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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
132/202

◇灼熱の砂(2)

 夕方のうちに水や食料の補給をして、翌朝も日の出とともに出発した。同行者として、リ=コルと、商品である織物を積んだラクダが一頭加わった。リ=コルは「陽気な商人」という様子で、あれやこれやと物知らずな異国の旅人に砂漠の知識を授けてくれる。元々ダンカル族は砂漠の案内をして生計を立てていた人々のことを指すのだし、リ=コルが詳しいのは当然だ。むしろ、口数の少ないシャ=ハラが部族の中では珍しいのかもしれない。


「……そうか、ジナちゃんもここを通ったのか。だいぶ急いでいたんだろうなぁ、ダンカルに寄りもしなかったんだから」

「また無茶な行軍を……脱落者が出ていなければいいのですが」

「はは、そいつは大丈夫だろ。脱落兵らしき奴らは見てないし、ジナちゃんがそこまで鬼畜だとも思わないしさ」


 リ=コルの言葉に、シャ=ハラは沈黙を返している。その顔には「どうだか」という疑わしそうな表情がありありと浮かんでいた。それを見たリ=コルが盛大に笑う。


「相変わらず手を焼いているみたいだな、ハラちゃんもイオも」

「イオ、とは?」


 初めて聞く名に、イリーネが首を傾げる。シャ=ハラが苦笑を浮かべて答える。


「私の弟です。シャ=イオは女王の執政を支える文官で、今は王都の留守を預かっています」


 弟がいたのか、と驚くイリーネたちの傍で、ニキータがくつくつと笑う。


「聞いたことがあるぜ。戦争となれば必ず親征する国王の無茶を、後ろで全部引き受けている知恵者だってな。あんたの弟だとは知らなかったが、さぞ苦労しているんだろうな」

「ええ、過労が祟って倒れたことも一度や二度ではありません」

「……本当に大丈夫なのか?」


 ニキータが顔を引きつらせる。とはいえ、シャ=イオが過労で倒れたというのはイル=ジナが即位したばかりのころの話であって、最近はあまりないそうだ。当時は国内平定に全力を挙げていて、シャ=イオだけでなくシャ=ハラも、イル=ジナ本人も相当堪えたという。

 口では「忙しい、面倒臭い、辛い」と言いながら全面的に無鉄砲女王のフォローをこなす、というのがシャ=イオのスタンスなのだ――と、シャ=ハラは弟を評する。


「口を開けば恨み言しか出て来ませんが、仕事には忠実な男です。女王からサレイユやイーヴァンと連携するという話を聞いたら、嫌な顔をしながらも準備を進めてくれるでしょう」

「た、頼もしいですね」


 イリーネが苦し紛れにそう微笑む。オスヴィンで出会ったばかりのころのカイでさえ、不平不満たらたらということはなかった。シャ=ハラの話しぶりからすれば有能で信頼は置けるようだが、一癖も二癖もありそうだ。

 イル=ジナが以前言っていたが、女王とシャ=ハラは幼馴染なのだという。王になった彼女を、シャ=ハラとシャ=イオの姉弟は文武両面から支える――どれだけ強い絆があるのだろう。カーシェルにも信頼のおける臣下はたくさんいるけれど、友情込みで尽くしてくれる者は少ない気がする。腹心である獣軍将、【迅風のカヅキ】との関係は強固な主従関係だし、友とは呼べない。


 ケクラコクマは、イリーネにとって敵国だった。ずっと昔から敵で、これから先も敵のまま、そうだろうと思っていた。けれどこの国には、人情味のある女王がいて、それを支える苦労性の姉弟がいる。恐ろしいばかりだったケクラコクマという国の印象が、今は何となく薄れていた。


「……ん?」


 と、突如声をあげて空を見上げたのはカイである。水筒に口をつけた格好のまま上を向き、太陽の光に眩しそうに目を細める。今日ラクダの手綱を握っているのはニキータだ。そのニキータが、カイの目線の先を追いかける。


「どうしたよ、カイ坊」

「羽音がする。何かこっちへ来るよ」

「ハンターか? この条件でデュエルはちときついぞ」


 その言葉で自然と皆の足が止まる。急に緊張感をみなぎらせた一行に、リ=コルが目を白黒させた。シャ=ハラが剣の柄を握りながら、リ=コルを庇うように下がらせる。


 やがてカイが示した方角の空に、黒い小さな影が現れた。イリーネにはその程度にしか認識できなかったが、ずば抜けた視力を持つニキータはそれだけで正体が分かったようだ。真っ先に構えを解いて、手をひらひらと振る。


