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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
128/202

◇乾いた風の吹く先は(6)

 チャンバの集会場には続々と怪我人が運び込まれてきて、さながら野戦病院のようになっていた。クレイザと共にそこまで避難してきたイリーネは、長老のシンに自らの正体を明かして詫びた後、負傷者の治療を願い出た。拒絶されるのではないかと思うと怖くて仕方なかったけれど、シンはやはりどこまでも潔白で偏見のないヒトだった。逆に彼の方から、治療を頼んできてくれたのだ。

 最初こそ、人間であるイリーネが魔術を行使していることを訝しげに見ていたチャンバの住人たちだったが、必死に治療をするイリーネと手伝いをするクレイザの姿を見て考えが変わったらしい。誰も何も言わずに、一緒になって負傷者の手当てを行ってくれた。そのおかげで、大半の負傷者が死を免れることができたのだ。


 自分は変わってきたのだと、イリーネは実感する。幼いころは、カーシェルやエレノアから治癒術の行使を避けるよう言われていた。成長してその言葉の意味を理解して、今度は自分の意志で、魔術を禁じることを己に課した。そうしなければ自分が混血種(まざりもの)だとばれて、カーシェルやエレノア――ひいては、リーゼロッテ王家に迷惑がかかると思ったから。今は優しく接してくれるヒトたちが、真実を知って態度を変えてしまうかもしれない、そのことをイリーネは何より恐れていた。

 けれどカーシェルは、イリーネの優しい治癒術を失いたくないと言ってくれた。カイは、イリーネの幸せを願ってくれた。チェリンは、それをもっと誇っていいと言ってくれた。アスールは、人間と化身族の架け橋になれるのだと――そう、考えていてくれていた。そんな風に思ってくれるヒトがいるから、イリーネはもう治癒術を使うことを躊躇いはしない。救える命は迷わず救うのだと、胸を張って言えるようになったのだ。


『象が出た』という報告があって肝が冷えたが、僅かな時間でそれは撃破されたらしい。おそらくカイたちが動いたのだろう、とイリーネは確信に近いものを抱いている。努めてイリーネは平常心を保つ。エルネスティ平原での戦いでは、イリーネの心の動揺がカイの不調に繋がったのだと、後になって気が付いた。カイが戦っているときは、絶対にイリーネは自分を見失ってはならない。そう誓って、イリーネは黙々と負傷者の手当てを続ける。


「――おい」


 急に背後から呼び掛けられて、イリーネは驚いて振り返る。そこにいたのは、シンの孫――ラージという名を、あとで知る――の若者だった。どういうわけか、幼い女の子を腕に抱えている。


「この娘の傷を、治してやってくれないか。応急手当では少し心許ない」


 見れば、少女の首には包帯が巻きつけられている。何重にも巻かれているが、それでも血が滲むほどだ。一目見ただけで重傷なのは分かる。わざわざラージが治療の順番に割り込んでまで頼んできたことに納得の怪我だ。


「そこに寝かせてもらえますか」


 地面に敷かれた毛布を指差すと、ラージはその言葉に従って少女を下ろした。首の包帯を取ると、深い傷が露わになる。鋭い刃物で貫かれたような痕だ。

 その傷に触れて癒していると、ぽつりとラージが口を開いた。


「……いいのか?」

「何がです?」

「俺たちは、あんたに良い感情を持っていない。そのうえ、あっさり混血種(まざりもの)であるとか神姫であるとかをばらして……どうして身を削ってまで俺たちを助けようとする? 感謝もされないかもしれないのに」

「でも、貴方は私を庇ってくださいました。私のことを、客人だと言ってくれたではありませんか」


 イリーネが答えると、ラージは言葉に詰まった。少女の首筋に残る生々しい血を拭い取ってやりながら、イリーネは穏やかに微笑む。


「私がここにいて、チャンバが危険に晒されたのは事実ですし……私はリーゼロッテの者ですから、疎ましく思われて当然です。私が負傷者の手当てを手伝っているのは、自分のためです。ヒトが傷つき、死んでいくのを見たくない。それが誰であっても。だから、感謝なんてしなくていいんですよ」


