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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
131/202

◇灼熱の砂(1)

 険しい赤岩が続いたバルドラ渓谷は、チャンバを通過してしばらくすると完全に抜けた。かわりに現れたのは、灼熱の太陽と果てのない平地。次第に足元は固い岩から柔らかい砂に替わり、大量の砂に足を取られるようになっていく。

 砂漠と聞いて大体のヒトが真っ先に思い浮かべるような景色が、そこには広がっていた。


「ラクール大砂漠最大の難所、メニ砂海(さかい)です」


 先頭を行くシャ=ハラがそう告げる。渓谷を抜けて、一気に気温が高くなった気がする。遠くの景色が蜃気楼の向こうに揺らいで見えた。

 降水量が少ない地域を総称して砂漠と呼ぶが、その中でもバルドラ渓谷は岩石が多い砂漠だった。しかし、今目の前にあるメニ砂海は、砂の多い砂漠。ラクール大砂漠の中央部は、この砂砂漠で形成されているのである。


「砂の海とは、よく言ったものだな。何度見ても気が遠くなりそうな光景だ」


 各地を放浪していたアスールは、この砂漠に来るのも初めてではないようだ。辟易したようにそう溜息をつくと、隣にいたニキータがにやりと笑った。


「既に溺れそうな奴が約一名いるがな」


 顎でしゃくったほうにいるのは、ぽてぽてと最後尾を歩くカイである。チャンバを出て数十分と経っていないのだが、すっかり疲れ果てている様子だ。やる気のなさそうにぶらぶらと腕を振るものだから、彼に手綱を握られているラクダが少々気の毒だ。



 イリーネたちがチャンバの街を出発したのは、日が昇ってすぐのことだった。

 懸念していたアスールの容体も落ち着いていたし、早朝ならば多少は気温も低いだろう――実際は日中と大差なかったが――そう考えての出発だった。勿論、そうすることができたのには長老シンやラージをはじめとする、チャンバの化身族の協力があったからだ。シンとラージは砂漠越えのために必要な装備を迅速に揃えてくれたし、女性陣は朝早いにも関わらず温かな食事を提供してくれた。彼らに感謝しつつ、イリーネたちは万全の態勢で出発できたのである。

 シンたちが提供してくれたのは、大量の水と食料、日除けの衣類、天幕と、それらを運ぶラクダが一頭。トライブ・【キャメル(駱駝)】ではなくて、本物のラクダだ。この砂漠でも水をあまり必要としないというラクダは、砂漠の移動には不可欠な存在なのだという。人懐こく、優しい目をしたラクダだ。


「にしても……本当に砂だらけなのね。はぐれたらおしまいじゃない……?」


 チェリンはそんな不安を口にする。クレイザが額の汗を拭った。


「そうですね。砂嵐にでも遭ったら地形も変わるでしょうし、注意しないといけませんね」

「ま、心配するな。そんなことになったら俺が空から見つけてやる。大体、契約しているからには化身族側から主の居場所はすぐ分かるんだ。はぐれたらとにかく、その場を動かないこった」

「じゃ、気をつけなきゃいけないのは契約していない僕とハラさんだけだね」

「頼もしいね、不便な場所だと特に。さすが野蛮人」


 ぽつりと呟いたのはカイである。耳ざとくそれを聞いたニキータが、手を伸ばしてカイの銀髪を引っ掴み、ぐらぐらと前後に振り回した。


「憎まれ口を叩く元気はあるんだな、カイ坊、え?」

「あっ、ちょっとやめて、頭揺さぶらないで」


 カイがいつになく威勢のない声で抗議する。が、ニキータの言う通りカイはまだ見た目ほど衰弱してはいないようだった。本当に具合が悪い時のカイは、ニキータに対して非常に素直になる。そのことは霊峰ヴェルンで実証済みであった。

 賑やかなふたりに笑みを浮かべたイリーネは、ふと背後を振り返った。それに気づいたアスールが問う。


「どうした、イリーネ?」

「あ……いえ、シャルマとカリナは大丈夫かなと思って……」


 双子の象はチャンバが引き取ると、シンとラージが言ってくれた。行く当てをなくし、保護者だった「お兄さん」とやらからも解放された少女たちに、住む場所を与えると言い出してくれたのだ。シャルマたちは元々戦意などなかったし、これからもそうだろうということは、イリーネたちには分かっている。だがそれをチャンバの住民たちが信じてくれるとは限らなかったし、下手をしたらまた諍いになるかもしれない。シャルマとカリナをイリーネたちの旅に同行させ、どこか別の街で生活させたほうが良いのではないか、と考えていたところだった。

