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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
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◇道は遠く(5)

 刺客はイル=ジナとアスールの手によって断罪され、城内も落ち着きを取り戻した。負傷したシャ=イオは部屋で寝かせていたが、イリーネが様子を見に行くと、彼はもう起きていた。長い髪は解かれ、ベッドに腰掛けたままの状態だったが、軽く腕を回したり背を伸ばしてみたり、傷がないのを不思議がっているようだ。部屋に入ってきたイリーネを見て、シャ=イオはぎょっとしたように目を見張った。


「あ、気が付きましたか」

「イリーネ姫……!? な、なぜここに」

「なぜって、傷の様子を確認に……でも、その分だと大丈夫そうですね」

「ああ、はい……おかげさまで」


 ばつの悪そうなシャ=イオは、傍に歩み寄ったイリーネを見て立ち上がろうとしたが、慌ててそれを制する。常の辛辣さもどこかへ消えて、すっかり大人しい。この部屋にイオを運んだのは姉のハラで、なんとも軽々と抱え上げていたのだ――などということは、教えないほうが良さそうだった。

 イル=ジナは無事だということを告げると、イオは小さくほっとしたように息をついた。それからイリーネを見る。


「イリーネ姫、お礼を申し上げます。貴方がいなければ、僕は死んでいたでしょう」

「お礼なんて。当然のことをしただけですから」

「当然、ですか」


 イオはその言葉を繰り返し、小さく笑う。


「僕と姉にとっては、陛下をお守りするのが当然のことです。陛下より先に敵に気付く。陛下より先に敵と戦う。いざとなれば、この身を盾にする。ろくに戦うことのできない僕が『守る』だなんて、馬鹿な話ですが……あの状況で僕が斬られて陛下が助かるのなら本望でしたし、それが当然なのです」

「そんなこと……ジナさんは、きっとそんなことは望みません。貴方の命を犠牲にするなんて」

「ええ、そうでしょうね。でも、だからこそ僕たちはそれに甘えてはいけないんですよ」


 しかし、とイオは表情を改める。


「僕がこの身を犠牲にして陛下を助けられるのは、たった一度きり。……だから、お礼を申し上げたいのです。僕はまだ、陛下のために働くことができる。それは本来、もう僕にはできないはずのことでした」


 自分が死ぬことでイル=ジナが助かるならば、喜んで死のう。何の迷いもなくそう断言するシャ=イオの姿は、イリーネには不思議だった。死への恐怖はないのか。同じことを、もしジョルジュがアスールに対して言っていたらどうなるだろう。――きっとアスールは、ジョルジュを張り倒すはずだ。

 シャ=イオの言葉が、それでも卑屈や自暴自棄に聞こえないのは、なぜだろうか。そうまでしてでも成さねばならない、使命のようなものがあるのかもしれない。


「……失礼なことを、聞いてもいいですか?」

「なんでしょうか」

「ハラさんとイオさんは……ジナさんの幼馴染、なんですよね。どうしてそこまで……」

「忠義を尽くすのか、ですか?」


 イリーネは頷く。その質問を、半ば予想していたのだろう。イオはあっさりと答える。


「初めてお会いした時も申し上げましたが、陛下も姉も僕も、上品な生まれ育ちではありません。あの砂漠の街で毎日、剣術の稽古をし、湖で釣りをし、家畜の世話をし、とにかく一緒に走り回って育ってきました」


 楽しそう、羨ましい、というのが素直なイリーネの感想だ。自由だと思っていた幼いころは、決して自由ではなかった。友人だけで遊びに行くことなど、一度だってできなかったのだ。


「だというのに、ジナは王になり、姉と僕はその傍に仕える臣下になった。ジナは僕たちを信頼してくれます。そうして優遇される姿を見て、他の臣下が良く思うはずがない。家族のような主従関係を持つ国王など、他国は対等に扱ってくれない。……だから僕たちは『臣下』になろうと決めたのです。姉と僕は有能であり、女王の側近に相応しいのだと、他人にそう示さなければならなかった」


 本来のシャ=ハラは、父のディグが言ったように大雑把で怒りっぽい性格なのだそうだ。イオのほうはそう性格の変化はないが、間違っても幼馴染のジナに敬語で話すようなタイプではなかった。この姉弟の努力は、まさに血の滲むようなものだったはずだ。

 それを事もなげに説明したイオは、ふと自分を見下ろした。傷口部分に包帯は巻いていたが、念のためというよりも、あれだけの出血がありながら傷がないイオの姿を、他の者が奇異の目で見るだろうという配慮からの処置だった。痛みも違和感も、もうないはずだ。


