◇乾いた風の吹く先は(2)
「視野が狭い奴は、なんでもかんでも自分の物差しで測るから嫌だよ。なあ、化身族の誇りってのはなんだ? 『人間が嫌いだ』って叫ぶことか? 同族だけ集めて引きこもって、いざとなったら牙をちらつかせることか? そりゃまた大層な誇りだよなぁ」
ニキータは笑みを浮かべているが、緋色の隻眼は完全に笑っていなかった。隣に立つカイはといえば、口ではなく行動で怒りを示していた。彼の足元の砂がざわざわと舞い始めている。静かに冷気が発生しつつあるのだ。
とんでもない魔力を感じたのだろう、門番の男二人は震えあがっていた。それでも威勢のいい口を利くのは、一際体格のいい若者のほうだ。
「だ、だが、人間は確かに我らを奴隷のように扱うではないか! 一方的に攻撃を仕掛け、契約具を奪って……!」
「それはな、そんな相手に捕まって狩られるような弱い奴の自業自得だよ。運がなかったと諦めるか、悔しさをバネに腕を磨きゃ良いのさ」
あっさりと弱肉強食の摂理を説いたニキータに、今度こそ男たちは閉口した。
「確かにどうしようもない人間はいるが、どうしようもない化身族だっているんだぜ。そんなことも分からないで、俺が今まで守ってきた奴らを『人間』なんて一括りにされるのは……俺の人生もあいつらの人生も否定されているようで、胸糞悪ぃ」
ニキータは『仕える』なんて柄ではないヒトだと思っていたけれど――多分、違う。言葉にしなくても、態度に表さなくても、きっと彼にとって歴代のハーヴェル公爵やヘルカイヤの民は大切だったのだ。彼らの生きざまを誇りに思っていたし、その傍にいる自分のこともまた誇りに思っていた。器の大きいニキータが、見ず知らずの化身族に侮辱されてこんなにも怒るくらい、心から。
「――君たち、人間の知り合い、いる?」
ぽつりと、カイが問いかけた。呆気にとられていた男が首を振る。
「い、いるわけないだろ……」
「そう。寂しくて、退屈な生活だね」
「なっ……」
カイは冷気をまとった礫を操作して持ち上げた。ニキータと対照的に、カイは静かだ。……それが逆に怖い。
「別に理解してほしいわけじゃないんだけど、先を急いでいるからそこをどいて。……それとも、化身族らしく決闘でもするかい?」
カイの殺気を感じ取って、男二人が身構える。ニキータもやる気満々だ。実力行使はさすがにまずいと思って、慌ててイリーネとクレイザが止めに入る。――それよりも一瞬早く、『それ』は起こった。
「――何をしているか、この大馬鹿者どもがぁッ」
「うわっ!?」
「いてッ!」
門の内側、つまり街の中から何者かが凄まじい速さで走り寄ってきて――持っていた木の杖で、男たちの後頭部を思い切り殴りつけたのだ。容赦なしの殺人的な一撃だったのだが、さすが化身族なのか、地面にうずくまって悶絶するくらいで済んでいる。
代わって現れたのは老人――腰が少し曲がって杖をつく、どこにでもいそうな白髪の老翁だった。この優しげな老人が全力で駆けつけて、全力で杖で殴ったのか。
イリーネたちが何とも言えないでいる間に、シャ=ハラがはっと我に返り、老人に声をかけた。
「これは、長老殿!」
「シャ=ハラ殿、この者たちが迷惑をかけたようで申し訳ない。わしの力不足じゃ、許してくだされ」
どうやらその老人が、このチャンバの化身族を束ねる長老のようだった。長老は深々とイリーネたちに頭を下げてから、憤然と門番二人を叱りつけた。
「こらお前たち、あれほど言ってあっただろう。女王陛下のお客人がお見えになるから、失礼のないようにせよと!」
「しかし……!」
不満はあるようだったが、長老には従順な門番の二人は、結局素直に謝罪した。溜息をついた長老は、困ったように微笑みながら街の中へと案内してくれた。カイとニキータもすっかり冷めたのだろう、やれやれと構えを解いて歩き出す。
街の中はヒトが多く賑わっていたが、誰もがイリーネらに怪訝な視線を送り、何事かを囁き合っている。その様子はとても気持ちのいいものではなく、ざわざわと落ちつかない心地だ。先程の騒動と暑さで珍しく機嫌を悪くしているのか、無言でカイがイリーネを隠すように真横に立って歩いてくれる。