 子どもを連れての長旅は苦しいところがある。だからシンとラージが預かると言ってくれて嬉しかった。シャルマたちも恩義を感じて、これから何かあればチャンバのために戦うと約束していた。しかし本当に大丈夫なのだろうか。シャルマたちはまだ【獅子帝】と繋がっているのかもしれないし、それを匿ったとなればいくら長といえどシンたちの立場が危うくなるのでは――出発したあとになって、イリーネはなんだかそれが心配だ。


「【獅子帝】はもう彼女らの契約具を持ってはいない。拘束する術はないし、彼女らが【獅子帝】の命を疑いもせず聞くこともないだろう。ふたりを受け入れると決めたシン殿も、それなりの覚悟はしているはずだ」

「本当に、色々助けてもらいましたね。シンさんにも、ラージさんにも……険悪だったのが嘘みたいです」

「ラージはカイの生きざまに憧れていたようだからな。もしかしたら、カイが何か根回しをしていたのかもしれないよ」


 何度もよろめきながら、一行は砂丘を昇り、下って先に進んでいく。歩き慣れているシャ=ハラの足取りはしっかりしていて、危なげがない。アスールは生まれ持った天性の平衡感覚でなんとかなっているし、カイやチェリンはニム大山脈での生活で悪路には慣れている。歩き方がぎこちないのは、平地暮らしの長いイリーネやニキータ、クレイザだ。ニキータなど、いつもはあれほど身軽なくせに、今回ばかりは大柄であることがやけに影響を及ぼしているようだ。


 カイはというと、最後尾をラクダと共に歩きながら、ぽつぽつとチェリンと会話を交わしている。おそらく、魔術の扱いについて指南しているのだろう。昨夜、魔術書をシンから譲り受けたと言っていた。怠惰なのだか勤勉なのだか、イリーネには今でもよく分からない。


「砂漠で重要なのは、水を確保することと、方角を見失わないことです。これさえ守っておけば、砂漠は問題なく抜けることができます」


 シャ=ハラがそう励ます。彼女はこのメニ砂海に入ってから、しょっちゅう水分補給を指示してきた。喉が渇いていなくても、汗が出ていなくても、水分は失われているのだそうだ。


「砂海の水場の位置はすべて把握しています。今日はそのうちのひとつ、スィークを目指しましょう。オアシスとして栄えた人里です」


 地理に明るい者がいるのは頼もしい。アスールがここを訪れた時は、砂漠を越えようとする隊商に護衛として加わって、共に旅をしたのだという。さすがのアスールでも、単身で砂漠に立ち入るような愚は冒さなかったのである。

 それにしても、先行しているイル=ジナ女王は、軍勢を引き連れてこの砂漠を縦断しようとしているのだろうか。いくら砂漠に慣れているといっても、あまりに危険すぎではないか。とやかく言える筋合いでないことは分かっているが、それでもイリーネは心配だ。

 あとからやってくるサレイユ王国軍は、王都ではなく直接国境のヴェスタリーテ河に向かうだろう。その場合、ギヘナ大草原のギリギリ外側を通りながら、ラクール大砂漠を迂回することができる。ギヘナの獣たちも恐ろしいが、それよりも軍団にとって砂漠の暑さはもっと恐るべきものだ。特にサレイユは年中涼しい気候だし、騎士たちも暑さには弱いのだ。


 砂漠を行き来するヒトは少なくない。早朝から何組かの隊商とすれ違った。おそらくケクラコクマ所属のハンターもいるだろう。カイも弱っていることだし、なるべく戦いには巻き込まれたくないものである。





★☆





 砂だらけになりながらスィークというオアシスに到着したのは、まだ真昼間のことだった。これより先は最も暑くなる時間帯なので、無理せず短時間で移動を終えるのが基本だそうだ。

 スィークは都市というほどではないが、村と呼べる程度にはヒトも多く、賑わっていた。ラクール大砂漠を縦断するルートはいくつかあり、今回イリーネたちは最も東側のルートを通っている。この東ルートの最初の中継地点が、このスィークなのであった。


 スィークに入ってまず目に入ったのは、大きな湖だ。貴重な淡水、オアシス――水が近くにあるおかげで、かなり涼しく感じる。カイが思わずといった様子で、大きく脱力していた。


「おうおう、お疲れのようだね、兄ちゃん。サレイユから来たのかい?」


 不意に屋台の中からそう声をかけてきたのは、中年の男だ。こんがり――という表現は妙かもしれないが――日焼けして、色素の薄い金の長髪を高く結い上げている。どうやら日除けの衣類を売っているようだ。

