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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
6章 【熱砂の炎獄 ケクラコクマ】
121/202

◇朱の剛剣(4)

 チェリンに稽古をつけるはずが、逆にカイがぼこぼこにされていた頃――。


 イリーネ、アスールとイル=ジナの間の交渉は成立し、イリーネも緊張から解き放たれていた。アスールが行ったのは協力要請のみなので、このあとの連携はダグラスやファルシェが国家レベルで取っていくことになる。ひとまずここでできることは終わったのだ。


 ――と思っていたのだが。


「アスール王子。手っ取り早く親睦を深めるためにやりたいことがあるんだが、いいかい?」


 突如イル=ジナがそう提案してきた。何か嫌な予感がしたのだろう、アスールがちょっと困ったように笑う。


「というと?」

「一度あんたの本気を見てみたかったんだよ」


 イル=ジナは傍に落ちていた木剣を拾うと、それをアスールの足元へ放る。手合せしようと言っているのだ。アスールはそれを拾いはせず、肩をすくめる。


「女王陛下へ向ける剣など、私は持ち合わせていませんよ」

「ははは、そう言うと思った。だから相手はまず、こいつだ」


 そう言ってイル=ジナが招きよせたのは、ずっと傍に控えていた女戦士だ。従順で殆ど表情を動かしたことのない女騎士が、初めて焦りを顔に浮かべた。そうして見ると、チェリンと同い年くらいの若い女性だ。くすんだ金髪をきつく結い上げているので、眦も吊り上がって少々キツめの顔立ちをしている。


「へ、陛下。お待ちください、私は……!」

「紹介する、こいつはシャ=ハラ近衛兵団長。私の幼馴染でね、小さいころから一緒に武芸を習ってきた腹心さ」

「だから話を聞いて……」

「女だからって舐めないほうが良いよ。その辺の兵士なら軽く伸すからね」

「……」


 女騎士シャ=ハラは抵抗を諦めたようだ。イル=ジナから差し出された木剣を受け取って、溜息をつく。


「……私を引き合いに出して相手の力量を計るのはやめてくださいと何度も何度も」

「何か言ったか、ハラ?」

「いいえ何も」


 即座に否定する。アスールとジョルジュとはまた違う主従関係のようだ。イリーネはくすくす笑ってしまう。アスールの方も仕方ないと諦めて、絨毯から下りて広い場所で距離を取る。


「さ、イリーネはここで一緒に見物だよ」


 イル=ジナに促されて、イリーネは絨毯の上に座り直す。先程まで向かい合っていた女王が、親しげに隣に座った。随分人懐っこい性格のようだ。


「あ、ありがとうございます、イル=ジナさま」

「なんの。それと、私のことはジナで良いよ。イルっていうのは姓だからね、フルネームで呼ばれるのは堅苦しいだろ?」


 ケクラコクマの民は、元々いくつかの部族に分かれていた。その複数の部族は何百年も前に統一されたが、現在まで部族ごとの名残が残っている。イリーネやアスールと同じような名を持つ民もいれば、イル=ジナやシャ=ハラのような名はを持つ者もいる。実に多種多様に民族が分かれているのだ。

 だからこそ、「最も強い者」が王になるという方針が作られたのだろう。統一されたばかりのころは、部族間で相容れないことも当然あったはず。それを力で抑えつけてきたのだ。良い成果を出すこともあれば、反発を招いたこともあっただろう。現在ではそのようなこともなくなり、ケクラコクマにも議会が誕生し、王の独裁は容易に許されなくなっている。それでも当時の慣習を引き継いで「最も強い者」を王に据えているため、ケクラコクマ王国に王室はなく、王位は世襲ではない。イル=ジナも六年ほど前に、多くの強者を打ち倒して王になったのだ。それまでは一般の市民だったのだろう。国王らしい威厳はあっても庶民的なのは、そういう理由かもしれない。


 そんなことを考えている間にも、アスールとシャ=ハラは木剣を構えて向かい合っていた。シャ=ハラは両手で掴んだ剣を、顔のすぐ右側まで上げた。そのまま剣先を下へ向ける。突きの構えに似ているが、それにしては剣の場所が高すぎる。正統派剣術ではなさそうだ。


