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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
135/202

◇灼熱の砂(5)

 その日の夜は、ダンカル族の者が総出で宴を催してくれた。ダンカルの人々はみな明るく陽気で、イリーネたちに対して非常に好意的だ。歓迎は嬉しいのだが、そうそう浮かれるわけにもいかないイリーネたちの心情をくみ取って、シャ=ハラが「もう少し控えめで」と部族の者を諭してくれたのだが、あまり効果はない。何しろお祭り騒ぎが大好きな気質だそうで、飲んで食べて歌って大盛り上がりだ。


 夜の砂漠は、昼間の暑さが嘘のように涼しい。大勢のヒトで賑わう室内よりも外の方が快適になっており、イリーネは宴の途中に少し屋外へ出た。チェリンが同行を申し出てくれたのだが、断った。本当に少し夜風に当たりたいだけだったし、危険もないはずだ。チェリンもそれが分かっているから、素直に送り出してくれた。

 宴会場を出ると、庭先にベンチを見つけた。そこに座って、おもむろに空を見上げる。雲一つない砂漠の星空は、初めて見上げたフローレンツの夜空とは少し違って見えた。だが、違わないものがひとつ。一際強い光を放つ、北の一星。旅人の心強い夜の目印。それを教えてくれたのはカイだった。もうずいぶん前のことだ。


「おや、神姫どの」


 不意にそう声をかけられた。横を見ると、ランプを掲げたシャ=ディグがそこにいた。イリーネは微笑む。


「こんばんは、ディグさん」

「こんばんは。どうした、こんなところで」

「ちょっと涼んでいました。ディグさんは?」

「酔い覚ましだよ。これは内緒なんだが、俺はそんなに酒が強くないんだ」


 大きい身体のシャ=ディグが、そんな風に縮こまるから、なんだかおもしろい。出会い頭に戦いを挑んできたから怖そうに見えていたが、シャ=ディグは穏やかな性格の持ち主のようだ。イリーネはくすくす笑いながら、内緒の話に頷いた。


「おひとりかい? あの銀髪の兄ちゃんが傍にいないなんて珍しいな」

「え?」

「契約しているんだろ?」


 カイが化身族だということも、イリーネと契約しているということも話していない。『珍しい』と評されるほど、イリーネの傍にカイがいたわけでもない。宴会の席に着いてからカイはダンカル族に囲まれていて殆ど話をできなかったのだ。何よりもまだシャ=ディグと出会って半日も経っていない。だというのに契約関係だということを見抜かれて、感心を通り越してイリーネは驚いてしまう。

 その驚きを察して、シャ=ディグが説明してくれた。


「戦ってみれば分かるものさ。道場で戦ったとき、あの兄ちゃんは攻撃よりも防御を優先していた。守る対象だったのが神姫どのだ。ああいう状況で咄嗟に取る行動には、そいつの本質が出る」

「あの一瞬で……」


 シャ=ディグはあの時アスールと剣を構えていたのに。カイのそんな様子まで分かるものなのか。


「ダンカルには化身族もいるからな。若い奴らがあの兄ちゃんや黒いのにたむろっているのを見て、すぐぴんときた。賞金首クラスの強い化身族なんだろう」

「そうですか……化身族の方は種差を感じ取ることができるのですものね」


 ということは、宴会の席でカイやニキータを取り囲んでいたのは全員化身族だったのか。チャンバのラージと同じように、若い化身族は強者に憧れるのだろう。


「ハラさんや、ダンカルの皆さんを信頼しています。それに、離れているといってもこの距離ですから……何かあれば、カイにはすぐ分かりますよ」


 耳の良いカイのことだ、聞こうと思えば室内からイリーネらの会話も聞き取ることができるだろう。せっかくこうして歓迎してくれているのに、過剰な用心をするのも心苦しい。それはシャ=ハラにもシャ=ディグにも悪い気がした。

 イリーネが座るベンチの横にある木に寄りかかったシャ=ディグは、感心したように顎を撫でた。


「ふうむ……神姫どのは、ハラのことを信じてくれているのか」

「はい」

「敵国の人間、しかも王の側近を?」

「ディグさんだって、敵国の王女を歓迎してくださっています」

「はは、そういえばそうか。お互い様だな」


 民間では、敵国という意識は薄いとアスールは言っていた。ケクラコクマとサレイユ、ケクラコクマとリーゼロッテ――どちらも、民衆の間では交流が盛んだったと。敵対しているのは上層部だけで、しかもそれすらイル=ジナやカーシェルの思惑とは違う。