「あれはイーヴァンの使者だ。以前俺に接触してきた奴と同じようだな」

「では、ファルシェとダグラスからの知らせでしょうね」


 アスールもそう言って剣の柄から手を放す。そうこうしているうちに黒い影は近づいてきて、やがて巨大な鴉が舞い降りてきた。翼のはためきで砂が舞い上がり、口に入ったらしいクレイザが咳き込んでいる。

 化身を解くと、現れたのは細身の若者だった。実直で寡黙そうな青年で、彼はアスールに深々と頭を下げた。


「失礼します、アスール殿下。ダグラス殿下からの書状をお届けに参りました」

「……ダグラスだけか?」


 予想外だったようで、一拍置いてアスールが問い返す。使者の若者は頷く。


「ダグラス殿下からのみです」

「君はファルシェの臣下だろう。サレイユに留まって、我々の連絡役を担ってくれているのか?」

「それが我が王から命じられた任務ですので」

「そうか……ありがとう、確かに受け取った」


 アスールに書状を手渡したあと、もう一度アスールに頭を下げて、若者は化身して空へ飛び立って行った。それを見たリ=コルが、目を丸くしてアスールらを見やる。


「ジナちゃんとハラちゃん直々の客だから只者じゃないとは思ってたが、まさか王子殿下だったとはなぁ。こりゃとんだ無礼を……」

「いや、気にしないでください。堅苦しいのは好きではないので」


 アスールがにっこり微笑む。アスールだけでなく、イリーネもクレイザも高貴な血筋の生まれだし、カイやニキータ、そしてこれからはチェリンも賞金首の化身族だ。まったく全員只者ではないのである。


 アスールが書状を開いてその場で目を通しはじめたとき、カイはまだ鴉の使者が飛び去った方向を眺めていた。その眼差しが、鋭いわけでもなくぼんやりしているわけでもなく――という妙なものだったので、イリーネが声をかける。


「カイ、何を考えてます?」

「うーん……いや、ちょっと雰囲気が不思議なヒトだったなぁと思ってね」


 曖昧なカイの言葉に首をかしげると、横合いからチェリンが顔をのぞかせた。


「あたしも思った。化身族なのに、それっぽい匂いがしなかったわね」

「あれはおそらく、混血だ。イリーネやアーヴィンとは逆向きの混血で、『化身はできるがそれ以外は人間と同等』というタイプだろう」


 少し声を低めてニキータがそう説明してくれたのは、おそらくリ=コルに聞かれないためだ。彼は一般人だし、事情も知らない。いくらシャ=ハラたちの客だといって、一般的に恐れられる混血種(まざりもの)をなんとも思わないでいてくれるかは、微妙なところだった。


「ファルシェは混血児を重用しているんだ。密偵や密使としてな」


 ファルシェは化身族だけでなく、混血に対する偏見がない。だからこそ彼はクレイザとニキータを匿い、イリーネの後見に立ってくれたのだし、混血児であろうと分け隔てなく登用できるのだ。そんなファルシェに混血児たちは深く感謝をして忠誠を誓う。ファルシェの方も彼らを信頼して、重要な任務を与えられるのだ。

 そう語るニキータの表情にどこか影があったのだが、それを不思議に思う間もなくアスールが声をかけてきた。


「サレイユ中央軍がブランシャール城塞に到着したそうだ。合わせてイーヴァンの方でも進撃準備を整えている。我々も急がなければな」


 万事予定通りに進んでいるようだ。イーヴァンとサレイユの連名でリーゼロッテに宣戦を布告した現在、リーゼロッテでも北と西の国境の守りを固めているだろう。いくら屈強なリーゼロッテの軍であっても、今回利があるのはこちらだ。イーヴァン軍が北で軍を引きつけている間に、サレイユとケクラコクマの連合軍が一気にリーゼロッテを破る――勝算は十分だ。