「ケクラコクマ王国、近衛兵団団長、シャ=ハラと申します。アスール殿下、お手柔らかに」

「こちらこそよろしく」


 アスールは恐ろしいくらいに普段通りだ。普段より優しい笑みを浮かべているような気がする。この手のヒトはこういう笑顔が一番恐ろしいのだと、イリーネは感覚的に知っている。


 先に動いたのはシャ=ハラだった。鋭い気合いの声と共に、アスールへと大きく踏み込む。そして木剣を振り下ろす――あの構えは突きのためではなかった。剣を持つ腕を一度引き、そして振り下ろすという手間を少しでも省くための構えなのだ。

 イリーネが見抜いた通り、シャ=ハラの振り下ろしはまさに神速と言って差し支えないほどの速さだった。思わずイリーネは身を乗り出しかけたが、アスールが黙って斬撃を食らうはずもない。だらりと下げていた木剣を大きく一閃。たったそれだけで、シャ=ハラの斬撃は弾かれた。


「ほう」


 隣でイル=ジナが感心の声をあげる。


 だがシャ=ハラもやられっぱなしではない。というより、防がれるのは承知の上だったようだ。すぐさまアスールから距離を離し、追撃を躱す。斬撃が空振りに終わったアスールも、改めて剣を構え直した。状況は振り出しに戻り、じりじりとふたりは位置をずらしていく。アスールはいつになく慎重で下手に斬りこまないし、シャ=ハラのほうもアスールの一撃を警戒して迂闊に飛び込むことをしない。互いに次の一手を探り合っているような膠着だ。


「アスール王子は対化身族のスペシャリストと聞いていたけど、人間相手でもさすがの腕前だね。我流の強い剣術同士、先の読めない面白い戦いだ」


 そう分析するイル=ジナは本当に面白そうだ。片胡坐をかいている女王を、イリーネは見やる。


「お詳しいんですね、アスールのこと」

「敵対国の戦力を逐一把握しているのは、当然のことさ。放浪王子と揶揄されてはいたが、剣の腕は間違いなく一級品。率いる騎士隊の精度も高い」


 それに、とイル=ジナが続ける。彼女の目は、アスールとシャ=ハラの対決から逸らされることはない。


「サレイユとの交渉に踏み切るならアスール王子だと、目星をつけていたからね。情報は前々から集めていたんだよ」


 アスールがイル=ジナを高く評価していたように、イル=ジナもまたアスールを話の分かる人物だと思っていたようだ。そういえば、戦場で相対したときも割と好意的だった。――血の匂いのする同類として、だが。


 膠着状態が崩れた。アスールが動いたのだ。シャ=ハラの剣の間合いに飛び込み、横薙ぎを繰り出す。彼女は剣を右に両手で構えているため、左からの攻撃は特に反応が遅れがちになる。それを突くのは常套手段だ。

 シャ=ハラは後方に飛びのいて切っ先を寸前で躱す。しかし、その瞬間にはアスールもまた大きく踏み込んでいた。追撃ではない――彼女の飛びのく動きに合わせて、死角を利用して背後に回ったのだ。


「!」


 一瞬で後ろを取られたシャ=ハラが、振り向きざまに剣を振るう。――しかし、左からくると思われた攻撃はなぜか右からきた。どこでどうやったのか、アスールは剣を左手に持ちかえていたのだ。

 シャ=ハラの一撃は完全に空ぶる。彼女は空ぶった勢いそのまま地面に転がり、アスールの斬撃を躱す。地に伏せるシャ=ハラめがけて振り下ろされた一撃は、なんとか剣で振り払って飛び起きる。


 シャ=ハラは守勢に回らざるを得なくなった。一度崩れた態勢を取り戻すのは難しい。アスールの剣を受け止めることもできず、紙一重で躱すことしかできなくなっている。アスールの攻撃手段は、その剣だけではないのだ――拳だろうが足だろうが使うだろうし、軽々と投げ飛ばされるかもしれない。関節を極めにだってくるはずだ。身体の大きな化身族を相手にしてきたアスールにとっては、身体全体が武器だ。おそらくフォーク一本だろうが、この男が持てば凶器になる。

 シャ=ハラのほうだって、抜きんでた剣士だ。イリーネの記憶にある限り、これほど長いことアスールと剣を交わしていられたのは、【獅子帝】と彼女だけ。アスールの動きに翻弄されてはいるが、それでも食らいつけるのだから。