 ならば、なぜ戦争をしているのか――やるせない思いだけが募る。


 少し間を置いて、シャ=ディグが口を開く。照れているような、情けなさそうな、不思議な表情だ。


「あー……旅の間、ハラは何か無礼をしなかったかい? 見ての通り、口も悪いし、ガサツですぐ手が出る暴力娘でなあ……」

「え?」

「え?」


 口が悪く、ガサツで、すぐ手が出る暴力娘とは。一体誰の話をしているのかと驚くと、シャ=ディグのほうもそんなイリーネの反応に驚いたようだ。


「ハラさんはとても謙虚で、礼儀正しくて冷静沈着な方です。暴力なんて」

「そ、そうなのか。ハラのやつ、上手いこと化けおって……」


 思い返せば、シャ=ハラはここに戻ってから、父親を怒鳴りつけたり殴ったり、それらしい片鱗はあったような気がする。シャ=ディグの言うように、イリーネたちと接する時の彼女は、宮廷人として化けの皮を被っていたのかもしれない。

 完璧にそれを演じていたシャ=ハラが、故郷に戻ると素が出てしまう。素を出せる場所がある。それはとても素敵なことだ。


「……神姫どの、お前さんは面白い御仁だな」

「そうでしょうか?」

「そうとも。神姫どのとなら、ジナの理想を叶えられるのかもしれんな」


 含みのある言葉だったが、イリーネがそれについて首をかしげる間もなく、シャ=ディグは続けた。


「イル=ジナの客はダンカルの客だ。手が足りないようだったら、いつでも声をかけてくれ。戦い方面だったら、俺も多少の役には立つだろうからな」

「ご謙遜を。ありがとうございます、ディグさん……」


 ディグに助力を頼まねばならないほど、切迫した状況にはなりたくない。それがイリーネの本音だ。彼は確かに戦いでは頼りになるけれど、それでも一般人。国と国との争い――ひいては、イリーネとメイナードの対立の場などに駆り出すには、無関係すぎる。

 こうやって行く先々で、イリーネは誰かと親しくなって、縁を結んでいく。助力を申し出てくれるのはとても嬉しい。けれど、そのために親しいヒトを危険に晒すのは嫌だ。ここまでたくさんのヒトに助けられてきたイリーネが言えることではないのは分かっている。それでも、これ以上メイナードによって傷ついてほしくないと、そう思うのだ。


「……父上! 何をしているのです、こんな場所で!」


 その時、宴会場から出てきたシャ=ハラが、目ざとくシャ=ディグを見つけて声を尖らせた。父親とイリーネの間に割り込み、イリーネを庇うように手を広げる。ものすごい剣幕だ。


「待て待て、なぜ最初から詰問口調なんだ、ハラ。俺はただ神姫どのと話を……」

「たとえそれが真実でも、このような暗がりで年頃の女性とふたりきり……これではいらぬ誤解を招くだけです!」

「誤解しているのはお前だけだ!」

「母上というヒトがありながら、父上……見損ないましたぞ!」

「話を聞かんか――っ!」


 ぽかんとしていたイリーネだが、はっと我に返り、慌ててシャ=ハラの誤解を解くべくシャ=ディグの加勢に入った。ディグの叫び声を聞きつけたカイまですっ飛んできてしまい、ちょっとした騒動を起こしたシャ父娘は、ふたりとも縮こまって謝ったのであった。





★☆





 何日も砂漠で過ごしていると、イリーネも徐々にこの気候に慣れてきて、僅かな寒暖を感じることができるようになってきた。今日は今までに比べると、少し暑さが和らいでいる。シャ=ハラに聞いてみても同じ答えが返ってきたので、きっと気のせいではない。


 翌朝、シャ=ディグは「渡したいものがある」と言って、イリーネたちを街の入り口まで連れてきていた。シャ=ハラも渡したいものの正体を知らないらしく、怪訝な様子だ。

 砂漠の朝は早い。もうダンカルの市街地は旅人で賑わっており、これから出発する人々が最後の買い出しをしているところだった。と、そんな市街地の門の傍に、ひとりの青年が佇んでいた。彼は近づいてくるイリーネたちを見つけると、笑顔で手を振ってくれる。それを見たシャ=ハラがあっと声を上げた。