 敵国の手を借り、自国を攻める。イリーネも、きっとアスールも非難される。覚悟は決めていた。今まで何度かメイナードと遭遇してきて、彼の口からリーゼロッテ神国や、その国に住む民のことが一度だって口から出てきただろうか? メイナードにとって、おそらくリーゼロッテという国には何も価値がない。王座を奪い取るわけでもなく、ただ何かしらの目的のために国王と王妃を殺し、王太子を幽閉し、王女を追放した。同盟国の国王をも手にかけた。この先メイナードが何をするのかは分からないが――これ以上の悪行を重ねるならば、命を懸けてでも止めらなければならない。


 ぐっと拳を握ったイリーネに気付いたのか、チェリンが軽く肩を叩いてくれる。――言葉はないけれど、励ましてくれているのは分かる。この優しさに、イリーネは何度も救われてきたのだ。



 足を止めていたイリーネたちは、再び砂漠を歩きはじめた。シャ=ハラやリ=コルの話では、ダンカルの集落には昼頃到着できるとのことだった。ダンカルの傍にはスィークのような大きな水場があって、農耕を行うことも可能な土壌環境が整っているそうだ。ダンカル族は自給自足に近い生活を送りながら、リ=コルのように育てた繊維を編み込んで布を作り、行商に出ることもあるという。民芸品に近いのだろう、彼の商品にはどれも複雑で美しい刺繍が施されている。時には、かなり豪華な絨毯を作ることもあるそうだ。

 そうした生活の様子は、どことなくギヘナ大草原で出会ったケル族を思い出す。それほど日が経ったわけではないけれど、センリとキョウの兄妹は息災だろうか――イリーネはそんなことを考える。


「んん、今のは……?」

「なんだ、またかよ?」


 歩き出して少しして、カイが再び空を見上げた。肩をすくめたニキータが振り返ると、カイは軽く首を傾げた。音の正体がはっきり分かっていた先程と違い、今度はその音が何か判断できないらしい。


「おっさんと違って、俺の感性は繊細なの」

「はいはいはい。で、今度は何が聞こえたんだ?」

「遠くで急に風の音が強くなった。ただの突風かなぁ」

「風ぇ?」


 カイもニキータものんびりしたものだったが、それを聞いて顔色を変えたのはシャ=ハラとリ=コル、そしてアスールの三人である。


「まずいですね、砂嵐が来るかもしれません」


 シャ=ハラが眉をしかめる。クレイザが空を見上げた。雲一つない快晴で、今のところ身体に感じるような風は吹いていない。無風状態だけに、いつも以上に暑く感じる。


「砂嵐って、風で砂が舞い上がるあれですよね」

「砂漠での砂嵐を甘く見てはいけません。下手をすれば窒息死する可能性もあるのですから」


 窒息死という言葉に、クレイザも沈黙してしまう。リ=コルはその横であたりをきょろきょろ見渡した。


「身を隠せそうな場所は……見当たらんなぁ。仕方ない、なるべく固まって地面に伏せるんだ。布で顔を覆って、嵐をやり過ごすしか……」


 言いながらぐるぐるとリ=コルは鼻から口まで布で覆った。と、遠くの方を眺めていたニキータが、軽く背伸びをしながら首も伸ばした。


「おい、俺の見間違いじゃなきゃ、向こうに良い風よけになりそうな建物があるぞ」

「建物? ……もしかして、ムルド遺跡だろうか?」


 アスールがはっと思い出したように顔を上げた。おそらく昨日話題に出た太陽神の遺跡だろう。


「ああ……遺跡かと言われれば、まあ遺跡っぽいな」


 適当なニキータだったが、さすがに判別はつかないのだろう。アスールが手早くみなに告げる。


「ムルド遺跡ならば強度は十分だ。カイの様子からすればまだ砂嵐は遠いようだし、そこに行って身を隠さないか?」

「そ、そうだな。そうしたほうがいいぞ!」


 リ=コルが大きく頷く。イリーネたちに異論があろうはずもない。ニキータの先導で、八人と二頭のラクダは急いで遺跡の方へと移動を開始したのである。


 イリーネの目にも見える程度の距離に、その遺跡はあった。門か塀を模っていたのだろう大きな石の壁が、砂の海の中から点々と顔を出している。その先に、建物の原形を保った遺跡が見えたのだ。

 平地であるならば、そこに行くまでに三分とかからなかっただろう。しかしここは砂砂漠。砂浜よりも柔らかく細かい砂の地面は足を掬い、急げば急ぐほどもつれてしまう。暑さもあるし、走ることなど論外だ。ままならないものである。

