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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
138/202

◆道は遠く(3)

 ケクラコクマの王都ケクランは、かつてレイグラン同盟という国家の首都アレンダイクの跡地に造られた街だそうだ。ここでかの大騎将ヘイズリーは戦ったのかとか、ここでア・ルーナ皇帝カーレリアスは討ち死にしたのかとか、歴史に興味のある者は存分に思いを馳せることができるだろう。しかしこの国の風は、時折ラクール大砂漠の砂を大量に運んでくる。それらの歴史は三千六百年分の砂の下に埋もれて、もはや片鱗を見ることすら叶わない。特にこのケクラコクマ王国には、他国ほどに女神教が浸透していないのだ。熱心な考古学者も少なく、遺跡や神殿の発掘はあまり熱心に行われていない。嘆かわしいことだ――と、アスールが愚痴をこぼしていたが、正直どうでもいい。


 この街はどれほど暑いだろうかと覚悟していたが、カイが想像していたよりも涼しくて快適な気候だった。今の季節は冬。これがフローレンツならば極寒の地獄だっただろうが、南国のこの国ではそこまで寒くない。むしろ暑さが和らいで丁度いい――リーゼロッテと似たような気候だ。カイが王城で過ごした間も、辛かったのは暑さだけで寒さはそれほど感じなかった。冬でも雪はなく、花が咲いているのが新鮮に見えたものだ。カイが生まれ育ったニム大山脈も、フローレンツも、冬は厳しい寒さに襲われていたから、雪のない冬はあの時が初めてだった。

 ケクランもまた、雪と縁がなく、青々と葉が茂る街だった。開放的で明るい街並みだ。この国には貴族みたいな、生まれながらにして高貴なヒトなどいないから、優雅さや品などないけれど――こういうほうが、カイには馴染みがある。この景色を、イリーネとも見たかった。


「はーあ……イリーネと来たかったなぁ」

「……あんた、よくも堂々と他人の前でそんなこと言えるわね」

「あはは、そうですね、イリーネさんも来られれば良かったんですけどね」

「あ、しまった、つい心の声が……」


 カイの本音に対照的な返答をみせたのは、チェリンとクレイザである。妙な三人組だ、というのは誰しもが思うことであろう。実際、妙な三人組だった。旅をするようになって随分経ったが、あまり個人的な絡みのない三人だったし、何より全員がローブをまとって顔をすっぽり隠しているのである。さっきから奇異の目を向けられて、ひそひそと囁き声が聞こえてきていた。


 ケクランに到着して二日ほどが経ったのだが、ここで「やることがある者」と「ない者」の差がはっきりと出来上がってしまった。イリーネはリーゼロッテの諸侯についての情報を求められてイル=ジナやシャ=イオに引っ張り回されているし、アスールもシャ=ハラと共に戦略を練り、ニキータは慌ただしくあちこちを飛び回っているのだ。一方で、取り立てて役に立てそうもないカイとチェリン、クレイザは、暇を持て余していた。カイはチェリンに魔術を教えていたのだが、こういう時ばかり覚えの良いチェリンが恨めしい。チャンバでシンにもらった魔術書で習得できる魔術は、少し練習しただけであっさり使えるようになってしまったのだ。

 今日もイリーネとアスールは女王のお呼びで出かけていて、ニキータも留守だ。仕方なく、カイとチェリンはクレイザの誘いで市街地へ出かけてみた、というわけである。


「まあ、そりゃあたしだって思うわよ。ニキータは楽しそうだからいいけど、イリーネとアスールは……気晴らしに外出させてあげたいし」

「お土産を探してみましょうよ。イリーネさんは甘いものが好きですよね。アスールさんにはケクラコクマの地酒がいいですかねぇ」


 クレイザはマイペースというか、能天気というか。やることのない自分たちだけが観光を楽しんでいて、カイですら申し訳ないというのに。外出できないイリーネとアスールに土産を見せたりして、気を悪くしないだろうか。柄でもなくカイはそんなことを考えてしまったのだが、クレイザは迷いなく市街地を進んでいくので、仕方なく追いかける。


