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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
133/202

◆灼熱の砂(3)

「いやあ、耳と目がよく利くヒトがいると、砂嵐に対処できるんだなぁ。すごいなぁ」


 リ=コルがそう感心している。この男がカイやニキータが化身族だと気付いているのかいないのか、いまいちカイにも分からない。とりあえず服についた砂を落として神殿の中に入ろうとしたが、衣服の内側にまで大量に砂が入っていた。諦めて仲間たちに背を向けて上着を脱ぎ、ばさばさと振って砂を落とす。面白いくらいに砂塵が舞った。

 帯をきっちり締めてから、ようやくカイも神殿の中へ足を踏み入れる。扉がなくて開けっ広げな入り口付近は砂だらけだったが、もう少し奥へ入ればそこそこ快適な空間があった。瓦礫も少なく、それほど風化していない。つい最近まで実際に使われていた神殿なのだろうか。


「様子見がてら少し休憩しましょう。日除けも砂除けもできますし」


 シャ=ハラが気を利かせてそう言ってくれて、カイは頷く。それからついっと視線を横へずらすと、熱心な様子で壁や柱を観察しているアスールの姿があった。一度は調査済みだろうに、まだ見足りないらしい。

 砂嵐を浴びて一気に身体の中の水分がなくなった気がする。残り少ない水だが惜しんでもいられず、カイは一気に水筒の中身を空けた。イリーネもさすがに疲れたようで、床に座り込んでいる。


「神さまを崇める場所なのに、女神教の教会とはずいぶん違うんだね」


 アスールにそう言ってみると、青髪の貴公子は振り返って小さく笑う。何か企んでいそうな顔だ。


「ほう、具体的にはどのあたりが?」

「どのあたりって……建物の構造とか」

「建てられた時代が違うのだから、それは当然ではないか」

「いや、俺は見ただけじゃそんなの分からないし」

「女神教の教会にあったはずの何かが、ここにはないと思わないか?」


 面倒臭い話を吹っ掛けてしまったようだ。やれやれと肩を竦めつつ、神殿内を見回す。それほど広い神殿ではない。回廊を少し進んだ先に円状の礼拝堂があって、さらにその先に祭壇がある。礼拝の場所に椅子がないのは、ケクラコクマに椅子に座る文化がないからだろう。アスールが指摘しているのは、多分そんなことではない。

 リーゼロッテやフローレンツなどで見てきた大聖堂はどうだったか。中に入って回廊を進むと整然と椅子が並んでいて、正面の窓には色ガラスが嵌められていて、祭壇の傍には大きな女神像が鎮座して――。


「……ああ、そうか。神像がないのか」

「その通り。ケクラコクマの太陽信仰における神とは、太陽そのものだ。太陽信仰では偶像崇拝を認めていないのさ」


 この神殿は西側に入り口があって、東側に祭壇がある。東側の壁には穴があけられていて、ちょうど日の出の光が神殿内に差し込むよう計算して設計されている。信者たちはその光を浴びて祈っていたのだろう、とアスールが説明する。


「太陽の恵みに感謝して、日の光の下で育てられた作物にも感謝する……か。俺としては、そっちのほうが信仰としてよほど理解できるよ」

「まあな。だが、女神教国家に生まれ育った者にとっては、女神の教えが一番身近で馴染みやすいのだ。種族間の平等を説き、信じることで繁栄と平和がもたらされる……耳触りは、とても良い」


 含みのある言い方だ。その時カイはふと疑問に思った。カーシェルは無神論者だった。それは幼いころの言動からも分かっていたが、ではこのアスールは? サレイユとて女神教を国教と定める宗教国家。その国の王子であるアスールも、当然女神教徒だと思われるが……。


「……君もカーシェルの影響を受けて、神なんて存在しないって思ってるの?」

「いや」


 思わぬ返答が返ってきて、カイは目を丸くした。アスールはそれを見て苦笑する。


「私の目には見えていないだけで、見える者には神が見えるのかもしれぬ。女神エラディーナか、大地母神か、それとも太陽神かは知らないが、いると信じているのなら、その者にとっての神は存在するのだろうよ。神を信じることで少しでも救われるのなら、それは素敵なことだ」