 ただの自己満足なのだから。そう告げると、ラージは初めて少し笑ったように見えた。


「そっくり同じことを言うんだな、あんたたちは」

「え?」

「その娘、この街を襲ったハンターの【エレファント()】だ。カイが倒して、治療しろと俺に言って来た」


 そう言われてぎょっとする。この小さな女の子が、象に化身するというのか? 先程から「象に吹き飛ばされた」と担ぎ込まれてくる負傷者が多かっただけに、複雑な気分だ。

 首の傷――これは、カイの氷の槍によるものだったのか。カイともあろう者が、首を狙わねばならないほど追い込まれた。見た目が幼いからと、侮ってはいけないだろう。


「やっぱり何か共通するものがあるんだろうな。化身族と契約主の間には」

「……はい。カイは、とても優しいから」


 ヒトを殺すのに躊躇いはないと言っていた、出会った当初のカイの言葉も嘘ではないだろう。長い孤独な戦いの日々の中では、そうでもしなければ生きて行けなかったのだ。その道を選んだのもカイだが、ひとたび孤独を捨てれば、彼の本質が見えてくる。ヒトが好きで、情に篤いカイの本当の性格が。


「感謝しないはずがない。ありがとう、神姫。あんたたちはチャンバの仲間の命を救ってくれた、大恩人だ」


 ラージはそう言って、深々とイリーネに頭を下げた。そんな彼の姿に狼狽している様子のイリーネを、少し離れた場所でクレイザが微笑ましく見守っていた。ラージがイリーネの求めに応じて顔を上げたのを見計らって、クレイザが傍に歩み寄る。


「イリーネさん、カイさんたちが戻ってきましたよ。戦いは終わったようです」


 その言葉通り、集会場の入り口にカイやアスールの姿が見えた。手を振るクレイザを見つけて、彼らはこちらにやってくる。イリーネもぱっと立ち上がった。


「お帰りなさい!」


 そう笑みを向けたのだが、その笑顔は一瞬で凍りついた。アスールがずぶ濡れの血まみれだったのだ。足には銃創が見られ、カイに肩を借りてひょこひょこと歩いている。あやうく悲鳴を上げるところだったのを自制して、イリーネはアスールの元へ駆け寄る。


「酷い怪我……!」

「ああ、すまない、イリーネ。見た目ほど酷くはないのだ。だからそう青くならずに……」


 アスールがひらひらと手を振るのだが、それを信じられる状況でもなく。


「僕、タオルと包帯をもらってきます」

「身体を冷やしてはいけない、火を持ってくる」


 ばたばたとクレイザとラージが駆け出していき、アスールは降参するように肩をすくめたのだった。


 アスールの傷の手当をしながら、イリーネは戦いの顛末を聞いた。今しがたラージが連れてきた少女と、ニキータが小脇に抱えていた少女が、双子の象の化身族なのだという。彼女たちが倒されたのを見て他のハンターたちは引き上げて行ったというから、おそらくあの襲撃はこの双子を先頭に押し立ててのことだったのだろう。彼女たちなら、誰から依頼を受けたかを知っているはずだ。ケクラコクマ政府を騙り、イリーネたちを探そうとした者のことを。そういうわけで、双子が目覚め次第尋問をしたいということで、ここまで連れてきたようだ。

 カイがアスールを囮にしたというとんでもない話もあったが、溜息一つでイリーネは何も言わなかった。カイはそれを最善だと思ったのだろうし、アスールも共感したから引き受けたのだ。戦えないイリーネに、彼らの戦いについてとやかく言えるはずもない。過ぎる無茶を、たしなめる程度だ。


 チェリンが魔術を使えるようになったという知らせには、イリーネやクレイザも驚いた。昨日まで使えなかった者が、今日になって魔術を使えるようになる。そんなことが実際にあるものなのかと、少々信じられない思いだ。ただ、チェリンは魔術の基礎も習得していないため、当面は使用禁止だとカイに念を押されていた。





「……それにしても、こんな幼子二人に四〇〇〇万もの賞金がかかっているとはな。末恐ろしいもんだ」


 頭の後ろで手を組んで、ニキータがそう呟く。その言葉で、みなの視線は毛布の上に並んで横たわるふたりの少女に向けられた。どちらも命に別条はないが、いまだ目を覚まさない。