 暑さで声も出ないらしいカイに替わって、アスールが口を開く。さすがの貴公子も、玉の汗が額に浮かんでいた。


「こいつは寒さは得意なのだが、暑さには滅法弱くてね」

「今日はまだ涼しいほうなんだぜ。これで夏だったら灼熱地獄さ。冬で良かったな」

「慰めにならないよ……」


 カイが溜息をつく。そういえば、フローレンツではもう初雪が降るころだろう。今は『冬』だと言われて、これほど納得できないことがあっただろうか。夏の涼しい季節にフローレンツにいて、真夏のイーヴァンに行き、冬でも暑いケクラコクマにいる――得意なはずの寒さと、カイはとにかく縁遠いようだった。

 しかし、イリーネが驚いたのはそのことではない。ケクラコクマの民衆にとって、リーゼロッテもサレイユも敵だろうに、この男性にはそうした敵意は一切ない。砂漠に住む民にとって、遠い異国など印象深くもないのだろうか。


「ははは、そうだ兄ちゃん、この日除け布はどうだい? 薄く見えるが、きっちり皮膚病対策もできるんだ――って」


 商売を始めた男性が、途中で言葉をつぐんだ。そうして凝視するのはシャ=ハラだ。


「なんだ、ハラちゃんじゃねぇか。どうしてこんなところに?」


 ハラ『ちゃん』という呼び方にやや赤面したシャ=ハラは、咳払いをして居住まいを正した。


「お久しぶりです、コルさん。変わりないようで」

「ハラちゃんも元気そうだな。その兄ちゃんたちはハラちゃんの連れかい?」

「はい。……皆さん、紹介します。こちらはダンカル族のリ=コルさんです」


 シャ=ハラの言葉に、リ=コルという男性は照れたように頭を掻いて会釈する。チェリンが首を捻る。


「ダンカルって、あんたや女王の出身部族よね?」

「はい。この傍にダンカルの集落がありまして……リ=コルさんは昔から、スィークへ織物を売りに来ているのです」


 つまりイル=ジナとシャ=ハラの、同郷の仲間ということだ。彼女の故郷ダンカルも、砂漠の縦断の中継地点とのことだった。見てみたいと思っていたダンカルを、本当に見ることができそうだ。


「そうか、そうか、王都まで行くのか。ジナちゃんとハラちゃんの客人なら大歓迎だ。俺も明日ダンカルに帰るから、案内がてらついて行かせておくれよ」


 あの剛毅な女王を「ジナちゃん」呼ばわりすることに違和感がありまくるのだが、元々イル=ジナは王族でもない一般人。リ=コルにしてみれば、イル=ジナは幼いころから知っている女の子のひとりなのだ。そんな彼女の名を嬉しそうに呼ぶリ=コルは、女王のことを誇りに思っているようだった。


 とにかくも、今日はスィークで一晩明かすことになった。リ=コルも御用達だという宿に、イリーネたちも部屋を取った。日差しが避けられるだけ、室内は涼しく快適だ。カイなど、部屋に入った途端にベッドに倒れ込んで昼寝を決め込んでしまったらしく、「つまらない奴だ」とアスールが苦笑していた。

 そのアスールと共に、イリーネは食材の買い出しがてらスィークの街を見て回ろうと思ったのだが――午後になってさらに激しさを増した太陽の光の前に、あえなく断念する羽目になった。シャ=ハラが最初に言ったように、一日で最も暑くなる時間帯の砂漠は冗談ではなく地獄そのものだ。砂漠に住む人々もこの時間は滅多に外に出ないのだそうだ。代わりに街が賑わいを見せるのはそこそこ涼しくなる夕方からであり、夕市などが開かれるという。


「……ここまで暑いと、太陽を恐れ崇めるのも無理はないな。私としては日焼けしそうで憎々しいのだが」

「太陽神ですね。そういえばこの砂漠には遺跡が多いって、ハラさんが言ってました」

「ああ、殆どは古代の太陽神神殿だよ。私もいくつかは見たことがある。この近くにもあったはずだ」


 日焼けが嫌だと言いながら、遺跡のためなら迷わず砂漠に赴くのだから、アスールの言動は矛盾している。


「さて。この暑さでは外出もできないし、冷たい飲み物で優雅に休憩……というわけにもいかないな」

「カイに倣ってお昼寝でもしましょうか?」

「ふふ、たまにはそれもいいかもしれないね」


 昼寝するにしても、寝苦しいような気もするが――そこは敢えて、イリーネは考えないようにした。

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