「はあ」

「だから私は無神論者というわけではない。強いて言えば、無宗教者なのだ。別にカーシェルの影響だけで、そう考えているわけではないぞ。……信心などというものをどこかに置いてきてしまっただけなんだ」


 少しでも油断すれば命を落とす、そんな世界で生きていたアスールにとっては、神を信じることなどバカバカしかったのかもしれない。どれだけ神を信じても、神はアスールを助けてはくれない。信じられるのは自分だけ――他人の信仰を否定こそしないが、それだけでは生きていけないことを、アスールは身を以って知ってきたのだろう。


「私はお前の宗教観こそ聞きたいな。女神教にもやけに詳しいじゃないか」

「俺? 俺は魔術を使うために、知識として女神教の教義を勉強しただけだよ」


 魔術は女神教由来なのだから、これは仕方がない。ケクラコクマ発祥の砂漠の呪術――なども探せばあるのかもしれないが、とりあえず五十年生きてきてそんなものは聞いたことがなかった。


「イーヴァンには山岳信仰があるからね。食べ物から寝床まで、生活のすべてを山に依存して暮らしていた俺にとっては、山の恵みに感謝するのは当然のことだった。……そうやって当然に思うのが、俺の宗教観なのかもね」


 太陽信仰と山岳信仰は、どちらも自然崇拝のひとつだ。山を崇める思想を根底に持つカイは、太陽を神聖視するケクラコクマの信仰にも理解を示すことができるのだ。


 それに応えてアスールが口を開いた瞬間、神殿の奥から物音が聞こえた。イリーネたちがいるのは入り口付近で、カイとアスールのいる場所より奥に行った仲間はいない。……誰か、いるのか。


「……聞こえた、アスール?」

「ああ。私にも聞こえたのだから、お前はとうに聞こえていたのではないのか?」

「いやいや……今の今まで、音どころか気配もなかったよ」


 そうだ、他に誰の気配もなかったから、ふたりで遺跡を眺めて語り合う気にもなったのだ。そろそろとカイとアスールは仲間の元へ戻り、『何か』が接近してきていることを告げる。座り込んでいたイリーネたちが慌てて立ち上がり、『何か』に備えて身構えた。


 カイの耳は確実に何者かが近付いてきている音を捉えている。足音だ。石材の床に靴の音がよく響いている。歩調はゆっくりで小さい。しかし、ここまで接近されるまでカイが気付かなかったことにも驚きだが、接近に気付いても敵意や警戒といった気配がまったく感じられないのだ。こちらにいるカイたちのことに、何も気づいていないのだろうか。


「ヒトがひとりだな。影は見えるが、逆光のせいで顔はよく見えん」

「役に立たないなぁ。実はそんなに視力良くないんじゃないの?」

「ははーん、お前は直射日光を見続けて平気でいられるってんだな?」

「に、ニキータ、カイさん、ちょっと静かに……」


 クレイザに叱られて、カイもニキータも黙る。どうもお互い、相手が口を開けば憎まれ口しか叩き合えないのだ。三十年前から互いに進歩なしである。


 カイの目にも、ヒト影が見えた。いよいよ緊張感を高めた時――先に声を発したのは、相手の方だった。


「あれまあ。また会ったのう」


 年老いた男の穏やかな声。聞き覚えのある声だ。

 誰だ? カイはめまぐるしく記憶を引っ掻き回した。そう昔のことではない。つい最近、聞いたばかりのような気がするのだが――。


「あ、貴方は、ツィオさん……!?」


 一番最初にその名を思い出したのは、イリーネだった。


「それだ! ……って、え!? な、なんであの歴史学者がここに……!?」


 思わずといった様子で手を叩いたのはチェリンだ。気持ちはよく分かる、カイも名前が出てこなくてもやもやしていたところだ。


 腰の曲がった老翁――今は砂除けの布を巻きつけて砂漠越えの装いだったが、確かにこの老人には以前会った。霊峰ヴェルンでひとり暮らしていた、胡散臭い歴史学者のツィオだ。


「おお、イリーネちゃん、チェリンちゃん。元気そうで何よりじゃ。無事にギヘナを越えられたんじゃな」

「は、はい……ツィオさんもお変わりなく」


 手を握られたイリーネが曖昧な笑みを浮かべたが、チェリンは絶句してしまっている。そんな親しげな様子を見て、事情の知らないシャ=ハラとリ=コルは戸惑うばかりだ。シャ=ハラがカイを見やる。