「――背後を取られた時点で、勝負は決まっていたな」


 ぽつりとイル=ジナが呟く。

 その言葉のあとすぐに、木剣同士がぶつかる高い音が一際大きく響いた。見れば、一本の木剣が持ち主の手から離れて宙を舞っている。シャ=ハラの木剣だった。

 地面に落ちた木剣を一瞥して、彼女はアスールに向けて両手を上げる。降参の合図だ。アスールも剣を下ろす。


「参りました……さすがの腕前です、アスール殿下」

「貴方も見事な剣だった、何度かひやりとしたよ」


 シャ=ハラとアスールがそんな会話を交わしているまさにその時、突然イリーネの隣に座っていたイル=ジナが立ち上がった。それだけならともかく、なんと彼女は落ちていたシャ=ハラの木剣を拾い上げ、全速力でアスールに向けて突進したではないか。


「えっ……あ、アスール、危ないッ!」


 咄嗟にイリーネが叫ぶ。アスールはこちらに背を向けて立っていたのだ。イリーネの声と、接近するイル=ジナの存在に気付いたのだろう、アスールは慌てて振り返って木剣を構える。脳天を叩き割るようにイル=ジナは正面に剣を構え、そして一気に振り下ろす。

 脳天割の一撃を、頭上に掲げたアスールの剣が真っ向から受け止めた。先程シャ=ハラの木剣を弾き飛ばしたのとは比べ物にならないほど、重い音が響く。木剣にあるまじき音だった。


 アスールの木剣が真っ二つに折れた。木剣を叩き折られたアスールの驚愕の表情は、近年稀に見るものだ。それはそうだ、丈夫なだけが取り柄の訓練用の太い木剣が、たった一撃で破壊されるなど。単純なイル=ジナの一撃だったが、かなりの膂力と速さが加えられていたのだ。

 木剣が折れるなどという不測の事態のせいで、アスールは次の反応が遅れた。いくらか威力は落ちたとはいえ、アスールはまともに避けることもできず女王の一撃をまともに食らったのだ。かなりの距離を吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる寸前でなんとか態勢を立て直す。みっともなく転がったりしないのは、さすがなのだろうか。ばっさりと切り裂かれたアスールの上着が、衝撃の強さを物語っている。


 イル=ジナの奇襲にアスールが気付いて防御できたこと、木剣を折られても辛うじて回避が一部成功したこと、受け身がきちんと取れたこと――すべてが重なってアスールは無傷だったが、もしひとつでも間違えれば、命を失っていたのではないだろうか?


「よく対応した! あんたは本当に強いね! ますます気に入ったよ」

「はは……それは何よりでした」


 さすがのアスールも冷や汗を流しながら、苦く笑う。その時にはシャ=ハラが憤怒の形相で女王に詰め寄っていた。


「陛下ぁッ! これから同盟を組もうという方に対して、なんという無礼をッ。アスール殿下だからご無事だったようなものを、一歩間違えれば大惨事だったのですよ!?」

「仕方ないだろ、強い相手を見ると挑みたくなるのは戦士の性ってものだし」

「貴方はその理由で何人を病院送りにすれば気が済むのです……ッ!」


 シャ=ハラが常識人で助かった。


 しかし彼女の叱責も堪えたようではなく、イル=ジナは爽やかに笑ってアスールを見る。イリーネが慌ててアスールの傍に駆け寄っていた。


「ま、それにしても戯れが過ぎたかな。悪かったね、アスール王子」

「いえ、陛下直々のお手合わせ、光栄です」


 アスールもすっかり調子を取り戻している。あの奇襲攻撃を受けたことを光栄だと言うなんて、社交辞令にしても白々しすぎる。


 その時、不意に日が陰った。太陽に雲が重なったのだろう――と考えるのは自然なことだったのだが、状況は不自然だった。イリーネがそう思ったときには、アスールに腕を引かれてその場から飛び退く。イル=ジナとシャ=ハラも驚いたように退避していた。

