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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
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◇乾いた風の吹く先は(7)

 青い目の少女は姉でシャルマ、赤い目の少女は妹でカリナといった。

 ふたりは幼いころから母と三人でケクラコクマ中を旅して暮らしていたそうだが、あるとき母親がハンターに狩られて徴兵されてしまった。シャルマとカリナは母を助けようと何度も試みたし、母のほうも脱走を企てていた。しかし契約具を奪われた化身族は、命を握られているようなもの。反抗的な態度を取り続けた彼女は拷問の末、殺されたのだという。


「そのことを人づてで知って、復讐してやろうと思ったの。でも誰を恨んだらいいのか分からなかったし、それ以前に、私たちはふたりだけじゃまともに生きていくこともできなかった」


 シャルマがそう呟くと、隣のカリナは俯く。五、六歳の少女が、ふたりで路頭に放り出された。化身族であることを隠しながら生きることなど、彼女たちにはまだできなかったはずだ。


「でもね、あのヒトが助けてくれたの。お腹が空いていた私たちに食べ物をくれて、一緒にあちこち連れて行ってもらえたの」

「『あのヒト』っていうのが……【獅子帝フロンツェ】?」


 イリーネが問うと、今度はカリナが答えた。彼女は姉に比べると少々口下手なようだ。


「名前は教えてくれなかった。いつもあたしとシャルマは、『お兄さん』って呼んでた。おじさんって呼ぶと怒ったから」


 ニキータは苦い表情でそれを聞いていたが、がしがしと黒髪を掻き回して口を開く。


「……色々と聞きたいことはあるが、とにかくお前らはその兄ちゃんと一緒に暮らしていたわけだな?」

「うん」

「今はどうなんだ?」

「三年くらい前に、仕事ができたって言っていなくなっちゃったの。でも、時々様子を見に帰ってきてくれてたよ」

「……いつも、お土産くれた」

「そう! 美味しいお菓子とか、綺麗な飾りとか、色々くれたの」


 イリーネたちはみな顔を見合わせる。イリーネが知っている【獅子帝】は、美しいけれどもどこか作り物めいていて、無表情で戦いを挑んでくる恐ろしい男だった。一言も喋らず、目的も分からないことがなおさら、彼を不気味にしていた。

 それなのに、いきなり「おじさんと呼ぶと怒る」とか「お土産をくれた」とか子煩悩全開の話題を聞かされると、本当に同一人物なのかと疑問だ。


 そこでシャ=ハラが身を乗り出した。


「六年前、前王を殺したのは? それはその男の指示か?」

「違うよ! お兄さんは悪くないの。私とカリナで、勝手にやったんだもん」

「……国王の居場所を教えてくれたのはお兄さんだけど」

「そ……そうだったけど、でもお兄さんは無関係だったよ」


 少女たちの答えを聞いて何か考え込み始めたシャ=ハラに、イリーネがそっと声をかける。


「あの、ハラさん……この子たちのこと」

「分かっています、いますぐに彼女たちをどうこうするつもりはありません。それに、前王は私にとっても我が女王にとっても倒すべき敵でした。咎める気はさらさら」


 王家というものを持たないケクラコクマらしい考え方だ。シャ=ハラにとっての王はイル=ジナただひとりで、彼女が王位を退くときはシャ=ハラや他の臣下も共に宮廷を去る。そういうものなのだ。最強の名を持つ国王が他人に敗れれば、もはやその国王に王の資格はないのである。


「国王や政府高官殺しは君たちの意志だけど、今回チャンバを襲ったのは君たちの意志じゃないよね?」


 この問いはカイだ。シャルマが頷く。


「お兄さんが、久しぶりにこの間帰ってきて。なんだか様子が違ったの。いきなり私たちの契約具を取りあげて、ハンターたちと一緒にチャンバを攻撃してくれって」

「お兄さん、怖かった。あたしたちが勝手をするのは見ないふりをしていたけど、それまでお兄さんはあたしたちに戦えなんて一度も言わなかった」

「うん。でも、事情があるんだと思って……お兄さんの頼みごとを断れなかったの」


 軽く腕を組んでいたアスールが顔をあげる。だいぶ落ち着いたのか、顔色も良くなっていた。


「三年前といえば、神国王とエレノア様が弑された頃……いつからメイナードが【獅子帝】を従えていたのかは分からぬが、その頃には確実に【獅子帝】はメイナードの傍にいた。それを考えれば、同一人物だと考えられなくもないな」

