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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
125/202

◆乾いた風の吹く先は(3)

 カイは幼いころから、「人間はろくな奴らではない」、「人間の住む街に近づいてはいけない」と教えられてきた。人間は自分たちを奴隷として扱って、強制的に労働させたのだと。里の誰に聞いてもそう口をそろえたし、そういうものかと納得していた時期が、確かにカイにもあった。しかし成長するにつれて、カイは徐々に疑問を抱くようになった。本当に人間のすべてが鬼のようなのか。そんなことを言ったら、ガキ大将として年少の者をこき使っているファビオと、何が違うのか――と。それに「行ってはいけない」と言われると行ってみたくなるのが心理というもので、あるときカイはこっそり集落を出て、ニムの街を見に行ったのだ。


 そこで見たのは、穏やかなヒトの暮らし。カイが聞いていたような、化身族を下に扱って威張り散らすような人間は、どこにもいない。街には少数ながら化身族も暮らしていて、両種族は共存していた。その相手が人間なのか化身族なのか、一瞬では判別できないほどに両者は馴染みきっていたのだ。持って生まれた身体能力を生かして仕事を手伝う化身族に、人間は笑顔で食事を振る舞う。壊れた小物やほつれた衣服の修理修繕を、化身族は人間に頼みに行く。公園では人間と化身族の子どもが混じって遊んでいて、その母親たちが種差を越えて子育ての話に花を咲かせる。

 驚いたのは、あれだけ里の者が口をそろえてやめろと言っていた人間との契約を、ごくごく自然に交わしている者が多かったということだ。ハンターの人間と、契りを交わした化身族――カイが見たどのハンターのペアも、互いを信頼しあっているという雰囲気が一目で感じられた。


 小規模なニムの街ですら、人間と化身族は仲良くやっているのだ。大きな街だったら、きっともっとたくさんそんな光景が見られる。

 ――羨ましい。なんのわだかまりもなく、同じ街に住む隣人として親しくしている人間と化身族たちが、カイの目には眩しかった。


 カイはその日から、フィリードの里で教えられることを鵜呑みにしなくなった。頻繁にニムの街へ下りて人間の生活を眺めるようになり、次第にそれとなく街に溶け込み、人間の書物を読むようにもなった。父や伯父に時々見つかって大目玉を食らったり、ファビオをはじめとする同年代の仲間には変人認定されたりしたが、そんなことは些細なことだった。毎日毎日、街で感じる小さな優しさ――カイの顔を覚えた人々が挨拶をしてくれたり、お菓子を分けてくれたり。そんな些細な優しさが、カイには新鮮で嬉しかった。人間は暖かくて優しい。彼らを敵視する里の仲間のほうが、よほど薄情な気がした。彼らは過去に自分たちを虐げた人間たちしか知らない。現在の人間を知ろうともしない。そのことに気付くと、カイは里での生活に嫌気を感じるようになった。


 そんな不満と不信感が爆発して、カイは二十歳でフィリードの里を出た。ニキータとの出会い、リーゼロッテの王城でイリーネたちと過ごし――今に至るというわけだ。



「……俺は最初から人間が嫌いじゃなかったし、人間と一緒に生活することに憧れていたんだと思う。ひとりでいるのは好きだったし、そんな簡単に契約するつもりはなかったけど、契約してもいいと思えるヒトと出会いたいとは思っていた」

「出会えたのか?」

「見ての通りで」


 その言葉を受けて、青年はまじまじとイリーネを凝視した。遠慮のない視線に晒されて、イリーネが困ったように視線を彷徨わせる。そんな彼女の右耳には、常に紫色の耳飾りが光っている。化身族が己の身体の一部で作ったものには魂が宿る――だから、それが契約具になるのだそうだ。カイがかつて自分の牙を削り出して作った、耳飾り型の契約具。これを託す相手を、カイはずっと探していたのだ。


 まるで恋人を変えるように、ころころと契約主を変える化身族もいるらしい。それはそれでありなのだろう、そうやって主人を変えていく中で、いつか相性のいい相手に巡り合って落ち着くかもしれない。だがそれはカイの考えには反していた。契約主は生涯にただひとり。常に共にあって、全力で守る。何らかの理由で主を失ったら――そのあとはもう、別の主など作らない。

 カイにとっての契約主は、イリーネただひとり。オスヴィンで再会して、『イリーネ』本人だと確信したときにはもう契約具を渡していた。十五年前の小さなお姫様がこんなにも成長した、しかし何やら記憶を失って大変なことになっているらしい――そう思ったら、勝手に身体が動いた。一度は自分から繋がりを断ったはずの彼女たちと、また共に過ごしたいと思ってしまった。カーシェルやアスールは元気だろうかと考えてしまったのだ。

 考え始めたらもう、懐かしさでいっぱいになってどうしようもなくなった。ずっと一緒にいたいとか、一緒にいて楽しいとか、カイはそんな気持ちをそれまで知らなかったのだ。けれどきっと、その気持ちは大切なものだから――カイは自分の気持ちに従って、イリーネを主と仰ぐことにした。契約主に忠実でありたいというのは、少なからずニキータの影響があるのだが――口が裂けても、カイはそんなことを認めはしない。