「ルイ! どうしてここに……」

「やあ、久しぶりだね、ハラ!」


 にこにこと愛嬌のある青年もまた、髪を結い上げている。おそらくダンカル族だろう。シャ=ハラが父を振り返る。


「父上がルイを呼んだのですか?」

「ジナもハラも、そういう気が利かなさそうだからなぁ」

「ぐっ……返す言葉がない」

「こういうサポートはイオの仕事だしな」


 そんな話をしている間にも、ルイという青年はイリーネらに向けて自己紹介していた。


「初めまして、旅のヒト。僕はダンカル族のアン=ルイ。砂漠の運び屋だよ」

「運び屋?」

「僕はラクダ車の御者なんだ。このダンカルと、砂漠の入り口の街ドゥレの間で、荷物の運搬をしているんだよ」


 イリーネの横に立つカイが、黙ってじっとアン=ルイを見つめている。チェリンも怪訝な表情だ。そんな視線に気づいているのかいないのか、アン=ルイは大層ご機嫌な様子だ。


「普段はドゥレのほうにいるんだけど、今回はディグのお願いで、君たちを迎えに来たってわけさ」

「ということは、もしかしてラクダ車に乗せてくださるんですか?」

「そう! あ、ちゃんとヒトが乗るための車だから、安心してね」


 見れば、アン=ルイの後ろに大きなラクダが四頭ほど控えていた。大人しいのか、手綱もないのに忠実に待っている。そのラクダたちは、幌のついた車を引いていた。


「ドゥレまで行ってしまえば、王都ケクラコクマは目の前だ。あとはルイに任せてくれれば大丈夫だろう」


 シャ=ディグの言葉に、イリーネは深々と頭を下げた。本当に、色々と助けてもらいっぱなしだ。いつかお礼をしなければと、イリーネは固く決意した。


 広々とした車内に乗り込むと、ルイの明るい掛け声とともにラクダ車はすぐに出発した。暑さだけはどうにもならないが、自分で歩かなくて済むのは有難い。カイなど寝る気満々だ。


「……にしても、ゆっくりね」


 誰もが思っていたことを、つい呟いてしまったのはチェリンである。ラクダの歩みは、ともすれば歩いたほうが速いのではないかというほどゆっくりだった。さらに、ラクダは馬などとは違って左右によく揺れる。車のほうにもその振動は伝わって、慣れるまで時間がかかりそうだ。


「手綱などを持っている様子がないが、ルイ殿によく懐いているのだな」


 アスールが感心したように微笑む。御者席に座るアン=ルイのことは、車内からは背中しか見えないが、手綱を持って行き先を示す様子は見られない。のんびりと座って、大きく伸びをしたり欠伸をしたりと、終始穏やかな様子だ。これだけ速度が遅ければ、そういう気分にもなるのかもしれない。

 すると、シャ=ハラが苦く笑う。


「ええ、それもあるのですが……ルイは化身族なのですよ」

「そ、そうだったのか」


 アスールが驚いてアン=ルイを振り返る。聞こえていたのか、アン=ルイが笑った。


「気付かなかったかい? 僕はトライブ・【キャメル(駱駝)】なんだ。この子たちは普通のラクダだけど、僕ほどにもなれば意思疎通ができるんだよ」

「……これまでかなり多くの化身族を見てきたつもりだが、やはり見分けはつかんなぁ」


 アスールが苦笑する。人間族にはそういう感覚がないから、どうしても種差の見分けがつかないのだ。カイやニキータなどは化身族の中でも種族まで見分けることができるようだが、イリーネやアスールには人間と化身族の区別すら見た目ではつかない。そういえばアン=ルイと対面したとき、カイやチェリンが妙な顔をしていたと、今になってイリーネは気付くのだ。


「ラクダは獣族の中でも長寿の種族なんだ。若そうに見えて、あのヒト結構……」


 目を閉じて休んでいたカイが、ぽつりと呟く。すると間髪入れずに、御者席から明るい声が飛んできた。


「聞こえてるよ、雪豹くん?」

「……」


 絶対アン=ルイはカイより年上だ、とイリーネは確信した。ニキータが視線を明後日の方向に向けたので、もしかしたらニキータとも同年代なのかもしれない。とりあえず、アン=ルイに年齢の話は禁句らしい。





