表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
130/202

ある孫息子の独白

「……おお、ありましたぞ。これでいかがかな?」

「ありがとう、でも本当にもらっていいの?」

「勿論です。チャンバにはこれを使える者もおりませんし、蔵で埃をかぶっているより、貴方がたに役立ててもらった方がずっと良い」


 室内から、そんな静かな声と、仄かな明かりが漏れてきている。俺は蔵の戸口の陰に立って動けないでいた。この家は長老の家ではあるが俺の家でもあるし、俺がこの家の中でどこに行こうが自由。自由なはずなのだが、俺はいま、微妙に開いている戸口の前の廊下を通過することができないでいた。蔵の中にいるのが、祖父である長老のシンと、客人である【氷撃のカイ・フィリード】であるということにはすぐに気付いた。どうにも俺は、このふたりを無視して蔵を通り過ぎることも、逆に話に割って入ることもできず、図らずも立ち聞きという不名誉な行動を続けている。


 どうしようかと逡巡しているうちに、祖父とカイの話は終了していた。戸口の方に近づいてくる気配がして驚いたのだが、咄嗟に隠れる場所もない。正面から、俺はふたりと顔を合わせてしまった。あわや衝突しそうになったカイは軽く目を見張り、後ろから来た祖父は怪訝な顔をしている。


「わあ、びっくりした」

「なんだ、どうしたのだラージ」


 知らないうちに息を殺し、気配まで消してしまっていたようだった。カイも俺の気配に気づかなかったのか、少し嬉しい――と、喜んでいる場合ではない。


「す、すまない。声が聞こえたから、つい……」


 やれやれと祖父は溜息をついたが、お咎めは飛んでこなかった。いつも粗相をするとこっぴどく叱られるのだが、客人の手前、説教は免除してくれたらしい。祖父はひとつカイに頭を下げて、廊下の向こうへと歩いて行った。

 残された俺は、ランプを持っていないカイの左手を見やった。そこには古い一冊の書物が握られている。


「蔵の中で何を?」

「魔術書をね、譲ってもらったんだ」

「ああ、あの兎の……」


 チェリンと言ったか。地属性魔術を使って象をひっくり返した時には驚いた。兎なんて小柄で力も弱いと決めつけていたけれど、あの姿を見て認識を改めざるを得なかった。魔術もさることながら、身の軽さはずば抜けていた。あの素早さで敵を攪乱していた様を、俺はしっかりと見た。


「この先は砂漠で、当分魔術書を売っているような街はなさそうだからね。どうしようかと思って駄目もとで長老に頼んでみたら、ここに連れてきてくれて」

「昔は、魔術を使える化身族も大勢いたらしいからな。その時の魔術書が、ここには大量に残っているんだ」


 いつかまた魔術を扱う素質のある者が生まれるだろう。そう期待して、何代も何代も魔術書を貯蔵してきた。たまに蔵の整理をして、その魔術書の多さに俺は驚いたものだ。昔はこんなにもさまざまな魔術を扱う者がいた。なのに今は誰も使えず、俺もまたそのうちの一人であることが悔しくて、魔術書には苦い思いしかない。嫉妬しても仕方がないのは分かっているけれど、化身族全員が魔術を使える神姫の一行は、正直羨ましい。


 そんなことはともかくだ。もう日付をまたいで一時間ほどが経っている。俺は数時間前に、カイが仲間たちと今後について話し合っているのを見た。そのあと、中途半端になっていた夕食の残りを一緒にたいらげた。更にそのあと、女戦士シャ=ハラと地図を囲んで進路を確認していた。そして「早めに休もう」と言ってそれぞれ寝室に引き取った姿も見た。

 にもかかわらず、カイは寝室ではなくて蔵にいて、魔術書を調達していた。仲間たちはとっくにもう眠っているだろう。……断っておくが、俺は別にカイの動向を観察していたわけではない。行く先々でカイの姿を見たのだ。そこそこ広いといっても一軒家の中なのだから、何度も顔を合わせることになったのは当然だ。