「足取りが軽いけど、この街は初めてじゃないの? クレイザ」

「しばらく暮らしていたことがあるんですよ。ヘルカイヤを出てすぐの頃に……リーゼロッテの力の及ばないところへ逃げようと、ニキータが連れてきてくれて」

「えっ、そうだったの」


 そんな思わぬ体験談を聞きながら、いくつかの店の前で立ち止まっては、冷かして次の店に行くという作業を繰り返した。イリーネとアスールの土産の選定には、当然カイとチェリンの意見が反映されるべきなのだが、見事なまでにふたりの意見が毎回割れる。甘さを感じる味覚が崩壊しているチェリンが選ぶ甘味はどうも信用できなかったし、カイが適当に選んだ酒は地酒と偽った真っ赤な偽物だった。お互い贈り物のセンスなしだ。

 結局何も買うことができないまま、歩き疲れて休憩することになった。普段の移動距離を考えればたいしたことないほどしか歩いていないのだが、どうも探し物をしながら人混みを避けて歩くというのは、異様に体力を消費するらしい。


 広場に出ていたベンチに座り、チェリンが買って来てくれた飲み物で喉を潤す。ケクランでは果物がよくできるらしく、果実をしぼった飲み物や菓子が豊富だ。なんという果物なのかは知らないが、強めの酸味と微かな甘さが丁度良い。果肉も食感が分かるほど残っていて、その場で絞ったのだということがよく分かる。


「……でも、イリーネさんは辛いでしょうね。これから」


 急にクレイザがそんなことを言う。カイとチェリンは視線を交わして、カイが咥えていた太いストローを口から放した。


「敵は実の兄さんだしね……」

「ああ、それもあるんですけど」


 クレイザは少しだけ微笑む。辛そうな微笑みだった。


「メイナード王子と敵対するということは、スフォルステン家と敵対するということ。スフォルステン家はイリーネさんの生家で、それを避けるということは、親戚や友人、臣下などを敵に回さなければならないということです」


 カイは軽く息を呑んだが、すぐに反論する。


「けど、イリーネはカーシェルとエレノアの庇護下に……クレヴィング家の庇護下にあったんだよ。メイナードやシャルロッテは、混血のイリーネを捨てたんだ。イリーネとスフォルステン家の繋がりなんて……」

「確かに幼いころはそうだったでしょう。しかしスフォルステン家は、聖職者の家系としてはリーゼロッテ国内で一、二を争うほどの家柄です。過去には教皇を輩出し、そしてついに国王の姻族という立場まで手に入れた。さらに神姫をも出したとなれば……スフォルステン家の立場は、不動のものとなる」


 クレイザはストローでジュースをくるくるとかき混ぜる。そのまま飲むでもなくテーブルに置いてしまったから、たぶん無意識の行動だ。


「おそらくイリーネさんの混血の事実は、本当に一部のヒトにしか知らされていませんよ。神姫になったイリーネさんは、カーシェルさんたちの手の届かない教会の中で、スフォルステン家に所縁のある者たちに囲まれて生きてきたはずです。決して気は許さず、しかし蔑ろにせず。イリーネさんの心が明らかにクレヴィング家へ寄せられていても、周囲はそれを許してくれなかったでしょう」

「……」

「リーゼロッテの教会本部は割れています。大部分を占めるスフォルステン家の『教皇派』……そしてごく一部の、イリーネさん個人やカーシェルさんに忠誠を誓っている『神姫派』。この先味方として信頼できるのは、教会の中でもこの『神姫派』のヒトたちだけです。いや、それすら完全に信頼できるのか――」


 つまり、どういうことだ。リーゼロッテ国内に、イリーネの味方は殆どいないというのか。親交のあったスフォルステン家の一族はメイナードにつき、頼みの綱であるクレヴィング家のほうとは、あまりに縁が薄い。誰を頼って、どこを通って神都に近づけばいいのか。イリーネはいま、そんな大きな悩みをひとりで抱えて、複雑な社交界の勢力図を脳内に拡げているのだろうか。

 そんなところに、今から飛び込もうと言うのか――?