ニキータの説明通りなら、この街にいる人々は全員が化身族なのだろう。おそらく、先に立って案内してくれている長老も。
「――かつてこの地が化身族によって支配され、レイグラン同盟と呼ばれていた頃……時代の流れの中で人間族は力をつけ、様々な技術や文明を創りだしておりました。長い年月を生きることのできる化身族は、総じて保守的でしてな……やがて両種族は対立し、人間たちの勢いに押されたレイグラン同盟は崩壊するに至ったのです」
唐突に、長老はそんな昔語りを始めた。古いものは排除され、新しい技術が時代を切り拓く――歴史上ではよくあることだ。まして、永遠に繁栄を謳歌する国家など存在しない。強力な化身族が集結して創りだされたレイグラン同盟も、そうして滅んだのだ。エラディーナに討たれたという【竜王】ヴェストルが健在だったら、違う結末もあったかもしれないけれど――。
「同盟を支えていた幹部連中は権威を失い、逃げるようにして都から離れ、この地で身を寄せ合って暮らした――それがチャンバの街の成り立ちだと言われております。今となっては真偽のほどは分かりませんが、ここに住む者はそれを信じているのです」
「だからこの街の者は人間と――人間と契約を交わした化身族を、敵視するのですね」
アスールの言葉に、長老は小さく頷いた。それを聞いたカイが顔を背ける。
「……そんなに人間が嫌いなら、関わりを持たなければいいだけでしょ。砂漠の奥地なり山の向こうなり、人間に知られずに暮らせる場所はいくらでもある。人間に対して危害を加えるなんて……誇り云々より前に、ヒトとしてどうかしているよ」
そのやり方は先程チェリンが言った通り、まるで賊ではないか。カイがそう指摘すると、耳が痛いといった様子で長老が身を竦める。そしてふとカイを振り返り――長老は驚いたように目を見張った。
「――おお、今の今まで気づきませんでしたぞ。貴方はゼタ殿のご子息ではありませんか、フィリードの里の」
後ろをとぼとぼついてきていた、あの体格のいい門番が、その言葉を聞いて飛び上がった。彼にとって『フィリードの里』は、同じく化身族だけの集落ということで有名なのだろう。しかし、対するカイは首を捻って長老を見下ろしている。
「どこかで会ったっけ?」
「ゼタ殿とは親交がありましてな、フィリードには何度か招かれたことがあるのです。覚えておられないかもしれませんが、幼い貴方とも会ったことがあります。勇猛果敢で知られたゼタ殿の骨の抜かれっぷりには、私も驚きましたよ。貴方がちょっとクシャミでもしようものなら、すっ飛んで行って……」
「やめて本当にやめて。それ以上言わないで気持ち悪い」
カイは本気で気味悪がっているらしく、見ると彼の腕にはぷつぷつと鳥肌が立っていた。後ろでニキータがにやにやとヒトの悪い笑みを浮かべている。
「けれど……そうか、貴方は里を出たのですね……」
感慨深げに呟いた長老は、一軒の民家の中に一行を招いた。岩を積んで作った家屋で、室内には毛足の長い絨毯が敷いてある。簡単な造りに見えるが、ぴったり隙間なく岩を積んであるため、隙間風も雨も入って来なくて快適なのだという。
絨毯の上にさらにクッションを置いて、イリーネたちは円形に座った。長老のお付きのヒトがお茶を淹れてくれて、改めて長老が口を開く。
「いささか順序が逆になりましたが、改めてご挨拶を。私はチャンバの長老、シンと申します。先程は街の者が失礼をして申し訳ありませんでした。今宵はこの家を宿としてお使いください。砂漠越えに必要な物資は、私どもが用意いたします。イル=ジナ陛下から、そう申し付けられておりますので」
シンが朗らかにそう告げる。出会った時から思っていたけれど、シンはイル=ジナに――人間の女王に好意的だった。へりくだっているわけでも、忠実を装っているわけでもない。彼女を王と認め、ひとりの民としてその指示を受けているのだ。その様子はこのチャンバの中にあって、かなり異質に見えた。
「長老さまは、街のヒトたちとはお考えが異なるんですね」
ついイリーネはそう尋ねた。シンはやはり微笑みを浮かべたままだ。
「陛下はお優しい女性ですよ。かつては化身族を嫌って攻め込んでくる王や、我々に人間として生きることを強要する王もおりました。しかし陛下は――私たちの慣習を保ったまま、私たちの生き方を尊重してくださいます。好意的な王と、わざわざ対立する必要がありましょうか」