「……ええと、お知り合いの方ですか?」

「うん、イーヴァンにいたころにちょっと」


 そう言っている間にも、ニキータが女性陣とツィオを引き剥がしていた。ヴェルンで初対面の時から、ツィオの相手は大体ニキータがやっていたことを思い出す。というより、カイは絶不調だったし、女性陣は度肝を抜かれているし、アスールとクレイザも疲れ果てていたしで、ニキータくらいしか気力のある者がいなかったのだ――ニキータも一応霊峰の魔力に当てられていたはずなのが、あの時は恐るべきタフネスだった。


「じいさん、悪いが感動の再会をする気分じゃねぇんだ。なんでここにいる?」

「山で会ったときも言ったじゃろう。わしは世界中に研究所を持っておる。おぬしらと別れたすぐあとに、わしも山を下りたんじゃよ」

「このムルド遺跡も、その研究所のひとつだってか?」

「いやいや、ここはただ立ち寄っただけじゃよ。スィークのほうへ行くところだったんじゃ」


 胡散臭そうにニキータはツィオを見下ろしている。カイたちと別れてすぐ山を下りて――イーヴァンのどこかの港から船に乗ったのか、長距離馬車に乗ったのか。どちらにせよ、ツィオがラクール大砂漠のど真ん中にいても不思議ではない日数が経っている。瞬間移動でもできなければおかしな時間、というわけでもないので、ニキータもそれ以上追及できないようだ。


「貴方は女神教の研究者なんでしょう? ケクラコクマに、女神に関するものがあるんですか?」


 クレイザが問いかける。この小公子はのんびりしているようで、時々カイたちが思い至らなかったことを口に出してくれるから助かる。


「ほほ、愚問じゃの。レイグラン同盟軍からすれば、敵国ア・ルーナの皇女エラディーナは最も恐るべき敵将だった。彼女に関する資料は、ケクラコクマにも多いのじゃぞ。このムルド遺跡もそのひとつじゃ」

「ここが?」

「うむ。神暦十九年の末に、ア・ルーナ帝国の帝都リーゼルハイトを戦場に大規模な戦いが起きた。これが歴史書に有名な『リーゼルハイト城攻防戦』じゃ。先年までの大遠征で兵力の殆どを失っていた帝国軍になすすべはなく、三日間の攻防の末にリーゼルハイト城は落城。エラディーナは大騎将ヘイズリーに連れられて、帝都を脱出した――ここまでは知っておろう?」


 知っている。そうして脱出した矢先、【竜王ヴェストル】に先回りされ、エラディーナは捕えられてしまったのだ。この辺りはカイもイリーネに話したことがあった。確か“速き世界(アクセル)”や“遅き世界(スロウ)”の魔術を教えたときだ。


「で、【竜王】はエラディーナを同盟の首都アレンダイクに連れ帰ったのじゃが、【竜王】の臣下たちは人間で、しかも敵国の皇女であるエラディーナを傍に置いておくことに大反対した。仕方なく【竜王】は、エラディーナを人里離れた神殿に幽閉することにしたのじゃ」

「……その神殿が、まさかここだと?」


 クレイザの言葉に、にんまりとツィオが笑う。しかしクレイザは眉をしかめ、顎をつまんだ。


「確かにそうした事実は歴史書にもありましたが、この遺跡だと断定できるような記述はなかった……それにその神殿からは、海が見えたとされているんですよ。だからもっと南のケクランの傍か、カミーユ山脈を越えた先だと考える学者が大半なんですが……」

「その当時、ここはまだ砂漠ではなく、豊かな草原地帯だった。傍に大きな湖があってな、エラディーナはそれを海と見間違えたのじゃ。彼女は内陸住まいで、本物の海を知らなかったからの」