「……でも、メイナード王子には決して手に入らない味方が、イリーネさんにはついています」

「え?」


 あやうく絶望のどん底に沈みかけていたカイは、クレイザのその言葉に顔を上げた。クレイザは笑う。


「民衆ですよ。『王太子カーシェルと神姫イリーネ』といえば、リーゼロッテの希望そのものみたいなものです。あの絶大な支持を、メイナード王子がひっくり返せるとは思えません。いざとなれば、僕とニキータが神都に飛び込んで、民衆を嗾けますよ」

「嗾ける?」

「『王太子と神姫が教会兵に捕えられようとしている、救い出せ』、とかね? だからそう、この世の終わりみたいな顔をしないでください」

「顔に似合わず過激なことするのね……」


 チェリンは呆れ顔だ。けれどカイはそう呆れてもいない。これだけ聡明で物事の本質もよく分かっているクレイザは、さぞ敏腕な公爵になれただろうに。にこにこ笑いながら辛辣なことをやってのけて、【黒翼王ニキータ】やその他多数の強力な化身族を有する公爵。クレイザから一切の権力を取り上げて追放したリーゼロッテの判断は、正しかったのかもしれない。敗北してリーゼロッテの一地方になったヘルカイヤだが、それでもクレイザに統治されていればとんでもない脅威になっただろう。

 いつも穏やかなクレイザは、その笑顔の下で何を思い、何を見てきたのだろうか。


「……クレイザ、君はこれまで、色んな地獄を見てきたんだろうね」

「はは、そんなことはないですよ。僕からすれば、常に命を狙われ続けているカイさんの生活のほうが、よほど恐ろしい」

「そうかな」


 言いながら、カイは軽く自分の頬を叩く。この世の終わりのような顔――そんな顔を、イリーネやアスールの前で見せてはいけない。本当に辛いのは、彼らなのだから。彼らが立ち止まらずに顔を上げているのに、カイが俯いてどうする。


「さて、それじゃお土産探しを再開しますか」

「そうね。クレイザ、まだ他に店はあるの?」

「街の北側にも大きな商店街がありますよ。行ってみましょうか――」


 そう言って立ち上がりかけた三人は、にわかに動きを止めた。何やら武装した物々しい集団が、カイたちのもとへ一直線に近づいてきていたのだ。その中には化身族の気配もする。ケクラコクマ所属のハンターだろうか。

 休憩中だからと暑苦しいフードを取っていたのがいけなかったかもしれない。カイたちが異国人であるのはばればれだし、正体まで見破られている可能性もある。


 ふたりにフードをかぶるように指示して、カイは前に進み出る。相手のほうも、一際体格のいい男がカイの前まで出てきた。


「何か用?」


 カイがそう問いかけても、男はじろじろとカイを観察するだけだ。そして少しして、男はにやりと笑みを浮かべる。気持ちのいい笑いではなかった。肩に担いでいた猟銃を、わざとらしく担ぎ直す。


「銀の髪に紫の目の化身族。お前が【氷撃のカイ・フィリード】だな」

「……デュエルならまた今度にしてくれないかな」

「悪いが、これはデュエルなんて生易しいものじゃない。狩りさ。二度も標的を逃がしたとなれば、俺らの信頼に関わるからな」


 後ろにいるクレイザが息を呑む。


「どうやら、チャンバでの依頼とやらが継続されているようですね」


 つまりこいつらは、イリーネがケクラコクマ女王の庇護下に入ったことを知らずに、まだ追い続けているということだ。狩人協会の権限が、女王のそれに勝るとはとても思えない。弱小国で戦力の殆どを協会に依存していたフローレンツ国王ならともかく、ケクラコクマには戦力も十分すぎるほどにある。女王がそこまで狩人協会を当てにするはずもない。