 いくら平均以上に優れていても、イリーネの運動神経は男性には敵わないし、まして化身族には遠く及ばない。自然と最後尾になってしまったのだが、そんなイリーネのさらに後ろにはカイがいてくれる。さっきまでとぼとぼ歩いていたのに、危機に直面した時の切り替えが異常に早い。


 ふわりと風が吹いた。砂漠の風はただただ熱い。足元で砂が軽く舞い上がる。それを見たカイが、イリーネの肩に手を置いた。きっとカイには聞こえているのだ、近づいてくる風と、それがもたらす脅威の音を。


 石の壁の残骸の横を通り過ぎ、建物へと近づく。近くで見てみると、思っていた以上に大きくてがっしりした造りの神殿だ。柱もちゃんと残っているし、入り口にこしらえられた石のアーチなど見事なものである。確かに頑丈そうだ、突風で倒れそうには見えない。

 神殿の入り口にある階段を登って、ニキータが屋根の下に入る。風向きの関係で、この遺跡そのものが風よけになってくれそうだ。


 次々と仲間たちも神殿の陰へと身を隠していく。アスールの手招きに応じて、イリーネもその場所へ続こうとした、まさにその時――耳元で強烈な音が響いた。耳鳴りかと思ったそれは、耳鳴りではない。これは――風の音!

 肩越しに振り返る。すぐそこに、大きな煙が迫っていた。上空高くまで舞い上がる巨大な煙。凄まじい速さで、遺跡を呑みこもうとしている。


(間に合わな――……きゃっ!?)


 ばさっとイリーネの目の前に、青色の布が広げられた。何事か分からないまま布はイリーネの頭をすっぽり覆ってしまい、よろめいてイリーネは地面に倒れた。いや、正確にはカイが後ろからイリーネを押し倒したのだ。イリーネを守る青の布が、チャンバでカイが渡されていた砂除けの布だと、今更ながらに気付く。

 俯せに伏せたイリーネを、カイが身体を張って庇う。ほんの二秒ほどでその作業をカイはやってのけたのだ。しかし声をあげる間もなく、今度は強烈な風がイリーネの身体を叩いた。布越しでも世界が闇に包まれたのが分かる。砂を含んだ風は、物理的に痛い。聴覚が麻痺するほどの轟音と共に襲ってきた突風は、あわやイリーネの身体を浮かせかけたが、カイが押さえてくれたおかげで飛ばずに済んだ。そのカイも、飛ばされないように必死なのだろう。地面についた手に力を入れて、なるべく砂を吸わないようにと身を小さくしている。


 突風の直撃を受けていた時間は、ほんの短い時間だった。しかしそれが異様に長く感じた。周囲が静かになって、ようやくカイが身体を起こしたので、イリーネは顔を覆っていた布を外した。起き上がりながら振り返ると、カイはひどい有様だった。髪の毛から衣服まで砂まみれで、一瞬にして遭難者のような格好になっていたのだ。カイは咳き込んで、息を吐き出した。


「……さすがに、命の危機を感じた……」

「カ、カイ、大丈夫ですか!?」

「一応、平気だよ。イリーネこそ怪我はない?」

「私はなんともないです。ありがとうございます」


 カイは小さく微笑んで、軽く耳を叩いた。先程の轟音で、鼓膜を痛めてしまったのかもしれない。

 立ち上がってみると、イリーネらが身を隠していたのは石の壁の残骸の傍だった。その壁があったおかげで、多少の風は防げたのだろう。カイはそれを見越して、その場に伏せたに違いない。


 青い布をカイの首元に巻き直してやって、服についた砂を払う。建物の陰に入っていたはずのアスールたちも、強烈な風に煽られた砂を浴びてしまったようだ。砂嵐が弱まったのを見計らって、アスールとチェリンが駆け寄ってくる。


「ふたりとも、無事か!?」

「はい。アスールとチェリンも……」

「あたしたちは口の中に砂が入った程度よ。さ、早くこっちにいらっしゃい。また砂嵐が来るかもしれないわ」


 巨大な砂煙が遠のいていくのが見える。あんなものに呑みこまれてよく無事だったと、イリーネは今になって身震いしてしまった。

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