 最近イリーネたちは、シャ=ハラや砂漠の民に倣って、日中の暑い時間は眠って過ごしている。暑いものは暑いのだが、眠ってしまえばある程度は気にならなくなる。そう思ってのことなのだが、どうもこの時間が快適すぎる(・・・・・)ことにイリーネは気付いた。熱気がなくなって、妙に室内が涼しいのだ。

 その時は不思議だと思う程度だったのだが、こうしてアン=ルイのラクダ車に乗せてもらっている時間まで涼しいので、さすがにおかしいと思いはじめた。何せラクダ車には幌がついているだけで、室内というわけではない。それなのにこの空間だけ冷気があるなど、おかしいではないか。


 その原因がカイであることを、ニキータがこっそり耳打ちしてくれたのは、ラクダ車の旅をはじめて三日目の昼間だった。補給のためにハザートという砂漠のオアシスに立ち寄り、買い物をしていた最中のことである。イリーネとチェリンが旅の荷物や金銭を管理しているため、ふたりのどちらかが買い出しに行き、その荷物持ちに男性陣が同行するというのが、仲間内での暗黙の了解だった。今回、イリーネの買い出しについてきてくれたのは、珍しいことにニキータだった。だから何か話があるのだろうと思っていたが、予想通りである。

 カイは仲間たちの部屋に冷気を送り、涼しくしてくれているという。カイはいつも無造作に行っているが、魔力を用いて氷を創りだすのはそこそこ大変な作業だ。自分を冷やしたくても、そのために必要な氷を創る労力のほうが上回ってしまう。カイは以前そう言っていたのだが、ついにそんなことを言っていられる場合ではなくなってしまったらしい。魔術を使いながら眠るなど、休息になっていない。むしろ体力を削る行為だ。


「それでもカイにとっては微々たる消費でしかないし、同室の俺たちは涼しくて助かってるんだけどよ」

「で、ですが、カイの負担が大きすぎます! 一回は僅かな消耗でも、積み重なれば……」

「といって、やめろと言ったところで素直にやめるとも思えない。だからイリーネから言ってやってくれないか。あんたの言うことなら少しは聞くだろ」


 なんだかんだ言って、ニキータだってカイが心配なのではないか。それを悟って、イリーネはニキータを見やる。ニキータが気まずそうに顔を背け、ずれてもいない右目の眼帯の位置を直す。


「心配なんですね、ニキータさん」

「んなわけないだろ。不意打ちで敵が襲ってきたときにあいつが使い物にならないと、俺の負担が増えるだろうが」

「ふふ、じゃあそういうことでもいいです」

「あんたも随分意地が悪くなったなぁ」


 そうぼやくニキータと共に、仲間たちが待つラクダ車へと戻ると、この暑いのにクレイザが車の外で座っていた。傍には他の仲間たちもいて、何やらクレイザを紙で煽いだり、水を渡したりと、只事ではない様子だ。


「ど、どうしたんですか、クレイザさん!?」

「酔ったらしいよ」


 カイが一言で説明する。御者席から顔をのぞかせるアン=ルイが腕を組む。


「ラクダに酔うヒトは結構いるんだよ。車だからかなり揺れはマシなほうなんだけど、随分敏感だったみたいだねぇ」


 クレイザはへらりと笑う。どことなく顔色が良くない。もう三日もラクダ車に乗っていたのに、まったく気づかなかった。耐えていたものが限界になったというところだろうか。


「あはは、すみません……」

「船だろうが馬車だろうがピンピンしているのに、ラクダにだけは酔うのかよ」

「そうみたい、僕も知らなかったよ」


 やれやれと肩を竦めながら、ニキータはクレイザの背中をさすってやる。記憶を取り戻し、トラウマの正体も分かったイリーネは、もう馬車に酔いはしない。だからこうした移動手段に乗れるようになって良かったと思っていたのだが、そうはいかないようだ。

 カイが車を指差す。


「クレイザ、辛いかもしれないけど車の中入りなよ。涼しい(・・・)からさ」


 先手を打たれてしまった気がする。それを聞いてイリーネもニキータも、カイに魔術の使用を控えるよう言えなくなってしまったのである。

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