「で、それ以前にはケクラコクマで子育て? 全然想像がつかないんだけど」

「それはそうだが、私たちは【獅子帝】について何も知らないからな。そういう一面もあったのかもしれない」


 アスールのもっともな指摘に、カイも唸る。クレイザも口を挟んだ。


「『仕事』というのがメイナード王子に協力することだったとすれば、チャンバを攻めるよう指示したのもメイナード王子の意図が働いていたんだろうね」

「それは確実だろうな。奴らは俺たちを探していた。俺たちがここにいるのを知っているのは、あの女王やサレイユの連中を除けば、メイナードくらいしかいねぇだろ。……だが、だとしたらなぜ【獅子帝】本人が出てこなかったんだろうな」


 ニキータが出した新たな問いに、答えられる者はいない。何かそうできない理由があったのか、それともこれも目的の一部なのか。目的とは何か。メイナードと【獅子帝】は何をしようとしているのか。そもそもふたりは、本当に契約関係にあるのか。

 ハンターは、依頼は政府から出されたと言っていた。しかし双子の少女は謎の『お兄さん』からだと。彼が政府の役人を騙ったのか、それとも別人か。分からないことだらけだ。


「……動揺させようとしているのではないでしょうか」


 シャ=ハラが発した言葉に、みなが一斉に彼女を振り返る。


「意図を探ろうと足を止めているこの状況をこそ、敵の目的なのかもしれません。考え込んでいては、相手方に時間を与えるだけです」

「そうだね、確かにそうだ。目的なんて直接本人から聞けばいい。後手なのは悔しいけど、仕方ないね」


 カイが真っ先に賛同して肩をすくめた。――しかし、そうと分かっていても相手の狙いが見えないのは恐ろしい。不安でたまらない。今回はカイたちの尽力で被害を最小限に食い止められたが、この先はどうだろう。またオーギュストが暗殺されたように、誰かが死んでしまうかもしれない。そうなったら――。


 目を閉じたイリーネの服の裾を、後ろからカリナが引っ張った。驚いて振り返ると、彼女はじっとイリーネを見上げて問いかけた。


「……お姉ちゃんたちは、お兄さんの敵なの?」

「カリナ……」


 イリーネが思わず言葉に詰まると、ニキータがあっさりと首肯した。


「俺らが思っている男と、お前らの言う『お兄さん』が同一人物なら、奴は俺たちの敵だ」

「ニキータさん……!」

「言葉を飾っても仕方ねぇだろ。奴はイリーネの親を殺し、兄貴を幽閉している男の手下。アスールの父親を殺して、世界中を引っ掻き回している張本人だ。どんな理由があろうと、やったことは変わらないんだ」


 ニキータの眼差しは厳しい。彼は仲間想いで、とても人情深い。だから味方を大切にし、味方を傷つける者は許さない。ゆえに――。


「あいつらのせいで何人も死んだ。リーゼロッテの内情を探っていたイーヴァンの諜報員も、ファルシェに忠義を尽くして死んでいった。これ以上犠牲を増やしちゃいけねぇんだよ」


 倒すと決めた相手を倒すことに、躊躇うことはない。


「私たち、きっとお姉ちゃんたちのこと好きになれるよ。でもね、お兄さんも好きだよ。優しくしてくれたし、いっぱい守ってくれたの。だから……」


 シャルマが言いかけてやめる。イリーネたちにとって【獅子帝】は憎い相手だが、彼女たちにとってはそうではない。命の恩人で、育ての親で、優しい『お兄さん』なのだ。

 けれど同時に、この少女たちは知っている。肉親を奪われた悲しみと、向ける場所のない憎しみの心を。だから彼女たちは、【獅子帝】と敵対しているイリーネたちを制止する言葉を持たないのだ。シャルマとカリナ自身が、かつて親の仇として憎い相手を殺してきたのだから。


 イリーネは二人に向き直り、彼女たちの肩に手を添える。


「気持ちに蓋をしなくても良いのです。貴方たちがその方と過ごした時間を信じてください。それは決して嘘ではないし、間違いなどでもありませんから」

「お姉ちゃん……」

「私は真実を知りたいし、事情があるなら聞きたいのです。だから彼らを止めに行きます。貴方たちのような子を守り育てたヒトなら、戦いの前に話し合う余地はありますよ」


 そう微笑むと、シャルマとカリナも安心したようだ。シャルマは肩に添えられているイリーネの手に触れて、力を込める。


「ありがとう、お姉ちゃん。私たち、お姉ちゃんもお兄さんも信じるよ。でも、お兄さんが悪いことをしていたら止めてね」

「はい。約束です」





 シャルマとカリナはそのまま休ませて、イリーネたちは別室に移動した。見張りの必要もなさそうだが、念のためにとラージが部屋の前で番をしているようだ。


 少女たちにかけた言葉は、甘かっただろうか。自分の言葉を顧みて、イリーネは思う。直前のニキータの言葉を否定するようなことを言って、気を悪くはしなかっただろうか。少し離れた場所でクレイザと会話している【黒翼王】の横顔からは、表情がなんとも読み取れない。イリーネがどんな理想を並べたところで、実際に戦ってくれるのは彼らなのだ。余計なことを言うなと咎められても、イリーネは文句を言えない。


