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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
122/202

◇朱の剛剣(5)

 イル=ジナとアスールがそれぞれ一筆書いた手紙を持って、ニキータは一足先に戻っていった。それを見送って、イル=ジナが息を吐き出す。


「慌ただしいこったね。それだけ事態は切迫しているってことか」

「リーゼロッテは確実に我々の敵になりました。武力衝突が起こるのも時間の問題でしょう」


 リーゼロッテの戦力は、とにかく数が多いのだ。神都周辺を警護する神国軍、教会に属する教会兵、各地を治める領主の貴族軍、雇われのハンターたち――戦力を二分してイーヴァンとケクラコクマを同時に相手取っても、余力が十分にある状況だ。先手を取られないように、ファルシェもダグラスも必死なはずだ。


「よし、分かった。私は先に王都に戻って、頑固な老臣どもを説得しておこう。それが済み次第、兵をリーゼロッテへ向かわせるよ」

「それでしたら、私も説得のお手伝いを――」


 アスールの言葉を、イル=ジナは手を振って遮った。


「王都に行くには砂漠を突っ切らなきゃいけない。他国の人間が無理をすると、命にかかわるよ。どうせ説得には少し時間がかかるし、あんたたちはゆっくり追いかけてきてくれりゃいい。その方が待たせずに済むからね」


 確かに、他国の軍隊に囲まれてぞろぞろと移動するのは息苦しい。そう思っての配慮だろう。イリーネもアスールも、有難く受け取った。


「……とはいえ、一目で他国民だと分かるヒトがケクラコクマを歩くのは不便だろうねぇ」


 イル=ジナは顎をつまんで考え込む。浅黒い肌を持つケクラコクマ人の中では、イリーネたちは非常によく目立ってしまうだろう。リーゼロッテに敵対心を持つ者は多いし、過激な者たちから妨害を受ける可能性もある。実際、以前ケクラコクマを旅したというアスールは大変な目に遭ったらしい。

