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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
136/202

◇道は遠く(1)

 ラクダ酔いするクレイザを気遣いながらも、旅は予定通りに進んだ。クレイザ本人がそう望んだのもあるが、御者のアン=ルイが「そのうち慣れるよ」と笑顔のまま容赦なく旅を続行したのである。目的地であるドゥレの街に着いて車から降りた時のクレイザのほっとした表情は、いまだかつてない安堵に包まれたものだった。


「ここがドゥレの街。ラクール大砂漠は完全に抜けたよ。おめでとう!」


 アン=ルイが御者席から下りて笑顔で言う。

 砂の地面は固い土になり、草花や樹木が茂り、風は乾きながらもどこか涼しい。南国の冬――そういえばリーゼロッテもこのような気候だったと、イリーネは懐かしい。


「王都ケクランはここから少し南下したところにある。馬に乗っていけばすぐだし、ハラがいるんだから大丈夫だよね」

「ありがとうございます、ルイさん。お世話になりました」

「いやいや、僕も大人数は久々だから楽しかったよ」


 朗らかにアン=ルイが笑う。車から荷物を下ろしたニキータが、「そういえば」と何かを思い出したようにアン=ルイのほうを振り返った。


「ひとつ聞きたいことがあったんだ」

「なんだい?」

「お前は生まれも育ちもケクラコクマか?」

「そうだよ。ラクダが生きられる環境は限られるからね。で、それが?」

「フロンツェって男について、何か知らないか」


 思わぬ問いに、アン=ルイだけでなく、イリーネたちもみな驚いたようにニキータを見やる。アン=ルイは首を捻った。


「【獅子帝】のことかい? 賞金ランキング二位の化身族でしょ」

「古い話になるが、フロンツェはかつてケクラコクマ王国に従属して、リーゼロッテと戦った化身族だ。当時はまだ【獅子帝】なんて二つ名はなかった。が、その時の武功で、神国側から莫大な賞金がかけられた」

「そうだね、知っているよ」

「お前はその頃のフロンツェを見たことがあるか?」


 そうだったのか、とイリーネが口を挟む暇もない。しかしアン=ルイにとっては常識的なことだったようだ。彼は苦笑して頭を振る。


「あの頃の彼の姿を見たことがあるヒトなんて、いないんじゃないかな。実在も怪しいくらいだったからね。リーゼロッテの一軍をたったひとりで滅した……そんな嘘のような本当の話が聞こえただけさ」