 攻撃は上空から。ばちばちと殺人的な雷撃をまとって、黒い矢が撃ち込まれてくる。一発だったが、それはイル=ジナたちが先程まで立っていた地面を焦がしていた。


「この攻撃は……!」


 イリーネが空を見上げると、黒い物体が飛び降りてきた。化身を解いたニキータが、「よお」と軽々しく挨拶をする。


「【黒翼王】殿!? どういう登場の仕方ですか……!」


 アスールが呆れたように声を投げかけると、ニキータはにやにやと笑う。


「お前がさっきからやられっぱなしだったから、ちょっと仕返ししてやりたくなったんだよ」

「仕返しって、子供の喧嘩じゃあるまいし……」

「いや、ほれ。仲間がぼこぼこにされていたら助けるだろ、普通」


 あっさり「仲間」という単語を口にしたニキータに、イリーネもアスールも唖然としてしまう。そんな風に思ってくれていたのか――と。

 ニキータの正体を知って警戒を解いたイル=ジナが、愉快な表情で近づいてきた。


「アスール王子は【黒翼王】にとってもお気に入りなんだね。からかって悪かったよ」

「なんだか盛大に誤解しているようだが、とにかくお前らに用があってな。ちょいと邪魔するぜ」


 ニキータは懐から白い封筒を取り出して、それをアスールに手渡した。アスールを中心に、みなが自然と集まって輪を作る。


「さっき、こっちに向かってくる鴉の化身族を見つけてな。ファルシェからの使いだった」

「ということは、この手紙はファルシェの……」

「グレイアース経由で来たらしいから、ダグラスの書状も込みだろうよ。アスールに手渡しして、すぐ返事をよこせって、なんか切迫してたぜ。……とまあ、そういうわけで俺が飛んできたわけだ」


 早く開けてくれと急かされて、アスールがその場で封を切る。中には書状が二枚、一枚目はファルシェからのものだ。国王からの正式な書状だというのに、文体は非常に気安い。


「『サレイユとイーヴァンの連名でリーゼロッテに送った使者が、メイナードに目通りする前に斬殺された。相手は教会兵。どうやらメイナードの後援は教会のようだ。こちらの穏便な対応は、するだけ無駄だろう。神国軍に動きがあるのも確認した。国境の諸侯が戦闘準備を始めている』……」


 斬殺。正式な形で謁見を申し入れた二カ国の使者を、問答無用で殺したのか。ヒトの平等と平和を願うはずの教会が。


「メイナードお兄様……というより、スフォルステン家は古くから神官として教会に勤めていました。一時は教皇も輩出したとか……それを考えれば、お兄様と教会の結びつきも不思議ではありません」

「そうだな、シャルロッテ殿も熱心な信者だった。……これでもう教会はあてにできんな」


 アスールは呟きつつ、二枚目の紙を広げる。そちらはダグラスからのものだ。あのダグラスとも思えない、角ばった力強い文字だった。


『そろそろイル=ジナ女王を口説き落とせた頃か? これから三カ国(・・・)合同で兵を進めたい。とにかくブランシャール城塞へ兵力を送るから、続けてケクラコクマ国内の通行許可を要請してくれ。北と西から、リーゼロッテを攻める。その隙に、お前たちは神国へ向かうように。向こうが態度を明らかにした以上、何をしてくるか予想もつかない。カーシェルには人質としての価値があるが、それもいつまでか分からないぞ。出来る限り急げ』


 最後には、承諾の意思があれば一筆添えて手紙を送り返すようにと書かれていた。ファルシェからの使者は、この返事を受け取るためにニキータを急かしていたのだ。手っ取り早く連携を取るためには、鳥族の化身族の力を借りるのが一番だ。ファルシェは化身族や混血種(まざりもの)を密偵として重用しているから、人材は豊富なのだろう。


 ――まあ、そんなことより驚いたのは、ダグラスの手紙の最初の一文だろう。


「ダグラス……最初からこうなるって、分かっていたんですね」


 イリーネが呟くと、アスールが大きく溜息をついた。


「どうやら我々は、あいつの掌の上にいたようだな」

「まったくもう、だからダグラス王子は苦手なんだよ。最初から全部お見通しって感じでさ」


 イル=ジナも辟易したように緋色の髪を掻き回し、片手をアスールに差し出した。何かを要求するその手つきに、アスールは一瞬戸惑った表情を見せる。それを見て、イル=ジナは不敵に笑って片目を閉じた。


「なにをぼさっとしているんだい。ケクラコクマ国内のサレイユ軍通行を許可する女王の一筆、必要なんだろ?」

「……ええ、お願いします」


 アスールは頷いて、イル=ジナに書状を差し出した。

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