 そこでイル=ジナは、名案を思いついたように手を叩いた。そして傍に立つシャ=ハラの肩を押して前に出す。


「ハラを旅に加えてやってくれ。そうすれば道案内もできて、あんたたちの素性も保証できる。一石二鳥だね」

「ええっ!?」


 その驚きの声はシャ=ハラのものだ。先程から彼女は女王に振り回されっぱなしだ。アスールが微笑む。


「それは有難いのですが、良いのでしょうか? シャ=ハラ殿は女王陛下の近衛でしょう」

「だからこそさ。ハラは私の腹心として顔が知られている。ハラの同行者はすなわち、私の客だ。王の客人に手を出す者はいないよ」

「……では、お願いしても?」


 アスールの視線を受けたシャ=ハラは、もう腹を据えていたようだ。急なことだっただろうに、嫌な顔一つ見せずに頷いた。


「はい。未熟者ではありますが、お供させて頂きたく思います」





★☆





 ブランシャール城塞へ戻ると、カイとチェリン、クレイザ、ジョルジュ、そして手紙を届け終えたニキータが出迎えてくれた。カイが真っ先に駆けつけて、イリーネを確認する。


「お帰り。大丈夫だった?」

「はい――って、どうしてカイもチェリンもぼろぼろなんですか?」


 ふたりとも擦り傷が手や足にできていて、服は砂のせいか茶色っぽくなっている。何か騒ぎがあったのかと心配になったのだが、横からクレイザがにこやかに口を開いた。


「ちょっとしたお稽古ですよ」

「化身族同士の鍛錬というのは、ああも白熱するものなんですね。勉強になりました」


 ジョルジュもそう感心したように頷くのだが、イリーネは小さく息をつく。


「稽古ってもう、こんなに傷を増やして……ふたりとも、ちょっとそこに座ってください」


 石段を指差すと、顔を見合わせたカイとチェリンがそろって首を振った。


「大丈夫だよイリーネ、こんなの傷のうちに入らないから」

「そうよ、わざわざ治癒術を使うほどのものじゃないわ」

「何を言っているんですか! 小さな傷でも、それが原因で膿んだり壊死したりすることがあるんです。さっさと座る!」

『は、はい』


 イリーネの勢いに負けて、すとんと化身族ふたりは石段に座り込んだ。そんなふたりの傷を、イリーネは丁寧に癒していく。

 その様子を見たジョルジュが、くすくすと笑ってアスールを振り返る。


「懐かしい光景ですねぇ。アスール様とカーシェル王子が剣の稽古で怪我をすると、いつもああやって怒りながらイリーネ姫様が傷を治していましたっけ」

「ああ、昔を見ているようだよ」


 アスールの優しい眼差しの先で、イリーネはぶつぶつと小言を垂れている。「こんな目立つ場所に傷を作って、痕になったらどうするんですか」とか「せめて水で洗うくらいはしておいてください」とか「服は洗って修繕するから着替えてきて」とか――カイもチェリンも、しゅんと縮こまってしまっている。確かにあれだけ派手に怪我をしていたら、相当白熱した取っ組み合いをしたのだろうということが一目瞭然だ。化身族の間ではそれが当然なのかもしれないが、イリーネが心配するのも無理はなかった。カーシェルも昔はしょっちゅう稽古で傷を作っていたから、彼女は怪我に敏感なのだ。毎回カーシェルにお説教しながら傷を治して、カーシェルも反論できず素直に謝る――そんな光景はしょっちゅう見ていた。


「……本当に、変わらないな」


 嬉しそうに微笑んだアスールは、治療が終わるのを待って話を再開した。


「我々はこれから、本格的にカーシェル救出を目指して動き出す。イル=ジナ女王の協力も得られたので、まずはケクラコクマの王都ケクランへ向かおうと思う」


 王都ケクランは、現在いるブランシャール城塞から真っ直ぐ南下した場所、海沿いに造られたケクラコクマの都だ。そこから東へ進路を向けると、リーゼロッテ神国との国境である大河、世界最長のヴェスタリーテ河に差し掛かる。河を渡れば、もうリーゼロッテだ。


「で、女王の近衛であるシャ=ハラ殿が案内のために同行してくれることになった」

「女王の傍にいたヒトか。一緒じゃないの?」

「身の回りの整理があるから、あとで合流すると言っていた。そのうち来ると思うが……」


 アスールがそう呟いたとき、兵士がひとり駆けてきた。敬礼を施して報告する。


「失礼します。殿下、ケクラコクマ陣営からシャ=ハラと名乗る女性が目通りを希望しておりますが」

「お通ししてくれ」

「はっ」


 ほどなくして、先程別れたばかりのシャ=ハラがやってきた。肩に荷物の入った布袋をかけ、背には長剣を負っている。いかにもといった戦士の出で立ちだ。

 彼女を初めてじっくり見るカイやチェリンなどは、遠慮もなくシャ=ハラの姿に注目している。だがシャ=ハラも大物だ、彼らの視線を物ともせずに堂々と一礼する。


「お待たせして申し訳ありません。シャ=ハラ、ただいま到着いたしました」


 待ったどころか、想像よりもかなり早い到着だ。彼女がここに来たということは、イル=ジナ率いるケクラコクマ王国軍も帰路についたということだろう。なんと迅速な行軍だろうか。


「よく来てくれた。これからよろしく頼むよ」


 アスールが歓迎して、シャ=ハラにカイたちのことを紹介した。アスールとイリーネはつい先程の一件でシャ=ハラの実直な人柄を知っているし、イル=ジナ女王の信任も篤いということで、手放しに彼女を信頼している。そんな雰囲気が他の者にも伝わったのだろう、警戒心の強いカイやチェリンも、比較的最初から友好的だった。ジョルジュはケクラコクマ美人にも目がないらしく、「なんとお美しい」と感嘆の声を上げたところでアスールとチェリンの両者から制裁の肘鉄を食らっていた。懲りないヒトだ。