「そうか……悪いな、変なことを聞いた」

「別に良いけど、随分古いことを聞くんだね? ……って、これじゃ僕の年齢もばれちゃうじゃないか」

「ああ、お前が俺より年上らしいってことがよく分かった」


 さして気分を害した様子もなく、アン=ルイは軽く肩をすくめる。それからイリーネたちを見やる。


「それじゃ、僕の道案内はここまでだ。旅の無事を祈っているよ。ジナとイオにもよろしくね」

「は、はい。ありがとうございました」


 手を振りながら、アン=ルイはラクダを連れて街の奥へと入っていった。それを見送ると、今度はシャ=ハラが口を開く。


「では私は、王都へ向かう馬を手配してきます。少し時間がかかるかもしれないので、皆さんは宿でお待ちください」

「分かった、頼む」


 アスールの言葉に頷いて、シャ=ハラも踵を返した。イリーネたちは宿の場所を確認して、そこへ向けて歩き出す。

 気候が落ちついて冷気の発生を打ち切ったカイが、横を歩くニキータへ声をかける。


「知らなかったよ、【獅子帝】はケクラコクマのヒトだったんだね」

「普通は知らなくて当然だ。何せかなり昔のことだからな。俺も忘れていたくらいだ」


 会話しているのはカイとニキータだが、他の者も聞き耳を立てている。ニキータがなぜあのようなことをアン=ルイに問うたのか、その真意が気になるのだ。


「実は、サレイユで初めて【獅子帝】を見た時から、妙な違和感があってな。最近まで、その違和感の正体が分からなかったんだが……」


 そういえばニキータは、あの時あっさりと敵の正体が【獅子帝フロンツェ】であると断言していた。断言できるような明確な証拠を持っていたのだろうか。


「俺はあいつに見覚えがあったんだ。どこかで確かに見た。で、ずっと考えてみて……やっと違和感の正体が分かった」

「回りくどいなぁ。何が引っかかっていたの?」

「俺があいつを見たのは、俺がガキだった百五十年近く前のころだったってことだ」


 その言葉に、カイとチェリンが顔色を変えた。クレイザもまた、険しい表情でニキータを見ている。いつの間にか彼らは足を止めていた。


「ヘルカイヤ建国のころ……ニキータはその頃から、諜報員として活動していたんだよね」

「ああ。仲間と一緒にリーゼロッテとケクラコクマの戦争を偵察に行っていた。その時俺たちの存在に唯一気付いたのが、あの男だ。無茶苦茶な奴でな、味方もろとも俺たちを殺そうと攻撃してきたんだ。フロンツェという名はそのあとで知った」


 その時のニキータは、命からがら逃げたというが――。


「あいつの姿は、あの時からまったく変わってねぇんだよ」


 金髪の、外見は二十代くらいの男。外見通りの年齢ではないかもしれないけれど、それでも化身族としてはまだまだ若い姿。

 それが、百五十年前と同じ姿だということは。


「ちょ、ちょっと待って。トライブ・【ライオン(獅子)】の寿命はせいぜい百二十年くらいよ。とっくに死んでいるか、生きているにしても若い姿のままだなんてあり得ないわ!」


 チェリンが身を乗り出してそう反論した。ニキータは重々しく頷く。


「勿論、そんなことは分かってる。だから違和感があったんだよ。俺の見間違いや勘違いかもしれない……だからアン=ルイに聞いてみたんだ。解決はできなかったがな」

「【黒翼王】殿がかつて見た男の、子孫という可能性は?」

「その可能性もあるけど、証拠はないよ。やっぱり本人かもしれない」

「不老長寿……神属性の魔術で時を止めたっていうことはないでしょうか?」

「できるのでしょうか、そんなことが……」


 みなで論をぶつけて、沈黙が舞い降りる。言いようのない悪寒が、イリーネの背筋に奔った。これまで見てきた【獅子帝フロンツェ】は、一体誰なのか。凶行を繰り返すメイナードよりもずっと不気味だ。喋らないという一点だけでもかなりの恐怖だったのに、いつから生きていたヒトなのかすら分からなくなってきた。本当に、得体のしれない存在だ。


「そのような人物と、なぜメイナードお兄様は結託できたのでしょう……」


 何か共通の目的でもできたのか。一方がもう一方の弱みでも握ったのか。主導権はメイナードが握っているようだから、ふたりは契約を交わしたのだろうか。

 疑問は絶えないが、イリーネたちだけでは推測だけしかできない。話はそこでやめて、再び宿へ向けて歩みを始めることにしたのだった。





★☆





 シャ=ハラが手配した馬を使って、整備された街道を進む。この街道はかつてのレイグラン同盟時代に造られた年代ものであるらしく、アスールがひとりで興奮していた。サレイユに到着したあたりから完全に変態紳士の演技を捨てたアスールは、すっかりイリーネが知る歴史家の王子に戻っている。少しでも古代の雰囲気を感じると目を輝かせてしまうのが最たる証拠だ。イリーネには見慣れた姿だが、女性にまったく関心を示さなくなったその様子を見ていると、男性としては以前のほうが健全だったのではないかとつい思ってしまう。


「潮の匂いがする。海が近いのね」


 風になびく黒髪を押さえつつ、チェリンが言う。ニムを旅立ったときは短かったチェリンの髪は、今では肩にかかってだいぶ長くなってきた。それが邪魔くさいのか、チェリンは髪の毛をひとつに結わいてしまっている。癖毛のイリーネからすれば、チェリンの癖のない髪が羨ましいのだけれど、彼女の気質的に長い髪は鬱陶しいのだろう。