 微塵の疲れも滲んでいないカイの横顔を見て、俺はつい尋ねた。


「休まなくていいのか?」

「君だって休んでいないじゃない」

「俺は夜型なんだ。……そうじゃなくて、明日も早いんだろうに」

「明日も早いからこそ、今日できることは今日中にやっちゃわないとね……って、もう日付変わってるか」


 行く方向が同じなので、なんとなく俺とカイは連れだって歩いた。魔術書を小脇に抱えたカイが、今度は先に口を開いた。


「色々巻き込んで悪かったね。協力してくれてありがとう」

「俺はたいしたことをしていない。こう言っては不謹慎だろうが、俺は少し嬉しかった。今日一晩で、学ぶことが多かったんだ」


 本心だ。同じ獣族のカイやチェリンの戦い方は参考になったし、【黒翼王】の巧みな援護を見ることもできた。アスール王子やシャ=ハラが一緒になって戦ってくれたことも、神姫イリーネとクレイザが必死で負傷者の手当てをしてくれたことも――すべてが驚きだった。頭では分かっていたはずの「すべての人間が嫌な奴ではない」ということも、カイと【黒翼王】にこっぴどく批判され、実際に神姫たちの姿を見て、ようやくきちんと理解することができた気がする。


「……巻き込まれついでに、もうひとつ頼まれてくれる?」

「なんだ?」

「あの象の双子のこと。あの子たちに戦う意志はもうない。悪さはしないだろうけど、放り出すには不安が残る。あのふたりの身柄を預かってくれないかな」


 それがカイの意志なのか、神姫イリーネの意志なのかは分からない。どちらの意志にせよ、彼らはそういう人柄だということを、俺は既に知っている。つい数時間前まで殺し合っていたというのに、助命して、なおかつその行く末まで案じる。カイもイリーネも、そういうヒトだ。


「任せろ。他の仲間たちはそう簡単に納得しないだろうが、それでもなんとかしてみせる」

「……君、本当にお人好しだね。頼まれたからって、ほいほい引き受けちゃって。実は冗談通じないタイプでしょ」

「なッ!? 冗談だったのか……!?」

「完璧に冗談通じないね」


 やっとカイの真意に気付いて、俺はわざとらしく咳ばらいをした。顔が赤くなっている気もするが、きっと気のせいだ。


「お、お人好しはあんたたちの方だろう」

「そうかな」

「そうだ。だって、敵に育てられたような娘たちを……」


 カイたちにとっての敵は、【獅子帝フロンツェ】。詳しくは聞いていないけれど、その名が何度もカイたちの口から飛び出ていた。神姫やサレイユ王子が、【氷撃】や【黒翼王】の護衛のもと旅をしているというだけで只事ではないとは思っていたけれど、そんな大物を相手にしていたというのは想定外だった。

 そんな相手に、この少人数でかかろうというのも、俺からすれば正気の沙汰ではないのだが――。


「……旅の目的を、聞いてもいいか?」


 聞いてはいけないことなのではないかと、なんとなく避けていた問いだ。祖父も詳しくは聞いていなかったようだし、カイたちはチャンバを通過するだけなのだ。深く立ち入るものではないと思っていたけれど、どうしても気になる。敵が【獅子帝】だというのなら、尚更。

 するとカイはあっさりと答えた。


「友人を助けに行くんだよ」

「友人?」

「そう。【獅子帝】やその一派の連中に捕まって、身動きの取れない友人がいるんだ。だから助けに行く」

「その友人も、やっぱり人間か」


 言ってから、「またやってしまった」と俺は内心で舌打ちをした。人間がどうとか化身族がどうとか、そんなことを気にするまい、カイたちの前では口にすまいと決めていたのに。俺の中にある種差の意識は、結構根強いのかもしれない。

 眉をしかめるかと思ったカイは、意外にも苦笑を浮かべた。俺の物言いが相変わらずだから、呆れたのだろうか。


「……俺もね、前はそうだったよ。人間は嫌いじゃなかったけど、化身族みたいに戦うことはできない、弱い種族だと思っていた。昔は化身族が奴隷にされることも多かったから……人間は卑怯だ、化身族の力を借りなきゃまともに戦うこともできないんだ、ってね」

「なんか、意外だな。あんたがそんな風だったなんて、想像つかない」


 今はこんなにも、人間と化身族を平等に見るこの男が。カイのいう「昔」がどれだけ前のことかは分からないけれど、そんな時代もあったのか。


「けど、俺が出会った人間は強かった。気に入らないことも悔しいこともたくさんあったのに、歯を食いしばって生きていたんだ。俺にはできない。俺は、すぐ戦いでどうにかしようと思っちゃうから。俺に我慢できないことを、十歳かそこらの子どもたちが我慢している。……それを見た時、人間は強いんだって思ったんだ」

「……」

「その友人はね、人間も化身族も等しく『ヒト』と呼んでいた。両種族の平和と繁栄を願って、一方による偏見も隷属も許さなかった。……本当に、大した子だったよ。あの子の理想が実現するのを、俺は楽しみにしていたんだ。そんな子が捕まって、下手をしたら殺されるかもしれないのは……見過ごせないでしょ」

