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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
141/202

◇道は遠く(6)

「アーレンス公爵領の主都ホフマンに、ベルネット伯爵家の兵が続々と集結している。メイザスの騎馬隊も自領を出たと思うが、奴らがホフマンに着くには時間がかかるだろうな」


 偵察から戻ってきたニキータが、そのように報告した。

 領地にはいくつもの街が存在するが、そのうち領主が住まう街を主都と呼ぶ。アーレンス公爵領の主都ホフマンと、ベルネット伯爵領の主都オイゲンは、馬で一日も駆ければ到着するほどに近い。ホフマンの街は、ケクラコクマ軍が渡河を試みる地点を見下ろすような丘の上にあり、戦場の目の前なのだ。そのため、戦時になれば国境付近の諸侯の兵が、ホフマンに大集結することになっている。

 けれどもメイザス伯爵領は、他二諸侯の領地よりも内陸に主都を置き、戦場から最も遠い。しかも、最短距離を進もうとすればティリア大森林を抜けなければならず、迷いの森を大軍で通過するのはかなり危険だ。そうなると、彼らは主都のすぐ傍にあるベルツ山を越えて、はるばるホフマンへと駆けてくるのである。


 つまり、リーゼロッテ軍の主力はアーレンス公とベルネット伯の歩兵部隊。遅れて、メイザス伯の精鋭騎兵が参戦するというわけだ。


「ふむ。いま仕掛ければ、少なくともメイザスの騎兵はなしか。イリーネがメイザスを頼るとなれば、あまり戦いたくはない相手だね」


 イル=ジナの言葉にシャ=ハラが頷いたが、「しかし」と彼女は口を開く。


「メイザスが遅れて到着するのならば、サレイユ軍と鉢合わせる可能性もあります。奇襲失敗ということにも」

「むしろ見つけてもらったほうが良いかもしれぬよ。各諸侯にも、サレイユが敵方に回ったという情報が届いているだろう。我々の奇襲は、ある程度あちらも想定しているはず……ならば相手の思惑通り、姿を見せてやった方が良い。我々の本命の奇襲部隊は歩兵部隊ではなく、ジョルジュの率いる騎士隊だからな」


 アスールの説明に、イル=ジナも同意する。予想通りのものを見つけると、「ほらやっぱり」と誰しも思うもの。そこで安心してしまうのだ。まさか二段構えで別働隊が動いているなど、思いもしないだろう。

 サレイユの歩兵部隊は、ケクラコクマ側の河沿いを進むのだ。敵を見つけたからといって、メイザス伯が河を渡ってくるはずもない。そのままホフマンへ向かい、敵の増援部隊を発見したと告げるだけ。交戦することもない。ジョルジュの動きさえ見つからなければそれでいいのだ。


「よし、私たちも出ようじゃないか! ハラ、出撃の準備は」

「整っています。ご命令いただければ、すぐにでも」

「イオ、留守は頼むよ」

「はいはい、お任せを」


 信頼できる臣下ふたりの言葉を受けて、イル=ジナはイリーネに向けて満面の笑みを見せる。


「さあイリーネ、始めるよ。王太子カーシェルの救出作戦の、その初戦だ」


 かくして、イル=ジナを陣頭にいただくケクラコクマ王国軍は、一路西の国境ヴェスタリーテ河を目指して王都を発ったのである。見送るシャ=イオから、多少捻くれた戦勝祈願の言葉を受けながら。





★☆





 ケクラコクマ軍の前線基地となるのは、河の中流域に造られたナーナウルという砦だ。イル=ジナ率いる大軍はまず砦へ向かい、戦場となる下流域から渡河をするという。今回イル=ジナは、戦象部隊や化身族の部隊など、強力な兵を総動員している。これにサレイユの軍を加えると、いくら列強の揃う国境沿いのリーゼロッテ貴族の軍でも一筋縄ではいかない。


 イリーネたちは、ナーナウルの直前にあるカリーヤンの街でイル=ジナ、シャ=ハラと別れることとなった。北へ向かい、グラートの街の傍に待機するサレイユ軍と合流するのだ。