 悶絶するジョルジュを捨て置いて、アスールはみなを見回した。


「私たちがケクラコクマを通過している間、サレイユとイーヴァンは武装を整えることになる。女王陛下から国内をサレイユ軍が通行する許可は頂いた。サレイユ王国軍の指揮は、カルノーとジョルジュに任せるぞ。王都から中央軍がこの場に到着し次第、リーゼロッテを目指せ」


 その言葉に、今の今まで身体をくの字に折って苦しんでいたはずのジョルジュは、ぱっと姿勢を正した。そしてしっかりと頷く。


「了解しました、その通りに」

「ってことは、ジョルジュとはここでお別れなんですね」


 ジョルジュはアスールの右腕だ。アスールがいないところ、アスールの手が届かないところをジョルジュが預かるのは当然。だからこそ別れは予想していたが、それでも少々寂しいものだ。

 イリーネの言葉に、ジョルジュはにっこりと微笑む。


「そうなりますね。次にお会いするときには数万の味方を引き連れて合流いたします。国境ヴェスタリーテ河の畔で会いましょう」


 大軍を率いることになるというのに、ジョルジュは朗らかだ。実力の安定したジョルジュだからこそ、アスールも高く評価している。頼もしいものだ――騎士としての彼は、本当に。


「よし、それじゃあ行こうぜ。熱砂の国ケクラコクマへ」


 ニキータの言葉に、みな頷いた。それぞれ気合いに満ちた表情だったが、ただひとりカイだけが、『熱砂』という言葉に顔を曇らせていたのだった。





★☆





 ケクラコクマ王国――。


 大陸は南西部。北にサレイユ、東にリーゼロッテと国境を接する巨大な国だ。かつて化身族の国家であるレイグラン同盟が存在した地であり、当時の名残なのか、様々な種族・部族の人々が暮らしている。化身族だけの集落もあるというし、人間族の間でも部族ごとに集落を形成している。血の繋がりと力を重んじ、全く異なる生活習慣を持つ者同士が暮らす――ケクラコクマ王国は、そんな多民族国家だ。

 この国には高い山も険しい谷もなく、平地が続いている。一見すると旅には適しているような気さえするが、それは大間違いだ。ケクラコクマの中央部には広大な砂漠地帯があり、実に国土の五割は砂漠なのである。これをラクール大砂漠と呼んでいるが、この地域を避けて旅することができない。砂漠を越えた先に王都ケクランがあり、リーゼロッテがあるのだ。砂漠にはいくつかオアシスが存在し、その周辺には集落が形成されている。そこを経由しながら進むことになるが、それでも砂漠の縦断に数日はかかるだろう。


 とはいえ、サレイユとの国境であるエルネスティ平原を抜けた程度では、まだまだ砂漠の気配は遠いものだった。国を跨いだからといって、劇的に気候や地形が変化するはずもない。もうしばらくはのんびりと旅ができそうだ。


 騎士としても王子としても仕事の多かったアスールを待つため、イリーネたちは一晩をブランシャール城塞で過ごした。そして翌日の早朝には城塞を発ち、エルネスティ平原を南下しはじめた。馬は砂漠に入ったら使えないとのことで、再び徒歩の旅である。シャ=ハラの先導で、ひたすら道なき草の大地を歩く。兵士のいない平原は妙にだだっ広く、穏やかで、静かだ。これが本来のあるべき姿なのだろうが、この大地には無数の死体と血が埋まっている。それを忘れてはいけない。