「……やっぱりよく分からない。契約して、化身族に何か得があるのか?」


 青年は難しい表情だ。別に分かってもらいたいとは思っていないのだが、青年は少しでも納得できる理由がほしいらしい。面倒臭い――が、これも何かの縁。立場の違う者の意見も、貴重だろうか。


 それに、その問いにはカイは答えを断言できる。だから一言、告げた。


「強くなれるよ」

「強く?」

「そう。色んな意味でね」


 守るべきものを持つヒトは、強いのだ。肉体的にも、精神的にも。カイも少なからず、イリーネから強さを分けてもらっている。彼女に自覚はないだろうけれど、カイには大きな存在だ。


「……まあ、だからさ。すべての人間が契約具を奪うわけじゃないんだよ。『契約』なんて大層なことを言っているけど、それはただ繋がりを目に見える形で証明するだけのものなんだ。そんなものがなくても、俺はみんなと一緒に行くって決めたんだし」


 契約しているからではなく、カイはカイの意志でここまで来たのだ。


「そんなものがなくても、人間と化身族は分かり合える」


 そしてきっと、これから先も。





★☆





 納得したのかどうかは知らないが、青年との会話はそこで打ち切りになった。夕食の準備ができたと、長のシンが呼びに来たからだ。


 さすが化身族の集落なのか、それとも野菜の育たない土地柄なのか――食卓に並んでいたのはほぼ肉のみだった。しかもやたらと香辛料が効いていて、舌が麻痺するほど辛い。これは一種の凶器だ。勿論シャ=ハラや、各地を旅していたアスールやクレイザ、ニキータは慣れていたようだが、カイたちは初体験の味。しかしせっかく用意してもらったのを食べないというのも申し訳なくて、イリーネもチェリンも水を飲みながらなんとか食べている。カイもまた汗だくになって、苦手な肉に齧りつくしかなく――皮肉なことに、強烈な香辛料が肉の臭みを消していて、食べることができた。

 それを見かねたのか、途中でこっそりとあの青年が小麦のパンを差し入れてくれた。それだけでなく、野菜を煮込んだスープまで大鍋で持って来てくれたのだ。これにはカイも驚くしかない。小麦は乾燥地帯でも育つが、野菜はそうもいかないのだ。


「いいの? 野菜なんて貴重でしょ」


 殺人的な辛さの料理ばかりだったので、野菜の旨みたっぷりの優しいスープは非常にありがたい。鍋を下ろした青年は、むっつりと呟く。


「俺が考えたんじゃない。母が、ここの料理は他国の者の口には合うまいと言って追加で作ったのを、持ってきただけだ」

「へえ……」


 照れ隠しで素っ気ないのがばればれだ。柄でもなくにやにや笑っていると、青年はかあっと顔を赤くした。


「か、勘違いするなよ! 俺は誇り高い虎族なんだ。客人をもてなすのは当然のことなんだからな」

「なんだお前、さっきは生意気な若造だと思ったが、ただのガキんちょじゃねぇか」


 正直に感想を述べたのはニキータである。ここらの酒は辛い料理と対照的に甘いものが多く、しかも度数が高い。ニキータはさっきからそれを飲んでいたが、まあ――酒豪の彼には大したものではないかもしれない。カイは恐れをなして酒には手を出していなかった。


「ガキんちょとはなんだ、ガキんちょとは!」

「怒鳴るなよ。褒めてるんだから」

「どこがだ!」


 ムキになって怒るところがガキっぽいのだと思う。ニキータが評価しているのは、諭されたことを素直に受け入れるとか、すぐに改めるとか、そういうところだ。大人になれば、それらは難しくなってくるもの。まだまだこの若者は素直で純粋だ。

 最初の印象が険悪だっただけに警戒していたイリーネやアスールも、彼の様子に安心したらしい。スープを受け取って、笑って礼を言っている。おそらく初めてだろう人間の女性の暖かな笑顔に、一瞬青年が硬直したような気がするが――見なかったことにしておこう。


(お、美味い)


 スープをすすって、ほっこりと息をつく。


 ――その時、カイの耳に異様な音が届いた。


「カイ? どうしました?」


 急に顔を上げたカイに、イリーネが問いかける。椀を置いて、カイは耳を澄ませる。


「何か聞こえる……遠くから、こちらに近づく音が」

「何も聞こえないぞ?」


 若者が首を捻ると、その頭をニキータがはたいた。


「阿呆、こいつの耳とお前の耳を比べるな。……で、どんな音だ、カイ坊。どっちの方角だ?」

「足音かな……重い音も軽い音もある……随分たくさん……北の方からだ」


 ニキータは勢いよく立ち上がり、家の北の窓を開けた。さっきまではうっすら明るかったが、今ではもう真っ暗だ。近所の家の灯りがぽつぽつとあるだけで、周辺は静まり返っていた。