「ジナさん、ハラさん、本当に今までありがとうございました」


 別れ際に深々と頭を下げると、女王は陽気に笑う。


「なんだい、今生の別れみたいに。戦いが終わればまた会える。そうしたら今度こそゆっくり話をしようじゃないか」

「旅のおともができて光栄でした。どうかお気をつけて」


 ふたりの女戦士は、悠々と兵を率いて国境地帯へ向かって行った。指揮官として、これほど頼もしいヒトが他にいるだろうか。王直々に率いられるケクラコクマ軍の士気の高さも納得だ。よく今までリーゼロッテ軍はこんな王と戦って無事だった――と、少々情けなくイリーネは思ってしまうのだが、逆に言えば、イル=ジナでも倒せなかったほどにアーレンス公爵らも強敵だということだ。


「【(しゅ)剛剣(ごうけん)】イル=ジナ。たいした女傑だったな」


 ニキータの言葉には素直な感心の響きがあった。カイが肩をすくめる。


「最初は、おっかないお姉さんだと思ったけどね」

「案外そうでもなかったな。彼女は毎回、イリーネとチェリンに贈る衣装を嬉々として選んでいたのだと、ハラ殿が言っていた。可愛らしいものではないか」


 アスールが苦笑してそう言うので、イリーネは顔を赤くして俯き、チェリンは明後日の方向を向く。いつも綺麗な衣装をイル=ジナが見立ててくれたのだが、どうやらそれは女王のささやかな趣味だったそうなのだ。そんなにセンスが良いのだから、自分を着飾ってみれば良いのにと思うのだが、イル=ジナ本人は戦装束が一番しっくりくるという。

 衣装を持っての旅はできないので王都に置いてきたが、イル=ジナは「また遊びに来たときに着てもらうために厳重に保管しておく」と笑っていた。多分、冗談ではないだろう。


「さあ、北へ行こう。カルノーとジョルジュが待っている」

「はい!」


 サレイユ軍の居場所を把握しているニキータが先頭を飛び、それをイリーネとアスール、クレイザの操る馬が追う。いまだに同乗させてもらっているカイとチェリンは、「こんなに馬での移動が多くなるなら、乗馬を練習したほうが良かったかも」と小さく後悔していたのだった。





「イリーネ姫様! チェリン嬢! お久しぶりでございます、ご無事でよかった。ああ、おふたりの美貌は砂漠の砂塵ごときではまったく損なわれない。私は異国の太陽も灼熱の風もへっちゃらでございますが、美しき姿には目が眩んでしまいますよ……! あっ、アスール様もご無事で」

「主への挨拶より、女性への賛辞を優先させるか……見上げた態度だな、ジョルジュ」


 アスールが頬をひくつかせるが、ジョルジュはその程度でめげたりはしない。にこにこと上機嫌で、一行をサレイユ軍の陣内へと招き入れる。


 グラートの街の郊外に、サレイユ軍は陣を置いていた。女王から行軍許可をもらっているとはいえ、住民を混乱させたくないということで、街から離れて待機していたのだ。敵の目を逃れるため、ギヘナの領域内も通ってきたのだという。


「殿下、お待ちしていましたぞ。ついに作戦を始めるのですな」


 司令官用の天幕内で迎えてくれたのは、ブランシャール城塞に詰めていた南方軍の司令官カルノーである。よく肥えた体格に満面の笑みが妙に愛嬌がある。

 しかし、そこにいたのはカルノーだけではなかった。他の面々は「どこかで見た気がする」程度の顔をしていたが、イリーネとアスールだけがその男を知っていた。アスールが声をあげる。


「シメオン伯父上!? な、なぜここに……!」


 アスールの母ソレンヌの兄でローディオン家の嫡男、リゼットの街を預かるシメオンだったのだ。「やあ」と爽やかに笑って手をあげる姿は、驚くほどにアスールに似ている。


「なぜとは、おかしなことを聞く。かつてないほどの戦いだ、戦力は多いに越したことはないだろう?」

「そ、それはその通りですが……! ローディオン家はサレイユ王家の外戚、さすがに今回戦列に出るのはまずいでしょう!」

「何を言う、王家の外戚だからこそだよ。同盟国リーゼロッテへ刃を向けることに、躊躇いを持つ兵もいる。その責任を取るのは王族だ。だから私はここにいる。これこそサレイユの総意であると示すためにね」