「まさかこれほど堂々とエルネスティ平原を歩けるとはなぁ」


 感慨深げにアスールがそう呟く。アスールにとってここは戦場なのだ。軽い武装だけでのんびり歩いていられるのが不思議で仕方ないのだろう。

 すると、アスールの隣を歩くカイが首を捻った。


「ねえ、サレイユとケクラコクマって、国交を断絶していたんだよね?」

「外交的にはな。民間人の通商は盛んだったし、戦時でなければ入国も比較的容易だったぞ」


 サレイユとケクラコクマの国境はエルネスティ平原が最大規模だが、実はサレイユの領土はもう少し南にまで食い込んでいる。海沿いにカミーユ山脈という高地が存在し、その山はサレイユの所有地なのだ。その山には街がいくつか存在し、そこがケクラコクマへの出入り口となっていたのだ。


「イリーネやアスールからすれば、ケクラコクマは一応敵国ってことになるよね」

「そうだな」

「それなのに、二人ともどうやって互いの国を行き来していたの? 貴族たちはイーヴァンの山越えを嫌うからケクラコクマを経由するって聞いたことあるけど」


 そう、特にリーゼロッテの貴族や神官たちは、近道だからといってイーヴァンの険しい山脈を徒歩で越えることを極端に嫌がるのだ。だから時間がかかろうと、安全に馬車でケクラコクマを経由する――それはカイの言った通りだ。


 カイの疑問に対して、アスールはきょとんと目を丸くした。


「そこまで知っていて、その先を知らないのか?」

「残念だけど、フローレンツにサレイユや神国の情報なんて流れてこないからね」


 物知りなカイにしては、初歩的な質問だ。――そう思えるのも、イリーネが記憶を取り戻したからなのだけれど。


「前にも言ったと思うが、サレイユからリーゼロッテまでは直行の船が出ているのだ。通常はそういった船に乗って、ケクラコクマを迂回している」

「はあ、なるほど」

「首脳会議が行われる時期は、大陸全土で戦闘が禁止されます。だからその時期は、他国を通過しても危険はないんですよ」


 イリーネがそう言葉を添えた。先だっての首脳会議には、イル=ジナも参加していたのだ。もしもケクラコクマ国内を通過するイリーネたちを攻撃したら、それはすべてイル=ジナの責任として各国から制裁を受けることになる。それを恐れ、その時期になると厳格に停戦命令が出されるのだ。

 そうは言っても、イリーネたちが通過したのはラクール大砂漠のぎりぎり外側だ。もはやギヘナ大草原の範囲内だったと言っても過言ではない。今回はそのような迂回はせず、真っ直ぐに砂漠を突っ切る。イリーネにとっても初体験だ。


「エルネスティ平原を抜けたところに街があります。まずはそこへご案内します。おそらく夕刻までには着けるでしょう」


 シャ=ハラがそう言って、平原の先を指差す。真っ平らな大地が続き、彼女の指さす先にはヒトの姿すら見えない。それでも、彼女が街があると言うのだから、きっとその方角に街があるのだ。


「よろしくお願いしますね、シャ=ハラさん」


 イリーネがそう微笑みかけると、シャ=ハラは少々困った顔をして、それからおずおずと笑いかけてくれた。笑い慣れていない――そんな印象を抱くような笑顔だった。


「ハラで構いませんよ、姫。陛下も仰っていましたが、私の『シャ』は姓に当たりますので」

「それなら、私のことも名前で呼んでください」

「え? いえ、しかし」

「これから一緒に旅をするんですもの。私、貴方と仲良くなりたいです」


 その言葉に、シャ=ハラは大きく目を見張った。それからふっと目元を和ませ、小さく頷く。


「……はい、イリーネさん」


 誰かに声をかけるのは怖い。勇気がいる。記憶がなかったときはそんな風に怖気づいて、つい上ずった声を出してしまっていたけれど――思い出してみれば、簡単ではないか。おっかないと思っていたイル=ジナも、気難しそうに見えたシャ=ハラも、ふたりとも良いヒト。

 特に、気難しそうに見えて実はただ生真面目で口下手なだけのシャ=ハラのような相手には、遠慮なく声をかけてみるのが吉なのだ。そうしたら、彼女はこんな風に優しく笑ってくれるのだから。

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