化身族は総じて長命だ。短い種族でも、軽く百年以上は生きる。彼らは、何人もの人間の王の治世を体験する。イル=ジナが即位する前にどのような王がいたのかを、明確に覚えている。イリーネにとっては歴史上の悪王でも、化身族にとってはそんなに昔のことではないのだ。虐げられたり、傷つけられたり、そういう嫌な記憶は身に染みついて――いつしか『人間』そのものを嫌う。チャンバの住民は、特に若者は顕著にその傾向があるのだという。
シンは長い人生の中で、人間から酷い扱いを受けたこともあっただろう。しかし、手を取り合えるということも知っている。だからイル=ジナ個人を高く評価して、チャンバの住民にもそれを教えようとしてくれているけれど――血気盛んな若者たちの中には、あまり響かないのが現状だ。
「複数の民族や種族がひとつの国の中で暮らすのは、難しいことです。しかし避けられないことでもある。孫たちも、早く分かってくれれば良いのですが」
「……孫?」
嘆かわしげに溜息をつくシンだったが、あやうく聞き逃すところだった。そこではたと気づいたようで、シンが顔をあげる。
「ああ、説明が遅れまして。実はあの門番のひとりは、私の孫なのです」
驚いて振り返る。そういえば門番ともあろう者がなんだってついてきているのか疑問に思っていたが、そういうことだったのか。入り口付近に座っていたその青年が、ぎょっとして飛び上がる。そうやって見てみると二十歳前後で顔の彫りの深い若者だが、化身族の見た目では年齢を計ることができない。二十代半ばほどに見えるカイが五十年を生きているのだから、そのくらいの年齢の可能性もあった。
シンは孫を連れて立ち去った。明日イリーネたちが朝一番で出かけられるよう、装備を準備しに行ってくれたのだ。手伝わされる孫のほうには、なんとも申し訳が立たないが――叱られて懲りたのか、カイたちに突っかかってはこなかった。
「……すみません、カイ殿、ニキータ殿。本来ならば交渉は私の役目でしたのに、力及ばず……おふたりに不快な思いを」
仲間だけが残されたところで、シャ=ハラがそう頭を下げた。曰く、砂漠に入るには他にもいくつかの道順があったが、チャンバを通過するのが一番の近道であるという。だから、チャンバが人間には厳しい街だと分かっていながら、ここを通ろうとしてしまった――と。
彼女はそう言うけれど、この街には女王から直接の指示を出されていたのだ。それを知らないふりをして追い返そうとするなど、ケクラコクマの民として許されないことだし、シャ=ハラはそれを処罰する権限があったはずだ。それでも丸く収めようとしていたのは彼女の性格ゆえだろうし、門番二人の罪だ。彼女が謝ることではない。
「いや、俺も奴らを挑発するようなことを言っちまったからな。あんたの邪魔をして悪かった、すまん」
ニキータがやたら殊勝に謝ったが、カイのほうはまだいくらか悶々としているようだ。大体のことはすぐ水に流す彼らしくもない。
「お前もそんな風に、根に持ったりするのだな。珍しいものだ」
面白そうにからかいの声を投げたのはアスールだ。自覚はあるのか、カイはくしゃりと銀髪を掻きまわす。
「……ここは、フィリードと同じような考えを持つヒトが多いみたいだから。あの頃を思い出して、ちょっとむかむかした。どうも俺は、根本的に化身族とは気が合わないらしい」
「本当にあんた、フィリードが嫌いだったのね……」
チェリンが半ば感心したように呟く。チェリンとてフィリードの慣習を嫌って飛び出したはずだが、カイのそれは筋金入りだったらしい。
「でも、ちょっとだけ寂しいですね。カイやチェリンやニキータさんみたいに、仲良くしてくれる化身族のヒトはいっぱいいるのに……同じくらい、人間を嫌うヒトも多いんですね」
そんな彼らに、混血であることなどばれたら――人間を相手にするよりもっと、嫌われるかもしれない。
ぽつりと呟いたイリーネを慰めようとしてくれたのか、アスールが口を開いた。