 いかに少女といっても、彼女たちは敵の主戦力で賞金首だ。目を覚ました瞬間に戦意を剥きだしにする可能性もあるため、多くの負傷者が集まる集会場で彼女たちの目覚めを待つわけにもいかない。そういうわけでイリーネたちは、あてがわれた屋敷まで戻ってきた。勿論、一応の捕虜である象のふたりも一緒にだ。

 さすがのアスールも今日の戦いは堪えたのだろう、壁に寄りかかって座って姿勢を崩している。それでもうとうとと船を漕いだりしないのはさすがだった。チェリンは初めて魔術を使って疲れたようで、どこか眠そうだ。


「末恐ろしいどころじゃないよ。一体何をしたら、この年で特級手配者になったりするの? 一国を滅ぼしたとか、政府高官を大量虐殺したとか、そういうレベルだよ」


 カイが珍しく難しい――というより、気味悪そうな表情でそう尋ねる。化身族は、かけられた賞金額によって階級分けがされている。賞金額が百万ギルより上ならば二級、一千万ギルより上ならば一級、といった具合だ。賞金ランキング上位二十位までの者は、そこからさらに『特級』と呼ばれる。なのでカイやニキータは特級、賞金二六〇万ギルの【大鷹】エルケなどは二級手配者だ。

 カイはリーゼロッテの姫君誘拐の罪と、その後十五年に渡るハンターとの戦いの中で、賞金額を五位にまで押し上げた。ニキータは百五十年間ヘルカイヤ公国の忠臣として戦い、リーゼロッテ神国軍に多大な損害を与えた。

 そうした国家レベルの損害に対して、狩人協会は化身族に高額の賞金をかけるのだ。たかだか十五歳程度の少女二人が、何をしたというのだろう。


「六年ほど前、前国王が視察先で暗殺されました。その犯人が、この【双子象】です。その後もたびたび、各地で破壊活動を繰り返していました。それも、政府絡みのヒトや建物だけを狙って」


 シャ=ハラがあっさりと説明してくれる。カイが瞬きを繰り返した。


「六年前……え? 六年前?」

「はい。【双子象】の化身前の姿は、詳しく分かっていなかったのですが……よもやこのような少女であるとは、私も思い至りませんでした。探しても見つからないわけです」


 改めて少女を見る。つまり彼女たちは、十歳にも満たない年齢の時に、国王殺しをやってのけたということか。

 国王が殺されれば、殺した者が新たな王となるのがこの国の慣習だ。だが犯人はその場から逃走してしまい、王の座は空いてしまった。そのためにケクラコクマ中の猛者が集結し、王になるための闘技大会を開き――そこで優勝したのが、イル=ジナだったということだ。


「殺されるような何かを、その国王はやっていたの?」


 チェリンが問うと、シャ=ハラは眉をしかめた。


「思い当ることは多々あります。前王はリーゼロッテに頻繁に戦いを仕掛けましたし、国内の化身族をかなり冷遇していました。象の化身族は多くが軍に徴兵されたので、その恨みがあったのではないかと考えていたのですが」


 覚えている。まだイリーネは幼かったが、そのころはケクラコクマとの戦争が激しい時代だった。ヘルカイヤとの対立に一区切りついたのを狙ったかのように、隙あれば国境のヴェスタリーテ河を越えてリーゼロッテに攻め込んできた。ちょうどその時、カーシェルは初陣を飾ったのだったか。


 すると、イリーネの背後で横になっていた双子の少女が、突如身体を起こした。はっとして振り返った瞬間、目の前に水の柱が立つ。双子の片割れの水魔術――。

 だが、水は一瞬で凍結した。それどころではない、凍結した水は先端を尖らせ、意志あるもののように術を放った当人である少女へと向かった。鋭い氷が少女の喉元に突きつけられ、少女は引きつったような声をあげる。


「カイ!」

「学習しないね。俺に水魔術は効かないって――」


 座ったままのカイの身体が、青白く発光している。強力な冷気だ。今の不意の攻撃に即座に反応できたのだから、おそらくカイは一瞬たりとも気を抜いていなかったのだろう。やや反応の遅れたアスールが、膝立ちになって剣の柄を握る。抜剣の構えだ。

