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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
134/202

◇灼熱の砂(4)

 何かツィオに話があったらしいカイが戻ってきたところで、イリーネたちも出発することになった。ムルド遺跡に寄るために少し道を逸れたが、元々このメニ砂海には道などない。シャ=ハラとリ=コルが、太陽と時刻と方角を確認して、迷いなくダンカルへの道を示してくれた。

 その道すがら、砂の中から顔を出す獣を見つけて、イリーネとチェリンははしゃいだ。身体は小さいが大きな耳を持っていて、もこもこと毛も豊かだ。砂漠に生きるキツネの仲間で、砂の中に穴を掘って生活しているのだそうだ。砂漠には意外とこうした哺乳類も多く生活していて、イリーネには何事も新鮮で楽しい。


「そんなに可愛いのかなぁ、あのちっこいの」

「毛がふわふわしていて黒目の大きな小動物は、総じて可愛らしく見えるものだろう」

「あんなちびギツネより、俺の方がふわもこしてるのに」

「……お前、可愛いと言われたいのか? 張り合うだけ虚しいと思うが……」

「分かってるよ。どうせ俺は目つきが鋭くて、身体は大きいくせに耳は小さい無骨な豹だよ」

「ええい、面倒臭い拗ね方をするな……! お前は化身して黙って丸まっていれば、少なくとも私よりは可愛げがあるだろう!」


 人知れず拗ねたカイを、アスールが呆れながら慰めるという珍しい光景も目にしてしまった。それについてニキータに問うてみると、「ふたりとも暑さで頭をやられているんだよ、気にするな」という身も蓋もない回答が返ってきたので、イリーネは閉口してしまったものである。


「見えてきたぞ! あれがダンカルだ!」


 リ=コルが指差した先に、青々と茂る樹木が見える。砂漠であのような植物を見るときは、傍に必ず水場があるのだ。目的地が眼前まで迫ったことを知って、イリーネはほっと息をついたのだった。

 街が近付くにつれて歩きやすくなっていく。砂の下に煉瓦があって、道が作られているのだ。やがて砂も避けられ、両脇に植物が見えて、立派な石の門をくぐった。その先には石を積んで作られた住居が建ち並び、大勢のヒトで賑わう市街の様子が見えてきた。旅装のヒトが多いから、きっと市場なのだろう。


「ダンカルは砂漠の案内人の総称。それは現在も変わりません。砂漠を越える旅人の旅路を支えるのが我々の役目なのです」


 シャ=ハラの説明を受けながら、イリーネたちは市場を抜けていく。よく見てみると、店を営んでいる者、つまりダンカル族の者は男女問わずみな髪を高く結い上げていた。シャ=ハラもリ=コルも、ここにはいないイル=ジナもそうだったから、これが部族の特徴なのだろう。


「俺はここで失礼するよ。しっかり休んで、無事に砂漠越えするんだぞ。へばるなよ、兄ちゃん」


 分かれ道になったところで、リ=コルが別れを切り出した。名指しされたカイが肩をすくめる。


「無茶言わないでよ」

「あっはっは。じゃあな、ハラちゃん。ちゃんと親父さんに挨拶していけよ」


 リ=コルは気さくに手を振って、商品を積んだラクダを引き連れて左の道を進んで行った。彼の言葉に微妙な表情を浮かべたシャ=ハラが、右の道を進んでいく。アスールが微笑ましそうにシャ=ハラを見やる。


「お父上は、ダンカルの部族長殿なのか?」

「い、いえ。部族長ではないのですが……」


 彼女が口ごもるのはなかなか珍しいことだ。どんな父親なのかと、イリーネとチェリンは顔を見合わせる。

 ダンカルには宿があるが、女王の客人をただの旅人として扱うのは部族の誇りが許さない。シャ=ハラはそう言って、宿ではなくて部族の居住区のほうへ客人として招くと言ってくれていた。きっと部族長に紹介してくれるのだろう……そう思っていただけに、ここでシャ=ハラの父の名が出されると、彼女は族長の娘なのではないかと考えてしまうのだ。


 ひとつ息をついて、観念したようにシャ=ハラは口を開いた。


「ダンカル族は砂漠の東部一帯の治安維持も任されています。そのために警備隊を組織しているのですが……私の父は、その警備隊の武術指南役なのです」

「ほう、では女王陛下や貴方の師ということか。さぞ武勇に優れた方なのだろうな」


 アスールがそう想像したが、シャ=ハラはまたしても苦い表情になった。


「そうですね……強いヒトです。父は部族長の相談役でもあるので、会わないわけにはいかないのですが……」

「……何か事情があるのか?」

「アスール殿下、気を付けてください。決して油断をしないで。父は、あのイル=ジナの師なのです」


 実の父に会いに行くだけではないのか。そんなに性格に難のあるヒトなのか。シャ=ハラの口ぶりから、言いようのない緊張感や警戒心が伝わってくる。勢いに呑まれたアスールが思わず剣の鞘を握ってしまったほどだ。