 無茶苦茶だ、とクレイザの苦笑の下の顔にはっきり書いてある。あり得ない話でもないが、こじつけのような気もする。

 長年女神教の研究をして過ごしてきたのなら、一般に出回っていない事実を知っていて当然だ。胡散臭さはぬぐえないが、否定する根拠がないのでカイは黙るしかない。


 それよりも――やはり、このツィオという老人からは何の匂いもしない。化身族なのか人間族なのかも分からないし、魔力の有無もさっぱりだ。この感じは、先程の鴉の使者の青年と同じ――もしかしたら、この老人も混血なのかもしれない。なんとなくカイはそう思ったが、問うのはやめておいた。指摘されたくないヒトも大勢いるだろう。


「ま、そういうわけで、エラディーナゆかりの地は見ておきたいじゃろ? だから立ち寄ったのじゃ。どうじゃ、黒いの、納得したか?」


 ツィオがニキータを見やると、ニキータは軽く肩をすくめた。納得してもらえたと思ったのだろう、ツィオが陽気に笑う。


「おぬしらは疑り深いのう。どれ、砂嵐も止んだかな。わしはそろそろ行くよ」

「ひとりで大丈夫ですか?」


 イリーネが問うと、ツィオは大きく頷く。


「ありがとう、イリーネちゃん。大丈夫じゃよ、このあたりは馴染みの土地なんじゃ」

「そうですか……お気をつけて」

「おぬしらも。縁があればまた会おう」


 ひらひらと手を振って、ツィオは重そうな荷物を担いで遺跡から出て行った。その後ろ姿を見送って、アスールが額の汗を拭った。妙に緊張して、嫌な汗をかいたらしい。


「嵐のようだったな……」

「喋るだけ喋っていったって感じね。研究者ってみんなあんな感じなのかしら」


 チェリンの言葉に、イリーネが困ったような笑みを向けている。それを横目で見つつ、カイは遺跡の出口へ足を運んだ。束の間感じなかった熱気が一気にまとわりついてくる感じがするが、湿気がないだけイーヴァンの夏よりマシだ。

 ツィオは神殿の門から出るところだった。それを見て、カイは数段の階を一息で飛び降りた。柔らかい砂が、衝撃を和らげるどころか着地を妨げてきたが、カイほどの脚力があればなんてことはない。


「なんじゃ、見送りか?」


 ツィオがにこやかに振り返る。カイは銀髪を掻きまわした。


「……あのさ、俺ずっと気になってたことがあるんだ」

「気になっていたこと? わしの素性とかか」


 それもとても気になるが、答えてくれないだろうということはなんとなく分かる。だからカイは首を振った。


「エラディーナだよ。エラディーナと【竜王】は恋人だったんでしょ。なんでそんなことになったの」

「そんなことが気になっていたのか」

「そう、長年の疑問なんだ」


 咄嗟に考えたのではない、本当に疑問に思っていた。【竜王】はエラディーナを捕えたが、自国に連れ帰って処罰するでもなく、神殿に軟禁していただけ。既にこれより前から、【竜王】の側に好意があったことは間違いないだろう。

 けれど、神殿に軟禁されたエラディーナは、一年経って救出のために突入してきたヘイズリー将軍らに助け出され、帝国へ戻った。そして同盟打倒のための兵を挙げ、【竜王】を討った――恋仲だったのに。


 するとツィオは、小さく溜息をついた。カイの記憶にある限り、出会ってから初めて暗い表情を見た気がする。ツィオは答える。


「恋人などではなかった」

「え……?」

「【竜王】は、美しく優しいエラディーナに恋をしていた。だが、彼女の心には既に別の男が住んでおった。どれだけ甘い言葉を囁こうと、彼女は良い返事をくれなかったんじゃよ」


 それは、もしかして大騎将ヘイズリーだろうか。口にこそ出さなかったが、カイの答えは確信に近い。ヘイズリーはエラディーナの一番の臣下で、強い男だった。命を顧みずに自分のために必死になってくれるヘイズリーを、好きになるのは当然なはずだ。

 しかしエラディーナとヘイズリーは伴侶となることはなく、エラディーナは生涯独身のままだった。ヘイズリーは、同盟との戦いの中で死んだからだ。


「ヒトは歴史を美化したがる。【竜王】はエラディーナに恨まれこそすれ、愛されることなど一度もなかったのじゃ」


 去り際のツィオの言葉が、やけに鮮明に聞こえた。いつまでも耳に残って、離れてくれなかったのだ。

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