「化身族だけの集落というのは、どこの国にも必ずいくつかあるものだよ。その大半は人間ともうまく付き合っているのだ。人間を徹底的に排除しようなんてする集落は、おそらくチャンバやフィリードだけだろう」
時代の流れに合わせて、生きていくために――仕方なくかもしれないが、人間と手を取り合う化身族は多い。街で暮らす化身族も増えてきたし、相手が化身族だといって無闇に人間も攻撃しなくなった。溝は深いが、それでもゆっくりと歩み寄ろうとしているのかもしれない。
かつてフローレンツ貴族の奴隷とされていた化身族たちは、ニム大山脈の奥地に集落を拓き、同族にさえ居場所を秘匿して外部からの接触を拒んだ。
かつて大国を支配した化身族たちは、人間との争いに敗れて覇権を奪われ、完全に人間を敵とみなして攻撃するようになった。
このふたつの根は、想像以上に深いものであるような気がした。
★☆
イリーネたちにあてがわれた家は、長老の住む母屋に隣接する離れのようなもので、家一軒好きに使っていいとのことだった。家の中は思ったよりも広く、全員で集まれる居間や、人数分の個室、水回りも充実していた。この周辺は地下水があって、そこから水を汲み上げているそうだ。地上はこんなにも砂っぽく草も生えていないのに、地下深くは潤っているというのがなんとも不思議だ。
食事などもシンのほうで用意してくれると言うから、完全にイリーネたちは手持無沙汰になった。いつもだったら時間潰しに街の見物に行くのだが、この状況ではそれも気が進まない。
とりあえずカイとふたりで家の外に出てみると、家の横手に岩場があった。この地域ではあちこちに岩の隆起している場所があって、それがちょっとした見晴台のようになっているのだ。
足場になりそうな突起に足をかけてなんとか登ってみると、そこから見える景色はなかなかのものだった。赤っぽい岩場の向こうに沈む、輝く赤い夕陽――赤に照らされた赤というのも、なんだか風情がある。
「こうして見ると、穏やかでいい街だな」
「ふふ、そうですね」
すっかり落ち着いたカイは、しみじみと岩の上に座って呟いている。夕方になると、外で遊んでいる子どもたちが母親に呼ばれて家に帰るというのは、人間も化身族も変わらないらしい――子どもの名を呼ぶ母親の声が、僅かにイリーネの耳にも届いていた。夕食の準備をしているのだろう、あちこちの民家から白く煙があがっている。
「――おい」
不意に、後ろから声をかけられた。驚いて振り返ると、岩場の上に誰かが上ってきている。逆光でよく見えないが、聞き覚えのない声だから仲間ではない――そう思ったところで、イリーネはあっと声を上げた。
そこにいたのは、あの門番の若者、つまりシンの孫だった。何やら不機嫌そうなのは元々か、それともしたくもないイリーネたちの手伝いをさせられたからか。
「何か用かい」
カイが肩越しに振り返って尋ねる。仏頂面のその若者は、ちらりとカイを見やった。
「……あんたは、あのフィリードの戦士なんだろ? 幻の化身族の里、フィリードの……」
「別に幻でもなんでもなかったけど、まあそうだね」
「最強の雪豹、ゼタの息子で……フローレンツの【氷撃】なんだろ」
「ゼタより強い奴はそこら中にいるし、俺が自分でそう名乗ったわけじゃないけどね」
「……そんな奴が、なんで里を出て人間なんかと行動を共にしているんだ?」
せっかくカイの機嫌が落ち着いたのに蒸し返してくれるな、と内心でイリーネははらはらしていた。しかし若者の表情は真面目で、本当に疑問で仕方ないといった様子だ。今度はカイも無下にはせず、溜め息と共に身体ごと若者に向き直った。
「それを聞いてどうするの? 俺の答えが、君の役に立つとは限らないよ」
「知りたいんだよ、人間と契約した化身族のことを。俺には祖父……長老の考えは理解できない。でも、理解したい……とは思う」
好奇心なのか、罪悪感なのか、それともある種の義務感なのか。いずれの理由であっても、若者の言葉に嘘偽りはないように思えた。その証拠に――。
「……さっきは、追い返そうとしてすまなかった」
彼は、毛嫌いする人間であるイリーネにそう謝してくれたのだから。多分、根は真面目で純粋なのだろう。これにはイリーネもカイも苦笑するしかなく、やれやれといった様子でカイはぽつりと口を開きはじめたのだ。