「胸を張って、イリーネ。大丈夫だ」


 唐突に、カイがそう声をかけてきた。顔をあげると、カイはいつもと同じ淡々とした調子でそう諭している。熱がこもっているわけでも、突き放しているわけでもない、静かな声だ。


「あのおっさんが何を言おうと、構うことはないよ。イリーネは思ったことややりたいことを言っていいんだ。俺はそれを尊重する」

「……とかひとりで格好いいこと言ってるけど、あたしだってそうなんだからね、イリーネ」

「うむ、私もだ。遠慮はいらんよ」


 カイを押しのける形で、チェリンとアスールが身を乗り出してくる。押しのけられたカイが憮然として口を尖らせた。

 聞こえていたのだろう、ニキータが豪快に笑っている。気を悪くしているような様子は――ない。


「おいおい、俺を薄情者みたいに言うなよ。こういう考えもあるって口に出しただけだぜ」

「でもね、イリーネさん。【獅子帝】が彼女たちを育てたのは、親切心などではなくて、こうして戦いの捨て駒にするためだったという可能性もありますよ? だとすれば、彼女たちの言葉を安易に信じるのは危険だと思いませんか」


 クレイザがそう問いかけてくる。イリーネに反対しているというより、試すような視線。クレイザは時々こういう目をして、物を言う。――最近はなんとなく分かるのだ。ニキータとクレイザは、自ら汚れ役を買って出ている。見ないようにしていた嫌なことや、考えないようにしていた別の可能性を、あえてふたりは口に出す。危機感を煽ってくる。その言葉は、カイやアスールと真っ向から衝突しているようにも見えてしまうだろう。けれど、きっとそれはイリーネたちのためを思っての言葉なのだ。


「分かっています。現実を見ずに理想を語るな……ですよね」


 そう口に出すと、にっこりとクレイザは微笑む。


「【獅子帝】がシャルマとカリナを助けたことに、打算はなかったんじゃないかと私は思うんです。クレイザさんの言うように、捨て駒にするつもりだったのなら――任務に失敗した彼女たちの契約具を、わざわざ置いて行ったりはしないんじゃないでしょうか」


 冷徹なヒトなら、その場で契約具を砕いて行くはずだ。半ば脅すような形で戦いを命じておきながら、失敗した彼女らの契約具を置いていく。そんな矛盾した行動を、【獅子帝】はとった。

 その行動の理由は何か。……彼女たちを、自由にしてやるためだろうか。


「きっと優しい一面もあるんです。だってあの子たちは、暖かい心を持っていました。それを育んだのが【獅子帝】なら、声が届くと信じます」

「それでも、届かなかったら?」

「……その時は、ニキータさんが最善だと思う道を選んでください。私もそれを、最善だと思います」


 イリーネの答えに満足したのか、ニキータがふっと笑う。そして身体ごとイリーネに向き直った。


「イリーネ、あんたはやっぱりあのカーシェルの妹なんだな。最近それを実感するぜ。理想だけでは解決しないことがあるのを知っていながら、理想を捨てない。甘くなんかないさ、それが王者の器ってもんだろうよ」

「ニキータさん……」

「何事も適材適所だ、俺は俺にできることをやる。あんたはあんたにしかできないことをやればいい。そのために俺は戦うし、知恵ならクレイザが貸してくれるだろ」


 クレイザもまた頷いた。頼もしい彼らの様子に思わず涙ぐみそうになって、イリーネはなんとか視界が滲むのを耐えた。泣くわけにはいかない。もう、守られるだけではいけないのだ。リーゼロッテへの旅を続けると言ったのは自分で、カイたちは賛同してついてきてくれた。彼らのためにも、立ち止まる暇はない。歩きながらでも考えられるだろう。

 いまは、とにかく先を急ごう。


「アスール、具合はどうです?」


 イリーネが視線を向けると、青髪の貴公子は微笑む。


「今はまだ少し、疲れがあるが……一晩休めば大丈夫だろう」


 アスールは虚勢を張らなかった。正直に、自分の体調を客観的に分析している。……アスールがそう言うなら、大丈夫だ。彼は自分の体調をよく知っているし、五体満足であることがどれだけ大切かも知っている。彼は戦士なのだから。


「……では、予定通り明日には発ちましょう。巻き込んでしまったチャンバの皆さんには申し訳ないけれど……」

「大丈夫です。国内における全責任はイル=ジナにあります。あとのことは、女王にお任せを」


 シャ=ハラの言葉に、イリーネは頷いた。

 多くのヒトが、イリーネらの旅路を支援してくれている。彼らに早く報いるためにも、やるべきことに専念しよう。神都へ行き、カーシェルを救い出すのが最優先だ。

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