 何より、『あのイル=ジナの師』という言葉が強烈だ。目の前で女王の戦いぶりを見たイリーネは、その恐ろしさが分かる。アスールにも、カーシェルにもない剣の威力だった。それを鍛えた師とは、どれほどのものか。


 程なくしてやってきたのは住宅地を抜けた先にある、一際大きな部族長の館――に、隣接する道場だった。流派などの看板は掲げていないが、石の壁越しに威圧感が伝わってくる。引き戸の前で立ち止まったところで、チェリンがぽつりと呟く。


「……静かね」


 昼間のこの時間なら、道場で稽古をしている声がしてもいいだろうに。カイやニキータもいよいよ警戒を始めた。カイが黙っているのだから、彼の耳にもきっと音らしい音は聞こえていないのだ。

 シャ=ハラが引き戸に手をかけ、ゆっくりと扉を開ける。室内に日差しは少なく、薄暗くてひんやりしている。

 だだっ広い道場に、ヒトはいなかった。快適な空間なのだが、イリーネは不気味さを感じずにはいられない。いつも守られてきたイリーネは、戦場の気などとは縁が遠い。しかしそんなイリーネでも、この空間の異質さは分かる。誰もいないのではない。誰もいないのに、気配だけ(・・・・)は残っているのだ。


「嫌な感じだ」


 横を歩くカイがそう言った。先頭を行くアスールも、いつでも抜剣できるように構えている。


 道場の中程まで進んだその時、イリーネの耳に微かな音が聞こえた。何かが空を切る音――。


「避けろ!」


 後方のニキータが指示する。その言葉に応じて、仲間たちは散開した。イリーネはカイに抱きかかえられる形で右に避け、ニキータはクレイザを小脇に抱えて左へ跳ぶ。

 イリーネが身を起こしたときには、戦いは始まっていた。金属がぶつかる音が聞こえる。アスールが抜剣していたのだ。しかし、相手はどこにもいない。床に剣が落ちているだけだ。短剣ほどではないが短く、片刃の刃物――小太刀。

 飛来した武器を叩き落としたはいいが、アスールでさえどこから投じられたのかが瞬間で判別できない。判別したときにはもう、次の一撃が襲い掛かっていた。


 室内だというのに、突風が吹く。そのくらいの勢いで、ヒトがひとり突進してきていた。振り下ろされたのは幅広の大剣。それに比べれば、アスールの長剣など細剣の部類に入ってしまう。なんとか受け止めたものの、音をたててアスールの刃にヒビが入った。

 ほぼ同時に、両脇でカイとニキータが化身の動作に入った。化身族にとってそれは、呼吸するより簡単なもの。カイやニキータが化身するのに、三秒もかからない。だが、今回はその三秒が長かった。襲撃者は凄まじい膂力でアスールを弾き飛ばすと、隠し持っていた小太刀を投じた。左右別の場所にいる、カイとニキータめがけて、正確に。


「うおッ!?」


 化身を途中で中断せざるを得なくなったニキータが、慌てて半身をのけ反らせる。小太刀は背後の石の壁にぶつかって落ちた。反対側のカイもまた、化身できずに身を屈める。


 一対三の状況でありながら、怯むどころか逆に圧倒してくる戦士。それも、カイとニキータに化身すらさせずに。

 まさかこのヒトが――。



「父上ぇ――ッ!」



 シャ=ハラ渾身の怒声が、道場内に響き渡った。





「いやー、すまんすまん。ジナの奴から『腕利きが近いうちに来る』って連絡があって、俺もう楽しみでなぁ。つい気配を殺して待ち構えてしまった」


 あれだけ鬼気迫る殺気を放っていた人間は、剣を収めてしまうとどこにでもいそうな、人の良い中年の男だった。シャ=ハラと同じように金髪を結い上げているが、髪が中途半端に短いせいであちこち跳ねまくりだ。それに、その頭のてっぺんに大きなたんこぶができてしまっているので、どうしてもそちらに目が行ってしまう。無論のこと、娘の鉄拳が振り下ろされたのである。


「父上もジナも、どうして我慢ができないのですかッ。強者と見れば所構わず挑みかかって……こちらは他国の王族の方々なのですよ! なんたる無礼な振る舞いを……ッ」


 あまりの怒りで、シャ=ハラはすっかり女王を呼び捨てにしている。そんな娘の前で、へらへらと父は笑っている。


「女王の師というのは、こういう意味だったのだな」


 アスールがそう肩をすくめたのを見たのはイリーネだけだった。イル=ジナに吹き飛ばされ、今度はその師に吹き飛ばされ、チャンバでは象にも踏みつぶされかけ、どうも最近アスールは災難続きのようだ。