 イリーネは慌てて、攻撃態勢の仲間たちを制した。


「待って、カイ。みんなも」

「でも」

「お願いします。この子たちは怯えているだけなんです」


 今にも氷の槍に喉を貫かれそうになりながら、ふたりの少女は身を寄せ合って震えている。ほんの幼い子どもではないか。これ以上怯えさせたら、聞きたいことも聞けない。

 カイは小さく肩を竦め、魔術の制御を解いた。それとともに、氷が一瞬で霧散する。少女ふたりは軽く目を見張って、イリーネを見つめている。イリーネはふたりの前まで移動して、笑みを浮かべた。


「驚かせてごめんなさい。私はイリーネといいます。傷はもう大丈夫ですか?」

「……お姉ちゃんが治してくれたの?」


 首にカイの攻撃を受けたほうの少女が、おずおずと問いかける。ふたりとも容姿はそっくりだが、瞳の色が違う。炎魔術を使うという彼女は赤い目をしていて、水魔術を使うもうひとりは青い目だ。


「はい」

「あたしを殺そうとした、あいつらはお姉ちゃんの仲間なのに?」


 真っ先に視線を送られたカイが、助けを求めるようにアスールとチェリンを振り返る。だがふたりもまた視線を遠くにやってしまったので、仕方なくカイは両手を軽く挙げた。


「ごめんね。咄嗟のときは、身体が勝手に動くように訓練しているから、つい」

「ふうん……」


 どうやらこの少女たちは、もう戦意がないようだった。カイたちに敵わないのは体験済みだし、待遇はどうあれ、捕虜になってしまったことにも気づいたのだろう。殊勝な態度だった。


「聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」


 イリーネが問うと、少女たちはまた視線をイリーネに戻す。


「チャンバを襲撃するというのは、協会に来た依頼だったんですよね。依頼人は誰なんです?」

「それは……」


 青い目の少女が答えかけたのだが、何かを思い出したように言葉をつぐんでしまう。待ってみても、ふたりは俯くばかりで何も言わなかった。イリーネがそっとふたりの顔を覗き込む。


「……話せませんか?」

「私たち、契約具がないの。失敗した上に、情報まで漏らしたら……」

「そいつは心配いらねぇよ」


 ずっと成り行きを見守っていたニキータが、言いながら傍に寄ってくる。イリーネの隣にしゃがみこんだ黒衣隻眼の大男は、懐から出したものを少女たちの目の前に置く。それは大きな装飾のついた首飾りだ。象牙がふたつ――このふたりの契約具だ。


「これ……!」

「さっき戦場で回収した。契約具を砕かれることはないってわけだ、安心して良いぜ」

「気が利くね、いつの間にそんなことしていたの?」


 クレイザが感心したように言うと、得意げなニキータは口角を釣り上げた。


「なに、一昔前はしょっちゅうやってたことだ。小競り合いが起こるたびに敵の契約具を奪ってな、捕虜にするなり脅して味方に引き込むなり、使い勝手が良かったんだ」

「……卑怯なことするなぁ」


 一瞬前の感心を台無しにされたクレイザが、呆れたように溜息をつく。とはいえ、それが戦争だったのだろう。契約具を持つ者には逆らえない化身族は、そうやって無力化するしかなかったのだ。


「と、そういうわけで、今度こそ話せるか?」

「うん……!」


 少女たちはぱっと笑みを見せた。それは年相応の、明るい笑顔。本当は戦いたくなどなかったのだろうと、イリーネは悟る。何者かに脅されて、彼女たちは戦いを重ねてきたのではないだろうか。


「依頼人は、あたしたちの契約具を持ってたヒト」

「いつも白い服を着た、金髪の化身族の男だよ」

「闇魔術を使ってるのを見たから、多分とっても強い」


 双子がそう明かす。いつも白い服を着た、金髪の化身族の男――そんな男は探せばどこかしらにいるだろうが、闇魔術を使う者となれば、思い当るのはひとりしかいない。


「まさか……【獅子帝フロンツェ】……!?」

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