「……すごいな」


 俺の呟きに、カイは頷いた。けれど、きっとカイは俺の言葉の表面的な部分しか理解していないだろう。その友人とやらもすごいと思ったが、俺は、そんな風な出会いをして、考え方や生き方を定めたカイもまた、すごいと思ったのだ。最初は俺と同じように、化身族と人間族の種差を気にしていた者が、ある人間との出会いで考えをがらりと変えた。そんな簡単に、認識や考え方は覆せないだろうに。カイはひとつのことに執着しない、柔軟な思考の持ち主なのだ。

 初めて顔を合わせた時、人間との関わりがなかった俺を、カイは「つまらない」と言った。あの時は馬鹿にされた気がしたが、なるほど、つまらないわけだ。この狭い街に閉じこもって、同族の仲間の中でぬくぬくしているだけでは、きっと何も変わらない。


「俺も、作れるかな。人間の友人」


 思わず考えていたことが口に出る。するとカイは笑う。


「もうできたんじゃないの?」

「え?」

「イリーネとアスールとクレイザ。シャ=ハラも。みんないい子たちだったでしょ」

「そ、それは……うん。けど、あっちが俺のことをそんな風には思わないんじゃないか。初対面の印象、最悪だっただろ」

「そんなこといちいち気にしてないって。君が人間のことを理解しようとしたり、助けてくれたりしたことは、ちゃんと伝わってるよ」


 確かに、彼らから敵意めいたものを感じたことは一度もない。そうだ、あんな風に追い払おうとしたあの時だって、警戒していたのはカイや【黒翼王】ら化身族のほうで、人間たちのほうは困ったような、悲しそうな顔をしていた。それでも神姫はなんの屈託もなく俺に笑いかけてくれたし、クレイザという男も仲間の治療を手伝ってくれた。アスールとシャ=ハラも、この先の地理や状況について俺の意見を求めてきた。

 世の中、そんなにいい人間ばかりじゃないだろう。神姫たちが偏見を持っていないのが、むしろ特別なはずだ。それでも――こんな奴らと親しくなれるのなら、それもいい。


「君は……歳はいくつ?」

「……二十二だ」

「あらまあ、チェリーより年下か」


 なんとなくそんな予感はしていたので、若くて経験が浅いことをいまさら嘆くこともない。チェリンのほうが戦闘経験が豊富で強いのは、もう分かっている。


「俺は五十年生きてる。俺がイリーネたちに出会ったのは、多分三十五歳くらいのとき。君はその時の俺より十歳以上若くて、『人間も案外悪くない』ってことを知ったんだ。君の人生は、まだまだこの先長いでしょ。その気があれば、俺よりたくさんの友達ができると思うよ」

「そうか……うん、そうだな」


 カイのようになりたい。腕っぷしの面も、精神的な面も、カイと肩を並べられるような強い化身族に。

 今まで俺が憧れてきたのは、圧倒的な強さだった。向かってくる奴を残らず薙ぎ倒し、敗北を知らないほどに強い男になるのが夢だった。大体の化身族はそう思うだろうし、俺もそれこそが理想だと信じて疑わなかった。

 カイは、そんな理想とはだいぶ違うけれど――この男のようになれたら。化身族の仲間を信頼し、人間の仲間に優しい。友人のために必死になって、大切な者を守り抜く。勿論、腕っぷしも文句なしに強い。この男の姿こそ、俺が追い求めなければならない強さなのだ。普段どこかぼんやりしていようが、抜けていようが、言動が一貫しているから信頼される。信頼されれば、それに応えることができる。そこに化身族も人間族も関係ない。ひとつの目標に向かって、みんなで協力できる――。


 それはどんなに、誇らしいことだろう。


「……俺、あんたたちに出会えて良かった。感謝している」

「なに、急に。えらく素直でちょっと怖いよ」

「うるさい。いいだろ、最後くらい」


 本当は旅について行って、彼らの戦う姿を見てみたかったが、そんな迷惑なことを言えるはずもない。せめてこの男が口にした言葉を忘れないようにして、俺はこのチャンバを守っていこう。いつか人間とも積極的に交流を持って、チャンバの仲間たちの誤解を解けるように導いてやりたい。カイが、俺を諭してくれたように。

 カイを目標にするなんてことを、本人には絶対に言わない。変な目で見られそうだし、俺も恥ずかしすぎる。いつか、俺が納得できるくらいの強さを手に入れたら……その時は、胸を張って言うのだ。俺は【氷撃のカイ・フィリード】に出会って、人生がまるきり変わったのだと。

 それまで、この思いは胸に秘めておこうと、俺は誓った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