクマもほぼ全軍を動員している。それだけ本気で、奴らはリーゼロッテに攻め込もうと言うのだ。

 サレイユの軍を率いているのは、騎士王子と名高いアスール王子か。それともブランシャールで南方軍を預かるカルノー将軍か。ローディオン家のシメオンか。サレイユの戦力といえばそのくらいしかないが、指揮官としてはどいつも優秀だ。


「……メイザス伯の到着はまだか!?」


 いらだたしげに問うと、ベルネット伯が汗を拭いながら答える。冬だというのに冷や汗をかいていているようだ。


「は、はい、アーレンス公爵……どうやらまだのようです。そろそろ到着してもおかしくないとは思うのですがね……」

「ちっ、奴は気に食わないが、奴の騎兵部隊は強い。当てにせねばならんとは、わしも腑抜けたか……」


 ホフマンの領主邸にいても、戦場の音は聞こえる。それほどまでに、この街は戦場に近い。ここが第一の防衛線なのだ。ケクラコクマ軍は籠城するホフマンを攻撃する術を持っていなかったが、サレイユは違う。サレイユは海からだろうが河からだろうが陸からだろうが、砲撃を以って攻撃してくるだろう。


「メイザスが合流してからと思っていたが、こうなっては仕方ない。ベルネット伯、貴様の兵を投入させてもらうぞ。奴らが増援を出すなら、こちらも出すまでだ」

「わ、分かりました……指示を出してまいります」


 ベルネット伯が慌てて部屋を飛び出していく。小さなその背中を見ると無性に腹が立って、つい舌打ちをしてしまう。

 ――焦っても仕方がない。わしは国王陛下より信任を得て、この国境の最前線に領地を頂いた。この地を守ることが陛下に対する忠誠の表れであり、生涯をかけてまっとうすべき使命だった。上層部の状況など、知ったことではない。王太子カーシェルが行方不明だとか、メイナード王子の謀略だとか、そんなことはどうでもいいのだ。


「若造どもめ……このホフマンより先には行かせんぞ……!」


 そう呟いたところで、怒りでいっぱいだった頭が少し冷えた。あることに思い至ったのだ。先程報告の兵は、『サレイユの歩兵』と言っていなかったか。あの国には少数ながら精鋭の騎兵隊がある。彼らはどこにいるのだ。

 まさか、別行動をしているのか――?





★☆





 そのまさかだ。

 今頃敵将のアーレンス公は歯噛みをしているだろう。それを思うと、つい笑みが浮かんでしまう。


 渡河を終えたサレイユの騎士隊は、河沿いにひたすら南下し、途中から内陸に入って大きく戦場を迂回した。そのまま敵の主都ホフマンを攻撃しても良かったのだが、それは作戦のうちには入っていない。だから私たちは、ケクラコクマ軍と戦っているリーゼロッテ軍の、その後方に飛び出したのだ。

 先に戦場に到着していたサレイユの歩兵隊の出現で、リーゼロッテ軍はかなり混乱していた。そこに現れた騎兵部隊――しかも背後から。最初は援軍かと思って歓声を上げていたリーゼロッテの諸侯の兵が、絶望に表情を変えるのは早かった。馬を駆けさせながら、右手に槍を構える。乱戦時には、剣より槍のほうが使いやすい。


「楔型陣形をとれ! 速度を落とすなよ、続けッ!」

「はっ、ジョルジュさまに続け!」


 私を先頭にして、騎兵が移動する。巨大な楔、敵軍を貫く破壊の槍の陣形だ。そのまま、騎士隊はリーゼロッテ軍の後方に攻撃を仕掛けた。面白いくらいに、敵軍はかき乱されて両断された。


(この混乱具合……それに先程の歓声も。どうやらメイザスの騎兵はまだ到着していないらしい)


 鉢合わせないよう慎重に進軍はしてきたが、メイザスの騎兵の姿は見られなかった。だからとっくに到着しているものと思っていたが、そうではないのか。

 まあ、いい――敵を滅することが私たちの仕事ではない。あくまでも敵にちょっかいを出し、イリーネ姫様やアスール様の行動に目を向けさせないようにするのが仕事だ。少し派手に暴れるくらいでいいのだ。


 混乱を捨てた兵が突撃してくる。槍を一振りすると、呆気なくその兵は吹き飛ばされた。


「さ、サレイユ軍……なぜだ! なぜ我々を攻撃する!」


 この小隊の指揮官だろうか、男がそう喚いた。私は槍を構えた。


「……なぜ? 忘れたとは言わせない。リーゼロッテがサレイユに何をしたのか、メイナード王子が何をしてきたのか!」

「し、知らん! メイナード王子のことなど、国境警備の我々が知るはずがない!」

「そう、貴方は知らないでしょう。しかし私の行く手を阻むなら、それはメイナード王子に加勢するということ。覚えておいていただきましょう!」


 槍が唸りを生じて兵に叩きつけられる。一撃を受け止めたのは、たいしたものだ。二撃目で、その男は地面に転がる。私はアスール様ほど慈悲深くもなければ、戦場で手加減ができるほど優れた戦士でもなかった。部下たちにも、手加減せよという指示は出していない。戦えば戦うほど、イリーネ姫様やアスール様の立場を悪くするということは分かっているが――それでも私には、あの方たちほど大切なものは多くない。私が大切なのは主君の命だけだ。それを守るためだったらなんでもやる。それがアスール様の意に反していても。自国の民の命が多く失われたことを知って、イリーネ姫様が心を痛めても。大切に思うものが増えるだけ、生きにくくなるだけだ。


「奇襲は成功だ、一度退くぞ」


 指示に応じて、騎士たちは素早く戦場を離脱した。それを追撃するために兵が追いかけてきたが、格好の各個撃破の餌食となった。深追いすれば戦力を分断させるだけだということを、すっかり失念していたらしい。

 戦果は上々だ。メイザスの騎兵が姿を見せないことは気がかりだが、とにかく役目は果たした。派手に戦いを起こし、神国内へ潜入したイリーネ姫様たちは見つからずに済んだ。カルノー将軍やシメオン様と合流し、イル=ジナ女王を通じてアーレンス公と連絡を取ろう。我々は戦いを望まぬと。もしこちらの

声に応じぬようなら、戦う準備はできていると。今日のこの有様を見て、戦闘を続行するほど公爵も愚かではないだろう――。


 多分。

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