 シメオンの強い言葉に、アスールは何も言えなくなる。ジョルジュが横から口添えする。


「本当はダグラス殿下が自ら出陣しようとなさっていたのですよ。が、それはさすがにまずいということで、シメオン様がローディオン卿の命を受けてこちらに」

「外戚とはいえ、いないよりはマシだろう?」


 それはそうだが、と唸るアスールを放っておいて、シメオンはイリーネに向き直った。そして微笑む。


「イリーネ姫。貴方とカーシェル王子の助けになるよう、全力で戦わせていただきますね」

「ありがとう、シメオンさん。本当に……」

「なんの。かわいい甥っ子と、未来の奥方様のために」


 アスールが盛大に咳払いをして、伯父の言葉を遮った。見れば後ろで、カイも仏頂面だ。ニキータがにやにや笑っているが、そもそも彼は最初からシメオンがこの場にいることを知っていたはずである。それで黙っていたのだから、面白がっているのだろう。

 気を利かせたつもりか、そんなニキータがさりげなく話題を戻した。


「作戦はこの間伝えたとおりだ。早ければ明日にでも、ケクラコクマ軍は渡河を始めるだろうぜ」

「ふむ、では我々も急ぎ進軍を始めるといたしましょう」


 カルノーが部下を呼んで指示を出す。河沿いに南下する歩兵部隊の指揮は、第一陣をカルノーが執り、第二陣をシメオンが執ることになっている。ふたつの部隊による波状攻撃で、リーゼロッテ軍の側方を突き崩す。


「ジョルジュ、渡河ができそうなポイントは押さえたか」

「はい、即席ですが橋を架けさせました。ベルネット伯領とメイザス伯領の境の場所で、近隣に人里はありません。敵方の見張りの目もないことは確認してあります」

「上出来だ。カルノーたちと少し時間差をつけて、騎士隊も出発するぞ」

「はっ」


 ジョルジュの率いる騎士隊は河を渡り、敵の後背へ回る。彼らと共にイリーネたちも渡河し、そのまま神都を目指すことになる。カルノーたちが準備を始めたが、反対にイリーネたちは休息を取ることになった。カリーヤンでイル=ジナたちと別れて、休みなしにここまで駆けてきたのだ。とても落ち着く気分ではないが、それでも身体を休めなければいけない。気を利かせたジョルジュが茶まで出してくれたので、お言葉に甘えることにしたのだった。




 数時間して、カルノーとシメオンは歩兵部隊を率い、河沿いに南下を始めた。それを見送り、ジョルジュの騎兵隊とイリーネらは逆方向の上流へ向かう。早くて明日にケクラコクマとリーゼロッテが戦端を開くとなれば、カルノーらはそれから約半日遅れで戦場に到着するだろう。戦いが始まって数時間が経ち、互いに消耗してきたころに現れる無傷の援軍――味方は喜んでそれを迎え、敵は恐れ戦いて士気を下げるはず。

 そこを狙ってジョルジュが突撃するのだ。敵に気付かれないように、しかし戦場においてはより目立つように。これには繊細な時間配分や状況観察が必要だ。


 ――しかし。


「お前、勿体ないことしたなぁ。イリーネもチェリンも、つい数日前までケクラコクマの衣装をまとって、それはそれは美しい姫君の装いだったっていうのに。あの姿を見られなかったなんて、人生損したぜ?」

「なんと……!? くっ、そうと知っていれば【黒翼王】殿が陣へいらした際に、無理にでもそのお背中に飛び乗っていましたものを! 知っていますよ、この国の女性の民族衣装のこと。チェリン嬢のような抜群の肢体の持ち主であれば、さぞお似合いだったでしょうに……羨ましい、羨ましすぎますぞアスール様ッ!」