 さっきまで戦場だった道場に、全員はなんとなく円形になって座っていた。どこにいたのか、弟子だという若者たちが人数分の茶を持って来てくれる。彼らにとってシャ=ハラは崇拝の対象であるらしく、尊敬の眼差しが集中していた。


「さすがにちょっと(・・・・)おふざけが過ぎたようだ。悪かったな、お客人。俺はシャ=ディグ、剣術の指南役をやっている」


 その言葉に応じて、アスールが代表して口を開いた。


「私はサレイユ王国第一王子、アスール・S・ローディオン。こちらは女神教教会の神姫イリーネです。この度はお騒がせして申し訳ない」


 砂漠に住む人々は、他国との関係に頓着していない。加えて彼は、イル=ジナやシャ=ハラに所縁のある人物だ。正体を隠す必要もないと判断して、アスールは偽りなく答えた。シャ=ディグはひとつ大きく頷く。


「何か訳があるんだろう、構いやしないよ。大したもてなしもできないが、部族長には俺から話を通しておく。好きなだけくつろいで行ってくれ」

「ありがとうございます」

「代わりと言ってはなんだが、お前さん、俺と一回手合せを――」


 言葉の途中で、鈍い音がした。シャ=ハラが父親の後頭部に、座布団を叩きつけたのである。これにはイリーネら一行も唖然とするしかない。


「……け、稽古という形で良ければ」


 結局、アスールが絞り出したのはそんな返答だった。





★☆





 部族長への挨拶も済ませ、イリーネたちはシャ=ディグが所有しているという館のひとつを貸してもらうことになった。空き家だそうだが、手入れは行き届いているし、調度品にもこだわっていて、とても空き家などとは思えない。


 皆が思い思いに昼下がりの暑い時間を過ごしていると、席を外していたシャ=ハラが戻ってきた。室内にイリーネとカイしかいないのを見て、シャ=ハラが首を傾げる。


「他の皆さんは?」

「クレイザさんとニキータさんは外の様子を見てくるそうです」

「アスールとチェリーは、君の親父さんと一緒に道場」


 座布団を何枚もつなげて寝転がっているカイの言葉に、シャ=ハラのこめかみがぴくりと動いた。


「あ……あの男はぁ……!」

「は、ハラさん、落ちついて。ヒビの入ったアスールの剣を交換させてくれって、そう言ってましたから」


 そうとりなすと、シャ=ハラが「そ、そうでしたか」と咳き込みながら、玄関へ向かおうとしていた爪先を元に戻した。道場に駆け込んでシャ=ディグを怒鳴りつけようとしていたということが明らかだ。カイは面白そうにシャ=ハラを見やった。


「随分と豪快な親父さんだね」

「……面目ない。剣士としての威厳や実力も十分あるのですが、強者と見れば場所を選ばずに挑むという悪い癖がありまして……」

「でも、確かに強い。俺たちは十分警戒していたのに、それでもあそこまで圧倒されたんだ。まともにやりあったら……」


 カイはそこで言葉を切った。その先を言うのが恐ろしかったのだろう。不意打ちを受けて圧されることはこれまでにもあったけれど、最初から身構えた状態でありながらあそこまで態勢を崩されたのは、確かに初めてだった。もし本当に、シャ=ディグがカイたちを殺すつもりで襲って来ていたら――どうなっていただろう。


「私からすればジナも相当な化け物ですが、それでもジナは父から一本取ったことがないのです。我が父ながら、恐ろしい剣士ですよ」

「へえ、女王より強いのか」


 最も強い者が王になるというのがケクラコクマのしきたりだが、これは強制ではなく志願なのだ。現王に対して不満があったり、野心があったりする者が、王に戦いを挑む。勝つことができれば、王が交代する。つまり「王になりたい」という気がなければ、その強者は無名で終わるのだ。

 イル=ジナは、何か理由があって王を目指した。シャ=ディグは王位も最強の名も望まなかった。ただそれだけのことである。


 その時、外から竪琴の音が聞こえてきた。クレイザがどこかで弾いているのだ。クレイザは比較的暑さに強い。ヘルカイヤ公国は南国だし、長い旅暮らしで体力もある。イーヴァンの山間部でもぴんぴんしていた彼は砂漠の暑さもへっちゃらだ。だからこの暑い時間に、街を見物に行こうという気にもなるのである。室内でもじんわり汗をかくくらいの気温だが、不思議と清涼感のある弦楽器の音を聞いていると、心なしか吹き込む風が涼しく感じる。

 カイもシャ=ハラも、会話をやめてしばらく音楽に耳を傾けていた。やがてカイはごろりとソファに寝転がる。


「急がなきゃいけないのは分かってるけど……こういう午後があっても、悪くないよね」

「ふふ、そうですね」


 イリーネが微笑むと、シャ=ハラも頷く。そして彼女は、「お茶を淹れてきます」と厨房の方へ向かった。もうすっかり三人は、午後のお茶をしてくつろぐ気満々だった。

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