「王都ケクランは南に海を臨み、他方を城壁に囲まれた都市だ。だが、城塞設備はフローレンツの王都ペルシエやサレイユのブランシャール城塞には遠く及ばん。王都までの道には障害物もなく、平野がずっと続く。だからケクラコクマにとって、国境のヴェスタリーテ河が最前線にして最終防衛ラインなのさ。河を越えられたら、王都まで一直線だからな」


 そう説明したのはニキータである。ケクラコクマ王国は、建国以来「守りの戦い」を行ったことがない。いつだって国境を侵し、隣国へ侵略していくのがこの国の軍事だった。リーゼロッテの方から戦いを仕掛けたとしても、いつの間にか押し返されてしまう。リーゼロッテは国境を越え、王都まで攻め上るというほどの勝利をあげることが、今まで一度だってできなかったのだ。防御をすべて捨てたような激烈な攻撃こそが、ケクラコクマ軍の最強の防御だった。

 だからこそニキータの言う通り、ケクラコクマ軍は自分たちが敗れて、ヴェスタリーテ河を越えられてしまうということを想定していない。王都までの間に、砦などひとつもないのだ。それをリーゼロッテ側も知ってはいたが、様々な手段を用いてもついに渡河できなかったというわけである。


 ケクラコクマの地形をしっかり把握しているニキータに、シャ=ハラは苦笑するだけだ。話をそらすように、彼女は前方を指差す。


「見えてきましたよ。あれが王都の城壁です」


 陽炎に揺らめく景色の向こう、まるで砂を固めたかのような城壁に囲まれた都が、イリーネたちの目の前に現れた。王都ケクラン、ほんの数日前まで恐ろしい敵国でしかなかったケクラコクマの、その中枢都市である。





 歓迎されないことは分かっていたし、覚悟もしていた。何せイリーネたちとケクラコクマの民衆とは、見ただけで区別がついてしまう。雪のように白い肌を持つイリーネやアスールたちと、健康的に灼けた褐色肌のチェリンなどとは、あまりに見た目が違う。そしてそんな肌を持つヒトは、ケクラコクマ人にとっては敵だった。いくら女王の近衛であるシャ=ハラが一緒にいてくれても、奇異の目を向けられるのは当然のことだった。これで彼女すら一緒でなければ、どうなっていただろう。

 そういう懸念があるから、シャ=ハラはなるべく人目につかないよう、裏道を使って王城まで案内してくれた。城の敷地に入ればそこはイル=ジナの勢力圏であり、彼女が「客」と認めたイリーネたちを無下に扱うことはない。事情は先に戻った女王が話しているはずだから、臣下たちは歓迎してくれる。そうシャ=ハラは断言してくれた。だから一刻も早くそこへ行き、この居心地の悪さをなんとかしたい――それがイリーネたちの共通した想いだっただろう。


 しかし、異国情緒あふれるこの宮殿に入って最初に向けられた言葉は、歓迎とは程遠いものだった。


「まったく、陛下も姉さんも何を考えているのか。敵国の人間をほいほいと膝元まで呼び寄せて……いつかまた敵対したとき、王都攻略の足掛かりをこちらから与えているようなものじゃないか。無茶無謀は我が家の女性の特性みたいなものだけど、今回のは特大の無謀だよ」


 城門をくぐって馬を下りた時、そんな声がすぐ近くから聞こえた。はっとして声がした方角を見る。少し離れた場所にある柱に、ひとりの若者がもたれて立っていたのだ。金色の髪を結い、ゆったりとした衣服を身につけた線の細い男。腰帯に剣を佩いてはいたが、真新しい剣の様子から戦い慣れていなさそうなことが分かる。イリーネがその正体を察するより前に、シャ=ハラがその男に向けて呼びかけた。