「……それにしても、教会の神姫が混血種(まざりもの)だったとは。どういう皮肉なんでしょうね、これは」


 その言葉を聞いて、イリーネは我に返る。イル=ジナも、シャ=ハラもイリーネが治癒術を使う姿を見て何も言わなかった。だからイオもそうだろうと思っていたが、果たして本当にそうなのか? それを思うと、急に怖くなってくる。


「ああ、誤解させるようなことを言いましたね。すみません。僕は別に、混血種(まざりもの)に対して偏見はありませんよ」

「そう……でしたか。ごめんなさい、私、油断して」

「油断?」

「今まで、みんな私の力を知っても受け入れてくれたから……治癒術を使うことに抵抗がなくなっていて。リーゼロッテにいたころは、必死で隠そうとしていたのに」


 ただでさえリーゼロッテ神国という国は、化身族に差別的だ。混血種(まざりもの)などもってのほかだ。諸侯はみな聖職者で、ばれてしまえばあっという間に噂は広がってしまう。しかし王女という立場上、彼らを避けることなどできなかった。カーシェルにもきつく治癒術の行使は止められて、何者にも触れぬように気を張って生きてきた。

 それに比べて、最近はどうだろう。理解のあるヒトばかりが周りにいて、すっかり警戒がおろそかになっている。「混血で、それがなんだ」と言い切ってくれるカイやアスールたちがいてくれるおかげでイリーネも堂々としていられるのだが、そう思わないヒトも大勢いる。けれど現状では、大切な祖国であるリーゼロッテにこそ敵がいて、敵国だったはずのケクラコクマの人々が心を砕いてくれているのだ。


「リーゼロッテという国は、貴方には生きにくそうですね」


 ずばりと、イオが言う。その通りかもしれないが、容易に頷きたくはない心理もある。イリーネが曖昧に微笑むと、イオは続けてこう言った。


「今回の作戦が成功し、貴方がたが王太子カーシェルを無事に救出できたら……きっとリーゼロッテとケクラコクマは、もう敵にはならない。少なくとも、僕たちが生きている間は。我が国は化身族に理解のある国ですよ。息苦しくなったら、遊学でもなさってみては」


 一瞬、その言葉の意図を理解できなかったのだが――理解して、シャ=イオを見てみると、彼はそっぽを向いていた。決してイリーネを直視しようとはしない。


「……それって、『いつでもまた遊びに来て良い』って言ってます?」

「さあ、どうでしょうね」


 これは絶対、照れ隠しだ。そう確信してイリーネが笑うと、イオは苛立ったように髪紐を引っ掴み、手早く結い上げてしまった。そしてベッドから下りて立ち上がる。


「イル=ジナが王になったのは、この国に法を敷くためです。荒れくれ者の多い、国とも言えないようなケクラコクマを、憲法によって統制する。司法を確立させ、刑法を作る。民や都市の数を把握し、それらすべてに等しく権利を与える、そのための法を作る。……そうして国としての枠組みを整えて、他国と条約や協定を結びたい。それが僕たちの野望です」


 強い者が王になる。その慣習を撤廃して、国造りをする。さぞ敵も多いだろう。あまりに壮大な計画に、イリーネは言葉を失う。たった三人で、それをやろうというのか。

 きっと彼らにとって、先程の刺客の言葉は痛かったはずだ。「そんな決まりはない」――まさにいま、彼らは国の決まりを作ろうとしていたのに。


「それにあたって、学ばなければならないことはたくさんある。法国家として確立しているリーゼロッテやサレイユは、重要な参考国です。……僕たちの野望のためには、貴方やアスール王子との縁を結んでおくのが得策のようですから」

「……イオさん、理屈っぽいって言われません?」

「放っておいてもらいましょう」

「ふふふ」


 もう動けると言うシャ=イオとともに、イリーネは部屋の外に出た。イル=ジナやアスール、シャ=ハラを探そうとしたのだが、それより先に彼女らのほうがイリーネとイオを見つけてくれた。平然と歩いているイオを見て呆気にとられたようだった女王だが、すぐにイオに声をかける。


「平気なのかい、イオ」

「ええ、むしろ久々にゆっくり寝かせてもらえて、爽やかな気分ですよ」

「減らず口が叩けるなら大丈夫だね。イリーネ、ありがとう。それからすまなかったね。危険なことに巻き込んで」


 イル=ジナの表情は殊勝なものだった。イリーネは首を振るのだが、それでもイル=ジナは神妙なままだ。


「易々と刺客を城内に入れるなんて、とんでもない失態だ。アスールの言う通りだ、誰かひとりでも欠けたらこの先の作戦は成功しない。分かっていたのに、楽観視していたみたいだよ。すまない」