 だが、近所のことは問題ではない。音は、街に向かって(・・・・・・)近付いてきているのだ。ニキータもそれは分かっている。


「もう夜だから見えないんじゃない?」


 クレイザが隣に立って、同じように窓の外を眺めた。ニキータは鳥目なのだ。しかし黒づくめの大男は、構わず窓枠に足をかける。


「まあ、一応だ。何か見えるかもしれんだろ」


 そう言い残して、化身したニキータは夜の闇の向こうへ飛び立って行った。

 見送る面々は、みな不安げだったり緊張していたり、それぞれの表情をしている。さっきまでの和やかな雰囲気が一瞬で消えてしまった。……それはなんだか、水を差したようで申し訳なかった気がする。


 茶を口に含んだアスールが、軽く腰を浮かせて座り直した。


「お前がわざわざ言うほどなのだ。余程の音がしたのだろうな」

「……そうだね。例えるなら、大勢のヒトの集団が全速力でこっちに向かってくるような音だよ。距離はあるけど、確実に近づいてきている」


 シャ=ハラは剣を手元に引き寄せ、イリーネとチェリンも窓の方向を気にしている。


 と、ニキータが戻ってきた。室内に入って化身を解いたニキータを見て、カイは驚いて立ち上がった。まだ偵察に出て、ほんの数十秒だ。


「早っ。何か見えたの?」

「ああ、見えたぜ。わざわざ探す必要もなかったくらいだ」

「というと?」

「大勢の人間と化身族がこっちに向かって来ている。ありゃハンターの集団だな。きっちり武装して、攻め込むつもりだろう」


 さらりと告げられた事実に、みな飛び上がった。特に動揺が酷かったのは長老の孫息子だ。


「ハンターの集団!? くそ、奴らまたか……!」

「頻繁にあることなのか」

「頻繁というわけではないが、時折ハンターが襲ってくるんだ。この街の化身族を狩って、従わせるために……そういう依頼が、国の方から狩人協会に出されていると聞いた」

「馬鹿な! そのような依頼を出したことはないぞ!」


 シャ=ハラが憤慨する。確かにあのイル=ジナ女王はそんなことをしないだろう。だが、彼女は穏健派だ。国の意志は必ずしもひとつとは限らないし、彼女のやり方がおもしろくない臣下は大勢いるだろう。そうした者たちの独断かもしれないし、政府を騙った何者かが出した依頼かもしれない。

 誰が依頼を出したかは、この際どうでもいい。問題は、その大義名分のもと、大量のハンターが押し寄せているということだ。


「長老に伝えてくる。お前たちはここを動くなよ!」


 青年は身を翻して家を飛び出していった。幸いにして距離はまだあるから、対策のひとつやふたつは練ることができるだろう。だが――相手が敵意剥きだしでは、交渉の余地などない。血気盛んで人間嫌いなチャンバの民のことだ、きっと戦いになる。これまでもそうしてきたはずだし、穏やかなシン長老といえど、住民に銃を向ける者にまで対話を試みるとは思えない。


「さて。動くなと言われたが、どうする?」


 ニキータが軽い調子で提起した。普通なら、答えは決まりきっている――言われた通り、動かない。これはチャンバの住民と、ハンターの間の問題なのだから。

 とはいえ、何もしないというのも後味が悪いものだ。


「……街や民族間での戦闘は禁止されている。私は止めに行きます。真偽のほどを確かめなければ」


 シャ=ハラが真っ先にそう言って剣を手にした。そんな様子を見て、アスールが苦笑する。


「ひとりではさすがに無茶だろう。私も共に行く」

「しかし、アスール殿下……いくらなんでも、サレイユの王子である貴方が」

「この暗さだ、そう簡単には分からないはずだ。それに、なんの予告もなく民間人の多い街を包囲する……非はどちらにあるか、誰の目にも明らかだ」


 チャンバの街――長老やその家族には、食事や寝床、装備を提供してもらった恩がある。突然戦闘を仕掛けてくるハンターより、化身族の集落の方に情が移るのは当然のことだった。


(『すべての人間が契約具を奪うわけじゃない』とか偉そうに言った矢先にこれじゃ、示しがつかないな)


 家の外が慌ただしくなってきた。ハンターたちの接近を知って、住民たちが動きはじめたのだ。化身族は男も女も子どもも戦士だ。街の住人総出で、ハンターを追い払うつもりか――だが、可能なのか? ハンターは化身族との戦いに慣れているし、契約している化身族の中には強力な者もいるだろう。死人が出るのは、まず間違いなかった。もしかしたら、それでは済まないかもしれない。


「カイ」


 黙っていたカイの名を、イリーネが呼んだ。その瞳は何かを訴えるようで、それでもどこか躊躇っているようで。言わんとすることは、言葉がなくともカイに伝わった。


「行こう、イリーネ。ハンターを止めなくちゃ」

「はい!」


 もう、遅いことかもしれないが――


 これ以上この街のヒトたちに、人間を嫌いになってほしくはないのだ。

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