「ええい、うるさい、ジョルジュ! 【黒翼王】殿も、こいつを焚きつけないでください!」


 と、終始このような状況で、緊張感もあったものではない。他の仲間たちは沈黙しているし、傍にいる騎士隊の部下たちも慣れているのか、苦笑いを浮かべている状況だ。


「チェリン嬢、貴方にはサレイユやリーゼロッテのようなごてごてしたドレスよりも、多少露出のある煌びやかな民族衣装のほうが似合うはずだと、常々思っておりました……! 何せそのお美しい御足、見せなければ勿体ない。ぜひ、そのお姿を一目私に見せてはいただけませんか。目に焼き付けて、生涯の励みにしたく!」

「ふふ……元祖変態紳士、今のあたしを怒らせないほうがいいわよ……? あたしは指一本触れずに、あんたの首をへし折ることができるんだからね……!」


 チェリンが不気味な笑みを浮かべながら、右の拳を握ったり開いたりしている。王都に滞在している間に、チェリンはカイから魔術の扱いを教わっていたのだ。今では相当な使い手になっている。

 それはいいのだが、イリーネの馬の後ろに乗った状態では少々気まずい。


「チェリン、この男に割く魔力など無駄になるだけだ。やめろやめろ」


 アスールにばっさりと切り捨てられててもジョルジュがめげないのは、これがいつものやり取りだからだろうか。と、ふとそこでカイが口を開いた。


「そういえば、ジョルジュってイリーネに対しては変なこと言わないよね。まあ、言ってたら俺が殺してたけど」

「……さりげなく恐ろしい言葉が聞こえた気がしますが、ええ、何せイリーネ姫様はいずれこのジョルジュのご主君ともなられる御方。ご無礼ができましょうか」


 にこにこと微笑むジョルジュから、アスールは視線を外した。そして訳もなく咳払いをして、口を開く。


「あー……ジョルジュ、そのことだが……」


 言葉を継ぐより早く、先頭を進んでいた騎士が渡河地点に到着したのを告げたため、うやむやになった。

 だいぶ上流地点まで遡ってきて、川幅は狭く、流れは早く急だ。ごろごろと大きな岩も転がっている。世界最長の大河ヴェスタリーテの源泉は、ギヘナ大草原にある。綺麗で、ヒトの手の入っていない、まるきり自然のままの水。この河はリーゼロッテとケクラコクマを分かつ国境であり、そこに暮らす人々の水源だ。

 そこに橋が架けられていた。木製の橋だが、サレイユの水に関する技術は大陸一だ。かなり頑丈な造りになっていて、急流にも人馬の重さにも十分耐えられる。反対側の岸は鬱蒼とした森林地帯になっていて、ヒトはいない。これがティリア大森林だ。


 何事もなく、イリーネたちは橋を渡った。騎士隊は人数が多いので、全員が渡りきるまでしばし時間がかかるだろう。ジョルジュは後続を待って、南下を始める。


「それでは、アスール様、イリーネ姫様。このままお進みください。またお元気な姿を見せに来てくださいね。たまにでいいですから」

「なんだ、たまにでいいのか。ダグラスなど、しょっちゅう連絡をよこせと言っているのに」

「はい。姿を見なくては主の無事を信じられぬようでは、貴方の臣下などやっていられません」


 ふっと笑って、アスールは軽く手を挙げる。この主従の本質を、イリーネは見た気がした。ジョルジュが背中を引き受けてくれるからアスールは勝手ができるし、そんなアスールをジョルジュは絶対に信じ抜く。幼いころから共に死線を潜り抜けたから、そう思える関係になったのだろうか。残念だが、イリーネにはそうした存在の臣下はいなかった。だからこそ、羨ましい。


 ジョルジュとも別れて、イリーネは目の前の密林を見やった。ここはもうリーゼロッテ神国、その中のメイザス伯爵領だ。帰ってきた、という実感はまだない。それでも、ティリア大森林は知らない土地ではなかった。この東西に長い森を抜ければ、その先にあるのはメイザス伯領の主都デュッセルだ。神都カティアや、メイナードの様子も少しは聞けるかもしれない。


「行きましょう」


 イリーネが馬を歩かせ、先頭に立って森の中へ入っていった。ここから先は、アスールでもカイでもなく――自分がみなを導かなければならないのだ。自分がここを通ると、決めたのだから。

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