「ジナさん……」

「この失敗は、あんたたちが無事に神国入りできるように戦うことで挽回するよ」


 真摯なその言葉に、イリーネは大きく頷く。後ろで聞いていたシャ=ハラが、おかしそうに笑みを浮かべていた。実際、彼女はおかしく思っているのだろう。イル=ジナをここまで本気にさせ、シャ=イオの心を開かせた。イリーネの力は、治癒の力だけではない。人心を掴む力こそ、イリーネの最大の武器なのだ。


「そういえば、イオ殿。【獅子帝】の話が途中だったが……よければ、続きをお聞かせ願えないか」


 ふと思い出したようにそう口にしたのはアスールである。イオ本人も忘れていたらしい。はっと我に返って頷く。


「そうでしたね。どこまで話したのだったか……そう、歴史書をひっくり返したら、恐ろしいものを見つけたんですよ。これまでに【獅子帝】の称号を得た、ふたりの化身族なんですが」

「ふたり?」

「ひとりめは、百五十年前。リーゼロッテとの戦争で立てた武功によって、獅子の化身族の青年にその名がつけられた者……つまり、僕たちが知っている【獅子帝】のことです。そしてもうひとりは、三千六百年ほど前の人物です」

「なんだと!?」


 三千六百年前――神暦がはじまったばかりのころ。女神エラディーナがまだただの人間だった時代の、人間と化身族の対立の戦争。レイグラン同盟軍には、名だたる化身族の将が数えきれないほどいただろう。


「といって、そう頻繁に登場したわけではありません。レイグラン同盟の将として名が挙がるのは、【燐光(りんこう)のジャハル】や【赤狼(せきろう)ネルー】などが大半……おそらく、その頃【獅子帝】と呼ばれていた者は、ジャハルやネルーよりも若く未熟だったのでしょう。しかし、戦争の中で優秀な将が次々と討たれていったことで、次第に【竜王ヴェストル】の傍に仕えるまでになったようですよ」


 【燐光のジャハル】。レイグラン同盟最高の将だとされた獅子の化身族。【赤狼ネルー】。俊足を誇る血気盛んな若狼。彼らがいなくなったあと、その座を次いだのが、【獅子帝】と呼ばれた男。この名はきっと後で呼ばれるようになったのだろうが――同じ獅子の将だったジャハルを上回る、獅子の中の最強の称号を冠する者。


「大まかな特徴についての記述も残っていました。金糸の髪に、碧玉の瞳の若者。化身後は金の大獅子で、使用魔術は闇。その者の名は、【獅子帝フロンツェ(・・・・・・・・)】」

「……参ったな。百五十年前の人物と同一かもしれぬという時点で十分薄気味悪かったのに、まさか伝承の時代からとは」


 歴史上に、【獅子帝】の称号を与えられた『フロンツェ』という名の化身族が、ふたりいた。見目や使用魔術も同じ。

 同一人物か。それともそれを装っているだけか。まったくの偶然なのか。いや――こんな偶然は、ない。


「僕が見つけた資料は、古くから城内に保管されていた秘蔵のもの。複製本などが出回った形跡もありませんから、公には知られていないことでしょう」

「過去に【獅子帝フロンツェ】という男が実在していたことなど、協会の人間は知りようもない、か」


 謎は深まるばかりだ。本当に同一人物なのか。なぜ三千年も若さを保ったまま生き続けられるのか。百五十年前にケクラコクマ軍に従軍するより以前は何をしていたのか。なぜメイナードと協力することになったのか。

 聞いて素直に答えが返ってくるとは思えないが、問うてみなければならないだろう。メイナードの行動とも関わりのあることなのかもしれない。


 ふと、イリーネは歴史学者のツィオのことを思い出した。彼は女神教の研究者だという。もしかしたら、【獅子帝】について何か知っていたかもしれない。聞いてみたかったが、彼はイリーネたちとは逆方向へ旅をしていたのだ。次会うにしても、今日明日のことではないだろう。


 そこへ女官がやってきて、偵察に行っていたニキータが帰ってきたことを告げた。彼に会うためにサロンへと移動すると、既にそこには街に出ていたカイたちも駆けつけていた。どうやらカイたちのほうでも一悶着あったらしく、慌ただしく三者が情報を交換することとなったのだった。

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