「イオ」

「お帰り、姉さん。案外早かったじゃないか? 砂漠慣れしていない連中を引き連れて、砂嵐で遭難なんて目には遭わなかったようで良かったよ」

「もしかしなくても、出迎えているつもりか?」

「まあね。陛下に命じられて、仕方なく」


 シャ=ハラの弟、シャ=イオだろう。ひねくれ者だとは聞いていたが、想像以上だった。チェリンがむっとしたように声を低める。


「……いちいち一言多い奴」

「女王の命に従ってはいるが、我々に好意的ではないようだな」

「当然なんじゃない? ジナとハラみたいにあっさり割り切れる方が稀だよ」

「『奥へは通さない』とでも言い出しそうだな」


 アスールやカイ、ニキータも不穏な雰囲気を感じているようだ。どう対応していいのか分からず、イリーネとクレイザは顔を見合わせてしまった。

 そうしている間にも、シャ=イオはこちらへと歩み寄ってきた。臆した様子のない、堂々とした足取りだ。少し小柄なイオは、真っ直ぐにこちらを見据える。対等だと態度で示しているかのようだ。


「初めまして、アスール王子、イリーネ姫。輔弼官シャ=イオです。女王の政務の補佐を行っております。陛下から事情は伺っていますよ」

「貴殿がシャ=イオ殿か。お話はかねがね」

「それは光栄ですね」


 事務的な初対面の挨拶を、事務的にシャ=イオは口にした。なんとかうまく話を繋げようと、対するアスールが笑みを浮かべる。おそらくアスールとシャ=イオは同年代なのだが、両者の表情は対極だ。


「最初にお断りしておきますが、僕はお上品な育ちではないし、まして王侯貴族の扱いなど知りません。一応貴方がたは他国の貴人なので最低限の礼儀は尽くしますが、ただそれだけのことですので」

「イオ! お前はなんという暴言を……!」


 シャ=ハラが叱りつけた。だが、暴言を投げつけられたイリーネは唖然としてしまったし、アスールのほうは思わずといった様子で笑ってしまっている。


「ははは。構わないさ、貴殿は女王の臣下なのだ。私たちに媚びへつらう必要など、どこにもない」


 そんなアスールの言葉に、シャ=イオは初めて表情を動かした。意外そうに青髪の貴公子を見た後、ふっと口角をあげたのだ。


「……僕の言動に対して、怒った者も笑い飛ばした者も数えきれないほどいましたが……笑って真っ向から受け取ったヒトは初めてです。よほど心が広いか、もしくは鈍感なのでしょうね、貴方は」

「さて、貴殿の想像に任せよう」


 どうやらシャ=イオはアスールに一目置いてくれたようだが、依然としてイリーネたちの行く手を阻んだままだ。カイが心底面倒臭そうにイオを見やる。


「それで、どうしたらそこを通してくれるのかな」


 その言葉に応じて、シャ=イオが動く。半歩退き、なんとあっさり道を譲ってくれたのである。


「客室は既に整えてあります。まずは湯浴みと食事をどうぞ。そののち、イル=ジナの元へとご案内しましょう。謁見ではなく、私的な会談という形となりますので、姉と僕の他は人払いをします。どうぞそのおつもりで」


 しかも、諸々の準備はとっくに整えられていたらしい。拍子抜けしているカイに、シャ=イオは不敵に笑って見せる。


「通さないだなんて一言も言っていません。臣下一同、歓迎しますよ、お客人。……ま、僕はこういう人間なので、以後よろしくお願いします」

「すみません、こんな弟で、本当にすみません」


 ふてぶてしいイオの横で、姉のハラが平謝りする。もしかしなくとも、イリーネたちはイオに試されていたのだ。それを悟ったカイは乾いた笑い声をひとつあげる。事前に言っていた、「王城内の者はイリーネたちを歓迎する」というシャ=ハラの言葉は、間違いではない。シャ=イオは女王にはとことん忠実で、その他のヒトにはそうではないというだけなのだ。なんとも複雑な感情を全員が抱えながら、客室へ案内してくれるシャ姉弟のあとを追って宮殿内へと入っていったのだった。

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