 それを教えてやって退かせてもいいが、イリーネたちの所在がばれるのはまずい。それに、どのみちカイには多額の賞金がかかっているから、見逃してはもらえないだろう。あとで依頼の撤回をイル=ジナに頼むとして、とにかくこの場は逃げたほうが良さそうだ。


「賞金額九九〇〇万ギルの特級手配者を狩ったとなれば、俺の名は歴史に残るなぁ」


 戦う前からそんな空想をしている男に呆れたのだが、はたと男の言葉を思い返す。賞金額九九〇〇(・・・・)万ギル――カイの賞金額は九八〇〇万ギルで、ここ数年変動したことがなかったのだが。ここにきて額があがったということは、間違いなくチャンバでの一件が効いているようだ。


「【黒翼王ニキータ】はいないようだが、後ろにいるのは【剛腕(ごうわん)のチェリン】か?」

「なッ、ちょ、誰が剛腕よッ!」


 思わずチェリンが怒声をあげてしまい、図らずも敵の発言を認めてしまった。それに気づいたチェリンがはっと口をつぐんだが、彼女の顔は羞恥と怒りとで真っ赤になっている。


「そんな賞金首いたっけ?」

「つい最近新しく登録されたのさ。賞金は一七〇万ギルだ」

「おお、初期金額でいきなり三桁。チェリー、良かったね、有望株だよ」

「嬉しくないわよ、馬鹿ッ」

「あいたっ」


 背中を思い切りぶたれて、カイは前につんのめる。いや、確かに彼女は剛腕だと思うのだが、口に出したら命まで取られそうなので自制した。漫才をやっている場合ではないのだ。


「どこまで本気か知らないけど、【双子象】を倒した俺たちに、君たちが敵うと思う?」

「へっ、お前たちも強かろうが結局は生き物だ。いつかは倒せる」

「その『いつか』は、間違っても今日じゃないね」

「やってみないと分からんさ。それでも挑むのが男ってもんだ」

「勇敢と無謀は別物だよ。来世ではもうちょっと賢くなると良い」


 言いながらカイは、周囲の空気を氷結させる。男たちの四方に、巨大な氷の壁ができた。男が慌ててよじ登って脱出しようとしたが、登ろうとすればするほど、壁は高くなる。突起もないつるつるの氷を登ることは不可能で、分厚い壁をぶち抜くこともできない。カイの氷は、普通の氷ではないのだ。カイの意思次第で、冷たくもなるし硬くもなる。このとき創りだした氷は、最高に冷たくて最高に硬いものだった。


 氷の部屋の中に男たちを閉じ込めて、カイはくるりと踵を返した。この乾燥した空間で使う“氷結(フリージング)”は、かなり疲れる。


「さ、行こう。ヒトがきて騒ぎになると、イリーネたちの迷惑になる」

「そ、そうね。にしてもなんなのよ、【剛腕】って! もうちょっと何かあったでしょ!」

「まあまあ。そのうち格好いい二つ名ができるよ。俺だって最初は【銀豹(ぎんひょう)】って呼ばれていたし、エルケの【大鷹(おおたか)】なんて見たままじゃないか。それに比べたら――」

「ちっとも良くないわよ! あ、あたしは女の子なんだからねっ」

「見れば分かるって」


 不満げなチェリンに、カイは笑う。その横顔を、ちらりとクレイザが見てきた。そしてすぐに逸らし、目を閉じる。ああ――クレイザは分かっているのか。カイが創り出した氷が、いつかあの男たちを凍死させ、そして跡形もなくなることを。外傷のない凍死体が見つかり、あとで大騒ぎになることを。

 イリーネたちはこれから、戦いに出るのだ。そんな彼女たちに、くだらない理由でちょっかいを出してもらいたくない。追い払ってもしつこく追いかけてくるのなら、カイはいつだって最終手段をとる。好みはしないが、ヒトを攻撃することに躊躇はない。今まで五十年間、戦い続けてきたのだから。


 チャンバで一度は見逃されたということがどれだけ幸運だったか、あの男たちも気づいてほしいものだ。

 来世というものが、あるのなら。

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